転生したら、必殺技が存在しない世界だった件! 作:スライみゅ
猛特訓が終わり、夕陽が河川敷を燃え盛るようなオレンジ色に染め上げていた。 長く伸びた影が土手を覆い始めた頃、雷門サッカー部は現地解散となった。
「はぁ〜……疲れた……」
帝国戦で徹底的に痛めつけられた身体に、今日の猛練習の疲労が重くのしかかり、全身が鉛のようだった。僕は軋むふくらはぎを引きずりながら、重い足取りで土手の階段を登る。
すると、背後からタタタッ、と小気味良い足音が近づいてきた。
「葦考センパイ、今日もお疲れ様でした!」
振り返ると、夕陽を背にした春奈が無邪気な笑顔を向けていた。
「春奈もお疲れ様。今日は尾刈斗の情報、教えてくれてありがとな」
「いえいえ! 私の情報収集能力をもってすれば、これくらい何ともありませんよ!」
えっへん、と誇らしげに胸を張る彼女。 けれど、その目元には薄い隈が落ちていた。
昨日の帰り道で見せた、今にも泣き出しそうな無理な笑顔が、一瞬だけ脳裏をよぎる。
今日の春奈は、いつも以上に明るかった。
まるで、声を張って自らを奮い立たせていなければ、心まで沈み込んでしまうとでもいうように。
僕はそれに気づいていた。
けれど、踏み込んで聞くことができなかった。
今日、彼女がグラウンドに持ってきてくれた尾刈斗高校のデータは、ただの新聞部の野次馬根性などではない。
本気で僕たちを助けようとする、的確で熱意のこもったものだった。
今の雷門サッカー部は、木野さん一人がマネージャー業務を回していて明らかにパンク寸前だ。 それに何より、こんなにも僕たちのために必死に動いてくれる彼女が、ただの「外野」のままでいるのはもったいない気がしたのだ。
「ねえ、春奈」
「はい?」
「……サッカー部に入らない?」
「えっ……!?」
ピタッ、と春奈の足が止まった。
さっきまでのハキハキとした態度はどこへやら。彼女は首から下げたカメラをギュッと両手で握りしめると、顔を真っ赤にしてオロオロと視線を泳がせた。
「サ、サッカー部に、私がですかっ!?」
「うん。木野さん一人じゃ負担も大きいし、春奈の情報収集能力があれば、絶対に雷門の大きな武器になると思うんだ」
「……」
「新聞部との兼任になっちゃうかもしれないけど……ダメかな?」
僕が覗き込むように尋ねると、春奈は「ううぅ……」と唸りながら、夕陽よりも赤い顔で俯いてしまった。
「ご、ごめん! 嫌だったらいいんだ! 春奈は中学時代から新聞部だし、思い入れがあるのは分かってるからさ!」
「い、嫌じゃありませんっ!!」
突然の大声に、今度は僕の方がビクッと肩を跳ねさせた。
逆光になっていて、春奈の表情はよく見えない。 けれど、その声はいつもの元気な彼女からは想像もつかないほど、微かに震えていた。
「むしろ、嬉しいです。私は雷門サッカー部のファンですから、そんな皆さんに誘われて、すごく嬉しいです。……ただ──」
「ただ?」
「──私には、サッカー部の仲間になる資格なんてないんじゃないかと、思いまして……」
資格って、どういうことだ?
