転生したら、必殺技が存在しない世界だった件! 作:スライみゅ
豪炎寺side
どうして俺は、わざわざ遠回りになる道を通っているのだろうか。
夕日が川面を赤く染め上げる、放課後の河川敷。
俺は橋の歩道に立ち、眼下に広がるグラウンドを無言で見下ろしていた。
『……ハァッ……ハァッ……!!』
そこでは、雷門のストライカーである染岡が、全身を泥と汗で汚しながら、何度もボールを蹴り続けている。
外しても、外しても、足を止めない。
自分のシュートに納得できないのか、苛立たしげにボールを置き直しては、再びゴールへ向かって助走を始める。
その少し離れた場所では、円堂たちも声を掛け合いながら、夢中になってボールを追いかけていた。
決して上手くはない。
動きも連携も、全国の強豪と比べれば未熟極まりない。
それでも――。
あいつらの放つ、泥臭いほど真っ直ぐな熱が、俺の胸の奥に燻り続けている「サッカーへの未練」を、どうしようもなく刺激してくる。
帝国学園との試合が終わった後、円堂から差し出された手を取らずに、この場所を去った。
あれで終わったはずだった。
もう、雷門のサッカーに関わるつもりはなかった。
それなのに。
足は勝手に、この橋へ向かっていた。
病院にも、自宅にも、この道を通る必要はない。
そんなことは、俺自身が一番よく分かっている。
立ち去らなければならない。
そう思っているのに。
俺の両足は、橋の上から動かなかった。
その時だった。
背後の車道へ、滑るように一台の黒塗りの高級車が近づいてくる。
車は俺のすぐそばで静かに停車し、低い駆動音とともに、後部座席のスモークウィンドウがゆっくりと下がった。
「ごきげんよう。私、雷門夏未と言います」
窓から顔を覗かせたのは、赤いリボンを身につけた女生徒。
雷門高校の生徒会長であり、理事長の娘――雷門夏未。
「……どうも」
俺が短く返すと、彼女は俺の内心を見透かすような目を向けてきた。
「この道、貴方の通学路だったかしら?」
「……」
俺は答えず、グラウンドへ視線を戻した。
夏未が小さく息を吐く。
「帝国学園が、貴方を試合へ引きずり出すために雷門との練習試合を組んだと知ってから、少し調べさせてもらったわ」
「……何が言いたい」
「貴方がサッカーを辞めた理由よ」
先ほどまでの軽い調子が、彼女の声から消える。
「……妹さんのこともね」
「――っ!」
俺の中の空気が、瞬時に凍りついた。
弾かれたように振り返り、車内に座る夏未を鋭く睨みつける。
夕香のことは、他人に軽々しく踏み込まれていい問題ではない。
ましてや、俺が自分から話した相手でもない女に。
「それ以上、余計なことを言うな」
押し殺した声で告げ、俺はその場から立ち去ろうとした。
「貴方、このままでいいの?」
背を向けた俺へ、夏未の凛とした声が叩きつけられる。
「あの諦めの悪い連中と、もう一度サッカーがしたい。だから、この道を通っているのでしょう?」
「……放っておいてくれ!」
「放っておけば、貴方はそのまま逃げるでしょう」
「俺は逃げてなんかいない!」
「だったら、どうしてグラウンドへ下りないのかしら」
言葉に詰まった。
そうだ。
本当は、円堂たちと一緒にグラウンドを走りたい。
ボールを蹴りたい。
ゴールを決めたい。
もう一度、仲間と勝利を喜びたい。
だが、それを望むことは許されない。
夕香は今も、病室のベッドで眠り続けている。
俺の試合を応援するため、スタジアムへ向かう途中で事故に遭った。
それからずっと、あいつの時間は止まったままだ。
それなのに。
俺だけが何もなかったようにサッカーを楽しむなど、絶対にあってはならない。
俺がサッカーを封印したのは、夕香への償いだ。
そう自分へ言い聞かせ、心に巻きついた鎖を、改めて強く締め直す。
しかし――。
「サッカーを辞めることが、妹さんへの償いだと思っているの?」
夏未の声が、俺の背中へ鋭く突き刺さった。
「……何?」
「貴方が大好きなものを捨てて、一生苦しみ続ければ、妹さんは救われるのかしら」
「黙れ……!」
「貴方がサッカーをしている姿を、誰よりも楽しみにしていたのは、一体誰だったの?」
「――っ!」
俺の肩が、大きく跳ねた。
『お兄ちゃんのシュート、今日もすごかった!』
無邪気に笑う夕香の顔が、鮮明に脳裏へ蘇る。
俺の試合があるたび、誰よりも楽しみにしていた。
勝った日には、自分のことのように喜び、負けた日には、次は絶対に勝てると励ましてくれた。
夕香は、俺がサッカーをしている姿を、本当に楽しそうに見ていた。
そんな夕香が目を覚ました時。
自分の事故を理由に、俺がサッカーを辞めたと知ったら。
――夕香は、本当に喜ぶのか?
