「……冒険の時間を邪魔して悪いな。俺が代表のモジリフだ……」
低く落ち着いた声とともに前に出たのは、猿人族の男だった。手足は長く、体躯に対してさらに伸びやかに見える。毛量の多いロングヘアの隙間から、猿耳がちらりとのぞいている。ベースを担うこの男が、ライブハウス〈クラフティレイ〉の代表でもあった。
モジリフは懐から名刺を取り出し、差し出そうとする。そこにはクラフティレイ代表モジリフ・へミーグと記されていた。
しかし、その動作は最後まで完遂されなかった。
「どけどけーっ!」
横合いから、ものすごい勢いで何かが突っ込んでくる。
ボーカルの女性だった。
彼女の肩がモジリフの腕にぶつかり、名刺は宙を舞う。ひらひらと回転しながら落下し、偶然にもララクの手元に収まった。
ララクが文字を確認する間もなく、女性が顔をぐっと近づけてくる。
「その恰好! 冒険者だよな!」
「ええ、パーリアという国から来ました」
その言葉を聞いた瞬間、バンドの空気がわずかに変わる。
息をのむ気配が、確かにあった。
パーリアからヌーツへ至る道は、いくつもある。だが、一般的なのは、平和の国パーリアから自然の国ファンシーマを経由し、海の国ル・マリネを越えてたどり着く長い旅路だ。いずれにしても、遥々来たことに違いはない。
「か~、そんなところから来たんだ! わっかいのに、強そうだな!」
「……あんたが想像する100倍、ド強いよ。っあ、私じゃなくてこいつがね」
ゼマは親指でララクを指し、軽い調子で言い切った。ハンドレッドの名に引っかけた、その独特な言い回しだ。
「意外と謙遜しますよね、ゼマさんは。有能すぎるのに」
ララクは本心からそう返す。
「おうおう、何か気迫を感じるよ2人からはさぁ! っあ、んで、頼みがあんだよ! さっきのラストの曲聞いただろ?」
「あ、帰って来いよ、ですよね。凄く衝撃を脳に感じました。少しくらくらしちゃいますけど」
「いいだろう。俺たちの音楽は、心を脳を、人生を揺らすサウンドだからな! 他の曲も熱狂的だったろぉ?」
ボーカルの女性は興奮した様子で、一気にまくし立てる。
すると、その後ろで静かに立っていた男が、ぼそりと呟いた。
目を大きく開き、少し暗めの化粧を施したドラム担当だ。
「……脱線」
「あー、目的ははっきりしてんのに、あっちこっち行っちまうのが、俺の癖だよなぁ。……冒険者くん、さっきの曲聞いたなら分かると思うんだけどさ、このバンドにはもう1人・アカラヘアっていう冒険者兼うちのギターを担当してたやつがいたんだ」
「あー、そんな歌詞だったね。んで、その……爆発に巻き込まれて……」
ゼマは記憶を辿りながら言葉をつなぐ。
「どっかで生きてんだよ! それにレベルが60超えてたんだ! ただの爆発で、死体も残らねぇなんて、おかしいんだよ!」
その新情報に、ララクの意識が一気に引き寄せられる。
「……60は、今のボクより高いですね。爆発の規模が分かりませんが、相当なダメージを与えないと跡形もなく消し去るのは難しいですよね。例え死体でも……」
ララクの声は冷静だったが、その内側では確かな興味が芽生えていた。
歌として聞いていた話が、今、現実の案件として輪郭を持ち始めている。
レベルシステムによって人の身体能力は大きく底上げされる。
高レベルの冒険者ともなれば、致命傷を与えること自体が難しい。加えて、肉体の耐久力も上昇するため、痕跡ひとつ残らない消失は不自然だ。ただの爆発で説明するには無理がある。
ララクはその理屈をすぐに理解した。
感情に任せているように見えて、言っている内容には筋が通っている。
だが同時に、別の可能性も頭をよぎる。
確証がないからこそ、信じ続けてしまうこともある。
帰って来るかもしれないと、心が手放せなくなることも。
思い出したのは、海の国ル・マリネでの出来事だった。
王女失踪事件。多くの人が、失った存在と向き合おうとしていた。だが遺体は見つかっていない。もしかすると今も、どこかで生きていると願い続けている者がいるのかもしれない。
ララクは、王女の親友セオリアや王家の人々の表情を思い出す。
大切な人を失った者が抱える、理屈では整理できない感情。
だからこそ、目の前の女性の言葉も、すぐに胸の中へ入ってきた。
「帰ってこれない、ふか~い、ふか~い、泥沼みたいな理由があるんだきっと! なぁ、探してきて欲しいんだ! 冒険者!」
ボーカルの女性は、勢いのまま懐に手を突っ込み、1枚の書類を取り出した。
それは書き殴った紙ではなく、正式な様式の依頼書だった。
ギルドを通した、正規のクエスト。
個人の願いではなく、制度に乗せられた捜索依頼。
紙が、ララクの手に重みを持って渡された。