僕が問い返す前に、春奈はギュッと唇を噛み締め、やがてポツリ、ポツリと重い口を開いた。
「昨日の、帝国学園との試合。……帝国のキャプテン、鬼道有人を覚えていますか?」
「……う、うん。もちろんだよ。あんなすごい人、忘れるわけないだろ。それに……怖かったし」
思い出すだけで背筋が粟立つ。
手も足も出ない絶望的な状況下で、帝国の選手たちを盤上の駒のように操り、僕たちを冷たく見下ろしていたキャプテン。
あの赤いマントと奇妙なゴーグルは、嫌でも脳裏に焼きついていた。
春奈はカメラを抱く手にさらに力を込め、絞り出すような声で告げた。
「鬼道有人は……私の、実のお兄ちゃんなんです」
「え……?」
その言葉に、僕は息を呑んだ。
あの鬼道くんと春奈が兄妹。
その事実があまりにも結びつかない二人の姿に、頭の中が真っ白になった。
「私、小さい頃に両親を亡くして……お兄ちゃんとは別の家に引き取られたんです」
「両親を……。そんな、僕、全然知らなかった……」
「流石に、こんな重い話……他の人には言えません」
春奈は泣き出しそうな顔を必死に取り繕い、無理に口角を上げて笑ってみせた。
「それが葦考センパイなら、なおさら……」
その言葉の裏にある痛みが、グサリと胸に刺さった。
僕の腕や足には、帝国戦で受けた生々しい傷が今も残っている。春奈はこの傷を見るたびに、何も悪くないはずの自分まで、お兄さんと一緒に僕たちを傷つけたような錯覚に陥っていたのかもしれない。
「私、お兄ちゃんがセンパイたちを傷つけるのを、ただ見ていることしかできませんでした」
「春奈……」
「お兄ちゃんが何をするつもりなのか、私は何も知らなかった。それでも、兄だって知っていたのに……みんなには何も言えなかった」
春奈の声が、次第に掠れていく。
「そんな私が、何もなかったみたいにサッカー部へ入って……みんなの仲間になってもいいんでしょうか」
僕はぽりぽりと頭を掻き、どう言葉をかけていいか分からず視線を宙へ彷徨わせた。
気の利いた慰めなんて、僕の引き出しにはない。 それでも、これだけは間違っていないと確信できた。
「……春奈は、何も悪くないよ」
「でも――」
「鬼道くんがしたことと、春奈がしたことは別だろ?」
「……っ」
「春奈は帝国の作戦を知っていたわけじゃない。僕たちを傷つけようとしたわけでもない。それどころか、昨日も今日も、ずっと僕たちのことを応援してくれてた」
「それは……」
「だったら、春奈が責任を感じる必要なんてないよ」
僕は困ったように笑いながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「それにさ、僕は――というか、ウチのサッカー部の連中は、そんなことで春奈を見る目を変えたりしないと思う」
「……本当に、そう思ってくれますか?」
「思うよ。円堂なんか特に、そういうこと全く気にしないタイプだろ?」
「……そう、ですね」
春奈は小さく笑った。 けれど、その瞳には今にも零れ落ちそうな涙が限界まで溜まっていた。
「それに、春奈は春奈だろ」
「え……?」
「鬼道くんの妹だから春奈なんじゃない。今まで僕たちを応援して、助けてくれた春奈が、そのままの春奈なんだよ」
その瞬間、春奈の瞳から一筋の涙が堰を切ったように零れ落ちた。
慌てたようにジャージの袖で目元を拭う。
けれど、一度溢れた涙はもう止まってくれなかった。
「春奈とは中学からの付き合いだし、何となく分かるよ。本当は、お兄さんのことが気になって、しょうがないんだろ?」
「……っ」
図星だったのか、春奈の肩がビクッと大きく跳ねた。
「気にならないわけ……ないじゃないですか......」
俯いた彼女の足元に、ポタッ、ポタッと小さな水滴が落ちて、コンクリートを濡らしていく。
「ずっと会いたかったんです。もう一度会って、昔みたいに名前を呼んでほしかった……」
