転生したら、超次元技が存在しない世界だった件! 作:スライみゅ
あの5歳の誕生日──この世界に転生してから約10年の月日が経った。
僕は十五歳になり、家から歩いて通える距離にある私立雷門高校へと進学した。
入学から二ヶ月。
朝は最低限の準備だけで登校し、退屈な授業を淡々と消化し、放課後は何をするでもなく帰宅する。
──そんな、ぬるま湯のような「日常」の中に僕はいた。
そして、その日常のどん詰まりで、僕はひとつの逃げようのない結論に辿り着いていた。
──物語の
そう確信したのは、入学して一週間も経たない頃だ。
理由はあまりにもシンプルで、残酷な算数だった。
神様は確かに言っていた。
「イナズマイレブン」とは、中学生の主人公が、弱小サッカー部を率いて全国一を目指す物語だと。
舞台は、中学校。
物語の賞味期限は、十二歳から十五歳の夏まで。
――つまり。
僕が雷門高校の校門をくぐった時点で、僕は物語の「登場人物」ですらなくなったのだ。
僕はもう、物語の舞台に上がる資格を失った、ただの普通の高校生に過ぎない。
✤✤✤
「はぁ......」
教室の窓から、陽炎の立つ校庭を眺める。
その事実を理解してしまった瞬間の、腹の底が冷たい水に浸かっていくような感覚を、今でも鮮明に覚えている。
この世界は、
五歳の誕生日に、必殺技がないと知ったあの日から何一つ変わっていない。
重力は厳然として存在し、人は空を飛ばず、ボールから炎は出ない。
それでも、僕はどこかで期待していた。
中学生になれば、「運命」という名の風が吹いて、僕を物語の激流へと連れ去ってくれるのではないかと。
だが、そんな甘い期待は叶わなかった。
「今度は逃げない」と誓った決意は、今や見る影もない。
部活動の活気に満ちた掛け声が聞こえてきても、足を止めることさえなくなった。
サッカーボールを見れば、古傷を隠すように無意識に視線を逸らしてしまう。
結局、僕はまた逃げたんだ。
「超次元じゃないから」「期待していた世界と違ったから」
そんな、自分を正当化するための卑怯な言い訳を盾にして。
結局のところ、僕は前世の時と何一つ変わっていない。
泥にまみれる勇気も、才能の差に絶望しながら食らいつく根性もない、ただの「ダメ葦」のままだ。
「……ほんと、心底、自分が嫌になる」
昼休みの喧騒。
誰にも届かない独白が、喉の奥で虚しく響いた。
✤✤✤
「なあ、知ってるか? 円堂 守ってやつ」
背後の席から、嘲笑のこもった声が聞こえてくる。
「またその話かよ」
「入学式の日に、サッカー部作るとか言い出した変な奴だろ?」
「部員いねぇから愛好会だろwww」
「諦め悪すぎだろ。マジでウケるわ www」
空気のように軽い嘲笑。彼らにとって、それは退屈な日常を埋めるための格好の「
──円堂
その苗字を耳にした瞬間、背筋に走る戦慄を必死に抑え込む。
『円堂大介』の名が脳裏をよぎり、毒を煽るような不快感と共に、それを無理やり塗りつぶした。
違う。関係ない。どうせ、ただの同姓の他人だ。
……そう、思うことにした。
そう思わなければ、自分の「逃げ」が、取り返しのつかない罪のように思えてしまったから。
✤✤✤
六時限目の体育が終わり、気づけば放課後。
夕暮れに染まった校舎は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。
僕は当然のように、クラスメイトから片付けと掃除当番を押し付けられていた。
「葦考! あとは頼んだ!」と、そんな無責任な言葉に、僕はただ力なく頷くだけ。
波風を立てず、透明な存在として、ただ時間が過ぎるのを待つ。
断る気力も、自分の時間を守る
これこそが、前世から続く「ダメ葦」の悪癖だ。
掃除を終えて教室に戻ると、すでに人影はなかった。
オレンジ色の夕陽が射し込む静かな教室。
僕は糸がプツリと切れたように、そのまま自分の机に突っ伏した。
教科書の紙の匂いと、微かなワックスの香り。
重たくなった瞼の裏で、僕は深い、深い眠りに落ちていった。
✤✤✤
「……ん……?」
目を覚ました時、窓の外はすっかり暗くなっていた。
窓の外はすっかり帳が下り、昼間の賑やかさが嘘のような静寂が校舎を包み込んでいる。
遠くで、冬に近い風が隙間を抜ける笛のような音を鳴らしていた。
「やば……もうこんな時間……!」
慌てて鞄を引っ掴む。
早く帰らなければ、母さんの小言という名の必殺技が炸裂してしまう。
僕は逃げるように、校舎を急ぎ足で出ていった。
✤✤✤
場所は変わり河川敷の土手の歩道。
深い闇に沈んだグラウンドの中に、一人、執拗にボールを蹴り続ける「影」があった。
パァン……ッ!!
