スキルレベルしか上がらない一般身体能力学生が迷宮に挑んだら 作:石田フビト
青色の奔流が視界から消えて。
コツ、コツ、と一段ずつ、踏みしめるように階段を下りる。
薄暗い迷宮では空気が少し冷たい。
その冷たさが、より一層集中力を高める要因となった。
「……ふぅ」
先程はメリアさんの奇行に心を惑わされたが、今は違う。
命と命を懸けて争う場だ。
ほんの少しの恐れが致命傷に繋がり、僅かな保身が死を呼ぶ世界。
僕は前回の戦闘で学んでいた。
勝つためならば躊躇なく全てを注ぎ込まなくてはならない、ということを。
痛みを恐れず。リスクも考えず。
ただ目の前の敵を倒すためだけに、全力を尽くす。
今までの僕にはそれが足りなかった。
勝つための覚悟、執念、意志。どれもが中途半端だった。
「しぃ、い……」
故に研ぎ澄ます。
歯と歯の間から熱い呼気が漏れ出て、空気へ溶けていくにつれ、思考が明瞭になる。
僕がすべきことは何か。
真に恐れることは何か。
僕は知っている。理不尽に淘汰されるだけの日々を知っている。その瞬間を覚えている。
戦わなければならない。
母さんのためだけでなく、僕の人生のために。
決して僕達は泣かされるだけの存在ではないと。
魂を懸けて戦えば、誰だって抗うことができるのだと。
証明し続けるんだ。
「……そのためには」
まずは目先の課題を達成しないといけないね。
僕は眼前の『扉』を睨みつけ、ポーチへと手を伸ばす。
前回と同様、罠を警戒して歩いてきたが何もなかった。次回からは少し注意を緩めてもいいかもしれない。
最も集中力を割くべきはこの瞬間だ。
天井からの空襲、死角からの奇襲、擬態。この迷宮のスライムだ、どんな方法で襲ってくるか見当もつかない。
「頼むよ、魔石袋三号ちゃん」
ポーチから取り出した拳大の袋に、ぼそりと呟く。
二階層のスライムは戦闘力こそ異なるものの、基本的な枠組みからは外れていない。
敵の感知方法は魔力の有無。
前回も反応自体はしていたし、恐らく有効ではあるのだろう。
「……」
小さく唾を飲み込み、新品のように汚れのない扉の取手を静かに掴む。
相も変わらぬ冷たい感触だ。
そのまま右に捻れば、扉は何の抵抗もなく開いた。
キィ……。
僅かに金具が擦れる音。
やはり、一階層の物とは全然違う。だが今はそれを気にしている余裕はない。
扉の取手から手を放し、慣性に任せて開かせる。
スライムは……いない、か。
「……よし」
扉から見える範囲全てを見渡した後に。
僕は右手に収まっている魔力袋を大きく振りかぶって、奥へと投げた。
確か、この前は十歩ぐらいの位置で奇襲された。
もし同じ方法で襲ってくるなら、これで多少なりとも動きがあるはずだ。
無論、相手の知能の高さを考えれば囮に勘付く可能性もあるが……。
「……」
……魔力袋が七、八メートル付近に落ちて、十秒ほどが経った。
スライムはまだ現れない。
罠を警戒している? それとも、本当にいないだけか。
「……どっちにしろ、進むしかないよねぇ」
スライムが僕の予想外の奇襲をしてくるかも、なんて怯えていたら一生前に進めない。
現在、ここから見えないのは扉を抜けた直後の部分だけだ。
壁の中に扉が埋まっている都合上、そこはどうしても死角になる。
いるとしたら、そこだろう。
天井か壁か分からないが、確率は高い。
ならば、僕の取るべき行動は。
「五十メートル9秒台の俊足、見せてやるよ……!」
右手は刀の柄に置いたまま。
僕は前傾姿勢になって、倒れ込むように走り出す。
助走を付ける暇はなかった。もし扉のすぐ上にスライムがいるなら、僕の位置は丸見えだ。
走るタイミングを合わせられたら、終わる。
それ故の、その場ダッシュ。
付いてこられるか、僕の世界に……!
『ピッ……!』
「はっ、やっぱりねぇっ!」
ガアアアアアアンッ!
扉を勢いよく駆け抜けて数秒、足が竦むような衝撃が地面を震わす。
どうせそんなことだろうと思ったよ。
君達、殺意の塊なんだもの。
走りながら抜刀。
右手に伝わる重みは慣れ親しんだもので、何の障害にもならなかった。
更に地面に落ちていた魔石袋三号ちゃんも左手で拾う。
素早く体を反転、投擲。
「プレゼント、フォー、ユーッ」
『ピッ……?』
空中に放り投げられた袋が放物線を描き、スライムへと肉薄する。
続いて僕も疾走。
ゆっくり投げた魔石袋と、全力疾走する僕の体が左右に分かれる。
さあ、どっちに来る……!
