第391話
最先端国家NUTS。その名は略称であり、正式にはNeo Ultimate Technology Systemと呼ばれている。技術の進歩を示す言葉ではなく、国家そのものを動かす中枢体系の名称だ。人の生活、都市構造、流通、治安、そのすべてが1つの仕組みによって制御されている。その中心に築かれたのが、NUTSの首都だった。
巨大な城門をくぐった瞬間、視界が一変する。地平線は消え、代わりに無数の建造物が垂直に連なっていた。金属の外壁と透明な壁面が光を跳ね返し、都市全体が脈打つ装置の内部のように感じられる。足元では舗装路がどこまでも続き、車両の駆動音が重なり合って低い振動となって身体に伝わってきた。危険な気配はなく、そこにあるのは人と機械が作り上げた秩序だった。
「素晴らしい進歩ですね、この国は。ビル、というんですよね」
ララクは立ち止まり、見上げる。何十層にも積み上げられた建物が空を区切り、ガラス越しの光が直線となって交差していた。上空で生じた風が落ちてきて、金髪の先端を軽く揺らす。
「首吊りそう」
ゼマは首を反らしたまま硬直した筋を指で押し、短く息を吐いた。建物の隙間を抜ける風が、へそ出しのシャツとローブの裾を同時に持ち上げる。
「んで、私たちはこれからどうすんの~。適当にビル入場する?」
大通りには人の流れが絶えず、看板の光と機械音が交互に視界と耳を刺激する。屋台から漂う焼き油の匂いが混じり合い、都市が生き物のように呼吸していることを感じさせた。
「それも良いですが……実は訪れたい場所がありまして……」
ララクはずっと、この国に来たら一度体験したかった事があった。胸の奥に小さな熱が生まれていた。
◇◇◇
音が弾けるように立ち上がった。
ドラムが短く合図を刻み、その直後にギターとベースが一斉に唸りを上げる。ステージ中央に立つ3人が同時に動き出し、空気が一段階押し上げられた。彼らはロックバンドだ。
使われている楽器はすべて最先端テクノロジーの結晶だった。弦の振動は鋭く制御され、音の輪郭は分厚く、角張った重みを持っている。ララクが祖国で耳にしてきた楽器の音とは、方向性そのものが異なっていた。巨大なアンプから放たれる爆音が、胸の奥を直接叩いてくる。
「今日もぉオチルレインのライブに足を運んでくれて、サンクス 民たちよ!」
しゃがれた声で叫んだのは、ロックパンクバンド〈オチルレイン〉のボーカル兼ギターを務める女性だった。横髪を刈り上げ、少しもっちゃりとした輪郭の顔。観客席に多いのと同じ、人間族だ。
「まずはこの曲ぅ! 〈晴れでも雨でも人生日和〉だ!」
歓声が跳ね上がり、すぐに演奏が再開される。曲調は耳に残るキャッチーなロック。しかし歌が始まった瞬間、その空気は変わった。声は整っているのに、感情の出力が制御されていない。喉の奥から直接引きずり出したような歌い方が、言葉1つ1つに重さを与えていた。これが今流行しているロックパンクだ。呼び方を間違えると論争になるので、そこは触れないのが無難だろう。
ボーカルは歌う。
「晴れてもいい 雨でもいい
今日って日を 放っとくなよ
傘を忘れて ずぶ濡れでも
風が運ぶのは 悪い話だけじゃない」
観客が手を振り、リズムに合わせて跳ねる。
「飛んできた傘は 誰かのもんだ
ラッキーだったって 思ったけどさ
ちゃんと届けた 交番にな
だから安心しろよ この話は!」
歌詞の内容は単純だ。どんな天気の日でも、その日は大切にするべき日だということ。
雨の日に傘を忘れ、強風で飛ばされてきた傘を拾った。その出来事を幸運だと感じた瞬間を、そのまま歌にした。拾得物は警察に届けたから問題なし。その注意点まで、旋律に乗せて堂々と歌い上げる。
ララクは無意識に息を飲んでいた。
音楽が、技術と感情の両方で殴りかかってくる。
ここはNUTSの首都トレンドシティ。その文化の最前線が、今、耳と身体に直接流れ込んでいた。
「すっげぇ~。箱はそんなに大きくないけどさ、その分、胸の奥にガンってくるっていうか。ロックってこういう事か~」
ゼマは身体を揺らしながら、完全に音に捕まっていた。鼓膜を震わせる低音が、そのまま内臓に届いてくる感覚に、驚きと楽しさが入り混じっている。
祖国パーリアにも音楽文化はある。だが、それは静謐さや調和を重んじる伝統形式で、ピアノや弦楽器、管楽器が中心だった。ここで鳴っている音は、整える前の感情をそのまま叩きつけてくる。力強く、荒く、ざらついている。ゼマにとって、未知の領域だった。
「えぇ、同じような感覚をボクも体験しています。最近他の国でも少しずつ浸透してきてるようで、本場のロックパンクを、最新の音色を聞きたかったんです!!」
ララクも視線をステージに固定したまま答える。
期待していた以上だった。音源や噂話で知るのとは違い、生で浴びる音は密度が桁違いだ。演奏の振動、観客の熱、空気の揺れ。それらが重なり合い、完成された1つの体験になっている。
ここはライブハウス〈クラフティレイ〉。
ヌーツの首都でも指折りの音楽拠点で、ロックパンクを中心に活動する者たちの拠り所だ。〈オチルレイン〉は、この場所を活動の主軸としているだけでなく、実質的な運営にも関わるプロバンドだった。
ステージ右手で低音を支えるベース担当は、腕の長い猿人族。その体格を生かした演奏だけでなく、経営面でも中心人物とされている。表に出ることは少ないが、〈クラフティレイ〉の責任者は彼だという。
この箱では、彼らだけが演奏するわけではない。プロもアマも関係なく、年中音楽が鳴り続けている。ロック、ポップ、実験音楽、日によってはアイドルのライブが組まれることもある。ジャンルに縛られず、音を鳴らしたい者に場所を与える。それが、このライブハウスの在り方だった。
ララクは理解した。
ヌーツの技術だけが最先端なのではない。
感情を解放する場所と、それを支える仕組みまで含めて、この国は先を走っている。