転生したら、超次元技が存在しない世界だった件!   作:スライみゅ

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第10話 圧倒的な力の差

 

 

午後の陽光が、雷門ベンチに長く、鋭い影を落としていた。

時折吹き抜ける突風が砂埃を巻き上げ、木野秋は細めた瞳の奥でセンターラインを見つめていた。

膝の上で硬く握りしめられた彼女の手は、祈るような、あるいは絶望的な震えを抑え込むような、強張りを帯びていた。

 

(みんな……頑張って……)

 

内側に閉じ込めた祈りを切り裂いたのは、あまりにも場違いで、せわしない足音と抗議の声だった。

 

「納得がいきません! なぜ、この──10番(エース)である僕が、ベンチを温めていなければならないんですかぁ!!」

 

目金くんがドカリとベンチに腰を下ろし、凄まじい勢いで貧乏揺すりを始めた。

眼鏡の奥にある細められた瞳には、自分がピッチに立っていないことへの不服が露骨に滲んでいる。

 

正直、今の私に彼を宥めてあげられる余裕なんてなかったけれど、サッカー部の一員(マネージャー)として彼を腐らせるわけにはいかない。

 

「え……っと……目金くんは......そう、秘密兵器なのよ。奥の手は最後まで隠しておくものでしょう?」

 

上ずりそうになる声を懸命に抑え、私は言葉を紡いだ。

 

「秘密兵器……ふふんっ、悪くない甘美な響きです!」

 

現金なもので、目金くんは途端に貧乏揺すりを止め、眼鏡の(よろい)をクイと押し上げた。レンズに反射した光が「秘密兵器」という言葉に酔いしれる彼の自尊心を象徴しているようだった。

 

「ふぅー……(よかった、機嫌が直って……)」

 

私は機嫌を治した目金くんを見て安堵し、脱力するように息を吐いた。

おべっかなんて、本当は好きじゃない。でも、彼も立派なサッカー部の一員であり、戦力。そんな彼のやる気を出させてあげるのも、マネージャー()の仕事だと思うことにした。

 

もう一度吐きそうになった溜息を一人で飲み込んでいると、不意に、控えめながらもハキハキとした声が私を呼んだ。

 

「あの〜、ここで一緒に見ててもいいですか?」

 

顔を上げると、そこにはカメラを宝物のように抱えた女子生徒が立っていた。

 

「私、新聞部の音無春奈です。どうぞよろしく!」

 

彼女──音無さんは、私の隣にちょこんと腰を下ろした。その人懐っこい笑顔は、張り詰めきっていたベンチの空気を、一瞬で溶かすような不思議な熱量を持っていた。

まるで分厚い雲間から差し込む、柔らかな陽光みたいな素敵な笑顔。

 

「そう、あなたが音無さんなのね。円堂くんから聞いてるわ。司場くんの――」

 

秋の柔らかな微笑みと瞳が、音無を捉える。

 

「──彼女さん、なんでしょ?」

 

「・・・?」

 

一瞬、世界から音が消えた。

音無さんの思考が完全に停止したのを、隣にいる私の肌が感じ取った。

数秒の沈黙の後、意味が彼女に伝わった瞬間、彼女の顔はボフッという音を立てて、耳の裏まで一気に、鮮やかな朱色に沸騰した。

 

「ち、ちちち違いますっ!! わ、わわわ私、葦考センパイの彼女なんかじゃ――!!」

 

予想外の、叫び声に近い否定だった。

音無さんは、弾かれたようにベンチから跳ね上がった。

それと同時に、大事そうに抱えていたメモ帳とペンが手元から滑り落ち、パラパラと風に舞いながら地面に散らばっていく。

 

「あ、あわわわ……っ」

 

真っ赤になった顔を伏せ、慌てて膝を突き、地面の紙を追いかける彼女。

必死に否定しようとする言葉とは裏腹に、その焦りきった挙動は、言葉よりもずっと雄弁に彼女の真意を物語っていた。

平静を装おうとして、かえって自分の想いをこれでもかと晒してしまっている。

 

