転生したら、必殺技が存在しない世界だった件! 作:スライみゅ
【葦考side】
「……ひぃぃっ!? なんだよここ、不気味にも程があるだろ!!」
僕たちは今、尾刈斗高校の校門前に立っていた。
ツタに覆われたレンガ造りの門柱。
赤茶色に錆びた鉄柵。
その奥には、古びた洋館のような校舎が、夕暮れの空を覆い隠すようにそびえ立っている。
湿った風が吹くたび、錆びた鉄と濡れた土の匂いが鼻を突いた。
「や、やっぱり帰らない? ほら、僕たち見学の許可も取ってないわけだし……!」
「ここまで来て何を言ってるんですか!」
隣に立つ春奈が、声を潜めながら僕を睨む。
もっとも、その顔からも、いつもの明るい笑顔は消えていた。
校舎を見上げる瞳は僅かに揺れ、固く結ばれた唇も小さく震えている。
……やっぱり、春奈も怖いんじゃないか。
「正門から入るわけじゃありません。学校の外周を回れば、グラウンド裏の使われていない搬入口へ出られるはずです」
「それ、不法侵入する人の台詞だよね!?」
「偵察です!」
「言い換えても駄目なものは駄目だよぉぉ……!」
僕の抗議を聞き流し、春奈は事前に用意した校内図を手に歩き始める。
今回行われる練習試合は非公開。
春奈が元新聞部の伝手を使って手に入れたのは、試合の日時と場所だけだ。
僕たちが来ることは、尾刈斗高校にも対戦校にも伝わっていない。
つまり、見つかれば確実に追い出される。
「早くしてください、センパイ!」
「あ、待ってよぉぉ……!」
僕は泣きそうになりながら、春奈の背中を追いかけた。
✤✤✤
「ああもうっ! センパイが駄々をこねたうえに、道まで間違えるから、もう後半じゃないですか!」
「だ、だって、同じような古い建物ばっかりだったんだもん……!」
僕たちはグラウンド脇にある、古びた用具倉庫の陰へ身を隠していた。
搬入口から忍び込んだまではよかったものの、薄暗い校舎裏で道に迷い、危うく用務員らしき男性と鉢合わせしかけた。
ようやくグラウンドへ辿り着いた時には、40分ハーフの試合は後半25分を過ぎていた。
スコアは、0対2。
負けているのは尾刈斗高校だ。
「センパイ、頭が出ています。もっとこっちへ」
「これ以上は無理だって……!」
「見つかったら全部台無しですよ!」
春奈に制服の袖を引かれ、僕は用具倉庫と低木の間にできた狭い隙間へ身体を押し込んだ。
肩と肩がぶつかる。
「ち、近くない……?」
「し、仕方ないですよ! 隠れて撮影するんですから」
春奈は小型のビデオカメラを構え、茂みの隙間からグラウンドへ向けた。
僕も身を屈め、試合へ目を凝らす。
グラウンドから聞こえてくるのは、スパイクが土を蹴る音。
選手たちの荒い息遣い。
ボールを呼ぶ声。
そこには、拍子抜けするほど普通のサッカーが広がっていた。
対戦校は、体格と走力を生かして前線から激しくプレスをかけている。
ボールを奪えば素早くサイドへ展開し、尾刈斗の守備陣を自陣へ押し込んでいた。
対する尾刈斗は、ボールを奪っても前線へつなげない。
中央の背番号9の選手へボールを集めようとしているようだが、相手の寄せが速く、途中で何度も奪い返されていた。
「なんというか……普通ですね」
「う、うん。噂にあった突風も、足が動かなくなる現象も起きない」
春奈が小声で尋ねてくる。
「尾刈斗は、ここから逆転できるでしょうか?」
「うーん......不可能じゃないだろうけど、かなり厳しいよ。残り15分くらいで2点差だし、尾刈斗は攻撃の形を作れてない」
そう答えながら、僕は眉をひそめた。
「でも……変だな」
「何がです?」
「尾刈斗の選手たち、全然焦ってない」
2点差で負けているのに、無理に攻めようとしない。
まるで、いつでも試合をひっくり返せると分かっているかのように、不気味な薄笑いを浮かべていた。
「確かに、余裕がありすぎますね……」
春奈の声が、すぐ隣から聞こえる。