春奈は首から下げた一眼レフカメラを、まるで自分の心臓を守る鎧のように両手で抱え込んだ。
「……お兄ちゃんと生き別れたのは、私が小学校に上がる前でした」
震える息を挟みながら、少しずつ記憶を紡いでいく。
「私、施設でいつもいじめられていて……そんな時、お兄ちゃんは泣いていた私を、いつも身を挺して守ってくれました。……本当に、優しくて……温かい人だったんです」
その声には、ほんの一瞬だけ、幼い頃を懐かしむ確かな温もりが戻っていた。
だけど、それもすぐに消えた。
春奈の顔が苦しげに歪み、抱え込んだカメラに指が白くなるほど食い込む。
「だから……だからこそ、分からないんです! なんで、あんな酷いことができるのか。どうして、ボロボロになったセンパイたちを見ても何とも思わないような、あんな冷たい人に変わってしまったのか……!」
せき止めていたものが決壊したような悲痛な叫びが、川面を撫でる風に吸い込まれていく。
「それに……昨日、お兄ちゃんと目が合ったんです」
「鬼道くんと?」
「はい」
春奈は震える手で、自分の胸元を強く握り締めた。
「お兄ちゃんは、すぐに私だと気づきました。ほんの少しだけ動きが止まって……確かに、私を見ていたんです」
「だったら――」
「でも、何も言ってくれませんでした」
春奈の声が、急に冷たく沈んだ。
「私から逃げるみたいに目を逸らして……それから一度も、こっちを見ようとしなかったんです」
「……」
「私、施設にいた頃から、何度もお兄ちゃんに手紙を送っていました。音無家に引き取られたあとも、帝国学園にも、鬼道家にも……何度も」
「返事は……?」
「一度もありません。会いに来てくれたことも、一度も……」
春奈の唇が、自嘲するように歪んだ。
「今までは、手紙が届いていないのかもしれないって、そう思おうとしていました」
「……うん」
「お兄ちゃんにも、何か事情があるのかもしれないって」
「うん」
「でも昨日、お兄ちゃんは私だと分かったうえで、目を逸らしたんです」
ぽろぽろと、大粒の涙がとめどなく頬を伝う。
「だから、分かってしまったんです。……お兄ちゃんは、私に会いたくないんです。もう私のことなんて、妹だと思っていないんです……!」
何年も押し殺してきた悲しみと絶望が、初めて言葉になって溢れ出していた。
僕はすぐに否定しようとした。
けれど、鬼道くんの事情を何も知らない僕が、無責任に「違う」と言ったところで、春奈を救えるとは思えなかった。
「……センパイなら、何か分かりますか?」
「え?」
「どうして、お兄ちゃんは私から目を逸らしたんでしょうか」
縋るような、潤んだ瞳が僕を見つめている。
「……分からない」
「……そう、ですよね」
春奈が力なく俯く。
僕は慌てて言葉を繋いだ。
「でも、分からないからって、春奈が考えたことが『本当』だとは限らないと思う」
「え……?」
「手紙の返事が来なかった。昨日、目を逸らされた。それは多分、事実なんだと思う」
「……はい」
「でも、鬼道くんが手紙を読んだのか。
本当は春奈のことをどう思っているのか。どうして目を逸らしたのか。それは、まだ鬼道くん本人しか知らないだろ?」
春奈がハッと息を呑み、大きく目を見開いた。
「返事が来なかったことと、春奈を妹だと思っていないことは、イコールじゃないよ」
「でも……」
「僕だって、鬼道くんを庇いたいわけじゃないよ。昨日の試合には腹が立ってるし、春奈を泣かせたことにもムカついてる」
僕は思わず拳を握り締めていた。
「だからこそ、勝手に理由を決めて終わりにしたくない」
「……」
「本当のことを知るには、直接本人に聞くしかないと思う」
「……会ってくれませんよ」
春奈の声が、ぐっと低く沈んだ。
そこにはもう怒りも悲しみもなく、ただ冷たい諦めだけが張り付いていた。
「昨日だって、私から逃げるように目を逸らしたんですよ?」
