スキルレベルしか上がらない一般身体能力学生が迷宮に挑んだら 作:石田フビト
「……発言内容を確認。吟味、考察、疑問。……もう一度、言っていただけますか?」
信じられないことを聞いた気がする。
自分の中の熱が一気に引いて、まるで床が無くなってしまったような感覚に陥る。
確認の意を込めて、メリアは尋ねた。
さっきのは、聞き間違いかもしれない。あるいは彼が好きな冗談かもしれない。
しかし、現実は非情に。
「ああ、はい。踏破しましたよ。気分はどん底ですが」
「――」
何でもないことのように、彼は答える。
メリアの視覚から得られる情報量は常人のそれではない。故に分かるのだ。
この青年は、本当のことを言っている。
元々偽ることが不得意な彼なら猶更、その言葉が真実だと理解できた。
それでも、縋って。最後の確認をする。
「……冒険者、プレートの。提出を、お願いできますか?」
「へ? あー、ちょっと待ってくださいね。ええと……はい、どうぞ」
「確認中……」
比喩ではなく、隅々までプレートを眺める。
特定の電気信号は、彼が第一階層を踏破したことを知らせた。
虚偽ではないか。偽装ではないか。
ありえない空想にまで思考が膨らんで、弾けた。
このプレートは本物であり……彼は、間違いなく、第一階層を踏破した。
「……照合。第一階層の踏破、確認いたし、ました。おめでとうごさいます……雨夜様……」
プレートを静かに返す。
喜ぶべきことだ。冒険者が実力を付け、新しい階層へと足を踏み入れた。
歓迎すべきことだ。賞賛すべきことだ。
だから自分も、言葉にした。
おめでとうと言った。何も変ではないだろう。
だのに、彼は。
「はぁ、どうも。……あの、どうかしました、メリアさん?」
「……どうかした、とは?」
「いや、なんかその。あんまり元気がないように見えましたので」
あまりに気軽に、こんなことを言う。
この鉄仮面の裏には何も隠されていないというのに。彼はそれを暴き、心配し、労わろうとしている。
愚かな行為だ。無駄な心配だ。
自分には元気、などという機能がない。落ち込むなどあるはずがない。
愚かだ、愚かだ。
「わっ、メリアさん。ちょっと待っ」
彼が何かを言っている。なんら関係はない。
ぐいぐいと背中を押して、この場から離れさせる。
何故だか顔を見ることができなかった。彼の顔を見ていると……その顔が、いずれ見れなくなると思うと。
体がバラバラに切り刻まれる感覚がするのだ。
だから押し退ける。
今日この瞬間だけは、彼の顔を見たくはなかった。
「あの、ごめんなさい。僕なにか嫌なこと言いましたかね。その、なんというか」
「謝罪は不要です。お帰りください、雨夜様」
「でも、メリアさ……はい、分かりました」
謝罪すら、切り捨てて。
次第に手から彼の体温が離れていく。彼の姿が遠ざかっていく。
自分が望んだ結果だ。
だのにどうしてか、喪失感だけが残っている。
自分は何を望んでいたのだろう。
どこかに行ってほしい。顔も見たくない。今だけは会いたくない。
そう願ったのではなかったのか。
何故、虚しく感じる。
本当は何を求めていたのだろう。彼にどうしてもらいたかったのだろう。
分からない。
彼の姿が少しずつ遠ざかっていく。あともう少しで言葉も届かない。
それでいいだろう。
それで、いいはずだ。
「……ぁ、まや様」
「? はい、どうしました?」
気付けば彼の名前を呼んでいた。
弱々しく、自分から出たとは思えない矮小な声。
それでも彼は振り返った。黒い瞳がメリアを見つめている。
何か、話さなければならない。
言葉を紡がなくてはならない。
伝えたいことがあったのではないか。
何か。
何か。
考えに考えて……メリアは、自分を覆いつくすそれの正体も知らぬまま、口を動かした。
「次回も……また、ここに来られます、か? ここに……始まりの迷宮に、来てください、ますか?」
……彼がいつも言ってくれる、約束。
そうだ、彼はまだ言っていない。今日はまだ聞いていない。
これはパフォーマンスに影響することだ。だから聞かねばならない。
自分は当然の役割を果たしている。
そんな、言い訳染みた思考を。
「え、当たり前じゃないですか」
彼はあっさりと両断した。
何でもないように、当たり前だと。
「てか何なら明日も来ますよ。次の日休みだし……うん。暫くはメリアさんのお世話になると思います」
「……そう、ですか」
まるで自分の中にある黒い塊を、一つずつ摘んでいくように。