ふと横を向くと、春奈と目が合った。
「……っ!」
春奈の動きが、ぴたりと止まる。
「どうしたの?」
「な、なな何でもありません!」
春奈は慌ててカメラへ顔を戻した。
けれど、その頬は薄暗い物陰でも分かるほど赤くなっている。
【春奈side】
近い。
最初から分かっていたはずなのに、改めて意識した途端、胸の鼓動が速くなった。
すぐ隣にあるセンパイの横顔。
いつもは頼りなく見えるのに、試合を見つめる瞳は思いのほか真剣だった。
センパイがさらに身を屈めると、僅かに緩んだ襟元から、首筋と鎖骨が覗いた。
私の視線は、思わずそこへ吸い寄せられた。
細身でひ弱そうに見えても、やっぱり男の子なのだと、妙に意識してしまった。
「春奈、大丈夫か? 顔赤いぞ?」
「――っ!」
センパイが、不思議そうに私の顔を覗き込んでいた。
「暑いの? それとも具合悪い?」
「ち、違います! ここが狭くて、空気が籠もってるだけです!」
「ここ外だよ?」
「低木が多いからです!」
「そういうものなのか?」
「そういうものなんです!」
強引に言い切ると、センパイは素直に頷いた。
「そっか。頭の良い春奈が言うならそうなんだろうね」
センパイは何事もなかったように、再び試合へ視線を戻した。
自分で言っていて苦しい言い分を疑いもせずに納得したセンパイが、少し心配になった。
私も撮影へ集中しなければならない。
そう思うのに。
もう一度だけ、センパイの横顔へ視線を向けてしまう。
その時だった。
『な、なんだこれ!!?』
グラウンドから、悲鳴にも似た絶叫が響き渡った。
「えっ!?」
「何だ!?」
浮ついていた頭が、一瞬で冷えた。
私は弾かれたように、カメラをグラウンドへ向けた。
✤✤✤
【葦考side】
尾刈斗の背番号9の選手が、中央でボールを受けていた。
対戦校の中盤と最終ラインが、いっせいに距離を詰める。
だが次の瞬間。
相手選手たちの足が、一斉に止まった。
『う、動けねぇ……!』
『足が……地面に張りついたみたいに、動かない!!』
対戦校の選手たちは顔を恐怖に歪め、必死に身体へ力を込めている。
上半身は震えている。
腕も僅かに動いている。
それなのに、両足だけが地面へ縫いつけられたように動かない。
「な、何あれ……?」
「噂は、本当だったということですか……」
対する尾刈斗の選手たちは、驚く様子すら見せなかった。
不気味な笑みを浮かべたまま、動けなくなった相手の間をゆっくりと進んでいく。
尾刈斗の選手がペナルティーエリアへ入り、硬直したゴールキーパーの脇へ、嘲笑うようにボールを転がした。
コロコロとゴールラインを越えた直後。
『うわっ!?』
見えない糸が切れたように、対戦校の選手たちが一斉に崩れ落ちた。
尻もちをつく者。
膝へ手を置き、荒い呼吸を繰り返す者。
本当に動くのかを確かめるように、何度も足踏みする者。
硬直していたのは、僅か数秒だった。
『今、全員の足が動かなかったんだ!』
『絶対に何かされた!』
対戦校の選手たちは審判へ詰め寄った。
けれど、尾刈斗の選手は誰にも触れていない。反則と判断できるものは何もなく、審判は戸惑いながらも試合再開の笛を吹いた。
冷たいものが、僕の背筋をすっと走った。
こんな超常的な必殺技は、この世界には存在しないはずだ。
炎を纏った必殺シュートも……。
ゴールを守る巨大な手も……。
そのどれもが存在しない世界だと、僕はとうに分かっていたはずなのに。
なのに、今。
僕たちの目の前で、誰にも触れられていない選手たちの足が、本当に止まった。
その後も同じ光景が繰り返された。
尾刈斗が攻撃へ転じるたび、対戦校の選手たちの足が止まる。
そして、その隙を突いて、尾刈斗は2点目、3点目を奪った。
スコアは、3対2。
尾刈斗高校が、土壇場で試合をひっくり返した。
✤✤✤
ピーッ、ピーッ、ピーーーッ!!
