スキルレベルしか上がらない一般身体能力学生が迷宮に挑んだら 作:石田フビト
謎の金髪碧眼巨乳美少女、朝比奈ミラさんが転校してきた次の日。
心に負った傷はまだ癒えていないものの、僕は今日も朝からラビリンスへ訪れていた。
クラスの皆には、どうか僕の不在に注目してほしい。
……さてと。
精神はともかく、体の調子は極めて良好。
いや、良好どころか、いつも以上に力が漲っていた。
なんか人混みの動きがゆっくりに見えるし、どこをどう通れば衝突しないのかも分かる。
まるで迷宮の中にいるみたいだ。
平常の状態でも、集中できている感覚がある。
それは昨日から感じていることだった。
あの後の授業中、下校中、食事中。どこかいつもとは違う感覚を覚えていた。
これは一体……。
疑問に思いながらも、店を行き交う冒険者の波を体捌きだけで避けつつ、受付所へ向かう。
「あ、そういえばポーション」
そこでふと、とある店の前で足を止めた。
前回の戦闘でポーションは全滅。このまま迷宮に潜るのは自殺行為に相違ない。
敵はスライムだ。
少しでも油断すれば死が待っている。
緊張による冷や汗がじっとりと背中を濡らした。ポーションを買わなければならない。
そう、たとえどんな相手が店員だろうと、だ。
「ふふ、ふふふ……客ぅ……客、こにゃい……うふふ、ぜーんぜんこにゃーい……ふふふふふふ」
……たとえどんな気味の悪い笑みを涎垂らしながら浮かべて、白目を剥いていたとしても、だ!
「うひ、うひひひ……」
「……あのぉ、美月さん?」
「客!? どこ!? どこぉ!?」
「うわぁ、やば」
ここ、『みつみつポーション』の店主、東条美月さん。
その姿は小柄な背も相まって非常に可愛らしいのだが、いかんせん目がキマリすぎててドン引きしてしまった。
艶やかだった茶髪も心なしか萎びている気がする。
彼女に何があったというんだ。
くそ、思い当たる要素が多くて一つに絞れない……!
「はいはい、落ち着いてください美月さん。僕です、雨夜です。ちゃんとポーション買いますから、そんな焦らないでください」
「……雨夜、君? ほんとに、買ってくれるの……?」
「……」
潤んだ目で僕を見上げる彼女。
その小動物みたいな仕草に僕は……猛烈に嫌な予感がした。
店の前で乱雑に置かれたバナナポーションを素早く五本手に取り、もう片方の手で財布を開く。
「先手必勝!」
「ちっ、しまった……! 擬態がバレたか……!」
今、擬態って言った?
改めてこの人やべぇなと思いながら、五千円をカウンターに叩きつける。
ワイの勝ちや……!
「五千円を召喚! これにより僕はポーションを五本手に入れ、場から離れることができる!」
「ここでトラップ発動! 『美月ちゃんのお願い』!」
「み、美月ちゃんのお願い、ですって……!?」
なんてことだ。
金に狂った亡者がお願いする、だと……?
一体どんなお願いだというんだ。くそ、気になって足が動かない。男子高校生的な期待で心が留まっていたいと叫んでいる!
「……うふ。ねぇねぇ、雨夜くぅん」
「くっ……! そんな甘ったるい声で惑わされる僕では、ないっ」
「ほんとにぃ? でもぉ、今私のお願いを聞いてくれたらぁ……」
不味い!
二日前の死闘が脳裏を過る。
思い出せ、僕はどうすべきなんだ。逃げるだけか? 痛みを恐れるだけか?
違うだろう。
痛みを恐れて前を進むことはできない。僕は、僕は……!
戦うんだ……!