(なんて分かりやすい子……)

 

自分の気持ちに嘘をつけない彼女。

そんな音無さんのことを、「かわいい」と思ってしまったのは、私だけの秘密にしておこう。

 

「円堂くんがそう言っていたから、てっきりそうだとばかり思って……。ごめんなさい。驚かせてしまったわね」

 

 

私は彼女の隣に屈み、一緒にメモを拾い集める。

音無さんは「おほんっ」とわざとらしい咳払いをし、乱れた髪を指先で耳にかける。

 

「……さ、先程も言いましたが、私は葦考センパイの彼女ではありません! ……ま、まぁ、いつかはそうなれたらと思いますけど......

 

彼女の、その健気な熱量に、私は素直に羨ましいと感じていた。

誰かを特別に想うという、その明確な「熱」の在り処が。

私の胸の奥が少しだけチクリと痛んで、それから、日だまりのような温かさが広がった。

 

恋愛なんて、私にはまだよく分からない。

テレビや小説の中の出来事で、自分には縁のない遠い国の話だと思っていた。

それなのに、音無さんの言葉にこれほど心が揺れるのは、一体どうしてなんだろう。

 

無意識に、視線がゴールマウスの前に立つ、背番号1番の背中を追っていた。

いつも泥だらけで、誰よりも真っ直ぐに前を向いている、円堂くんを。

それがどういう感情なのか、今の私にはまだ名前をつけることができなかったけれど。

 

「──そ、そんなことより! 今日の試合……ズバリ、勝つ自信はありますか?」

 

音無さんの真っ直ぐな瞳に、私は一瞬、言葉に詰まった。

 

「勝つ自信? あるかって言われたら……正直、ないかな?」

 

私のトーンが、重く沈む。

帝国学園というあまりにも巨大な壁を前に、マネージャーである私も、不安を拭い去ることなんて出来なかった。

 

「でもね、円堂くんや司場くん、それにみんなを見てると……勝てるかもしれない──って、不思議とそんな気がしてくるのよね」

 

根拠なんて、どこにもない。

けど、諦めずにここまで頑張って来た彼らを一番近くで見てきた私が、彼らを信じなくて誰が信じるというのか。

私の言葉に、音無さんは即座に、力強く頷いた。

 

「分かります! 葦考センパイを見てると、なんだか今日の試合も、なんとかなる気がして……」

 

「信頼してるのね」

 

「信頼っていうより……知っているんです。葦考センパイは──」

 

迷いのない確信。風が吹き抜け、彼女の綺麗な髪を揺らす。

 

「──絶対に、諦めない人(・・・・・)ですから!」

 

その言葉が置かれた瞬間、センターラインでホイッスルを待つ司場くんの背中が、いつもと違って、大きく逞しく見えた気がした。

 

戦いの火蓋が切られようとするピッチの一点。そこを見つめる私と音無さんの視線は、今、ひとつになっていた。

 

✤✤✤

 

グラウンドの中央、白く引かれたセンターマーク付近に僕と染岡はホイッスルが鳴るのを待っていた。

 

雷門のフォーメーションはオーソドックスな4-4-2。

僕はツートップの一角、染岡の少し後ろ──1.5列目の位置に身を置く。

 

【挿絵表示】

 

 

ふと視線をベンチへやると、目金くんが、恨めしそうにこちらを睨んでいた。

 

(サッカー部存続の為とはいえ、なんか目金くんには申し訳ないな......)