「はい。だから、これからもよろしくお願いしますね」
「……は、ぃ。こちらこそ、よろしくお願いいたします……雨夜様」
彼はこれからを望んでくれた。
謎の衝動に駆られ、突き放した自分に対して憤慨することもなく。
自然な笑みを持って願ってくれた。
……動力源が、熱い。
この熱は一体、何なのだろう。
時刻は深夜。
既にノルマの報告を終え、今回も一人しか訪れなかった迷宮を後にする。
いつもなら虚しいだけだったこの記録。
それでもどこか、満たされていると感じるのは気のせいだろうか。
たった一人。されど一人。
彼は明日も来ると言ってくれた。ならきっと、明日も一人だ。
ゼロが並び続ける日々はもうない。
彼が来てくれるなら、それだけでいい。
「……」
暗い通路を歩き続けて数分。
はるか昔、自分に与えられた部屋の前へと辿り着く。
扉には認証装置が設置してあり、メリアの瞳をセンサーで読み込まねば入ることはできない。
……認証、完了。
静かに扉が横へとスライドする。
「……」
彼女が足を踏み入れた部屋は、酷く簡素なものだった。
ベッド、机、椅子、ライト。
およそ娯楽と呼べる存在はなく、ただ生活するだけの必需品を揃えた、寝室であった。
故にこの部屋における、メリアの行動は単純だ。
空色のボーダーが入ったコートを掴み、ハンガーへかける。そしてそのまま淀みなく、黒いスカートへと手を伸ばし……。
「……む」
個人へ向けた、差出人不明のメッセージを受信した。
就寝の準備をしていた手が止まる。止まらざるを得なかった。
通常、アルストロメリアに向けてメッセージを送れる存在は、迷宮協会の幹部か、それに準ずる者だけだ。
更にグループネットワークでなく、個人に送られてくるのは……彼女の長い生の中で、初めてのことだった。
異常事態が発生している。
相手は迷宮協会の関係者ではない可能性がある。
しかし、現在の技術でアルストロメリアの個人コードを盗むことは不可能のはず。
であるならば。
「……『あれ』、ですか」
それ以外の可能性は考えられない。
名称を呼ぶことができないもの。
禁則事項318。
ラビリンスの禁忌。
……生きる災厄が、どうして自分のような末端にメッセージを送るのかは定かでない。
あるいは『あれ』と関わる彼について、雨夜和幸についての内容か。
全く、意図が読めない。
「……」
メッセージを開くべきか。
しかし『あれ』と関わることは避けたい。文字を読むだけでも、繋がりは繋がりだ。危険は多分にある。
……だが、そのことを『あれ』が理解していないとも思えない。
確かに『あれ』はこの世で最も危険な存在だが、それは全て受動的なものだ。
関わったら、死ぬ。
それは言い換えれば、関わらなければ無害ということだ。
『あれ』は一種の災害と考えていい。
そんな存在がメッセージを寄越した。きっと、これには深い意図があるのだろう。
「……」
数分ほど思考し、メリアはメッセージを開くことにした。
決して『あれ』の危険性を軽んじたわけではない。
しかし、もし『あれ』が自分を消そうとしているのであれば。こんな回りくどい方法を選ぶ必要がないというのも、事実だ。
二週間前のこともある。
あのとき自分を擁護したのは、少なくとも悪意によるものではない。
『あれ』は自分を害そうとはしていない。
そう判断しての行動だった。
メッセージを開く。その中に書かれていた文字を、メリアは慎重に読み進め……。
「……は?」
小さく、声を出す。
薄暗い部屋の中で音が反響し、帰ってくる。その時に初めて、メリアは自分が声を発したことに気が付いた。
……内容は、簡潔だった。
理解できないものではない。簡潔なほどに、簡潔。
その内容は……自分が、雨夜和幸に行った
更に続きには、このまま間違ったアプローチをしていると、彼に嫌われる恐れがある、とも。
「……なに、を」
思わず、後退る。
予想していた内容とはあまりにかけ離れていたため、頭の回路がショートしそうだった。
それに、なんだ?
アプローチ? 何を言っているのかが全く理解できない。
アプローチとは、あれだろう。
異性に対しての求愛行動のことだろう。全然違うではないか。自分がやったことは、あくまで彼を喜ばせるもので。
それで、喜んでくれた彼に。
彼に……。
「……」
否、考えるべきところはそこではない。
重要なのはその後の文だ。
このまま間違ったアプローチを続けると、彼に嫌われる……だと?
