スキルレベルしか上がらない一般身体能力学生が迷宮に挑んだら 作:石田フビト
かの冒険者が登録をしてから、三十五日が経った。
依然として彼は生存し続けている。この始まりの迷宮で、魔物と戦っている。
それ自体に問題はなかった。問題などあるはずもない。
彼が生還することは、自分の役割を鑑みれば喜ぶべきことだった。
だから、本当に問題なのは別のところにある。
「おかえりなさいませ、雨夜様」
「はい。ただいま帰還したであります、大尉」
「……? 記憶の齟齬を確認。脳が損傷されたのですか? 速やかに治療を勧めます、ポーションはお持ちでしょうか」
「あ、いえ。大丈夫です。すみません、ほんと」
ポータルから帰還して第一声、下手糞な敬礼と帰還の報告をした彼に対し、怪我の恐れを抱く。
自分は大尉という存在ではなく、メリアだ。
記憶の混濁が見受けられる。
そう判断し治療を勧めたのだが、何故か彼は恥じるように謝罪した。やはり、危険な状態なのかもしれない。
「発言内容について異議を申し立てます。曖昧な判断で治療が遅れては最悪の事態を招きます。今救急隊の要請を……」
「わー、待ってください! ちょ、ストップ! メリアさんストップ!」
アルストロメリアに搭載されている通信機能で救急隊を要請……する前に、彼の声で中断する。
話を聞くと、先の発言は彼なりの冗談であったようだ。
メリアには冗談というものがよく分からない。
原理も意味も知っているが、理解することができない。
彼は自分を笑わせようとしてくれている。それが分かるのに、自分は言葉を記号としか認識できない。
……脳内にあるどこかの回路が、ズキリと損傷した気がした。
「それで、雨夜様は本日何階層まで踏破なされたのですか?」
「話の変わり方エグくない? てか今それ言う? 絶対追い打ち狙ってるよねこれ」
「すみません、よく分かりません」
その後はつつがなく話が進んだ。
本日も踏破は出来ず、途中で引き返してきたそうだ。これで七度目の未踏破。
脳内で記録を刻む。
彼の生存記録は、二日振りに更新されたのだった。
三十五日目。雨夜和幸、帰還。
その記録を刻むたび、見返すたびに胸の動力源が僅かに温まるのを感じる。
自分はどこかを故障したのだろうか。今度、メンテナンスを受けるべきかもしれない。
だがメンテナンスには最低一週間はかかる。
であるならば、必要ない。
「あぁいや、何でもないです。取りあえず換金してきますね。それでは、ええと、土曜日にまた」
「……はい。お疲れ様でした」
何故なら、彼は約束をするのだ。
また、土曜日にと。また会おうと。彼は自分に再会の約束をするのだ。
メンテナンスをすれば、その約束を違えてしまう。そうすれば、彼のパフォーマンスは低下し、最悪死の危険すらある。
人間は約束を守ることに意義を見出す生き物だ。
故にメリアは仕方なく。全くもって仕方なく、ここに立つのだ。
「……」
ボロボロになった装備を纏う彼の背中を見つめる。
始まりの迷宮ではあり得ない損傷具合だ。自分で傷を付けたとしても、外傷は見当たらない。
問題は、ない。
彼が何も言ってこないのだから、問題はない。たとえ自分が気になろうと、冒険者である彼に深入りしてはいけない。
アルストロメリアの誓いだ。
プライベートな発言は控えるよう、自分たちは設定されている。
冒険者の装備について質問し、迷宮内での活動を必要以上に聞く。
それは正しく越権行為だった。メリアは創造物だ。それ以上でもそれ以下でもない。
必要なことだけ、していればいい。