バサッ……!!
規則的な、地面を叩く鈍い音。そして、ネットが震える乾いた音。
その影は何度も、何度も、闇に向かって挑み続けていた。
まるで、誰に見られていなくても、世界から見放されていても関係ないと言わんばかりに。
夜風が頬を撫でる。
葦考は誘引されるようにグラウンドに足を運んでいた。
グラウンド近くのベンチまでもう少しという所で──
視界いっぱいに、不規則な回転を伴う白黒の球体が迫る。
「えっ――」
鈍い衝撃。頬に走る熱い痛みと共に、視界が激しく揺れた。
「いってぇ……!」
「おーい! 大丈夫か!?」
慌てた声とともに、人影が駆け寄ってくる。
橙色のバンダナと無造作に跳ねた前髪が特徴の男。
「ごめん!暗くて 全然気づかなかった! キミ、大丈夫か?」
「う、うん……大丈夫……」
立ち上がろうとするが、膝が情けなく笑っている。
転生してから十年、運動という文字を辞書から消して生きてきた僕の身体は、たった一発のボールで悲鳴を上げていた。
「血、出てるぞ?」
「へ、平気だよ……」
自分でも驚くほど、素直な言葉だった。
取り繕う余裕すら、なかった。
「オレ、雷門高校1年の円堂 守。サッカー部……じゃなくて、今は愛好会でキャプテンやってるんだ!」
「……円堂、くん……」
噂で聞いた名前と、目の前の存在が、静かに重なる。
「僕は司場葦考。……円堂くんと同じ、雷門高校の1年生だよ......」
「そうか、オレと同じ雷門だったのか!
よろしくな、司場!」
差し出された手を反射的に握り返す。
思ったよりもずっと、熱く、分厚い手だった。
その手のひらには、無数の努力の証であるマメが、硬い節のように刻まれていた。
「……なんで、こんな所で練習してるの?」
気づけば、口が勝手に動いていた。
円堂は、きょとんとした顔をする。
「愛好会は正式な部活じゃないからな。
学校のグラウンドは使わせてもらえないんだ!」
本当に気にしていないような、あっけらかんとした口調。
「……なんで、そこまで頑張るの.......?
学校にサッカー部が無いから作るなんね普通じゃないよ。
明かりもない、誰も見てない。
そんな中で一人でボールを蹴って――それで、何になるの?」
言い終えてから、ハッとする。
これは円堂への問いじゃない。
「超次元じゃないなら意味がない」と決めつけて、逃げ続けてきた自分自身への、悲痛な問いかけだ。
「そんなの、決まってるだろ?
サッカーが、大好きだからさ!」
円堂は一瞬きょとんとした後、屈託なく笑った。
そして、一ミリの迷いもなく言い放った。
――それだけ。
あまりにも単純で、あまりにも純粋な答え。
それが、僕の心臓の奥底を、どんな必殺技よりも鋭く貫いた。
必殺技のない現実を知って、僕は絶望した。
自分の思い通りにならないからと、あの日の誓いを投げ出した。
けれど円堂は、同じ「
才能じゃない。環境でもない。
ただ、「好きだ」と言い切れるかどうか。
僕と円堂の差は、ただそれだけだったんだ。
「……っ」
十年間、ガチガチに固めていた心の氷が、音を立てて崩れ始めていく。
「……司場?」
「な、なに?」
「お願いがあるんだけどさ。
練習に付き合ってくれないか?」
「え......む、無理だよ!