「じゃあ、次は逃げられないようにしよう」
「え……?」
自分でも驚くほど、強い言葉が口から飛び出していた。 けれど、一度口にした以上、もう引っ込めるつもりはなかった。
「手紙なら、返事を書かないこともできる。
遠くにいるなら、会わずにいることもできる。……でも、フットボールフロンティアの試合でなら、鬼道くんは必ずそこにいる」
春奈の瞳が、僅かに揺れた。
「僕たちが勝ち進んで、もう一度帝国と戦えばいいんだよ」
「もう一度……帝国と……?」
「うん。試合が終わったら、僕が鬼道くんを呼び止める。今度は、春奈から目を背けたまま帰らせない」
「センパイ……」
「約束するよ」
「え……?」
「春奈が鬼道くんに伝えたいこと、聞きたいこと。全部、春奈自身の口でぶつければいい」
僕は春奈の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「鬼道くんとちゃんと向き合えるところまでは、僕が何とかする」
春奈は息を呑んだ。
「……でも、お兄ちゃんがまた逃げたら……」
「その時は、立ち止まるまで追いかける。帝国のみんなに止められても、鬼道くんが春奈と向き合うまでは絶対に帰さない」
「……っ」
「だから春奈は、何を話すかだけ考えておけばいいよ。鬼道くんに聞きたいこと、伝えたいことを、全部」
「……はい」
我ながら、柄にもなく熱苦しいことを言ってしまった。
もし本当に鬼道くんが春奈へ背を向けたら、僕はその背中を追いかけられるだろうか。
帝国の屈強な選手たちに睨まれれば、足が竦んでしまうかもしれない。
それでも――春奈を一人だけで、鬼道くんの前に立たせることだけはしたくなかった。
今までずっと一人で手紙を書き、一人で返事を待ち、一人で目を逸らされた理由を考え続けてきたんだ。
せめて次に向き合う時くらいは、隣に誰かがいてもいいはずなんだ。
数秒の、張り詰めた沈黙。
春奈は大きく見開いた目で、じっと僕を見つめ返していた。
やがて、その小さな肩が、くくっ、と小刻みに揺れ出し――。
「……ぷふっ。葦考センパイ、らしくないこと言ってます」
「んなっ!? ら、らしくないことくらい自分が一番分かってるよ!!」
僕が思わず顔を熱くしてムキになると、春奈はついに堪えきれなくなったように「あははっ!」と声に出して笑い出した。
涙で濡れた頬のまま。
それでも今度の笑顔は、痛みを隠すために無理やり作ったものではなかった。
涙の跡を残しながらも、ほんの少しだけ、いつもの春奈らしさを取り戻した笑顔だった。
しばらく笑ったあと、春奈は目元に残った涙を指先で拭った。
「……分かりました」
「え?」
「私、サッカー部に入ります」
「本当に?」
「はい」
春奈は首から下げたカメラを持ち上げ、まっすぐに僕を見据えた。
「葦考センパイが、そこまで言ってくれるなら、私も、センパイたちが帝国との再戦まで辿り着けるように、全力で支えます。
情報収集なら、私の得意分野ですから!」
春奈はまだ赤く腫れた目元のまま、いつものように得意げな笑みを浮かべた。
「約束ですよ!」
そう言って、春奈は右手の小指を僕の前へ差し出した。
「ゆ、指切りするの?」
「約束なんですから、当然です!」
「高校生にもなって……?」
「センパイは、私と指切りするのは嫌なんですか?」
「......や、やるよ!」
慌てて僕も小指を差し出す。
夕暮れの河川敷で、二人の指がそっと絡み合った。 春奈の細い小指から伝わる微かな震えと温もりが、これがただの口約束ではないのだと訴えているようだった。
僕は、春奈が鬼道有人と向き合えるところまで、その背中を支える。
春奈は、僕たちがもう一度帝国へ辿り着くために、戦う相手の情報を集める。
一人では届かない場所へ、二人で進む。
それが、僕たちが初めて交わした約束だった。
第17話 fin