総合インテグラル学院、学長室。
扉をくぐった瞬間、ララクとゼマは少しだけ目を見張った。
広さは十分にある。壁には古い学術書が詰め込まれた本棚が並び、窓際には研究資料の山。魔術理論の図式が書かれた紙、機械部品の試作品、古い地図のような資料まで混ざっている。机の上にも書類が重なり、カップやペンがあちこちに置かれていた。
生活感にあふれている。
普段は他の人があまり来ないのだろう。不潔というほどではないが、整然とした執務室というよりは、研究者の私室のような散らかり方だった。
それもあってか、ララクとゼマの緊張感は自然とほどけていく。
ララクは部屋の棚を見回す。
「プロフェッサーの部屋とはまた違った、感じですね」
学長と顔なじみと言っていたプロフェッサー・モドムの部屋は、物は多かったが白を基調としていて、分かりやすい研究室、理科室といった内観だった。
様は全然違うのだが、どこか類似点を感じさせる。
ゼマは机の横に積まれた本を覗き込む。
「学長室ってもっとこう、重たい椅子とか金の飾りとかあるイメージだったんだけど」
窓の外には広大なキャンパスが見える。学生たちが中庭を歩き、遠くの訓練場では金属のぶつかる音が聞こえていた。
ララクは壁に掛かった見慣れない装飾を眺める。
「この国の建築様式、独特ですね」
「うん。なんか、研究所と家が混ざってる感じ」
様式美が、自国とは大きく違う。
机、椅子、本棚、壁の飾り、窓の形。触れる物すべてが新鮮で、2人の体験を軽く揺さぶる。
結果として、この部屋には不思議な落ち着きがあった。
初めて訪れた場所なのに、どこか肩の力が抜けてしまう空間だった。
しばらくすると、学長室のさらに奥にある扉の向こうから、もぞもぞと物音がした。次の瞬間、扉が半分ほど開き、人影がぬっと現れる。
爆発したような寝癖髪。肩にかかるほどの長い耳。人間よりも腕がやや長く、骨格も少し大きい。猿人の特徴を持つ女性だった。年齢は40代ほど。服装は学長という肩書きから想像するものとは程遠く、ゆるい部屋着に近い格好で、袖も少しまくれている。だがその動きは妙に軽く、部屋に入った瞬間から空気を自分のペースに巻き込んでしまうような人物だった。
「ややややや、おはようございます」
挨拶をすると同時に、ずかずかと歩いてきてソファに勢いよく腰を落とす。背もたれに体を預けるでもなく、片膝を立てたままの姿勢でテーブルに手を伸ばし、そこに置かれていた菓子を掴むと、ぼりぼりと遠慮なく食べ始めた。
ララクとゼマは一瞬だけ顔を見合わせる。
ゼマが遠慮なく口を開いた。
「え~、と~、学長室にいるから、学長でいいんだよね? 初対面で言うのはあれやけどぉ、全然それっぽくない」
「っちょ、ゼマさん。たぶん、物凄くお偉いさんですよ」
ララクが小声で止めるが、女性は口の中の菓子を噛みながら笑った。
「偉いだけだよぉ。安心して欲しい、生徒たちの前ではビシッと学長だから。っあ、冒険者さんたちも、食べて食べて。これ、調理部の子が作ったやつだからさ」
促され、ララクとゼマもテーブルの菓子に手を伸ばす。
一口食べた瞬間、2人の表情がわずかに変わる。焼き加減、香り、甘さのバランス。学生の手作りとは思えない完成度だった。
「……普通にうま」
ゼマが小さく呟き、ララクも静かに頷く。
「本格的ですね」
学長はその反応を楽しそうに見ながら、ポケットからタブレットを取り出した。指先の動きは慣れていて、だらしない姿勢とは裏腹に操作は妙に素早い。
「そんで、お名前はっと、モド~ムからのメールをチェック~」
画面を操作し、プロフェッサー・モドムから届いたメッセージを開く。
件名・研究者モドム
以前からお互いに、類まれなる才能と経験を持った冒険者の協力者が欲しいと言い合ったのを、君なら忘れてはいないだろう。冒険者パーティー・ハンドレッド。戦士という括りでは収まらない、魔の量とコントロールも超規模なララク。そしてキモは、そのパートナーであるゼマというヒーラーの女性だ。君が行いたい授業に、これ以上ない適任だと思うぞ。
タブレットの画面を眺めながら、学長は菓子をもう一つ口に放り込む。ぼりぼりと噛み砕きながら、急に顔を上げた。
「拘りの強いモドムくんの事だ。その彼が認める冒険者、お墨付きの保証付き。私は見る目はないが、すんごく君たちは輝いて見える!」
ゼマがすぐに眉を上げる。
「見る目が良くないって、先生としてどうなのよ」
学長は肩をすくめて笑った。
「おっと、言い方に語弊があったなぁ。私にとっては全員が将来性がある子に見えるからね。自分で選ぶより、他の人の意見を優先した方が、適材適所を見つけられるんだ」
ララクは少し感心したように頷く。
「素晴らしい価値観ですが……、経営は大変そうですね」
学長は部屋をぐるりと見渡す。散らばった資料、本、試作品、半分飲まれたカップ。
「なんとかなっているから、こ~んな巨大な学院の中に寝泊まりできているんだよ」
ゼマがすぐに突っ込む。
「だから、目やに満タンなんだ」
「生徒の前じゃ、かっちりするから」
そう言って学長は目元を指でこすり、目やにを払う。だが姿勢は変わらない。ソファに片膝を立てたままだ。
ララクは咳払いを一つして話を戻す。
「それでモドムさんからは、詳細は伏せられていたので、冒険者を求める理由をお聞かせいただいても?」
学長は菓子の袋を机に置き、タブレットを閉じる。
「情報漏洩、とか気にしてんだなぁモドムくんは。大衆居酒屋で話した内容なのにぃ。ごほん、それじゃあ学長モードで話そう」
ほんの少しだけ背筋を正す。だが、片膝立ての姿勢はそのままだった。
学長の目が、2人を順番に見る。
「君たちは、ルーキー冒険者の負傷率を知っているかい?」
ゼマが首をかしげる。
「? 計算問題? 始めたての子たちなら、そりゃあダメージなんて喰らってなんぼじゃない」
ララクは少し考える。
「そうですねぇ。タンクなど役割分担を最初からしているならば、負傷しないポジションもあるはず。7割ぐらいでしょうか」
学長は指を立てて笑った。
「いいねぇ、1つの統計でいうと89%だ。ほとんどの若手が何かしらな傷を得て帰ってくる。パーティー単位で言えば、無傷なのはほぼゼロだねぇ」
「……ゴブリンやスライムといえど、凶暴なモンスターですからね。冒険は危険と共にあります」
ララクは初めてそれらの小型モンスターを目撃した時の事を思い出す。村の冒険者は軽々と倒す存在。しかし、常人では対処できないからこそ、強者にクエストが行く。
何の戦闘経験もない人類が、相対し倒すことの出来る生物ではないのだ。