スキルレベルしか上がらない一般身体能力学生が迷宮に挑んだら   作:石田フビト

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閑話 メリアの誓い 2

「……発言内容を確認。吟味、考察、疑問。……もう一度、言っていただけますか?」

 

 信じられないことを聞いた気がする。

 自分の中の熱が一気に引いて、まるで床が無くなってしまったような感覚に陥る。

 確認の意を込めて、メリアは尋ねた。

 さっきのは、聞き間違いかもしれない。あるいは彼が好きな冗談かもしれない。

 

 しかし、現実は非情に。

 

「ああ、はい。踏破しましたよ。気分はどん底ですが」

「――」

 

 何でもないことのように、彼は答える。

 メリアの視覚から得られる情報量は常人のそれではない。故に分かるのだ。

 この青年は、本当のことを言っている。

 元々偽ることが不得意な彼なら猶更、その言葉が真実だと理解できた。

 

 それでも、縋って。最後の確認をする。

 

「……冒険者、プレートの。提出を、お願いできますか?」

「へ? あー、ちょっと待ってくださいね。ええと……はい、どうぞ」

「確認中……」

 

 比喩ではなく、隅々までプレートを眺める。

 特定の電気信号は、彼が第一階層を踏破したことを知らせた。

 虚偽ではないか。偽装ではないか。

 ありえない空想にまで思考が膨らんで、弾けた。

 このプレートは本物であり……彼は、間違いなく、第一階層を踏破した。

 

「……照合。第一階層の踏破、確認いたし、ました。おめでとうごさいます……雨夜様……」

 

 プレートを静かに返す。

 喜ぶべきことだ。冒険者が実力を付け、新しい階層へと足を踏み入れた。

 歓迎すべきことだ。賞賛すべきことだ。

 だから自分も、言葉にした。

 おめでとうと言った。何も変ではないだろう。

 

 だのに、彼は。

 

「はぁ、どうも。……あの、どうかしました、メリアさん?」

「……どうかした、とは?」

「いや、なんかその。あんまり元気がないように見えましたので」

 

 あまりに気軽に、こんなことを言う。

 この鉄仮面の裏には何も隠されていないというのに。彼はそれを暴き、心配し、労わろうとしている。

 

 愚かな行為だ。無駄な心配だ。

 自分には元気、などという機能がない。落ち込むなどあるはずがない。

 愚かだ、愚かだ。

 

「わっ、メリアさん。ちょっと待っ」

 

 彼が何かを言っている。なんら関係はない。

 ぐいぐいと背中を押して、この場から離れさせる。

 何故だか顔を見ることができなかった。彼の顔を見ていると……その顔が、いずれ見れなくなると思うと。

 体がバラバラに切り刻まれる感覚がするのだ。

 

 だから押し退ける。

 今日この瞬間だけは、彼の顔を見たくはなかった。

 

「あの、ごめんなさい。僕なにか嫌なこと言いましたかね。その、なんというか」

「謝罪は不要です。お帰りください、雨夜様」

「でも、メリアさ……はい、分かりました」

 

 謝罪すら、切り捨てて。

 次第に手から彼の体温が離れていく。彼の姿が遠ざかっていく。

 自分が望んだ結果だ。

 だのにどうしてか、喪失感だけが残っている。

 

 自分は何を望んでいたのだろう。

 どこかに行ってほしい。顔も見たくない。今だけは会いたくない。

 そう願ったのではなかったのか。

 

 何故、虚しく感じる。

 本当は何を求めていたのだろう。彼にどうしてもらいたかったのだろう。

 分からない。

 彼の姿が少しずつ遠ざかっていく。あともう少しで言葉も届かない。 

 それでいいだろう。

 それで、いいはずだ。

 

「……ぁ、まや様」

 

「? はい、どうしました?」

 

 気付けば彼の名前を呼んでいた。

 弱々しく、自分から出たとは思えない矮小な声。

 それでも彼は振り返った。黒い瞳がメリアを見つめている。

 

 何か、話さなければならない。

 言葉を紡がなくてはならない。

 伝えたいことがあったのではないか。

 何か。

 何か。

 

 考えに考えて……メリアは、自分を覆いつくすそれの正体も知らぬまま、口を動かした。

 

「次回も……また、ここに来られます、か? ここに……始まりの迷宮に、来てください、ますか?」

 

 ……彼がいつも言ってくれる、約束。

 そうだ、彼はまだ言っていない。今日はまだ聞いていない。

 これはパフォーマンスに影響することだ。だから聞かねばならない。

 自分は当然の役割を果たしている。

 

 そんな、言い訳染みた思考を。

 

「え、当たり前じゃないですか」

 

 彼はあっさりと両断した。

 何でもないように、当たり前だと。

 

「てか何なら明日も来ますよ。次の日休みだし……うん。暫くはメリアさんのお世話になると思います」

「……そう、ですか」

 

