後日。
小雨が降っていた。粒は細かいが、確実に体を濡らす密度。傘がなければじわじわと染みてくる。空は厚い雲に覆われ、昼間だというのに街全体が夜のように沈んでいる。
その薄暗さの中、今日も戦闘は続いていた。
ララクとアーク。
実験施設の強化ルームは、天候に関係なく稼働している。だが窓越しに見える灰色の世界が、連日の模擬戦に妙な現実感を与えていた。
ララクは普段の装いではない。黒と銀色のボディスーツが体に密着し、関節部には解析用のラインが走っている。動きの軌道、筋肉の収縮、重心の移動が数値化される仕様だ。鼻筋を省いた童顔に、不釣り合いな精密ゴーグル型の眼鏡。
プロフェッサーが彼専用に調整したものだ。
モドム自身は、いつもの眼鏡をかけてモニター群の前に立っている。複数画面に表示されるのは、ララクの骨格推定図とアークの演算ログ。
金属音が響く。
アークの拳が床を砕き、ララクが横へ滑る。だが初日ほど余裕はない。
「動きが鋭く、洗練されていく。これボクはそこまで経験値を得られないし、意外とリターンが少ないかも」
肩で息をするララク。額に汗が滲み、スーツの一部が裂けている。頬や腕にも細かな打撲。
アークの装甲も傷だらけだが、その動きは明らかに向上していた。無駄な予備動作が減り、攻撃の選択が合理化されている。
「経験値は、モンスターを倒せないとあんまり貰えないもんね」
横からゼマが言う。赤髪は束ねられ、今日はクリスタルロッドを装備している。青白い結晶が淡く光り、いつでも回復に移れる状態。
初日は退屈していたが、今は違う。ララクの負傷が増えたことで、ヒーラーとしての出番も増加。さらに最近では戦闘補助として前線に入ることもある。
アーク対パーティー・ハンドレッド。
連日続く実戦形式の模擬戦。
人工知能は確実に学習し、対応速度を上げている。一方でララクは倒していないため、経験値の蓄積は限定的。
雨の気配が窓を打つ。
薄暗い室内で、黒と銀のスーツが閃き、銀色の機体が応じる。
今日もまた、金属と肉体の衝突が繰り返されていた。
激しい攻防のあと、ララクは壁にもたれて腰を下ろした。黒と銀のスーツはあちこち擦り切れ、呼吸はまだ荒い。アークは整備用アームに固定され、表面装甲の冷却が進められている。
プロフェッサー・モドムが近づいてきた。眼鏡越しの目が、珍しく柔らかい。
「断言してもいい。今この国にいる冒険者で、君の戦力が一番だ。遥々、ヌールへ到着してくれて、なんてありがたいんだろう。戦闘データがパンクするほどかもなぁ」
頭を軽くかきながらも、声音は隠しきれない喜びに満ちている。
「はぁ、さすがに疲れてきますね」
ララクは苦笑する。連日の模擬戦。倒せない相手との高密度戦闘は、想像以上に消耗が激しい。
「ほら、【スタミナヒーリング】」
ゼマがクリスタルロッドを軽く振る。淡い光がララクの体を包み、筋肉の重さが和らぐ。呼吸が整い、視界の揺れも収まっていく。
「ありがたいですけど、これ使いすぎると知らないうちに体にガタが来るんですよね?」
ララクは腕を回しながら言う。
「そうだよ~ん、眠りにくくなったりねぇ。多分やりすぎると、脳がイカれる」
ゼマはあっけらかんとしているが、内容は物騒だ。
疲労を無理やり先送りする行為。回復は万能ではない。体は誤魔化せても、神経系への負担は蓄積する。
「回復スキルの研究も、専門外だが面白そうだな。君のような貴重なサンプルがいれば」
モドムがさらりと言う。ゼマは顔を上げる。
「えっと、なんていうだっけ、ヤバいタイプの科学者」
「マッド・サイエンティスト、ですか?」
「そうそれ。そういうタイプじゃないよね?」
ゼマは半分本気で覗き込む。
モドムは腕を組み、口元を吊り上げた。
「何を言う。研究者は全員、脳がとびてていなければ新革は訪れないさ」
堂々と言い切る。
ララクは苦笑しながらも、どこか納得していた。常識の枠内に収まっていては、ARCのような存在は生まれない。
窓の外では、雨がまだ静かに降り続いている。
人工知能と冒険者。研究と実戦。狂気と革新。
ララクは呼吸を整えながら、さりげなく視線を上げた。
「……それは、前任者の方もですか?」
軽く投げた問いだったが、空気がわずかに変わる。
モドムの指が止まった。
「君たち、やっぱりあの爆発事故の事を調べてるんだな」
鋭い視線。
ララクは小さく息を吐き、正直に答える。
「すいません、実はクエスト中でして」
ゼマも肩をすくめる。
「あのロドナル、って女のやつか」
「へ~、知ってるんだ」
「何度か、調べに突っ込んできたからな」
モドムは苦笑する。隠す気はなさそうだった。
「確かリードさんですよね。このユニットを作った人物。単純に、作成者に興味が出てきたのもあります」
ララクは言葉を選ぶ。探りすぎず、引きすぎず。
ARCを生み出した人物。その思想、その技術。戦闘を重ねるほど、純粋な興味も膨らんでいた。
モドムはしばし黙り込む。
やがて、ふっと息を吐いた。
「だったら、数少ない動きのある映像を見せてあげようじゃないか」
軽い調子だが、その奥には覚悟のようなものがある。
3人は研究室奥のデスクへ移動する。大型モニターと複数の端末が並ぶ一角。外はまだ曇天で、窓越しの光は鈍い灰色。
モドムがキーボードを叩く。
「爆発でデータの大半は消えた。だが完全消失ではない。断片的に残っていたログを、私が繋ぎ合わせた」
画面が暗転する。
ノイズ混じりの映像が立ち上がる。実験室のような空間。まだ未完成に見える人型フレーム。
そこに立つ、長いくせ毛の研究者。
プロフェッサー・リード。
白衣の袖をまくり、何かを熱心に語っている。音声は途切れ途切れだが、表情ははっきりと映る。鋭い目。楽しげな口元。
ララクは無意識に前へ身を乗り出す。
ARCの原型が、彼女の背後でぎこちなく動いていた。
ゼマも静かになる。
モドムは腕を組み、画面を見つめる。
失われたはずの時間が、灰色の光の中で再生され始めていた。