 

この試合だけはどうしても負けられないからとはいえ、やはり胸の奥には申し訳なさが渦巻く。

 

「司場、やってやるぜ俺は!」

 

不意に、隣からエネルギッシュでやる気に満ちた染岡の声が届いた。

 

「この試合で、誰よりも点を取る。お前にも負けねぇぜ!」

 

その瞳はギラギラとした野性味溢れる輝きを放ち、握りしめた拳が微かに震えていた。

それは恐怖ではなく、強者を前にした、剥き出しの高揚だった。

 

「う、うん。頑張ってね、染岡」

 

「司場……お前もFWなんだからよぉ、もっと点取ることに拘れよなぁ。

俺のライバルがそんなんじゃ、張合いがないぜ?」

 

──ライバル。

その言葉が、僕の胸を強く打った。

 

【僕なんかには、無理だよ】

 

いつものように、喉元まで出かかった弱音。

それを、僕は寸前で噛み殺した。

 

逃げ腰になってどうする。

壁山くんの前に震える手を差し出して、「一緒に頑張ろう」なんて格好いいことを言ったのは、僕じゃないか。

彼をロッカーから引き摺り出した責任を、僕が放り出すわけにはいかない。

 

「……そうだね、僕も点を狙ってみるよ。多分このグラウンドの中で一番下手な僕だけど、勝つために、必死にやってみるよ」

 

声は震えていた。けれど、視線だけは逸らさずに真っ直ぐ前を見据える。

 

「へへっ、その意気だぜ司場!」

 

染岡の分厚い手が僕の肩を抱き寄せた。

その強引なまでの力強い温もりが、逃げ出したくなる僕の足を、確かにこの戦場へと繋ぎ止めてくれた。

 

✤✤✤

 

『挑戦です! これは、雷門に対する帝国の、挑戦です!』

 

マイクから、将棋部部長・角間の甲高い実況が校内中に響き渡る。

その独特な緊張感の中、審判のホイッスルが鋭利な刃物となって張り詰めた静寂の糸を断ち切った。

 

ピィィィィッ!

 

ホイッスルが鳴ると同時に染岡からボールを受け取る。

そして、僕はボールの感触に違和感を感じていた。

今までの練習で何千回と触れてきたはずのものとは、まるで別物だったからだ。

 

(なんだ……これ……?)

 

重い。いや、逆に軽すぎるのか。

まるで自分の足が自分のものではないような、地に足が着かない浮遊感。血管を流れる血液が、一瞬にして冷たい氷水に変わってしまったかのような錯覚。

僕は前世を含めた人生で初めて、試合の緊張感から生まれる"競技不安"というものを体感した。

 

僕は、生まれたての小鹿のように震える足で、どうにかボールを背後のマックスくんへ預ける。

その後、僕は染岡と共に、帝国陣内へと、土を蹴って走り出した。

 

『まずは司場、ボールを松野に預け、染岡と共に帝国陣内へと駆け上がる!』

 

雷門の滑り出しは、意外にも予想に反して軽快だった。マックスくんから再びパスを受けた染岡が、猛然とプレスに来た帝国の巨漢FW、万丈(3番)大野(2番)を、鮮やかなヒールリフトで軽々と抜き去っていく。

 

(……凄い。あの帝国の守備を、あっさり!)

 

僕は走りながら、自分の目を疑った。

自分たちが積み上げてきた物が、帝国学園に通用している。

その事実が、僕の胸を熱く焦がした。

 

『おおっと! うまいうまい! 染岡、帝国を軽やかに躱して一気に敵陣深くまで上がっていく!!』

 

「へへっ、結構やれるもんだな!」

 

染岡が自信に満ちた笑みを浮かべ、拳を握りしめる。だが、そこへすかさず五条(5番)がプレスに回る。その動きは機敏で、まるで最初から染岡の進路を「知っていた」かのような、不気味なほど隙が無かった。

 

「染岡、こっちにパスだ!」

 

左サイドから、風を切るような勢いで風丸が駆け上がり、パスを要求する。

風丸は染岡からボールを受け取り、そのまま凄いスピードで帝国のペナルティエリアへの侵入を試みた。

 

(速い……!)

 

陸上部仕込みの圧倒的なスピード。

サッカー初心者とは思えないそのプレーに、僕は驚嘆すると同時に、一抹の焦りを感じる。

 

(すごいよ、みんな......僕なんかより、ずっと、ずっと!)