試合終了を告げるホイッスルが、夕暮れのグラウンドへ響き渡った。
「……終わった」
僕は用具倉庫の陰から、呆然とスコアボードを見つめていた。
数字だけなら、一点差の接戦。
けれど、中身は異常だった。
尾刈斗は、相手選手の足が突然動かなくなった、ほんの僅かな隙だけで三点を奪った。
試合を終えた尾刈斗の選手たちは、ほとんど息を切らしていない。
まるで、こうなることが最初から分かっていたかのように、涼しい顔をしている。
対する敗れた選手たちは、グラウンドへ座り込み、自分の足を何度もさすっていた。
「春奈。見つかる前に出よう」
「……はい」
僕たちは身を低くし、来た道を引き返した。
✤✤✤
すっかり陽が落ち、辺りは夜の闇に包まれていた。
僕と春奈は、街灯の下を並んで歩いていた。
春奈は手元のビデオカメラで、相手選手たちの動きが止まった場面を何度も見返していた。
再生して。
巻き戻して。
今度は速度を落として、もう一度。
「……撮影は、できました」
春奈はカメラのモニターを閉じ、それを胸へ抱きしめた。
「相手選手の動きが止まった場面も、ちゃんと映っています。でも……何度見返しても、分からないんです」
「うん……」
「尾刈斗の選手は、誰にも触れていませんでした。何か特別な動きをしたようにも見えない。いつ、何をきっかけに相手の足が止まったのかも……」
春奈の声が、次第に小さくなっていく。
「これじゃあ、みなさんに対策につながる情報を何も持って帰れません……」
「春奈……」
「せっかく偵察に来たのに、分かったのは、本当に相手の動きを止められるってことだけ」
「……」
「動きを止める条件も、避ける方法も分からない。こんなんじゃ、みなさんの役に立てるとは……」
カメラを抱く春奈の指先が、小さく震えていた。
その瞳に浮かんでいるのは、怪奇現象そのものへの恐怖だけじゃない。
自分から偵察を申し出たのに、肝心な情報を何一つ掴めなかったことへの悔しさだった。
このまま何も分からないまま試合を迎え、雷門が負けてしまうかもしれないという不安。
そして、その敗北によって──
雷門がフットボールフロンティアへ出場する道も。
春奈が、兄である鬼道有人と再び向き合うための道も。
すべてが閉ざされてしまうかもしれない。
「ごめんなさい、センパイ。何の役にも立てなくて......」
俯いた春奈が、絞り出すように呟いた。
その言葉を聞いた瞬間、僕の脳裏に河川敷で交わした約束が蘇る。
春奈を、鬼道の目の前まで連れていく。
そう約束したのは、僕だ。
「……だ、大丈夫だよ!」
「センパイ……?」
「春奈は、ちゃんと役に立ってるよ」
僕は足を止め、春奈へ向き直った。
「今日試合があることを教えてくれたのも、映像を撮れたのも、全部春奈のおかげだろ」
「でも、呪いの原因は何も……」
「今は分からなくても、映像があれば何度でも見直せるよ!」
僕は震える拳を、ぎゅっと握り締めた。
「僕と春奈の2人じゃ気づけなくても、サッカー部のみんなと一緒に考えれば、きっと何か見つかるって!」
「……」
「だから、自分を責めなくていいよ。これは春奈と尾刈斗の勝負じゃない。雷門サッカー部と尾刈斗の戦いなんだからさ!」
春奈が、ハッとしたように目を見開く。
「尾刈斗に勝って、フットボールフロンティアへ出る。春奈をお兄さんの前まで連れていくって約束は、何も変わってないから」
「センパイ……」
強張っていた春奈の肩から、少しだけ力が抜けた。
「……はい」
小さいけれど、確かな声だった。
「みなさんを、信じます」
「うん」
僕も胸を撫で下ろし、再び歩き始める。
(まあ、明日円堂に映像を見せたら……)
脳裏に、あの熱すぎる親友の顔が浮かぶ。
『呪いだろうが何だろうが、気合いで吹き飛ばせばいいんだ! なんとかなるさ!』
……絶対に言う。
でも、円堂がそう言って笑う姿を思い浮かべると、不思議と本当に何とかなるような気がしてきた。
きっと明日、みんなでこの映像を見れば、僕たち二人では気づけなかった何かが見つかる。
呪いの正体も。
それを破る方法も。
まだ何一つ分かっていない。
それでも今は、きっと何とかなると信じたかった。
僕たちは並んで、夜の帰路を歩いていった。
第21話fin