転生したら、超次元技が存在しない世界だった件! 作:スライみゅ
猛特訓が終わり、夕日が河川敷を燃えるようなオレンジ色に染め上げた頃。
雷門サッカー部は現地解散となった。
「はぁ〜……疲れた……」
鉛のように重い全身の筋肉痛と、汗と泥の不快な重さに耐えながら、僕はふくらはぎを軋ませて重い足取りで土手を登る。
すると、背後からタタタッ、と軽い足音が近づいてきた。
「葦考センパイ、今日もお疲れ様でした!」
振り返ると、夕日を背にした春奈が無邪気な笑顔を向けていた。
「春奈もお疲れ様。今日は尾刈斗の情報、教えてくれてありがとな」
「いえいえ!私の情報収集能力を持ってすれば、これぐらい何ともありませんよ!」
えっへん、と誇らしげに胸を張る彼女を見て、僕はふと思う。
今日、彼女がグラウンドに持ってきてくれた尾刈斗高校のデータは、ただの新聞部の野次馬根性なんかじゃなく、本気で僕たちを助けようとする的確なものだった。
今の雷門サッカー部は、木野さん一人でマネージャー業務を回していて明らかにパンク寸前。
それに何より、こんなにも僕たちのために熱心に動いてくれる彼女が、ただの「外野」のままでいるのは勿体ない気がした。
だから僕は、思いつきのようでいて、ごく自然な流れで口を開いた。
「ねえ、春奈。……サッカー部に入らない?」
「えっ……!?」
ピタッ、と春奈の足が止まった。
さっきまでのハキハキとした態度はどこへやら、彼女は首から下げたカメラをギュッと両手で握りしめ、顔を真っ赤にしてオロオロと視線を泳がせた。
「サッカー部に、私が、ですかっ!?」
「うん。木野さん一人じゃ負担も大きいし、春奈の情報収集能力があれば、絶対に雷門の大きな武器になると思うんだ。……ダメかな?」
僕が覗き込むように尋ねると、春奈は「ううぅ……」と唸りながら、夕日よりも赤い顔で俯いてしまった。
「ご、ごめん! 嫌だったらいいんだ! 春奈は中学時代から新聞部だし、思い入れがあるのは分かってるからさ!」
僕が慌てて手で宙を掻きながら取り繕うと、春奈はピタリと足を止め、首から下げたカメラをギュッと両手で握りしめた。
「い、嫌じゃありませんっ!!」
夕日を背にした春奈の表情は影になっていて、よく見えない。けれど、その声はいつもの元気な彼女からは想像もつかないほど、微かに震えていた。
「むしろ嬉しいです。私は雷門サッカー部のファンですから、そんなサッカー部に誘われて、凄く嬉しいです。ただ……私には、サッカー部の仲間になる資格なんてないんじゃないかと、思いまして......」
「資格って……どういうこと?」
春奈はギュッと唇を噛み締めると、やがてポツリ、ポツリと重い口を開いた。
「昨日の、帝国学園との試合。……帝国のキャプテン──鬼道有人を覚えていますか?」
「……う、うん。勿論だよ。あんな凄い人、忘れるわけ無いだろ?」
思い出すだけで背筋が冷たくなる。手も足も出ない絶望的な状況で、僕たちを嘲笑うように見下ろしていた、あの帝国なキャプテン。
「……あの人、もしかしたら私の……生き別れた、お兄ちゃんかもしれないんです」
「え……?」
春奈の口から絞り出されたその言葉に、僕は息を呑んだ。
お兄ちゃん? あのマントの人が?
全く結びつかない二人の接点に、頭が真っ白になる。
「私、小さい頃に両親を亡くして、お兄ちゃんとは別の家に引き取られたんです。昨日、グラウンドであの人の姿を見た時……お兄ちゃんの姿と重なって......」
「両親を……。そんな……僕、全然、知らなくて……」
いつも明るくて、特ダネ探しに走り回っている彼女が、そんな重い過去を抱えていたなんて思いもしなかった。
軽々しく「ダメかな?」なんてサッカー部に誘ってしまった自分を、今すぐ全力で殴り飛ばしたくなる。
「流石に、こんな重い話……他の人には言えません」
春奈は、泣き出しそうな顔を必死に取り繕い、無理して笑ってみせた。
「それが葦考センパイなら、尚更......」
その言葉の裏にある痛みが、グサリと胸に刺さる。
あんなに一方的で、残虐な試合。僕たちをボロボロにして、嘲笑っていた帝国のキャプテンが……もし、本当の実の兄だとしたら。彼女は、どんな顔で傷だらけの僕たちを見つめればいいのか。
彼女がいつも「取材」と言いながら、部員たちと少しだけ距離を置いていた理由。それは、兄かもしれない人物が傷つけた僕たちに対する、『負い目』があったからだったんだ。
僕はぽりぽりと頭を掻き、どう言葉をかけていいか分からず宙を彷徨った。気の利いた慰めなんて、僕には言えない。
でも、このまま彼女に一人でその重荷を背負わせておくわけにはいかなかった。
「……そっか。それは、怖いし、悩みもするよね」
僕はゆっくりと、一つ一つの言葉を探しながら口を開いた。
オレンジ色に燃えていた夕日は、いつの間にか川の向こう側へと沈みかけ、周囲は少しずつ藍色の夕闇に包まれようとしている。
冷え始めた風が、土手の草をザワザワと揺らした。
「でもさ、春奈。僕は──というかウチのサッカー部の連中は、そんなこと気にしないと思うよ」
