オチルレインは休むことなく曲を重ねていく。
楽器屋の企業努力が本当にすごい、という話。健康のために毎日走っていたら、街を巡るうちに旅をしている気分になった、という話。どれも特別な事件ではない。ボーカルの女性が日々感じたことを、そのまま音に乗せただけの直感的な歌詞ばかりだ。
それなのに、観客の反応はどんどん熱を帯びていく。
共感しやすい言葉と、全力で叩きつけられる音。飾らないからこそ、胸の奥に入り込みやすい。ライブハウス〈クラフティレイ〉の空気は、完全に最高潮へと押し上げられていた。
そして、演奏が一度止まる。
照明が落ち、ステージに静寂が降りる。
「これがラストだ。……俺の魂の叫び、皆も叫んでくれ。『帰って来いよ』」
低く短い言葉の直後、ギターソロが走り出した。
切なさを含んだ旋律なのに、速度は落ちない。胸を締め付けながら前へ進むイントロ。そこへドラムとベースが重なり、音に厚みが生まれる。疾走感の奥に、重たい感情が沈んでいく。
ララクはこの曲を聴いて気付いてしまった。
(……今までの曲が全てノンフィクションだと仮定すれば、この曲も真実……。ということは、このバンドには……)
歌詞が語るのは、失われた仲間の話だった。
このバンドには、かつてもう1人、ギター担当のメンバーがいた。冒険者でもあったその人物は、ある日ビルで起きた爆発事故に巻き込まれ、行方不明になったという。
サビに入る前、ボーカルの声は少しだけ力を落とし、語りかけるような旋律に変わる。
そこから歌われるのは、失われた仲間との、ごく些細な日常だった。
レッドパンプキンを買ってこいと頼んだ日のこと。
台所で煮込みの準備をして、帰りを待っていた。
なのに、あいつが袋から取り出したのはパプリカだった。
色が同じだから問題ないだろ。
切れば一緒だろ。
そう言って笑う顔が、やけに自信満々だった。
歌詞は、そのやり取りをそのままなぞる。
怒る気にもならなくて、結局それを使った。
味は少し違ったけど、文句を言いながら皆で食べた。
そんな適当な奴だった、と笑い混じりに吐き捨てる。
次の節では、包丁の手入れを頼んだら、逆に傷を増やして帰ってきた話。
謝りもしないで、強くなっただろ、と胸を張った話。
全部、どうでもいい小話ばかりだ。
それでも、声は次第に荒くなる。
笑い話だったはずの記憶が、積み重なって、喉を締め付けていく。
きっと生きている。
ビルの爆発なんかで終わるような奴じゃない。だけどなんで顔を出さない?
恥ずかしがりやなんかじゃないだろう。
早くあの頃の俺たちに戻ろう? と問いかけるように歌う。
そして、音が一気に開ける。
ドラムが前に出て、ベースが支え、ギターが叫ぶ。
「帰って来いよ」
おーおーおーおー、帰って来いよ。
観客の声が重なり、歌詞の中の小さな思い出が、共有された記憶のように広がっていく。
誰かを待ったこと。
くだらないことで笑ったこと。
もう一度、そこに戻りたいと思った瞬間。
「合唱だぁ!!」
ゼマは完全に溶け込んでいた。
腕を振り上げ、喉が枯れるのも構わず声を重ねる。
ララクも、もう躊躇しなかった。
歌詞の中の適当なギター弾きが、実在の誰かとして胸に残り、その帰還を願う言葉が、自分の声になって外へ出ていく。
ライブハウス〈クラフティレイ〉は、音楽だけで満たされていた。
帰って来いよ。
その一言が、何度も、何度も、薄暗い箱の中に刻まれていく。
最後の音が叩き切られ、余韻が空気に残った瞬間だった。
「俺がアホのババアになっても、忘れず待ってるからなぁ!」
ボーカルの叫びが天井に跳ね返り、そのままオチルレインのライブは幕を下ろした。
一拍の静寂のあと、割れるような拍手が会場を満たす。歓声、指笛、足踏み。今日の公演には他にもバンドが出演していたが、観客の大半は明らかにこの3人目当てだった。
このライブハウス〈クラフティレイ〉を根城にし、実質的に経営まで担っている存在。
ここに通う者たちは、自然とオチルレインのファンになり、いつしかオチラーと呼ばれるようになった。身内のような距離感もあって、客席は純粋な喜びに満ちている。
ララクとゼマも、その熱気に包まれたまま、満足そうに出口へ向かおうとした。
その時だった。
「あのすいません。この後お時間ありますか?」
背後からかけられた声に、2人は同時に振り返る。ライブハウスのスタッフらしき人物が、丁寧な態度で立っていた。
「え、ええ。予定は全くないですけど」
「でしたら、他のお客様が退室するまで、残っていただくことは出来ますか? 代表が話をしたいそうで」
「?? 話……問題はないですね。居続ければいいんですね」
ララクは予想できない展開に戸惑いながらも、即座に了承する。理由は分からないが、断る理由もなかった。
2人は壁際に移動し、しばらくその場に残ることになった。
「なに、私たちルール違反した? っあ、ドレスコード的な? ちょっと外国感あったかな」
ゼマは周囲を見回し、他の客と自分たちの服装を見比べる。
鎧ではないとはいえ、2人の装いは明らかに冒険者仕様だ。動きやすさ重視の服、腰回りの装備。ゼマの背中にはクリスタルロッドがそのまま背負われている。
一方、他の客たちはシャツやパーカー、装飾の多い服装。少しお姫様風の格好をした女性客もいて、全体的に普段着とオシャレの中間といった雰囲気だった。戦うための服とは、空気感が違う。
「なるほど、面白い着眼点ですね。でも……それなら、入り口で送り返されるかもですね。……代表が直接っていうのが、不穏ですが」
ララクは苦笑しながらも、内心では同じ疑問を抱いていた。
なぜ自分たちなのか。何の話なのか。
やがて、観客は全員退室し、ライブハウスの中は急に静まり返る。
照明が落とされ、片付けの音だけが残る空間。
その奥から、足音が3つ。
姿を現したのは、代表。
つまり、オチルレインの3人だった。