転生したら、必殺技が存在しない世界だった件! 作:スライみゅ
【木野side】
午後の陽光が、雷門ベンチに長く、鋭い影を落としていた。
時折吹き抜ける突風が砂埃を巻き上げ、私は細めた瞳の奥でセンターラインを見つめていた。
膝の上で組んだ手には、震えを押し殺すように力がこもっていた。
(みんな……頑張って……)
内側に閉じ込めた祈りを切り裂いたのは、あまりにも場違いな抗議の声だった。
「納得がいきません! なぜ、この──
目金くんがドカリとベンチに腰を下ろし、凄まじい勢いで貧乏揺すりを始めた。眼鏡の奥の瞳には、自分がピッチに立っていないことへの不服が露骨に滲んでいる。
正直、今の私に彼を宥めている余裕なんてなかったけれど、サッカー部の一員として彼を腐らせるわけにはいかない。
「え……っと……目金くんは……そう、秘密兵器なのよ。奥の手は最後まで隠しておくものでしょう?」
「秘密兵器……ふふんんっ、悪くない甘美な響きです!」
現金なもので、目金くんは途端に貧乏揺すりを止め、眼鏡の
「ふぅー……(よかった、機嫌が直って……)」
脱力するように息を吐き、もう一度溜息を一人で喉の奥に飲み込んでいると、不意に、ハキハキとした声が私を呼んだ。
「あの〜、ここで一緒に見ててもいいですか?」
顔を上げると、カメラを宝物のように抱えた女子生徒が立っていた。
「私、新聞部の音無春奈です。どうぞよろしく!」
彼女──音無さんは、私の隣にちょこんと腰を下ろした。その人懐っこい笑顔は、張り詰めていたベンチの空気を一瞬で溶かすような、柔らかな陽光みたいに素敵だった。
「そう、あなたが音無さんなのね。円堂くんから聞いてるわ。司場くんの──彼女さん、なんでしょ?」
「・・・?」
一瞬、世界から音が消えた。
数秒の沈黙の後、言葉の意味が彼女に伝わった瞬間、彼女の顔はボフッという音を立てて、耳の裏まで一気に鮮やかな朱色に沸騰した。
「ち, ちちち違いますっ!! わ、わわわ私、葦考センパイの彼女なんかじゃ──!!」
音無さんは、弾かれたようにベンチから跳ね上がった。大事そうに抱えていたメモ帳とペンが手元から滑り落ち、地面に落としてしまう。
「あ、あわわわ……っ」
真っ赤になった顔を伏せ、慌てて膝を突き、地面の紙を追いかける彼女。
(なんて分かりやすい子……)
自分の気持ちに嘘をつけない彼女のことを、「かわいい」と思ってしまったのは、私だけの秘密にしておこう。
「そ、そうなのね。円堂くんが言ってたからてっきり……ごめんなさい、驚かせちゃったわね」
私が謝罪をすると、音無さんは「おほんっ!」と、これ以上ないくらい不自然でわざとらしい咳払いを何度も繰り返した。そして、赤みが引かない耳元を隠すように、乱れた髪を少し震える指先で何度も耳にかける。
「……さ、先程も言いましたが、私は葦考センパイの彼女ではありません! ……ま、まぁ、いつかはそうなれたらと思いますけど......」
後半はほとんど蚊の鳴くような声だったけれど、彼女のその健気で、瑞々しくて、真っ直ぐな恋慕。私は胸の奥で、その姿を「素直に羨ましい」と感じていた。
誰かを特別に想うという、その明確な「熱」の在り処を、彼女はちゃんと自分の中で分かっている。それに比べて、私はどうだろう。胸の奥が少しだけチクリと痛んで、それから、日だまりのような、どこか切ない温かさが広がった。
恋愛なんて、経験の無い私にはよく分からない。自分にはまだ縁のない遠い出来事だと思っていた。それなのに、音無さんの純粋な恋心にこれほど心が揺さぶられるのは、一体どうしてなんだろう。
無意識に、私の視線はゴールマウスの前に立つ、円堂くんを追っていた。
いつも泥だらけで、誰よりも真っ直ぐに前を向いて、みんなを引っ張っている、円堂くん。これがどういう感情なのか、今の私にはまだ、明確な名前をつけることができなかったけれど。
「──そ、それより! 今日の試合について取材です!! 聞かせてもらいますが……ズバリ、勝つ自信はありますか?」
音無さんは自分の胸の鼓動を誤魔化すように、急に声を張り上げて、真っ直ぐな瞳で私を捉えた。私は一瞬、その強い眼差しに言葉を詰まらせてしまう。
「勝つ自信? あるかって言われたら……正直、ないかな……?」
私のトーンが落ち、苦笑いを浮かべながら伝える。
相手はあの、40年間無敗を誇る絶対王者、帝国学園。あまりにも巨大すぎる壁を前に、マネージャーである私だって、不安を完全に拭い去ることなんて出来なかった。
「でもね、円堂くんや司場くん、それにみんなを見てると……勝てるかもしれない──って、不思議とそんな気がしてくるのよね」
根拠なんて、どこにもない。けれど、諦めずに、必死に頑張って来た彼らを、一番近くで支えてきた私が、彼らを信じなくて一体誰が信じるというのか。
私の言葉に、音無さんは即座に、力強く何度も頷いた。その瞳には、不安の影など一切微塵も存在していなかった。
「ハイっ! 私もそう思います! 葦考センパイを見てると、なんだか今日の試合、なんとかなる気がするんです!!」
「ふふっ……信頼してるのね、司場くんのこと」
「信頼っていうより……知ってるんです。葦考センパイは──絶対に、
「諦めない、人……?」
音無さんの迷いのない一言に、私は思わず首を傾げた。いつも少し自信なさげで、どこか一歩引いているような、あの司場くんが?
疑問符を浮かべていると、その疑問のすぐ裏側から、1週間前──帝国学園との練習試合が決まって、廃部の危機にみんなが押し潰されそうになっていたあの日の、司場くんの言葉が鮮明に蘇ってきた。
『染岡たちなら、きっとまた立ち直れる。……だって、本当はみんな, サッカーが大好きなんだから』
(確かに……司場くんって、自分以外の人のこととなると、びっくりするくらい諦め悪いかも……)
腐りかけていた染岡くんたちの、内に秘めていた本心をちゃんと理解して、諦めず、見放さずにただ待ち続けた。それは、形は違っても円堂くんと同じ、どこまでも仲間思いで優しい姿だった。
二人の性格は真逆と言っていいくらい全然違うのに、そんなところだけ似てることに、私は思わず「ふふっ……」と笑ってしまった。
「木野先輩、どうしたんです?」
「う、ううん、なんでもないの!」
不思議そうに覗き込んでくる音無さんに慌てて手を振る。
私はゆっくりと顔を上げ、ピッチへ視線を向ける。
視線の先にいたのは、かつて絶望に飲まれ、腐りかけていた面影など欠片もない雷門イレブンだった。王者を前にしても逃げることなく、闘志を燃やし、その瞳を力強く輝かせている。
円堂くんと司場くんが信じて、待ち続けた通りに。
みんなの心に宿る『熱』は、今、この瞬間、何よりも強く燃え上がっていた。
ゴール前で試合はまだかまだかと待ちわびている円堂くん。
センターラインで開始のホイッスルを待つ司場くん。
その2人の背中は、いつもよりずっと大きく、ずっと頼もしく見えた。
まもなく戦いの火蓋が切られる。
その背中を見つめる私と音無さんの視線は、今、確かにひとつになっていた。
第10話fin