「えっ……」
「たとえ鬼道くんが春奈の、実のお兄さんだとしても、誰も春奈を責めたりなんかしない。だって、春奈は春奈だろ?」
春奈がハッと息を呑むのが分かった。
大きく見開かれた瞳の中で、夕日の名残が揺れている。
「……本当に、そう思ってくれますかね?」
「思うよ。円堂なんか特に、そういうこと気にしないタイプだろ?」
「……そう、ですね」
春奈は目元をジャージの袖でぐいっと乱暴に拭った。
擦れた目元が、痛々しいほど赤く染まっている。
「春奈とは中学からの付き合いだし、何となく分かるよ。本当は、お兄さんのことが気になって、しょうがないんだろ?」
「……っ」
図星だったのか、春奈の肩がビクッと大きく跳ねた。俯いた彼女の足元に、ポタッと小さな水滴が落ちて、乾いた土を黒く濡らす。
「……お兄ちゃんとは、小学校に上がる前に生き別れたんです。施設でいじめられて泣いていた私を、いつも身を呈して守ってくれる……本当に、優しくて、温かい人だったんです」
絞り出すような声だった。
彼女は首から下げた一眼レフカメラを、まるで自分の心臓を守るかのように両手で抱え込む。指の関節が白く浮き上がり、ギリッと軋む音が静かな河川敷に響いた。
「だから……だからこそ、分からないんです! なんで、あんな酷いことができるのか。どうして、ボロボロになったセンパイたちを嘲笑うような、あんな冷酷な人に変わってしまったのかっ……!!」
堰を切ったように溢れ出した悲痛な叫びが、川面を撫でる風に吸い込まれていく。
「……センパイなら、何か分かりますか......?」
「ううん、分からない。でも──」
僕は一拍おいた。
感情の濁流に飲み込まれそうになっている彼女を繋ぎ止めるように、努めて平坦な声で。
「──その理由を知るには、直接本人に聞いてみるしかないんじゃないかな」
「……会ってくれませんよ」
春奈の声が、ぐっと低く沈んだ。そこにはもう怒りも悲しみもなく、ただ冷たい諦めだけが張り付いていた。
「私、施設にいた時から何度も、お兄ちゃんに手紙を送ってるんです。でも、返事は一度も......。逢いに来てくれたことも、ありませんでした......」
「……そっか」
「そっかって……」
春奈が掠れた声でぽつりと繰り返す。
怒っているのか、呆れているのか、それとも泣いているのか、よく分からない響きだった。
「……手紙ってさ──」
僕は彼女の言葉を遮るように、静かに言った。
「──残酷だよね。送った側がどれだけ心を込めて文字を綴っても、受け取る側は『読む』も『読まない』も、気分次第で決められちゃうんだからさ......」
「……っ、そんなこと、分かってますよ」
「うん」
「お兄ちゃんが手紙を無視し続けてることなんて、
感情が再び弾けた。
春奈が声を荒らげるが、僕は表情を変えずに相槌を打つ。
「うん」
「それでも私は……お兄ちゃんと、また昔みたいに笑いたい。一緒にご飯を食べたい。たわいのない話を、したいんです……っ!」
「うん」
僕がただ静かに、逃げずに真っ直ぐ彼女を見据えて頷き続けると、春奈はふいに顔を上げた。
「なんで……なんでセンパイは、そんなに落ち着いてるんですかっ!」
真っ赤に泣き腫らした目が、すがるように僕を見ていた。慰めてほしいわけじゃない。ただ、どうしようもないこの重さを共有してほしかったのだろう。
「……だって、答えは決まってるから」
「え……?」
「手紙は無視できる。電話もね」
僕は一歩だけ彼女に近づき、その目を真正面から見据えて、はっきりと告げた。
「でも、目の前に立った人間は、無視できない」
「……」
「フットボールフロンティアで勝ち進めば、いずれ必ず帝国とまた戦うことになる。その時、春奈が僕たちと一緒にいてくれるなら──」
「──……連れて行って、くれるんですか......? お兄ちゃんの目の前まで......」
震える彼女の声を、僕の言葉が力強く上書きする。
「うん。約束するよ。必ず、春奈を鬼道くんのところまで連れていく。そして、胸ぐら掴んででも、直接答えを吐き出させよう」
我ながら、柄にもない乱暴な言い方だったかもしれない。
でも、これくらい手荒に引っ張り上げなければ、彼女の心を雁字搦めにしている「捨てられたかもしれない恐怖」という重い呪縛は、到底断ち切れない気がしたから。
数秒の、張り詰めた沈黙。
背後で川がサラサラと流れる音と、草を揺らす乾いた風の音だけが、静かに二人の間を満たしていた。
春奈は大きく見開いた目で僕を見つめ返していた。
やがて、その小さな肩が、くくっ、と小刻みに揺れ出し――。
「……ぷふっ。葦考センパイ、らしくないこと言って」
不意に、吹き出すような音が漏れた。
「んなっ!? らしくないなんて、自分が一番わかってるよ!!!」
僕が思わず顔を熱くしてムキになると、春奈はついに堪えきれなくなったように「あははっ!」と大きな声を上げて笑い出した。
涙で濡れた頬のまま、残照の中で笑う彼女の顔は、さっきまでの絶望が嘘のように、晴れやかで明るかった。
第16話fin