学長室の前の廊下に、ララクとゼマは並んで立っていた。学長が授業の準備をすると言い残して奥へ引っ込んでから、しばらく時間が経っている。
待ち時間を持て余しながら、ララクは廊下の壁に視線を巡らせた。そこには学生たちの作品がびっしりと貼り出されている。素焼きの陶器、色鮮やかな絵画、構図を意識した写真作品。どれも額や台に丁寧に飾られ、学校というより小さな美術館のような雰囲気だった。さらに奥には、歴代学長と思われる人物の写真や、学生たちの集合写真が並び、この学院の長い歴史を静かに語っている。
「ゼマさんは、美術のセンスはどうですか?」
ララクが写真を眺めながら聞く。
「舐めんなよぉ、可愛いウサちゃんの絵が得意だよ」
ゼマは自信満々に胸を張った。
「意外と、人の美的センスって見えないですよね」
「そういやぁ、あんたは適性とかあんの?」
「【筆適性】はあるんですけどぉ、そもそもの美術力が壊滅的で……」
ララクは苦笑する。
【筆適性】の効果で、字を書くこと自体は非常に綺麗になる。だが、頭に浮かんだ映像を紙の上に再現する能力となると話は別だった。線は整っていても、出来上がる絵はどうにも不格好になる。
ララクはもともと、得意より不得意の方が多い人間だった。
そんな話をしていると、学長室の扉が勢いよく開いた。
「さささささ、お連れするよ~ん」
軽い声が廊下に響く。
「なんだか緊張して……わぁ、清潔感が凄いですね」
ララクが振り向いた瞬間、思わず目を丸くした。
さっきまで寝癖だらけだった学長が、別人になっていた。スーツとネクタイをきっちりと着こなし、シャツの襟まで整っている。髪も整髪剤でしっかり固められていた。とはいえ、その完成形は、ボリュームのある尖った髪型で、どこか野性味が残っている。
「生徒の前じゃあ、威厳を出すタイプなんだなぁ」
「喋り方は、そんななんていうか、テンションに身を任せている感じのままなんだ」 ゼマがぽつりとつぶやく。
学長は肩をすくめながら笑った。
「ほら、親しみやすさも出したいんだよ学長というポジションはね。担当の生徒がいるわけじゃないから、広~く愛されないとねぇ」
そう言いながら歩き出す。
廊下の奥へと進む学長の後ろを、ララクとゼマも続いた。壁に並ぶ学生作品の間を通り抜けながら、3人の足音が静かな校舎に響いていく。
「っあ、学長おはようございま~す」
廊下の奥から弾むような声が飛んできた。白いワゴンにいくつもの箱や機材を積み上げ、慎重に押している生徒たちがこちらへ向かってくる。箱の中ではガラス器具がかすかに触れ合い、ちり、と乾いた音を鳴らしていた。
「っお、気を付けて運ぶんだよ~。備品は、大事に」
「は~い」
学長は片手を軽く上げて応じる。先ほどまで学長室で見せていた砕けた姿とは違い、今はスーツとネクタイで整えた姿。髪も整髪剤で固められ、尖ったボリュームのある髪型になっている。見た目だけなら威厳ある教育者だが、声の調子は相変わらず軽い。
生徒たちもそれをよく知っているのか、緊張する様子もなく笑いながら通り過ぎていった。
ワゴンの上にはガラス容器、金属製の支柱、木箱に収められた装置などが並んでいる。化学実験用と思われる器具が、布で丁寧に包まれていた。
「あれも授業で使うの?」 ゼマが機材を顎で示す。
「科学実験とか、ね。でももうすぐ学祭なんだ、そのための道具じゃないかな」
その瞬間、ララクの目の色が変わった。
さっきまで穏やかに展示を眺めていた表情が、急に光を帯びる。未知のものを見つけた時の好奇心が、そのまま瞳に浮かんでいた。
「学園祭って、ボク経験ないんです! あれですよね、生徒たちが夜まで集まって、宴をするっていう」
声にも、わずかな高揚が混じる。
学長はその反応を面白そうに見て笑った。
「それはぁ、後夜祭と混じってるな。出店も多く出すけど、一番は研究、創作発表だね」
「この辺みたいな?」
ゼマは廊下の壁を指差す。そこには陶芸、絵画、写真、金属模型、魔力装置の試作など、学生たちの作品がずらりと並んでいた。額縁や台座に整然と飾られ、小さな展示会のようだ。
「そ、そそそそ。より大規模で、爆発的な物だけど。様々な分野のプロたちも観覧にくるんだよーん。っあ、プロフェッサー・モドムくんにも声をかけてある」
「お2人の繋がりは、そういうことでしたか」
ララクは納得したように頷く。研究者と学長という立場の違う2人の接点。それが、この学園祭や研究発表の場にあるのだろう。
廊下を進みながら、3人は展示物を眺めていく。
学生たちの集合写真、研究発表の記録、過去の優秀作品。
学長が振り返る。
「君たちもぜ~ひ参加しちゃってくれよん」
「えぇ、楽しみです……」
ララクはそう答えたが、声には妙な熱が混じっていた。学園祭という未知の体験を、頭の中で想像しているのだろう。出店、研究、夜まで続くイベント。冒険者として育った彼には、縁のなかった世界だ。
だがその歩みが、ふいに止まる。
ララクが急に足を止め、数歩後ろへ下がった。
「おいおい、急に方向音痴?」
ゼマが振り返る。
「何か異変でもあったかいな?」
学長も足を止める。
ララクは廊下の壁の一角を指差した。
「あの、あの子は……」
ゼマも戻り、その先を見る。
「あれ、いきなり探し人じゃん」
そこには大きな額縁の写真が飾られていた。学生の功績を紹介する展示の一つらしい。
写真の中の少年は、丸刈りに眼鏡。年齢のわりに肩幅が広く、体格もがっしりしている。落ち着いた表情で、どこか研究者のような静かな気配を持つ顔立ち。
ララクとゼマが追っている人物。
爆発事故に巻き込まれたとされる、あの天才少年だった。