そんなわけがない。現に彼は、決してアプローチではない自分の行動によって、興奮していたではないか。
盗み聞きをしておいて、何たる嘘を。
彼が自分を嫌うわけがない。
あの、いつも笑顔を向けてくれる彼が。
そんな、嫌うなどと。
世迷言だ。ありえない。そんなはずが、ない。
「……っ」
……だが、これは『あれ』が送ってきたメッセージだ。
普通の者ではない。ただの人間ならば、一笑に付していた文字列。
しかし、『あれ』は。
『あれ』は超常の存在だ。この地に生ける者の物差しでは量ることの出来ぬ、異常だ。
無視できるわけがない。
つまらぬ悪戯と、捨てれるわけがない。
認める必要がある。
自分は今、間違った行動を彼にしていて。
そして……。
「……ぁ」
自分は彼に、嫌われる可能性があるということを。
「……ぃ、や……」
嫌われる。
嫌われる。
それは、どんな風に? どうやって、嫌われる?
嫌悪されるとはどんな感じなのだ。
嫌われるとは。一体、どんなものなのだ。
……もう、話してくれない、のだろうか?
嫌われてしまえば。もう二度と、笑ってくれないのだろうか。
それどころか、顔を顰めて。自分を見ただけで気分を悪くしてしまうのだろうか。
「いや」
無関心ならば、慣れている。
忘れ去られるのも、慣れている。
彼が自分に一切の興味を持たなくなることは。耐え難い虚しさだろうが……それでも、予想はできる。
しかし、嫌われるとは。
喜んでほしい相手に、不快感を与えてしまうというのは。
それは、あぁ、分からない。
そんなこと、恐ろしくて考えたくもない。
あぁ、恐ろしい? これが、恐ろしい?
胸の中が重く、冷たく、深く沈んで。
足と手の機能が働かなくなる、この感覚が……恐れ?
「怖、い……」
嫌われたくない。
もうあの日々に戻ることができない。メリアはもう、耐えきれなくなってしまった。
知らなかったのだ。
誰かに名前を呼ばれ、笑顔を向けられるのが。
ずっと自分を覚えていて、何度も顔を合わせられるのが。
こんなにも温かく、平穏で。虚しさを包んでくれるものなのだと。
「雨夜様……」
彼の名前を呼ぶ。
当然の如く、帰ってくる言葉はない。彼の少し掠れた、低い声が。
あの温かみ溢れた声が返ってくることはない。
「雨夜様……」
メリアは彼の名前を呼び続ける。
されど声は空虚に部屋の中を響くだけで。その声に応えてくれるものは誰もいない。
薄暗い、いつもの部屋。
痛いほどの静謐さが身を包む。
だからメリアは彼の名前を呼んだ。
敬称をもってその名を呼ぶ瞬間だけが、罪の重さを紛らわせてくれる気がした。
そうして、日は昇り。
時計の針は進み続ける。淀むことなく、一定に。無情なほど、正確に。
「どうも、こんにちは。約束通り来ましたよ、メリアさん」
「……はい、こんにちは。お待ちしておりました、雨夜様」
挨拶を交わす。
彼のやつれた顔には、いつもと変わらぬ温かな笑みがある。
まだ、その笑みを向けてくれている。
メリアは彼に向かって深くお辞儀をし、その顔をじっと見つめた。
昨日の夜から考えていた行動を実行するために。
「雨夜様」
「ん、何ですか?」
僅かに首を傾げる、彼の姿を見上げる。その顔には一切の怒りもなく、不快感もないように見えた。
だからこそ怖いのだ。
その顔がいつか、嫌悪に塗れたものになるのではないかと。
怖くて、怖くて。
だからメリアは考えた。
自分が嫌われないで済む方法を。なんとかして、彼の心を喜ばせる方法を。
暗い部屋の中一人で考え続けた。
『あれ』の言っていたアプローチを止める。それは前提条件だ。
それだけでは、全く不足している。
「昨日は……大変、申し訳ありませんでした。ガイド役である身として、あるまじき失礼をいたしました」
「は、え、どうしたんですか急に」
謝らねばならない。
謝罪し、謝罪し、罪を告解し、謝罪し、懇願し、謝罪するのだ。
自分の失敗を謝罪しなければならない。
罪を償わなければならない。
頭を下げ続ける。
それがメリアの考えた、彼に嫌われない唯一の方法だった。