 

『風丸が止まらない! ぐんぐんと加速していく! まさにスピードスターだー!!』

 

だが、帝国の右SB洞面(8番)が冷静に風丸をマークする。その動きは的確で、風丸の動きを完璧に予測しているようだった。

 

風丸は一度マイナス方向(染岡)へパスし、そこから半田、さらに右サイドの宍戸くんへと流れるようなパスワークを展開する。

 

『雷門イレブン、細かくパスを繋ぎ、帝国を翻弄していく!』

 

宍戸が右サイドを駆け上がる。

だが、その行く手を阻むように、帝国左SB咲山(7番)が立ち塞がった。

 

宍戸くんはゴールラインぎりぎりまで追い詰められる。

誰もが「詰んだ」と思ったその刹那──彼は、ボールを半歩分ずらした。

 

「先輩っ!」

 

咲山(7番)のマークを一瞬だけ剥がし、宍戸くんが喉を枯らして叫ぶ。

その声に呼応するように放たれたセンタリングは、鮮やかな白い放物線を描いて、突き抜けるような青空に吸い込まれていった。

 

(……高い!)

 

見上げた視線の先、逆光の中に半田の影が跳ねる。

ニアサイド*1へ飛び込み、完璧なタイミングでヘディングの体勢に入る半田。

帝国のディフェンス陣の意識が、一気に彼へと集中した。

 

だが、それは「罠」だった。

半田はボールに触れる寸前、空中でその身を捻り、鮮やかなスルー。

ボールが彼の頭上を通り抜けたその先、帝国のセンターバックの間に、一筋の「道」が生まれていた。

そこにいたのは、獲物を定めた猛獣の瞳を持つ男。

 

「くらえぇぇぇええええっっ!!」

 

ドゴォン!!

 

魂を乗せた強烈なジャンピングボレー。

空気を爆発させるような衝撃音がグラウンド中に響き渡った。けれど──

 

──帝国のGK源田(1番)は、まるで最初からそこにボールが飛んでくることを知っていたかのように、無造作にその弾丸をキャッチしていた。

 

「チッ……正面だったか……」

 

悔しげに地面を叩く染岡。

対して僕は、雷門(みんな)の連携に一度も絡むことができず、ただ圧倒されるばかりだった。

 

(ぜ、全然絡めなかった......)

 

一瞬、暗い感情が胸をかすめる。けれど、次の瞬間には別の期待がそれを塗り替えていた。

 

(でも、凄い! 通用してる。僕たちのサッカーが、帝国学園に通用してるんだ。これなら、勝てるかもしれない!)

 

それからも雷門は、細かなパス連携で攻撃の手を緩めなかった。

帝国学園の選手たちは、簡単なミスを連発し、守備に奔走。

まさに、帝国学園は防戦一方だった。

 

✤✤✤

 

ボールがラインを割り、スローインのためにプレーが途切れたその瞬間、俺は拭い去れない奇妙な感覚に襲われた。

足元の芝生を蹴り上げ、額の汗を拭う。

けれど、心臓の鼓動は激しく打ち鳴らされたままだ。

 

「おかしい……」

 

「おかしいって、何がですか、半田先輩?」

 

思わず口から漏れた独り言に、隣にいた宍戸が不安げに眉を寄せた。

 

「……守備が、ザルすぎる」

 

俺はピッチ全体を見渡しながら声を潜めた。

 

「急に大きな(スペース)ができたり、プレスが甘かったり……。とても全国王者とは思えないプレーばかりだ」

 

帝国のポジショニングミスはあまりに露骨だった。それは「ミス」と呼ぶには、どこか作為的な匂いすら漂っている。

 

「た、確かに。僕のマッチアップの咲山(7番)の人も、守備の寄せが一瞬遅いような……。やっぱり、俺たちが弱小だから、手を抜いてるのかなぁ......?」

 

「いや、それは違うと思う」

 

宍戸の言葉を遮り、俺は視線を鋭くした。

プレーが止まるたびに、帝国の選手たちは最寄りの選手と集まり、ボソボソと言葉を交わしている。

その表情は、手を抜いている者の弛緩したそれではない。

 

(何を……話してるんだ……?)