『お兄ちゃんのせいじゃないよ』
もしかしたら、そう言って泣くのではないか。
俺が苦しんだ時間を知って、自分を責めてしまうのではないか。
「……夕香」
掠れた声が、喉の奥から漏れた。
「苦しみ続けることと、償うことは違うわ」
夏未は一切目を逸らさず、俺を真っ直ぐに見据えている。
「貴方は妹さんへの罪悪感を理由に、サッカーから逃げているだけじゃなくて?」
「俺が……逃げている……?」
その言葉を否定しようとして、できなかった。
俺は夕香のためだと言いながら、サッカーを辞めることで、すべてを止めようとしていた。
夕香の事故。
決勝戦を前に病院へ走ったこと。
残してきた木戸川清修の仲間たち。
何もかもが怖くて、向き合うことから逃げていたのかもしれない。
昼休み、屋上で話した司場の姿が脳裏をよぎる。
あいつは夕香の事情を知っても、俺を責めなかった。
無理にサッカー部へ誘うこともしなかった。
ただ、最後まで俺の話から逃げずに聞いていた。
俺は、司場と円堂がどこか似ていると言った。
今なら、その理由が分かる。
性格も能力も、まるで違う。
それでも、あいつらは二人とも――俺自身が捨てようとしていたサッカーを、最後まで諦めなかった。
夏未の言葉を聞いた瞬間。
なぜか、あの頼りない男の顔が浮かんだ。
その時だった。
バァァァァァァンッッ!!!
眼下のグラウンドから、空気を切り裂くような鋭い破裂音が響き渡った。
「っ……!」
弾かれるように視線を落とす。
大きく枠を外れるかに見えたボールが、空中で鋭く軌道を変える。
横っ飛びした円堂の指先から逃げるように曲がり、ゴール右隅のネットへ深々と突き刺さった。
『染岡!! すげぇシュートだったな!!』
眼下のグラウンドから、円堂の弾んだ声が届く。
ゴールを奪われた本人だというのに、円堂は自分のことのように目を輝かせ、染岡のもとへ駆け寄っていった。
司場も、震える足で懸命に二人のもとへ歩いていく。
風丸も、半田も、一年生たちも。
練習を中断し、次々と染岡の周りへ集まっていった。
『す、すごいよ、染岡!』
『なんだよ、今の曲がり方!』
『もう一回やってくれよ!』
河川敷に、興奮した声と笑い声が広がっていく。
染岡も、最初は戸惑ったように仲間たちを見回していた。
だが、やがて堪えきれなくなったように、泥だらけの顔へ荒々しい笑みを浮かべた。
帝国学園に二十点も奪われたばかりだというのに。
身体中に傷を残し、圧倒的な実力差を見せつけられたというのに。
あいつらは、もう次の一歩を踏み出している。
上手いから笑っているわけじゃない。
勝ったから、楽しんでいるわけでもない。
ただ、仲間と一緒にサッカーができることを、心の底から喜んでいる。
夕日に照らされたその光景が、どうしようもなく眩しく見えた。
胸の奥が、強く締めつけられる。
羨ましい。
不意に浮かんだその感情を、俺は否定することができなかった。
俺も、あの中に入りたい。
円堂たちとボールを追いかけたい。
染岡と、どちらが多くゴールを決められるか競い合いたい。
司場たちと、くだらないことで笑い合いたい。
もう一度――仲間とサッカーをしたい。
夏未の言葉が、俺の心を縛っていた鎖へひびを入れた。
そして、仲間たちと笑い合う雷門の風景が――最後まで残っていた鎖を、静かに断ち切った。
(……ああ。そうか、やっと分かった......)