たとえ何処かの回路が損傷を訴えようと、だ。
「……」
……ただ、一つ。
目を瞑ることのできない問題があるとすれば。
それは彼が、『あれ』と関わっている事実だろう。
彼の言うことを信じるのであれば、彼は既に『あれ』と会話を交わしてから一ヶ月以上生き延びている。
驚異的、と評価せざるを得ない。
かつての文献、資料を読み漁ってもそんな事例はなかった。
彼が特別なのか。それとも、『あれ』の気紛れか。
どちらでもいい。彼が生存してくれるなら、何でもいい。
「……」
本当に彼の生存を願うなら、彼は『あれ』と関わるべきではない。
恐らくではあるが、彼が七度も始まりの迷宮を……それも第一階層すら踏破できないのは、『あれ』の影響が大きい。
見たところ彼の筋力は平均以下であるものの、スライム程度ならば簡単に倒せるはずだ。
『あれ』のせいで、彼は未だに踏破できないでいる。
間違いない。一刻も早く引き離すべきだ。
しかし……。
「……」
もしそうなれば、彼は迷宮を数日で踏破してしまうだろう。
踏破し、次の迷宮へ移り。
自分のことなど記憶の片隅すら置かずに、消し去ってしまうだろう。
かつての冒険者たちのように。
彼は。
雨夜和幸は、『あれ』のせいで踏破できない。
……『あれ』のおかげで、未だに踏破できないでいてくれる……。
それから、早二日。あっという間に土曜日が来る。
長いようで短い二日間であった。
ずっと考え事をしていたのだ。何せ、時間だけはたっぷりとある。この二日間は立ち続けながら、頭の片隅で情報収集をしていた。
即ち、冗談とは一体何なのか、と。
つまりは一旦、『あれ』については保留にしようと考えたのだ。
そもそもメリアは冒険者を援助するだけの存在でしかなく、彼自身が関わりたいと願う意思を曲げることは、事実上不可能だった。
で、あるならば。
自分にできることはなにか。
そう、少しでも彼のパフォーマンスを向上させることである。
故にメリアはこの二日間、冗談というものを徹底的に学んだ。
もはや自分に死角はない。
どんな冗談でも、対応して見せる自信のようなものがあった。
「頭が良すぎるってのも、考えものだな……」
「……脳の損傷を」
「あ、ごめんなさい。早く行きますね」
結果だけを言うなら、メリアは失敗した。
どういうことだ。どうしてこうなった。
メリアは彼がポータルへと沈んでいくのを見ながら、自分に問うた。
今のは、冗談ではなかったのか。
彼が自分を褒めるときは経験上、九割が冗談だったはず。であればどうして、あんな余所余所しく行ってしまうのだ。
自分は学んだ通りに、所謂ツッコミというものをしたのではなかったのか。
ボケとツッコミ。
それは冗談と密接な関係をしていると分析したが……誤りだったかもしれない。
また、失敗した。
「……なぜ」
なぜ、自分はこうも失敗ばかりするのだ。
それを恥だとも嫌だとも思わないが、純粋に疑問なのだ。
どうして自分は、いつもこうなのだ。冒険者は寄り付かず、入迷者のノルマも達せない。
否、そんなことはどうでもいい。
問題なのは、彼を少しでも喜ばせることができない、この無能さだ。
また彼にあの顔をさせてしまった。
これから迷宮へ潜るのに、意志を消沈させてしまった。
自分はやはり、失敗作だ。
誰の役にも立たない愚作。価値のないガラクタ。
「なぜ……」
どこかの重要な回路が擦り切れていくのを感じる。
かつて感じていた虚無感ではない。それよりもっと激しく、苦しいものだ。
……苦しい?
自分は今、苦しいのか?