 まるで自分の中にある黒い塊を、一つずつ摘んでいくように。

 

「はい。だから、これからもよろしくお願いしますね」

「……は、ぃ。こちらこそ、よろしくお願いいたします……雨夜様」

 

 彼はこれからを望んでくれた。

 謎の衝動に駆られ、突き放した自分に対して憤慨することもなく。

 自然な笑みを持って願ってくれた。

 

 ……動力源が、熱い。

 

 この熱は一体、何なのだろう。

 

 

 

 

 

 時刻は深夜。

 既にノルマの報告を終え、今回も一人しか訪れなかった迷宮を後にする。

 いつもなら虚しいだけだったこの記録。

 それでもどこか、満たされていると感じるのは気のせいだろうか。

 

 たった一人。されど一人。

 彼は明日も来ると言ってくれた。ならきっと、明日も一人だ。

 ゼロが並び続ける日々はもうない。 

 彼が来てくれるなら、それだけでいい。

 

「……」

 

 暗い通路を歩き続けて数分。

 はるか昔、自分に与えられた部屋の前へと辿り着く。

 扉には認証装置が設置してあり、メリアの瞳をセンサーで読み込まねば入ることはできない。

 

 ……認証、完了。

 静かに扉が横へとスライドする。

 

「……」

 

 彼女が足を踏み入れた部屋は、酷く簡素なものだった。

 ベッド、机、椅子、ライト。 

 およそ娯楽と呼べる存在はなく、ただ生活するだけの必需品を揃えた、寝室であった。

 

 故にこの部屋における、メリアの行動は単純だ。

 空色のボーダーが入ったコートを掴み、ハンガーへかける。そしてそのまま淀みなく、黒いスカートへと手を伸ばし……。

 

「……む」

 

 個人へ向けた、差出人不明のメッセージを受信した。

 

 就寝の準備をしていた手が止まる。止まらざるを得なかった。

 通常、アルストロメリアに向けてメッセージを送れる存在は、迷宮協会の幹部か、それに準ずる者だけだ。

 更にグループネットワークでなく、個人に送られてくるのは……彼女の長い生の中で、初めてのことだった。

 

 異常事態が発生している。

 相手は迷宮協会の関係者ではない可能性がある。

 しかし、現在の技術でアルストロメリアの個人コードを盗むことは不可能のはず。

 であるならば。

 

「……『あれ』、ですか」

 

 それ以外の可能性は考えられない。

 

 名称を呼ぶことができないもの。

 禁則事項318。

 ラビリンスの禁忌。

 

 ……生きる災厄が、どうして自分のような末端にメッセージを送るのかは定かでない。

 あるいは『あれ』と関わる彼について、雨夜和幸についての内容か。

 全く、意図が読めない。

 

「……」

 

 メッセージを開くべきか。

 しかし『あれ』と関わることは避けたい。文字を読むだけでも、繋がりは繋がりだ。危険は多分にある。

 

 ……だが、そのことを『あれ』が理解していないとも思えない。

 確かに『あれ』はこの世で最も危険な存在だが、それは全て受動的なものだ。

 関わったら、死ぬ。

 それは言い換えれば、関わらなければ無害ということだ。

 『あれ』は一種の災害と考えていい。

 

 そんな存在がメッセージを寄越した。きっと、これには深い意図があるのだろう。

 

「……」

 

 数分ほど思考し、メリアはメッセージを開くことにした。

 決して『あれ』の危険性を軽んじたわけではない。

 しかし、もし『あれ』が自分を消そうとしているのであれば。こんな回りくどい方法を選ぶ必要がないというのも、事実だ。

 

 二週間前のこともある。

 あのとき自分を擁護したのは、少なくとも悪意によるものではない。

 『あれ』は自分を害そうとはしていない。

 

 そう判断しての行動だった。

 メッセージを開く。その中に書かれていた文字を、メリアは慎重に読み進め……。

 

「……は?」

 

 小さく、声を出す。

 薄暗い部屋の中で音が反響し、帰ってくる。その時に初めて、メリアは自分が声を発したことに気が付いた。

 

 ……内容は、簡潔だった。

 理解できないものではない。簡潔なほどに、簡潔。

 

 その内容は……自分が、雨夜和幸に行った()()()()()の数々は、誤っているという忠告だった。

 更に続きには、このまま間違ったアプローチをしていると、彼に嫌われる恐れがある、とも。

 

「……なに、を」

 

 思わず、後退る。

 予想していた内容とはあまりにかけ離れていたため、頭の回路がショートしそうだった。

 それに、なんだ?

 アプローチ? 何を言っているのかが全く理解できない。

 

 アプローチとは、あれだろう。

 異性に対しての求愛行動のことだろう。全然違うではないか。自分がやったことは、あくまで彼を喜ばせるもので。

 それで、喜んでくれた彼に。

 彼に……。

 

「……」

 

 否、考えるべきところはそこではない。

 重要なのはその後の文だ。

 

 このまま間違ったアプローチを続けると、彼に嫌われる……だと?