 

手を抜いている者の顔ではない。

まるで、実験の反応を確認し合っているような、そんな底冷えする集中力。

 

「──っ! (......急に背筋に寒気が......)」

 

嫌な予感が、俺の背筋を氷のように這い上がってきた。

 

✤✤✤

 

帝国の陣地――

 

「洞面、ボールを寄越せ」

 

帝国の司令塔、鬼道有人が自陣深くでボールを要求した。

ボールが吸い付くように足元に収まる。

 

「――お前達、いけるか?」

 

鬼道がDF陣に視線を投げる。その声は氷のように冷たく、有無を言わせぬ支配者の響きを帯びていた。

DF陣は無言で片手を上げる。

続いて中盤、前線の選手たちも、一糸乱れぬ動きで同じサインを送った。

 

「フッ、思ったよりも早かったな」

 

鬼道はニヤリと、不敵に口角を上げ、すべてを掌握した者の笑みを浮かべる。

 

「それでは始めるとしよう。……サッカーを」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

その瞬間、空気が物理的な重さを伴って変質した。帝国の選手たちの瞳から「観察」の色が消え、飢えた猛獣のような鋭敏さが宿る。

 

✤✤✤

 

(なんだ……? とても、嫌な感じがする)

 

その帝国の面々が一同に片手を上げて、何かの準備が整った──そんな雰囲気を醸し出していた。

 

それを見た瞬間、僕の肌を撫でたのは熱風ではなく、刺すような「寒気」だった。

背筋を冷たい刃がなぞり、全身の毛穴が総毛立つ。

 

「司場! 何グズグズしてんだ! プレス掛けろ!!」

 

染岡の焦燥に満ちた叫びが、僕の鼓膜を叩く。

だが、その声が空気を震わせた時には、すでに帝国の「歯車」は動き出していた。

 

──パン、パン、パン!

 

リズムよく、小気味よい音がグラウンドに響く。

それは僕たちが知っている「パスを回す音」じゃなかった。

その音はまるで精密な機械の駆動音のように正確で、速く、そして容赦がない。

 

ワンタッチ、ツータッチ。

 

ボールが思考を置き去りにする速度で動き、それに合わせて帝国の選手たちが一つの巨大な生命体のように連動する。

雷門の選手たちは、通り過ぎていくボールの軌跡を見送ることしかできない。

 

「くっ……!」

 

少林寺くんが肉薄しようとするが、触れることすら許されなかった。

それどころか、すれ違いざまに放たれた帝国の圧倒的な威圧感と、鋼のようなフィジカルの強さに、彼は木の葉のように無残に弾き飛ばされた。

 

1分――。

たったそれだけの時間で、帝国は自陣から雷門ゴール前まで深く切り込んで来た。

 

(速い……速すぎる……!)

 

思考が追いつかない。

円堂の必死な指示に反応しようとするDF陣。けれど、帝国のパスはその遥か先を走っている。

 

「ああっ……しまったっス!!」

「......っ」

 

壁山くんの悲鳴。影野くんとの間に生まれたわずかな隙間──そこに針の穴を通すような辺見(6番)のパスが通る。

フリーで抜け出した万丈が、そのボールをダイレクトで叩き込んだ。

 

ドゴォォォォン!!

 

空気が爆裂したかのような衝撃音。

ゴールネットが千切れんばかりに跳ね上がり、審判のホイッスルがグラウンドの沈黙を切り裂いた。

 

『ななっ、なんという事でしょう!

開始から10分間、防戦一方だった帝国が、攻撃に転じた瞬間、わずか1分でゴールを奪ったぁぁ!!