分からない。
ただ、役に立ちたい……。
あの青年のために。
いつまでも自分に関わり、話し続けてくれる唯一の存在に。こんな自分に感謝し、笑顔を向けてくれる、その温かさに。
何か……。
「……む」
そのとき、無意識に検索していた脳内ネットワーク空間で、あるものを見つけた。
検索内容は、男性を喜ばせる方法。
それも交際や結婚を求める女性が調べるような。実にありふれた内容であり、以前の自分からすれば無価値なものであったが。
「これは……」
今のメリアにとって、それは正に青天の霹靂だった。
そうだ。
彼は冒険者である以前に、男なのだ。
残念ながら自分に冗談の才能はない。だったら、他の何かで補えばいいではないか。
幸運なことにメリアは女性を模して創られてある。
容姿も……分からないが、恐らく彼も嫌悪はしていない。
女性として、男性である彼を喜ばせる。
もはや迷宮とか冒険者の援助とか、そんなものはメリアの頭から抜けていた。
とにかく役に立ちたい。
喜んでほしい。
そして叶うなら……どうか自分を、ずっと覚えていてほしい。
「……」
メリアは表情を変えずに検索を続ける。
自らを突き動かすものが何なのかも分からず、調べる、調べる、調べる。
その数なんと数万件。
ありとあらゆる手練手管を、ネット上から吸収していく。
男性は何が好きで、どういった女性を好むのか。
性癖、仕草、オーケーサイン、誘い方。更にはベッドの中の行為まで。
完全に能力を無駄遣いしつつ、メリアは調べ上げた。
「……収集、完了」
かくして、恋愛マスターは降臨した。
彼女は一つ頷き、脳内でシミュレーションをする。言うまでもなく完璧だった。
メリアの頭では既に、彼がメリアを抱きしめて愛を囁くことまでが予想できている。
だが困ったことが一点。
自分は冒険者援助オートマタであり、彼は冒険者だ。彼が自分に恋愛的感情を抱くのは確実だとして、その後自分はどう対応したものか。
常識的に考えるなら、断るべきだ。
あくまで自分は創造物であり、ラビリンスの道具なのだから。
仮に交際、結婚したとして幸せな家庭は築けまい。
自分は感情を持たぬ機械人形だ。愛されることはできても、愛すことはできない。
そんな関係を続けるのは互いに不利益だ。仕事のこともある。
「……」
やはり、断るべきだ。
それしかない。何度考えても、それが最善だ。
早速シミュレーションで練習しておこう。断るにしても、彼が傷付かない方法を模索しなくては。
シミュレーション、開始。
メリアの目の前に、仮想の雨夜和幸の姿が浮かび上がる。
その顔は真剣そのものだ。
意を決したように、彼は口を開いた。
『……メリアさん。貴女のことが好きです。どうか……結婚を前提に、付き合ってもらえませんか……?』
『はい、よろしくお願いします』
シミュレーションを掻き消す。
……よろしくお願いします、ではないが?
思考する前に口が動いていた。何なら、貴女のことが好きだと言われた時点で脳の回路が出力を決定していた。
危ないところだ。シミュレーションをして正解だった。
しかしこれで大丈夫だ。次言われたら、断れる……はず。
「……」
念のため、今度は少し内容を変えてシミュレートしてみよう。
他意はない。より確実に彼の交際を断るため、必要なことだ。
再びメリアの前に雨夜の姿が構築される。
ぼさぼさの髪。深く刻まれた皺。疲れた表情。暗い目つき。
だが、そこには温かみがある。隠し切れぬ優しさがある。思いやりがある。
彼の口元が柔らかく綻んで、言った。
『僕は貴女のことを愛しています。メリアさん……いや、メリア。僕と一緒に、人生を歩んでくれませんか……?』
『はい、よろしくお願いします』
シミュレーションを掻き消す。
……よろしくお願いします、ではないが??
いや、しかし、今回は彼にも責任があるだろう。まさかメリアと、呼び捨てにされるなど……いや、設定したのは自分だが。
それでも少し衝撃だったというか。
それのせいで、言葉の出力がバグってしまったというか。
とにかくこれで大丈夫だ。
自分は確実に、彼の交際を断れる。
数多の文献を参照して得た男性を喜ばす方法により、自分のことを好きになって仕方がない彼には申し訳ないが。
これも彼の幸福な人生を思ってのことである。
多少の悲しみは、我慢してほしい。
「……」
……彼が帰ってくるまで、まだ時間はある。
一応。本当に一応だが、他のシミュレーションもしておくべきだろう間違いない。
さっきは少し強引すぎた気もする。
故に今度は、もっと自然に交際を……。
そうして、メリアが七十三回目の告白にオーケーした時。
ポータルに反応があった。
あれから一人も始まりの迷宮には訪れてはいない。
彼が帰ってきたのだ。
メリアは目の前のシミュレーションを消し、心構える。
ついぞ一度も断ることはできなかったが何ら問題はない。あれだけシミュレートしたのだ。
断ることなど、造作もない。
「……ふぅ」
安堵を含んだ溜め息と共に、彼がポータルから現れる。
自分の中の何処かが、燃えるように熱を発した。だが焦る必要はない。
口から溢れ出そうになる何を押し留め、いつも通りの言葉を吐く。
「おかえりなさいませ、雨夜様」
「あ、どうも。ただいまです」
高い背を曲げて頭を下げる彼。
掴みは九十点といったところか。次のフェーズへと移る。
「……」
「……」
「……あの、メリアさん?」
メリアは数多の情報から知っていた。
男性は女性の沈黙に対し、強い興奮を抱く……と。
それ故のガン見。沈黙。
耐え切れずに自分の名を聞いてきた彼の姿を見て、彼女は計画の順調性に満足していた。
……メリアはこういったことに、とことん不器用であった。
いや、なんならポンコツと言ってもいい。
かつて雨夜和幸が初めて迷宮に潜り、何とか帰還してきた際に記念撮影を申し出たことがある。
世界で初めてスライムに負けた男だと。だから記念に、写真を撮らせてくれと。
恐ろしいことに、これは煽りでも何でもない。
純粋にただ、喜ぶと思っての行動だった。つまり、彼女の脳内回路を表せば。
世界で初めてスライムに負けた。
人間は世界初という称号が大好き。
その記念に写真を撮れば、喜んでもらえるはず!