「カウンタートラップ発動! 『近所の松下さん』!」
「誰!?」
「知らないのは無理もありません。何しろ松下さんは僕の近所に住んでいる数少ない同級生ですから」
「まじで誰……?」
奥底に秘めていた禁断の記憶が解き放たれる。
そう、あれは中学生の頃だった。まだ青春というものに希望を抱いていた、愚かな時期だった。
下校しようと机の教科書を鞄に詰め込む際、紛れていた一通の手紙。
その端には松下さんの名前が書いてあった。
心臓が高鳴る。知らぬ名ではなかった。近所に住んでいることは知っていたし、バスでも毎朝顔を合わせていた。
もしかすると、もしかするのか。
口から溢れ出そうになる期待と興奮。
家まで待てずにその場で僕は封を開けた。
そして、そこに書いてあったのは……。
どうかお願いだから、バス通学を止めてほしいという願いだった。
……初めは、何かの間違いかと思っていた。
しかし読み進めるたびに、その意思はひしひしと伝わってくる。
当時の僕はバイトに明け暮れていた、人生史上一番やばかった時期だ。髪も今以上にぼそぼさだったし、たぶん死人みたいな見た目だったと思う。
だからこれは、必然のことだった。
更には彼女以外にも、バス停で待っている人達にお願いされたらしい。
君は同じ中学校なんだろう? どうか、彼を説得してバス通学を止めてくれないか。いつかナイフとか取り出しそうで怖いんだ、と。
僕の尋常ではない様子に皆が恐れているようだった。
……僕は、その日から自転車を漕ぐことにした。
バスの時刻を変えても仕方がない。どうせ、また同じことが起こるだけだ。
ならば、どうせ傷付くのならば。
一人で朝早くから自転車を漕いでるほうが余程いい。
そんなこんなで。
僕の最初で最後の青春は、儚く幕を下ろしたのだった。
「……」
「あの、雨夜君? どうして急に黙っちゃったの? あとどうして泣いてるの? 正直怖いんだけど」
「……すみません、僕……行きますねっ」
「あ、ちょっ、雨夜君!」
雨夜和幸。もはやその心に、一片の邪心なし。
女性に期待などするな。求めるな。お前は一生、童貞なのだ。
鋼の心で美月さんの誘惑を振り払い、店を後にする。
ポーションは買えた。もう用はない。
以前の僕ならば、きっと無理だっただろう。だが今は違う。ちょっと揺らいだけど負けなかった。
やはり、成長している。
あの激戦を経て、心も体も成長している。
僕はじくじくと痛む胸を押さえて呟いた。
「……これが、戦うってことか」
勝利には犠牲を払わねばならない。
そのことを再確認した僕は一人、受付所へ向かった。
悲しい覚悟を胸に抱いて十数分後。
いつも通りの装備に着替えた僕は装備室の扉を開ける。
前回の戦闘で服はボロボロになってしまったが、動けないほどではない。
もう暫くは頑張ってもらおう。愛着もあるしね。
「刀も、まぁ……問題ないよね」
さっき調べたけど、特に刃こぼれもなく刀身は真っすぐで。
明かりに照らされた鈍い銀色がまだまだやれると主張しているようだった。
最初はぼんやりと、いい刀だなぁと思っていたが。
そんなどころの話ではない。
今ならば、この刀の凄さが分かる。
未熟者である僕が扱っても折れない強度、しなやかさ。
持つ感覚、重心の位置。どれをとっても一級品という他ない。
無論、魔剣などといった魔力を帯びている剣には破壊力の点で劣るものの。使いやすさの点で言えば、こちらの圧勝だ。
「……ほんとにこれ無料なの? 怖くなってきたんですけど朽葉さん」
後で怖いグラサンのおじさん達とかやってこないよね。
『あー、こりゃあきまへんなぁ。ここちょっと欠けてもうてますわ。困りますねぇ、こんなことされちゃ。うん、うん、ちょっとこっち来て話そか』
みたいなこと言われないよね。
取りあえず、おしっこ漏らす準備だけはしておこう。
逃げれるかもしれないし。
情けないなぁ、僕。
「ちゃんちゃかちゃんちゃんちゃーん……」
自分でもよく分からないメロディを呟きつつ、始まりの迷宮へと足を進める。
本日も受付所は冒険者で溢れかえっているのに、ここだけは誰も並んでいない。
新規の人とかはいないのだろうか。
いや、僕としては待たずに入れるから楽なんだけども。
こんなに誰もいないとメリアさんも暇だよなぁ。
挨拶以外にも何か話したほうが……でも迷惑になったら嫌だし。
というか最初の頃、迷宮に関係すること以外は話すなって言われたし。
いつもみたいに、なし崩しで会話出来たらいいんだけどね。
最後にそう区切りをつけて思考を終わらせる。
もうポータルの前まで来ていた。
僕はなるべく気持ち悪くないように気を付けて、笑顔のまま挨拶をした。
「おはようございます、メリアさん。えと、ちょっと久しぶりですね」
「はい、雨夜様。おはようございます……にゃん」
お互いに軽くお辞儀をし合う。
いつもの光景だ。そのまま僕はポケットに入っている冒険者プレートを……。
……ん?
今なんか、変だったような。
……気のせい、かな。
「どうかされましたか、雨夜様」
「ああいえ、何でもないです。僕の気のせいでした、すみません」
「それならよかったです……にゃん」
「……んん??」
今度はしっかりと聞こえた。
え、聞こえたよね。幻聴じゃないよねこれ。
……にゃん?
「あのぉ、メリアさん?」
「はい、なんでしょうか……にゃん」
「それは、あの、何と言ったらよいか。えーと」
おいどうすんだ。相手が急に語尾をにゃんにゃんし始めた場合、どうすればいいんだ?
何と答えるのが正解なんだ。
ツッコんだ方がいいのか、それとも無視した方がいいのか。
いや、だがメリアさんが何の意味もなくこんなことをするとは思えない。
つまりこれは何かの伏線……?