『ピ、ギギ……! ……ピギッ!』
「んぁ、正っ解っ!」
暴れる振動を解放したスライムが真っ直ぐこちらに突進してくる。
くそったれ。
狙いは――
集中。
――胸、か。
約コンマ七秒で着弾。この位置だと、肋骨をいかれる。
間に合う、か。
「――ぇえええいっ!」
左手の小指に力を込めて、添えるように右手で押し込む。
回転する腰。走ったことによる運動エネルギー。
それらを全部、この一振りに。
『ピ、ギッ!』
「ぎぁっ!?」
斜め下からの一閃。
しかし僅かにタイミングがずれ、刀は核を捉えることなくスライムの下部を切り取った。
勢いは殺し切れていない。
軌道が逸れたスライムが、僕の右肩に着弾した。
ギギ、ゴキュリ、と肩の骨が砕ける音が響く。
炎が燃え広がったと幻覚するほどの激痛。
視界が上下反転し、吹き飛ばされた勢いのまま、体のあちこちを強打する。
「がっ、ひゅっ」
元々スライムの方向に走っていたせいか、衝撃が凄まじい。
側頭部と、背中、あと右足の膝を痛めた気がする。全身が痛くて、正直確証はない。取りあえず治療しなくては。
「はぁっ、は、ごほっ、ごほっ! はぁ、ふぅ、はぁ、はぁ……」
震える左手でポーションを探しながら、僕は思考の片隅で反省をする。
……さっきのは絶対に走る必要はなかった。
だから姿勢も変になって、それがタイミングのずれを生んだのだ。
何でも攻めればいいってもんじゃない。
痛みを恐れないことは大切だが、何も考えないで挑むのは違う。
思考しろ。
僕は結局、どこまでいっても凡人なのだから。否、それ以下の雑魚なのだから。
その分考えて、考えて考えなきゃならない。
「はぁっ、はぁっ……ん、ぐ。ごく、ごくっ……!」
ポーションを飲み下す。
空になった試験官が地面を転がり、場違いなバナナ臭が立ち込める。
気にするな、思考を回せ。
突進の感覚から、相手はたぶん僕の後ろにいるはず。距離はどのくらいだ。次の突進まで、あと何秒かかあああああ痛い痛い痛い痛い痛いたいたいいたいいい!
駄目だ考えろ痛い動かなくちゃ肩が爆発しそう頭痛い動け考えろ痛いぃ……!
「ぎ、ぁ、がぁっ! あ゙ーっ、あ゙ーっ!」
『ピ、ギ、ギ……!』
特に痛みの激しい右肩を押さえつつ、ずりずりと体を動かす。
駄目だ、こんな速度じゃ狙われる。
鳴き声の大きさから鑑みて、距離は十メートルと少し。
まだ治らないのか? もう数分は経っている気がする。早く、早く治れ。
頼む……!
ゴチュ、メキャ、ギチ。
折れた骨が神経を摩擦し、組み合い、治癒していく。
その他にも体中の筋肉が蠢き、損傷した肉体を元に戻そうと脈動した。
「ぅ、いぃ……! ぎぃいいい……!」
『ピギッ……!』
……駄目だ!
このまま治るのを待っていたら間に合わない。今、動くんだ。
立って避けろ。いや方法はなんでもいい。
とにかく避けろ。
「ふぅっ、ふぅーっ!」
痛みなんて所詮は電気信号でしかない。どっかの本で読んだだろ。別に鎖で繋がれているわけじゃないんだ。
理論上は可能のはずだ。
痛みを超越しろ。
動け、動け……動け!
