ゼマは潮凍石を抱えたまま、その表面をぼんやり眺めていた。乳白色の核の奥で淡い水色の光がゆっくり揺れている。冷気が腕から肩へ伝わり、体温を静かに奪っていく。冷たい石肌に頬を寄せると、ひんやりした感触が皮膚を引き締めた。
そのときだった。
石の表面に、何かが映り込んだ。
淡い光の中に、歪んだ影が浮かぶ。細く裂けた目。大きく開いた口。ぎらりと並んだ牙。鉱石の滑らかな面に、その恐ろしい顔がはっきりと反射していた。
「!?」
ゼマが振り返るより早く、影が動いた。岩陰から灰色の塊が飛び出し、空気を裂く音とともに鋭い爪が肩をかすめる。
「!? なんだこの化け猫!!」
布が裂け、浅いが鋭い痛みが走った。ゼマの体が半歩よろめく。傷口に冷たい風が触れ、じくりとした刺激が残る。
「ゼマさん! ストークキャットです!」
ララクの声が響いた。彼はその姿を既に見たことがある。採掘地帯に現れる待ち伏せ型モンスター。岩の色に近い灰色の体毛。肩から背中にかけて鉱石片が混じったような硬い毛並み。普通の猫とは比べ物にならないほど太い前脚と、獲物を引き裂くための長い爪。
ゼマは痛みを押し込みながら体勢を立て直す。ロッドを握る手に力が入った。
「おらぁ! 【ホーリーインパクト】!」
クリスタルロッドの先端に光が集まり、青白い輝きが一瞬で膨れ上がる。振り下ろされた一撃が地面を叩き、光が弾ける。
しかし。
ストークキャットは猫背の姿勢で体を沈め、その瞬間に横へ滑るように回避した。地面に光の衝撃だけが走り、砕けた石片が飛び散る。
灰色の影はすでに別の鉱物の陰へ跳び移っていた。巨大な結晶柱の影に紛れ、姿が消える。
見えない。
だが気配だけが残っている。岩陰のどこかで、低く息を潜めている捕食者の存在。
カライジは周囲の鉱物の影を警戒しながら呟いた。
「初めて見る。……小型の猫とは、全く形相が違う。いかつすぎる」
都市の外れで見かけた野良猫の姿が頭をよぎる。痩せた体でゴミを漁っていた小さな猫。だが今ここに潜んでいる存在は、その何倍もの圧力を放っていた。岩場の空気がわずかに張り詰める。
カライジはララクへ視線を向ける。
「先生、戦闘許可をお願い。学長が、先生に言われるまでは戦いは禁止だって」
ララクは鉱石の陰を順番に観察しながら答える。
「……おそらく敵のレベルは20ぐらい。ゼマさんがダメージは受けているけど、傷に放っていないから。でもキミたちにとっては強敵だ」
カライジは軽く笑った。
「それをするために、私はこの課外授業に参加しているんだけど」
ララクは小さく息をつき、彼の目を見た。
「……勇敢さは持ってきているって事か。けれど、そもそもキミたち武器は?」
カライジは胸を軽く叩く。
「それならずっと胸にしまってある」
レッツタが拳を握り、足を一歩踏み出す。
「模擬戦じゃなくて、本当の闘い……。よっし、レッツタ。目の前の敵に集中だ」
その言葉でレッツタの目が変わった。さっきまでの空気が一瞬で消え、瞳の奥に鋭い光が宿る。目の前と言ってもストークキャットの姿は見えない。だがそれが逆に、彼の好奇心を強く刺激していた。
レッツタは岩の影、結晶の陰、崩れた鉱石の隙間を順番に観察する。
「……ストークキャット、別名影猫。物陰に隠れて、相手を追い詰める変質的な狩人。レベルが20前後なら、俺たちでも……」
そう言いながらポケットへ手を入れる。
カライジとサイフウも同時に動いた。3人の手の中に現れたのは、ペンほどの長さの金属装置。レッツタだけは違い、両手にグローブを装着する。
次の瞬間。
『ウェポン起動』
乾いた機械音が同時に鳴った。
カライジの装置が展開し、内部の金属フレームが伸びる。刃が広がり、重い刃を持つ斧へと変形する。
サイフウの装置は細長く伸び、銀色の細剣へ形を変えた。しなやかなレイピアが光を反射する。
そしてレッツタのグローブ。拳を握った瞬間、甲から金属の爪が音を立てて伸びた。鋭い弧を描く刃が、両手に並ぶ。
3人の武器が同時に完成する。
その瞬間、岩陰のどこかで、ストークキャットの気配がわずかに動いた。鉱物の影の奥で、黄色い目が静かに光っていた。