彼女の行動に、迷宮の攻略情報が隠されているのでは……?
瞬時にそう考え、僕は意を決して聞くことにした。
「その……にゃん、っていうのは、一体?」
「……なんのことでしょうか、にゃん」
「いやそれ! 今まさに言ってますって!」
「すみません、よく分かりません……にゃー」
どういうこと? 世界が急にバグったのか?
僕の内なる男子中学生が悲しみによって暴走し、力に目覚めたのか?
「それよりも、早く冒険者プレートの提示をお願いします、にゃん」
「あ、はい。どうぞ」
「確認中……完全一致。……あ、にゃん。第二階層へのチェックを確認。にゃん。第二階層からの攻略を希望なされますか? ……にゃん」
「……はい、お願いします」
「了解しました。気を付けて行ってらっしゃいませ、にゃん。雨夜様にゃん」
「にゃんにゃん検定書類落ちかな?」
……何ていうんだろ、別にメリアさんが語尾ににゃんにゃんしてても全然構わないんだけどさ。可愛いし。
でもそれを隠す意味が分からない。
表情とかもいつも通りだし。
語尾も適当に取って付けたような感じだし。
気になって迷宮に潜れないよこれじゃ。
「もういい加減認めてくださいよ。にゃんにゃん言ってますってメリアさん」
「おっしゃっている意味が分かりません、にゃん」
「だから、それを」
「分かりません、にゃん」
無表情のまま堂々と答えるメリアさん。
そうかそうか、そう来ますか……。
「……では、正直に言いますけどねメリアさん。そのにゃんの使い方、ちょっと変ですよ」
「にゃ」
ピシリ、と彼女の口の動きが固まる。
お互いに何とも言えない気まずい空気が流れた。
「……」
「……」
数秒の沈黙の後に。
メリアさんは自らの右腕を上げて、その小さな拳を握り締めた。
まずい、殺られる。
僕は胴体を吹き飛ばされる光景を頭に思い浮かべ、防御態勢を取ろうとし……。
「にゃー」
「……へ?」
ぽす。
メリアさんの握られた手が、僕の胸をぽすんと叩いた。
全く痛くはない。
痛くはないが。
「にゃーにゃー」
「や、ちょ、止めてくださいメリアさん。なんか恥ずかしい、恥ずかしいですってこれ」
「にゃあ」
ぽすぽすぽす。
彼女の両手が猫のように丸まり、僕の胸を優しく叩く。
なんだこれなんだこれ。
何か凄く、恥ずかし可愛いことをされている。
「ご、ごめんなさい。怒らせるつもりは……いやこれ怒ってるのか?」
「にゃーん」
「……と、とにかく! こんな公衆の面前で、その、止めてください。恋人じゃないんですから……っ」
「にゃ……」
僕の放った、恋人というワードに反応したのか。
彼女は空色の鮮やかなショートカットを揺らして、その場を退いた。
にゃんにゃん攻撃から逃れた僕は安堵の息を吐く。
あ、危ないところだった。
もしあれ以上攻撃をされていたら、僕の精神は耐えられなかっただろう。
僕の秘儀、『近所の松下さん』を使う余裕すらなかった。
メリアさん……一体どうして、こんなことを。
「失礼しました、雨夜様。少々実験を行っておりました。ご不快であったのであれば、お詫び申し上げます」
「あ、いえ。嫌だったわけでは……えと、また仮説の検証、というやつですか?」
「はい。前回の失敗を元に、更なるサービス向上を目指しております」
「あ、あはは……それは、どうも。ありがとうございます……」
おかしいだろ。
どう考えても、にゃんにゃんする必要はないだろ。
そんな言葉が喉元まで上がってきたが、何とか押し戻した。
彼女は聡明な人だ。きっと何か重要な真意がある。
ある……よね?
「……えーと、はい。それじゃあ、僕はもう行きますね」
「はい。ご健闘をお祈りいたします、雨夜様」
静かに一礼をする彼女を見ていると、先程の奇行が何かの夢だったのではないかと思えてくる。
普段はクールで無表情なメリアさん。
確かにちょっとは仲良くなった気がしたけど……まさか、猫になるとは予想外だった。
今後もこんなことをされるのだろうか。
そう考えながら、ポータルへ足を踏み入れ……る前に、一応振り返った。
「……」
「……にゃー」
そこには両手を頭の上に乗せて、少し頭を傾げているメリアさんの姿があった。
メリアさん……それ、どちらかというと兎のポーズです。
そんなことを言うとまた話が拗れるので言葉にしなかったが、彼女とは一度ちゃんと話し合った方がいいだろう。
主に倫理観と羞恥性について。
突如としてポータルの前に現れたメリアにゃん。
思わぬ強敵に僕は戦慄しつつ、ポータルをくぐった。