『――やめて!!』
気づけば、叫んでいた。
自分でも驚くくらい大きな声だった。
だけど――
止まらない。
目の前で起きていることを、ただ見ていることしか出来ない自分が、どうしようもなく嫌だった。
ナイアーラトテップと名乗った“それ”が、ゆっくりと手をかざす。
たったそれだけの動作で――
空気が、軋んだ。
「ぐっ……ぁあ……ッ!」
「や、やめ……っ……!!」
風紀委員会の生徒たちが、さらに地面へと押し付けられる。
身体が浮き上がることすら許されない。
見えない何かに、完全に“支配”されている。
『……大丈夫だって言ったでしょ?』
ナイアーラトテップは、穏やかに笑っている。
まるで、子どもに言い聞かせるような優しい声。
『ちゃんと“壊さないように”してるから』
その言葉に、背筋が凍る。
壊さない“ように”。
つまり――
その気になれば、壊せる――
『ほら、動けるでしょ?』
その瞬間。
先程まで発されていた、圧倒的な圧力が消えた。
「っ……はぁ……っ……!」
何人かが、必死に呼吸を取り戻す。
だが、立ち上がることはできない。
脚に力が入らない。
身体が、自分のものじゃないみたいに言うことを聞かない。
『ね?壊してないでしょ?』
ナイアーラトテップは、無邪気に微笑む。
次の瞬間。
見えない“何か”が、
一人の生徒の腕を、ふわりと持ち上げた。
「なっ……!?やめ――」
ピタリ、と止まる。
関節が、不自然な方向へ“行きかけて”――
止まる。
「っ……あ……あぁ……!」
生徒の顔が、涙目になり恐怖で歪む。
折れてはいない。
だが、もう折ることが出来る、という位置で、完全に固定されている。
『ほら、大丈夫』
くすり、と笑う。
『ちゃんと壊れないようにしてる』
その言葉に場の空気がさらに冷える。
壊していない。
だが、それは言い換えれば―――
その気になれば『破壊』できるということだ。
それを、理解させるための『手加減』だ。
『ねえ……分かる?』
ナイアーラトテップの声が、少しだけ低くなる。
『次は、止めないかもしれないよ?』
『……やめて……』
思わず、声が漏れる。
怖い。
ただの暴力じゃない。
圧倒的な実力差を理解させるための暴力だ。
逃げ場なんて、どこにもない。
その時――
「……もういい」
低い声が、戦場に戦場割り込んだ。
空気が、止まる。
ナイアーラトテップの動きが、ぴたりと止まった。
『……え?』
ゆっくりと振り返る。
視線の先には――
アゼス。
「それ以上は、いらない。やらなくていい」
面倒くさそうに、ただそれだけ言う。
『……ほんとに?』
少しだけ残念そうな声。
「戦意を削げれば十分だ」
「…もし、ここにいるやつらを傷つけようものなら、俺はお前であったとしても、それを許さない。」
冷たく、淡々とナイアーラトテップにアゼスは言い放つ。
それから――
『……ふふ』
ナイアーラトテップは、小さく笑った。
『はいはい、我が主』
その瞬間。
拘束が、ふっと消える。
「っ……!?かはっ…」
全員が、一斉に地面に崩れ落ちた。
誰も立ちあがれない。ただ、生きている。
それは、手加減されて生きている、生かされているという、風紀委員会にとっては、屈辱でしかない結果だった。
アゼスは腕を折られかけていた生徒に歩み寄る。そして、口を開いた。
「あ〜…悪い、大丈夫か?」
そして、そのまま手を差し伸べた。先程とは違う、確かに無表情だが、気遣いが込められた動作で。
「―――っ」
差し出された手を、見つめる。
理解が、追いつかない。
さっきまで、自分たちを圧倒していた存在の『主』。
その本人が、今は何事もなかったかのように手を差し出している。
怖いはずなのに。
――なのに。
視線が、逸らせなかった。
「……なんで……」
無意識に、呟く。
アゼスの顔は、相変わらず無表情で。
感情なんて、どこにも見えない。
それなのに――
不思議と、その動作は自然で。
まるで、こうするのが当たり前みたいに。
「……っ」
気づけば。
震える手が、伸びていた。
そっと、触れる。
――温かい。
その瞬間。
ぐい、と軽く引き上げられる。
「っ……!」
身体が、起き上がる。
バランスを崩しかけて、身体が揺れるが――
「おっと」
アゼスに引っ張られた。
「平気か?」
「……あ」
距離が、近い。
思っていたよりもずっと近くにある顔。
整った輪郭。透き通るほど、綺麗な髪。
その瞳は、やっぱり冷たいはずなのに――
どこか、静かで。
吸い込まれそうになる。
「……」
言葉が、出ない。
怖い。
なのに。
目が、離せない。
「……立てるか」
不意に、声が落ちてくる。
それだけで――
はっと、意識が戻る。
「え、あ……っ」
慌てて手を離す。
顔が、熱い。
「だ、大丈夫です……」
自分でも分かるくらい、声が上擦る。
アゼスは、特に気にした様子もなく、
「そうか」
それだけ言って、手を離した。
まるで、何もなかったみたいに。
『……へぇ』
くす、と。
後ろから、楽しそうな声が聞こえた。
ナイアーラトテップが、じっとその様子を見ている。
『そういう顔もするんだ』
面白そうに、細められた瞳。
「……なにが」
アゼスは、興味なさそうに返す。
『いや?あなたに言ったわけじゃないよ。』
くすくすと笑いながら、
『女たらしだなーって』
その一言で、
「っ……!」
生徒の顔が、一気に赤くなる。
「ち、違っ……!」
反射的に否定しているが、言葉が続いていない。呼吸をするかのように、口をパクパクさせている
「何言ってるんだよ…」
『何でもありませ〜ん』
私は――
その光景を見て、
なぜか、ほんの少しだけ胸がざわついた。
さっきまでの恐怖が、
一瞬だけ、
別のものに変わった気がしたから。