なんというスピードと連携、これが全国一の帝国学園なのかぁぁあああ!?

実況の角間、思わず息をすることさえ忘れてしまいました!!』

 

角間くんの絶叫が、遠くの空に消えていく。

雷門イレブンは、ただそこに立ち尽くすしかなかった。

 

「ドンマイドンマイ!」

 

沈黙を、円堂の声が突き破った。

 

「何情けない顔してんだ! 相手が強いのは分かってたはずだ。試合はまだ始まったばかりだぞ!!」

 

円堂の目には、まだ折れていない、眩しいほどの希望の光が宿っていた。

けれど、それを見つめる僕の心には、底の見えない暗い予感が渦巻いていた。

 

✤✤✤

 

「行けーーっ! 同点だぁぁあああ!!」

 

「おうよ!」

 

円堂の鼓舞に呼応するように、染岡が死に物狂いで帝国ゴールへと突っ込む。

それは執念。泥を啜ってでも一点を奪い返そうとする、剥き出しの闘争心だった。

 

だが、その熱い叫びさえ、帝国の前では無機質なノイズに過ぎなかった。

染岡がドリブルを仕掛けた瞬間、まるで子供をあしらうような軽やかさでボールを奪われ、反撃の芽は一瞬で摘み取られた。

気を取り直す間も与えられない。

雷門ボールから始まったキックオフでさえ、帝国の「網」に絡め取られ、一歩も進ませてもらえない。

 

「止めろぉぉおおお!!」

 

風丸くんがDFラインで声を張り上げる。

だが、奪いどころさえ掴めない。

ボールに近づくことはできても、「取れる」と確信した瞬間に、球体は魔法のように僕たちの認識の外へと逃げていく。

 

防戦一方――

開始10分までの攻撃的な雷門の見る影は無かった。

 

(なんで……? なんで急に、こんな……!!)

 

僕は、帝国の変貌に呼吸の仕方を忘れていた。

 

テンポが、先ほどまでとは別次元なんだ。

帝国は、受け取ったボールをすべてワンタッチで、淀みなく次の誰かへと繋いでいく。

 

パン、パン、パン――!!

 

グラウンドを走るその音は、まるで足で行う超高速のバレーボールか、あるいは心臓の鼓動を急かすメトロノーム。

 

ボールが来てから「どこへ出そうか」と考えていては、絶対に間に合わない。

十一人の意識が、ゴールまでの最短経路を、そのイメージを完璧に共有していなければ成立しない芸当だった。

 

一人として判断を誤らず、一人としてコントロールを乱さない。

その「完璧すぎる」光景に、僕はただ戦慄するしかなかった。

 

極めつけは、帝国FWのシュートの威力だった。

高速パス回しで雷門の陣形を崩し、無防備になったゴール前。

そこから放たれるのは万丈(3番)大野(2番)の、大砲そのもののような、重く、速い一撃。

 

ドゴォン!!

 

「ぐあぁっ……!」

 

円堂は必死に食らいつき、その驚異的な反射神経で弾道の先へ指を伸ばす。

指先に感触はある。

なのに──触れてなおその威力に押し切られてゴールネットが揺れる。

また一点。

そして、また一点。

 

「くそっ……なんて威力だ……!」

 

円堂のグローブからは、凄まじい摩擦で焦げたゴムの臭いが漂い始めていた。

その手は、重すぎる衝撃に痺れで感覚を失い、小刻みに震えている。

円堂がその威力の正体に驚愕している間にも、無慈悲に時間は進んでいった。

 

✤✤✤

 

5分、10分、15分。

 

時計の針が時を刻むたびに、僕たちの身体は鉛でも流し込まれたかのように重くなっていく。抗おうとする意志に反して、膝は震え、視界は白く霞んでいった。

 

2 - 0

 

5 - 0

 

8 - 0

 

無慈悲に積み上げられていく数字。

 

「はぁ……はぁ……っ」

 

隣で宍戸くんが膝を折り、ポタポタと地面に汗の雫を落としていた。

その呼吸はもはや、肺の奥に溜まった熱を無理やり吐き出しているような、悲鳴に近いものだった。

 

対照的に、帝国の選手たちはどこまでも涼しい顔を崩さない。

息も乱れず、汗一滴すら流さない彼らは、まるで精密にプログラミングされた機械のようだ。ただ淡々と、作業的に、僕たちの心をへし折る得点を重ねていく。

 

ピ、ピ、ピーーーッ!!