「ぅ、ぉ、おおおおおおおっ!!」
『ピギィッ!』
治りかけの右肩をそのままに、僕は左肘と両膝を地面に突き立て、体を左へ飛ばした。
精々五十センチ程度の、小さな小さな跳躍。
しかしそれで十分だ。
スライムの精密さは、時として仇となる。
『ピ、ギ……!?』
「はぁ、かひゅっ、はぁ……っぶない、ねぇ……!」
全身を駆けずり回る激痛。
だが動けないほどではない。ゆっくりとだが、痛みは引いてきている。
治療が済んだのだ。
時間として……大体、二十秒くらいか。常識で考えればかなり早い。
なんか、ポーションを飲む度に治癒の速度が上がっている気がするな。
比例して痛みも凄いけど。
……まぁ、とにかく。
「はぁ、はぁ……! 仕切り直し、かな……」
ふらふらと立ち上がり、地面に落ちていた刀を拾う。
右腕の感覚は、まずまずといったところか。
二度三度その場で素振りをして肩の動きも確かめる。
まだ痛むものの、波は完全に過ぎさっている。問題はない。
僕は今一度刀を両手で握り直し、正眼に構えた。
『ピ、ギギ……!』
「はぁ、はぁ……」
離れた位置で震えるスライムを油断なく観察する。
空ぶったのに思ったよりも距離が離れていない。さっき体の一部を斬ったからだろうか。
だとすれば、好機だ。
もし先程の速度を出すのなら、その分だけ溜めがいる。
一気に近付いて斬るか? いや、また同じ過ちを繰り返したくはない。
ならば……。
「……すぅ、ふぅ」
前回同様、迎え撃つのみ。
距離はそれなりに離れている。この位置ならば、見切れるはずだ。
集中しろ。
集中。
意識をスライムだけに向けろ。
斬る。
それだけだ。あとはいらない。
死を恐れるな。
死に近づけ。
斬る。
斬る――
「――」
振動が一際大きく、震えた。
来る。
『ピ、ギィッ!!』
超速の流体。
人体を容易に破壊せしめるその青色に浮かぶ、一粒の赤。
狙いは――頭か。
問題ない。
今なら、斬れる。
「しっ――ぃぃいいいいっ!」
『ギ……ッ』
頂点からの一振り。
自分でさえも、いつ振り上げたのかは分からない。
振り上げと振り下ろしが一体となり、眼前の砲弾を斬った。
キィ……ィン。
やはり体の一部を失ったのが大きいのか。
思いの外、スライムの核は抵抗なく両断された。
それは、よかったのだが……。
「ごふっ!?」
あまりにも綺麗に斬れたせいで、勢いを殺しきれずに激突してしまった。
丁度、鳩尾ぐらいの位置にスライムの残骸が突っ込んでくる。
ポーションを使うような怪我ではないが……うん、めっちゃ痛い。
「ごほっ、えほっ、ぅ、おぇえ……」
勝ったのに酷い有様だ。
僕は激しく咳き込みながら、涙目になってスライムの体を剥がす。
うわぁ、べっちゃりしてる。
最悪……。
「はぁ、はぁ……ま、まぁ何はともあれ、勝利! 勝ったぞー!」
べちゃべちゃの装備のまま、両手を上げて歓喜する。
この前のは偶然ではなかった。
僕はちゃんと、二階層でも戦えるんだ。
正直、実際にこうして倒すまでは不安で仕方がなかった。
何度も何度も頭の中で戦意を塗り重ねて、それでやっと、ここまで来れた。
運が良かっただけなんじゃないかって。
あれは所謂、ゾーンってやつで。
今度戦ったら、何もできずに死ぬんじゃないかって。
そんなことを考えてた。
「……でも、違うんだ。僕はちゃんと、強くなってる……」
腕力が貧弱なままでも。魔法もスキルも使えなくても。
僕は少しずつでも、前に進めているんだ。
さっきのは少し焦りすぎたけど。
落ち着いて集中すれば、しっかりと見えた。スライムの軌道が。どうやって斬ればいいのかが。
頭じゃなくて、魂が教えてくれた。
体に染みついた技術が動いてくれた。
「……」
当たり前だけど、僕は刀を持ったことなんてないし。冒険者になったのはつい一ヵ月前くらいだ。
そんな僕がどうして、熟練の侍みたいなことができるのか。
心当たりは、ある。
僕は内ポケットに仕舞っていた冒険者プレートを取り出し、顔写真をタップした。
数秒後、浮き上がる青白いホログラム。
そこに書かれていた文字には。
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雨夜和幸
スキル 『剣術 Lv 4』
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「……やっぱり、そうか」
『剣術 Lv 4』
これがどれくらい凄いことなのか、僕は知らない。
けれど目で追えないスライムを斬ったり、刀を扱えたりするのはこれのおかげとしか思えなかった。
やけに物がはっきり見えたりするのも、恐らくこれのおかげだろう。
初めは二行とか言って馬鹿にしてたけど……ごめんね。
君はちゃんと、役目を果たしてくれたのに。
僕はそんな君を否定するばかりで、全然君を見れていなかった。
本当に今まで、ごめん……!
「……でもなーんか、これも怪しいんだよねぇ。絶対裏があるよ。うん、僕の勘がそう言ってるもん」
思えば朽葉さんも、ステータス伝えたときに様子が変だったし。
これを期に、一度ステータスやスキルについて調べてもいいかもしれない。
「あぁ……頼むから、平穏なものでありますように。なんか世界を揺るがすとか、邪神とか関わっていませんように……」
まさかね、とか、ありえないよねとかは言わない。
僕は不本意ながらフラグ建築士に就任しているため、変なことは言えないのだ。
……まぁでも、ゆーてね?
これ以上変なこととか起きないでしょ!
ただでさえ、スライムくそ強くてステータス二行なんだから。
そんな、これ以上とか、ないない!
ありえませんわぁ!
だって僕だよ? 自他ともに認める一般高校生!
隠されし秘密とか、まさかね!
おほほ、ほほほほほ……!
『ァア……ァ、ア……』