俺は、夕香への償いを理由に、ずっと認めることを拒んでいたんだ。
罪悪感が消えたわけではない。
夕香が眠り続けている事実も。
木戸川清修の仲間を残して決勝戦を去った過去も。
これから先、俺の中から消えることはないだろう。
だが、その痛みを理由に、自分を罰し続けることが償いだと思うのは、もうやめる。
夕香を本当に想うなら。
いつかあいつが目を覚ました時、胸を張って、夕香が誇れる兄でいなければならない。
そして何より。
もう、自分の本当の気持ちから逃げたくなかった。
『お兄ちゃんのサッカー、やっぱりかっこいいね』
もう一度、そう言ってもらうために。
仲間と一緒に、もう一度サッカーを楽しむために。
俺は、前へ進む。
「ふふっ……場寅、行ってちょうだい」
『承知いたしました、お嬢様』
運転席から、低く落ち着いた男の声が返る。
役目を終えたかのように、黒塗りの車が静かに走り出した。
遠ざかる車へ振り返ることなく、俺はグラウンドを見下ろす。
橋の上から眺めているだけでは、あの輪の中には入れない。
俺は自分の意思で一歩を踏み出し、土手へ続く階段を下りていった。
雷門の熱気が渦巻くグラウンドへ。
もう一度、自分がサッカーをする場所へ。
✤✤✤
「……豪炎寺!」
グラウンドへ降り立った俺に気づき、染岡が驚いたように目を見開いた。
笑い声が、次第に静まっていく。
円堂や司場たちも、次々と俺へ視線を向けてきた。
一瞬だけ、染岡と目が合う。
その瞳に宿っていたのは、先ほどまでの焦りでも、劣等感でもない。
俺へ真っ向から挑みかかる、一人のストライカーとしての剥き出しの闘志だった。
俺は染岡の右足へ視線を落とす。
あれだけ大きく曲げながら、ほとんど失速しないシュート。
まだ偶然に近い一撃だろう。
だが、自分の形として磨き上げれば、必ず強力な武器になる。
染岡もまた、俺の視線に気づいたのだろう。
挑発するように口元を歪め、俺から目を逸らさなかった。
俺は何も言わず、その横を通り過ぎる。
今ここで、言葉を交わす必要はない。
同じピッチに立てば、互いがどんなストライカーなのか、嫌でも分かる。
俺は、円堂と司場の前で足を止めた。
「豪炎寺……」
円堂が、期待と不安が入り交じった表情で俺を見つめている。
司場も、何かを言いたそうに口を開きかけては閉じていた。
「円堂、司場」
二人の名前を呼び、短く息を吸う。
「俺……やるよ」
「――っ!」
円堂の顔が、一気に明るくなる。
司場も、信じられないものを見るように、大きく目を見開いた。
「……いいの? 豪炎寺くん。夕香ちゃんのことは……」
司場が不安そうに尋ねてくる。
「罪悪感が消えたわけじゃない」
俺は正直に答えた。
「夕香が眠り続けていることも、木戸川の仲間を残したことも、忘れることはない」
自分が背負ってきたものから、目を逸らすつもりはない。
「だが、サッカーをしないことで夕香へ償った気になるのは、もうやめる」
「豪炎寺くん……」
「下を向いて立ち止まったままじゃ、夕香が悲しむからな」
司場が、ハッと息を呑む。
その表情を見て、俺は内心で僅かに口元を緩めた。
夏未の言葉を聞いた時、司場の顔が浮かんだ理由。
どうやら、夏未の言葉の向こうには、あのお節介な男がいたらしい。
俺は、その場にいる全員の顔を静かに見回した。
円堂。
司場。
染岡。
そして、帝国学園を前にしても、最後まで諦めなかった雷門の仲間たち。
橋の上から眺めていた、あの笑顔の輪。
今度は、自分の足でその中へ入る。
「雷門サッカー部に入る」
夕風が、グラウンドの土を静かに巻き上げる。
俺は誰からも目を逸らさず、はっきりと名乗った。
「豪炎寺修也だ。……よろしく頼む」
第19話fin