やったことないし、運動音痴だし……役に立てないよ!」
「頼む!」
円堂の声が、真剣な色を帯びた。
「オレ、本当はGKなんだ。
誰かにシュートを打ってもらった方が練習になるんだよ!」
「……少しだけだからな」
「ありがとう!」
僕は円堂の熱量に負けた。
✤✤✤
二人は、照明の消えた無人のグラウンドに立っていた。
円堂はゴール前で腰を落とし、獲物を待つ獣のように構える。
対する僕は、震える手でペナルティマークにボールを置いた。
指先に触れる土の感触が、やけに生々しい。
一度、深く息を吸い込む。
心臓は早鐘を打ち、掌にはじっとりと嫌な汗が滲む。
膝の震えが止まらない。
怖い。
失敗するのが。
空振りして、笑われるのが。
また「ダメ葦」というレッテルを貼られるのが、たまらなく怖い。
「さぁ司場、サッカーやろうぜっ!!」
パンッ! と夜の静寂を切り裂く乾いた拍手の音。
円堂の笑顔は、この深い闇の中でさえ、眩いほどの光を放っていた。
僕は唾を飲み込み、震える声で告げた。
「……いくよ」
左足を軸に、渾身の力を込めて右足を振り抜く。
頭の中で「蹴る!」と叫びながら、ありったけの意志をボールにぶつけた。
だが――。
振り抜いた足が捉えたのは、ボールではなく、ただの空気だった。
ボールは置かれた場所から、1ミリも動くことなくそこに鎮座している。
「あ……」
声にならない絶望が漏れた。
やっぱりだ。
やっぱり、僕は生まれ変わっても、別の世界に来ても、救いようのないダメダメな「ダメ葦」なんだ。
奥歯が砕けるほど歯を食いしばる。
ただボールを蹴る。そんな子供でもできることが、僕には満足にできない。
自己嫌悪のドロリとした
期待してくれた円堂の顔が見られない。
笑われる。呆れられる。蔑まれる。
そう確信して俯いた僕に、信じられない言葉が降ってきた。
「良い振り抜きだったぞ、司場!」
「え……?」
顔を上げると、円堂は満面の笑みで親指を立てていた。
そこには、嘲笑も、義務的な励ましも、1ミリの濁りもなかった。
「当たらなかったけど、思い切りが良かった!
もう一回、やってみようぜ!」
そこには、嘲笑も呆れも、一切なかった。
ただ、純粋な期待だけがあった。
「う、うん......」
――今度こそ。
僕は袖で乱暴に涙を拭い、再び助走距離を確保した。
そうだよ。1度や2度の失敗がなんだ。
ここには僕を笑う奴も、馬鹿にする奴もいない。
ただ、真っ直ぐに自分を信じてくれる円堂がいるだけだ。
再び助走に入る。
先ほどよりも深く、静かな集中。
僕はもう一度、右足を振り抜いた。
――ドゴンッ!!
足の甲に伝わる、重く、確かな感触。
夜の静寂を切り裂く、乾いた爆鳴音。
ボールは真っ直ぐに空を裂き、円堂の真正面へと突き刺さる。
円堂は、その勢いを両手でガッチリと受け止めた。
「ナイスシュート!!
今の良かったぞ。もう一本、頼む!」
円堂がボールをこちらへ投げ返してくる。
それを合図に、僕たちの時間は加速した。
✤✤✤
もう一本。
もう一本。
もう一本。
一体、何度シュートを打っただろう。
何本入って、何本外れたかなんて、もうどうでもよかった。
ただ、僕がボールを蹴り、円堂がそれを拾い、また僕が蹴る。
気づけば、全身から汗が噴き出し、視界が白く滲むほどに息が上がっていた。
膝は笑い、足は鉛のように重い。
けれど――。
「はぁ……はぁ……ハハっ!」
荒い息の中で、気づけば、頬が緩んでいた。
十年間、いや、もしかしたら前世を含めて一度も感じなかった感覚。
楽しい。
心の底から、サッカーが楽しいと感じていた。
✤✤✤
気づいた時には、肺を焼くような「はぁ、はぁ」という荒い呼吸と共に、地面に大の字になって仰向けになっていた。
(も......もう、蹴れないや.......!)