 

前半終了のホイッスル。

その笛音は、鐘の音のように、重く、長く響いた。

得点板に表示された数字は、残酷なまでに明確だった。

 

10-0

 

(こ……ここまで、差があるのか……)

 

立ち尽くす僕の足元から、力が抜け落ちていくのを感じた。

 

✤✤✤

 

「はぁ……はぁ……はぁ……っ!」

 

雷門ベンチを支配しているのは、肺に溜まった熱を吐き出そうとする、荒く重い呼吸音だけだった。

 

選手たちは首をもたげる気力さえ奪われ、土にまみれたスパイクの先をただ見つめている。

額から滴り落ちる汗が乾いた地面に染みを作るたび、自分たちの限界を突きつけられているようだった。

 

「みんな……」

 

木野さんの震える声に、誰一人として反応を返すことができなかった。

 

その瞳には、堪えきれない涙が溜まっていた。

それはマネージャーとして、選手達のボロボロな姿を見ることしかできない苦しみが、その一滴に凝縮されていた。

 

「喋る元気すら……ないみたいですね……」

 

春奈の声も、湿った影を落としている。

彼女たちが差し出すドリンクのボトルを受け取る手さえ、小刻みに震え、力が入らない。

 

ピッチの向こう、余裕の表情で談笑する帝国のベンチ。それを見つめる風丸の目が、戸惑いと疑問に揺れていた。

 

「どうなってるんだあいつら。……前半であれだけ動いて、息一つ乱れてないぞ」

 

「そりゃそうさ。……あいつらパスばっかりで、全然走ってないんだもん」

 

松野の声には、乾ききった諦念が混じっていた。

 

「僕たち……完全に遊ばれてますよ。追いかけて、振り回されて……。ただの『練習台』にすらなってない」

 

少林寺くんが、血が滲むほどに拳を握りしめ、地面を睨みつける。

ベンチ全体を、逃げ場のない嫌な沈黙が包み込んでいった。

 

(そりゃあ……そうだよな)

 

僕は地面に座り、どこまでも高く、残酷なまでに青い空を見上げた。

 

ゆっくりと流れる白い雲。

自分がこの一年、未経験から、ただ「サッカーが好きだ」というその一心だけで積み上げてきた日々の汗。

それが、帝国学園という「絶対王者」にとっては、ウォーミングアップ程度の価値しかなかった。

その事実が、冷たい鉛となって僕の心臓を締め付ける。

 

(悔しい……)

 

エリートとして育てられてきた彼らと、つい最近まで部員さえ揃わなかった雷門(自分達)

敵わないのは道理だ。負けるのは必然だ。

常識として、理性としては理解している。

 

でも――

初めて仲間と繋いだ、不格好なパス。

泥だらけになりながら笑い合った、あの鉄塔広場での練習。

やっと手にした「雷門サッカー部」という、僕たちの唯一無二の形。

 

それが、こうも無残に、一方的に踏みにじられたままでいいはずがない。

 

「――悔しいな......」

 

不意に、独り言が零れた。

その声は確かに震えていた。

けれど、不思議と僕の視界は歪んでいなかった。

僕は、ただ真っ直ぐに、ピッチを見つめる。

 

僕の瞳の奥には、絶望という底なしの沼に沈みながらも、決して消えることのない「小さな熱」が、紅く、鋭く灯っていた。

 

第10話fin

*1
ボールを持っているプレーヤーに近い側のサイド・エリアのこと

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