……と、こうなっているのだ。
決して悪意があるわけではない。ただちょっと、純粋過ぎて。不器用すぎて、出力がおかしくなってしまうだけなのだ。
今回も、それが裏目に出た。
彼女は本気かつ真剣に、真顔で雨夜和幸の顔を眺めていれば告白されると思っているのだ。
勿論、そんなことはなく。
「雨夜様、どうでしょうか。ドキドキなされましたか?」
「定義によりますね。今はメリアさんの行動に困惑と心配を抱いてます。緊張、という意味ならドキドキしてるかもですが」
「……? 検索内容との差異を確認。現状での相違点を整理します……」
「うん。整理しなくていいので、目的を教えてくれません?」
ここに来てメリアは少しだけ、おや? と思い始めた。
シミュレーションでは既に彼が顔を赤らめて告白の準備をしているはずが、どうにもそうは見えない。
しかし問題はない。まだまだ手段は残っている。
現実と空想のギャップに首を傾げつつ、仮設の検証と評して、次なる行動へ移行した。
男性は期待感を裏切られることにより仄暗い快感を覚える。
これもまた、ネット上で得た叡智の一つであった。
メリアは彼に手を出せと言い、ペチンと弱く叩いた。
決まった。
メリアの中で勝利のゴングが鳴る。
……はず、だったのだが。
「……? 疑問、どうして雨夜様の体温が下がっているのでしょう」
「そりゃ目の前で堂々と冤罪工作を見せつけられればね」
何故か、彼の体温が下がっていた。
人間は興奮すると体温が上がるものではなかったか。一体何が起こっているのだろう。
不思議に思って、メリアは雨夜の体をペタペタと触る。
どこか怪我でもしているのかと考えたが、どうやらそうでもなかったようだ。
彼の体温が上がるのを目で確認する。
やはり自分の行動は間違っていなかった。
これで彼が告白する段階は全て踏んだはずだ。交際の申し出はすぐそこまで迫っている。
「……」
メリアは自分の体が熱くなっていくのを感じていた。
先程のシミュレーションでも何回か起きた現象だ。思考に問題はないため、異常なしと見なしていたが、これは今までとは違う。
体中が熱い。
思考回路が焼き切れてしまいそうだ。
ただ、彼が自分に告白するだけだというのに。
どうしてこうも、体が強張る。
表面上は平静を保っているものの、メリアの体内は今にも爆発しそうな熱があった。
溢れ出そうなその衝動。
人はそれを、情熱と呼ぶ。
さぁ、さぁ。
告白してこい。自分は全くそんなつもりはないが、興奮の末に愛を紡がれるのは仕方のないことだ。
早く言ってほしい。
勿論断る。断るが……あるいはまた、誤作動が起きるやもしれない。
さぁ、さぁ……。
そしてついに、彼の口が開く。
メリアはその動きに最大限の注意して。
「はぁ、せっかく一階層踏破したのに……ぐすん」
その言葉を聞いたとき。
彼女は自分の中の何かが、罅割れる音を聞いた。