 

 そんなわけがない。現に彼は、決してアプローチではない自分の行動によって、興奮していたではないか。

 盗み聞きをしておいて、何たる嘘を。

 彼が自分を嫌うわけがない。

 あの、いつも笑顔を向けてくれる彼が。

 

 そんな、嫌うなどと。

 世迷言だ。ありえない。そんなはずが、ない。

 

「……っ」

 

 ……だが、これは『あれ』が送ってきたメッセージだ。

 普通の者ではない。ただの人間ならば、一笑に付していた文字列。

 

 しかし、『あれ』は。

 

 『あれ』は超常の存在だ。この地に生ける者の物差しでは量ることの出来ぬ、異常だ。

 無視できるわけがない。

 つまらぬ悪戯と、捨てれるわけがない。

 

 認める必要がある。

 自分は今、間違った行動を彼にしていて。

 そして……。

 

「……ぁ」

 

 

 自分は彼に、嫌われる可能性があるということを。

 

 

「……ぃ、や……」

 

 嫌われる。

 嫌われる。

 

 それは、どんな風に? どうやって、嫌われる?

 嫌悪されるとはどんな感じなのだ。

 嫌われるとは。一体、どんなものなのだ。

 

 ……もう、話してくれない、のだろうか?

 

 嫌われてしまえば。もう二度と、笑ってくれないのだろうか。

 それどころか、顔を顰めて。自分を見ただけで気分を悪くしてしまうのだろうか。

 

「いや」

 

 無関心ならば、慣れている。

 忘れ去られるのも、慣れている。

 彼が自分に一切の興味を持たなくなることは。耐え難い虚しさだろうが……それでも、予想はできる。

 

 しかし、嫌われるとは。

 喜んでほしい相手に、不快感を与えてしまうというのは。

 

 それは、あぁ、分からない。

 そんなこと、恐ろしくて考えたくもない。

 あぁ、恐ろしい? これが、恐ろしい?

 胸の中が重く、冷たく、深く沈んで。

 足と手の機能が働かなくなる、この感覚が……恐れ?

 

「怖、い……」

 

 嫌われたくない。

 もうあの日々に戻ることができない。メリアはもう、耐えきれなくなってしまった。

 知らなかったのだ。

 誰かに名前を呼ばれ、笑顔を向けられるのが。

 ずっと自分を覚えていて、何度も顔を合わせられるのが。

 

 こんなにも温かく、平穏で。虚しさを包んでくれるものなのだと。

 

「雨夜様……」

 

 彼の名前を呼ぶ。

 当然の如く、帰ってくる言葉はない。彼の少し掠れた、低い声が。

 あの温かみ溢れた声が返ってくることはない。

 

「雨夜様……」

 

 メリアは彼の名前を呼び続ける。

 されど声は空虚に部屋の中を響くだけで。その声に応えてくれるものは誰もいない。

 薄暗い、いつもの部屋。

 痛いほどの静謐さが身を包む。

 

 だからメリアは彼の名前を呼んだ。

 敬称をもってその名を呼ぶ瞬間だけが、罪の重さを紛らわせてくれる気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、日は昇り。

 時計の針は進み続ける。淀むことなく、一定に。無情なほど、正確に。

 

「どうも、こんにちは。約束通り来ましたよ、メリアさん」

「……はい、こんにちは。お待ちしておりました、雨夜様」

 

 挨拶を交わす。

 彼のやつれた顔には、いつもと変わらぬ温かな笑みがある。

 まだ、その笑みを向けてくれている。

 

 メリアは彼に向かって深くお辞儀をし、その顔をじっと見つめた。

 昨日の夜から考えていた行動を実行するために。

 

「雨夜様」

「ん、何ですか?」

 

 僅かに首を傾げる、彼の姿を見上げる。その顔には一切の怒りもなく、不快感もないように見えた。

 だからこそ怖いのだ。

 その顔がいつか、嫌悪に塗れたものになるのではないかと。

 怖くて、怖くて。

 

 だからメリアは考えた。

 自分が嫌われないで済む方法を。なんとかして、彼の心を喜ばせる方法を。

 暗い部屋の中一人で考え続けた。

 『あれ』の言っていたアプローチを止める。それは前提条件だ。

 それだけでは、全く不足している。

 

「昨日は……大変、申し訳ありませんでした。ガイド役である身として、あるまじき失礼をいたしました」

「は、え、どうしたんですか急に」 

 

 謝らねばならない。

 謝罪し、謝罪し、罪を告解し、謝罪し、懇願し、謝罪するのだ。

 自分の失敗を謝罪しなければならない。

 罪を償わなければならない。

 頭を下げ続ける。

 

 それがメリアの考えた、彼に嫌われない唯一の方法だった。

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