初めてだ。
こんなに泥にまみれて、心臓が壊れそうなほど動いたのは。
全身を支配する強烈な倦怠感と、節々の痛み。
けれど、不思議とこみ上がる高揚感が、抑えられない。
自然と口角が上がり、暗い夜空を見つめたまま僕は笑っていた。
「司場!」
頭上から降ってきた円堂の声が、静まり返った夜空に快活に響く。
「楽しかったぜ!
お前のシュート、最後の1本が今まで受けたシュートの中で1番気持ちがこもってた!」
「気持ち……?」
「ああ!
“楽しい”って気持ちがボールにこもってて、凄いシュートになってたぞ!」
「すごい……僕が……?」
信じられなかった。
勉強もダメ。運動もダメ。
何をやっても「ダメ葦」と蔑まれ、自分でもそう思い込んできた。
そんな僕が撃った、ただの素人のシュートを、円堂は「すごい」と肯定してくれた。
「そうだよ! シュートをキャッチした時、手が痺れたぜ!」
「〜〜〜っ」
気づけば、視界が急激に滲んでいた。
涙が頬を伝う。
認められた。初めて、誰かに。
前世から今の人生に至るまで、ずっと欲しくてたまらなかった言葉。
それを、このバカみたいに真っ直ぐな男は、何でもないことのように、当たり前のように贈ってくれた。
「なに泣いてんだよ、司場。
そんなに凄いシュート打てたのが嬉しいのか?」
円堂の笑顔が、夜の闇の中で輝いていた。
「う……んっ!」
的を射ているようで、少しだけ的外れな彼の問いに、僕は必死に頷いた。
涙が止まらない。
けれど、これは悲しい涙じゃない。胸の奥に灯った小さな火が、あまりにも温かくて、嬉しくて、どうしようもなかったんだ。
「司場、楽しかったか?」
「……うん。楽しかった。スッゴイ、楽しかったぁ……!」
心の底からの本音だった。
「ニヒッ、そうだろ!
サッカーはさ、スッゲェ楽しいんだ!」
円堂がボールを小脇に抱え、僕の隣にどかっと座り込む。
そして、少しだけ真剣な眼差しをこちらに向けた。
「司場、良かったらさ、サッカー部に入ってくれよ」
「えっ……?」
「まだまだ人数足りなくて、愛好会止まりだけどさ、これからもっと人数増やして、いつか絶対にフットボールフロンティアに出場するんだ!」
「フットボールフロンティアって……?」
「高校サッカー日本一のチームを決める大会だよ。
オレは絶対にこの大会に出場して、優勝してみせる!」
円堂の瞳には、迷いも、自分を疑う陰りも一切なかった。
「そ、そんな凄い夢に僕なんかじゃ──」
「──お前がいいんだよ、司場!」
言いかけた言葉を、力強い声が遮る。
「お前のシュート、凄い気持ちの良いシュートだった。受けた瞬間、オレ思ったんだ。こいつと一緒にサッカーやりたいって!」
「......っ!」
「頼むよ、司場!」
円堂の手が、こちらに差し出される。
喉の奥が、熱くなった。
「いいの……? 僕、経験もないし、ルールも知らないんだよ?」
「今から知っていってくれればいいんだよ!」
「運動音痴だし、お荷物になるかもしれないのに……」
「そんなの関係ない!
サッカーが楽しいと思える気持ちがあれば、それで充分だ!」
円堂の声が、僕の魂を揺さぶる。
「司場、一緒にサッカーやろうぜっ!」
その一言が、心臓の奥底にある「臆病な僕」を撃ち抜いた。
もう、迷う必要なんてなかった。
「……うんっ!!」
僕は差し出されたその手を、壊れそうなほど強く握り返した。
そうか。ようやく気づいた。
僕はなりたかったんだ。
一つのものに全力を注げるくらい一途で、
自分を偽らず、何かに夢中になって、泥だらけになって笑える円堂みたいな強い男に──なりたかったんだ。
「これからよろしくな、司場!」
「うん、よろしく、円堂くん!」
二人の少年の声が、どこまでも澄み渡る夜空に響き渡る。
その
世界が、音を立てて動き出した。
錆びついて、ピクリとも動かなかった
ギィィ、と重厚な音を立てて、力強く回り始める。
──こうして、司場葦考の