転生したら、必殺技が存在しない世界だった件!   作:スライみゅ

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第24話 呪縛の戦術──ゴーストロック

 

 

 

【葦考side】

 

 

べっとりと張り付くような地木流監督のあの笑みが、どうしても僕の頭から離れてくれなかった。

 

 

試合開始早々、1点を先制した。

本来なら、相手は焦りや苛立ちを露わにするはずだ。

それなのに、尾刈斗の選手たちは誰一人として俯くことなく、不気味なほど整然とセンターサークルへ戻っていく。

 

 

先制点を奪われたというのに、彼らの青白い顔には、試合開始前と変わらない薄ら笑いがへばりついていた。

何故か、背筋を這い上がるような悪寒が止まらない。

 

 

「司場! そろそろ戻るぞ!」

 

「あっ、う、うん!」

 

 

風丸の声でハッと我に返り、僕は慌てて自分のポジションである左サイドハーフの位置へ駆け戻った。

 

 

ピィィィーーッ!

 

 

主審の笛が鳴り、尾刈斗ボールで試合が再開される。

僕らが一点をリードした状況。

けれど、彼らの戦い方は、失点する前と何一つ変わっていなかった。

 

 

最終ラインで右へ。

そこから左へ。

僕たちがプレッシャーをかけようと距離を詰めれば、後ろへ戻し、こちらの足が止まれば、じわじわと縦へ運ぶ。

まるで、ボールを奪われないことが第一で、点を取ることは二の次のような、そんな執拗なボール回しだった。

 

 

「司場、マックス! パスコースを切りながらプレスしろ! それで奪ったら俺に寄越せ! もう一発、俺がシュートをぶち込んでやる!!」

 

 

先制点を奪って完全に勢いに乗っている染岡が、猟犬のように猛然と相手を追い回す。

僕も、マックスくんも、染岡のプレッシングに合わせて前線へ飛び出した。

だけど、追っても追っても、あと一歩のところでボールに触れられない。

つま先が届くと思った瞬間には、ボールはもう別の紫色のユニフォームの足元へ転がっている。

 

 

それでも、前半終了のホイッスルが近づいた頃だった。

尾刈斗の中盤が出した横パスが、ほんの数十センチ、芝に引っかかってずれた。

その僅かな綻びを、半田が見逃さなかった。

 

 

「いただき! 豪炎寺っ!!」

 

 

半田がインターセプトで奪い取ったボールは、中央の豪炎寺くんへ通った。

 

 

「......っ!」

 

 

豪炎寺くんがボールを受けた瞬間、尾刈斗の左CB屍藤美と左CMF 八墓祟の二人が、まるで磁石に吸い寄せられるように背後から激しく身体をぶつけてきた。

 

 

――おかしい。

 

 

僕は尾刈斗の選手達に違和感を覚えた。

染岡が先制点を奪った後だというのに。

尾刈斗の守備陣の意識は、染岡よりも、まだ目立った動きを見せていない豪炎寺くんに偏っていた。

 

 

「豪炎寺、戻せ!」

 

 

ディフェンス二人に完全に挟み込まれる寸前、豪炎寺くんは無理に前を向こうとはしなかった。

涼しい顔のまま、足裏でボールを引いて半田へリターンパスを送る。

その一瞬のタメが、中央やや左側に小さなスペースを生み出した。

 

 

「っ! ーー行けっ! 染岡!!」

 

半田は空いたスペースにスルーパスをする。

そこには、尾刈斗の右CB不乱拳の死角に入りながら、染岡が裏に抜けていた。

 

 

「へっ! ガラ空きだぜ!」

 

 

尾刈斗のGKと完全な一対一。

染岡は半田のパスをトラップすることなく右足を振り抜いた。

 

 

コロコロコロッ!!

 

 

一点目の時とは違い、相手GKの逆を突く、低く抑えたコントロールシュート。

スピードよりも確実性を選んだ堅実なシュートだった。

 

 

ボールは尾刈斗GK 鉈 十三の手が届かないコースを緩やかに曲がり、ゴール右下の隅へ吸い込まれてネットを揺らした。

 

 

『ゴォォォールッ!! 染岡竜吾、本日二点目! 雷門高校、前半のうちにリードを二点へ広げました!!』

 

 

「っしゃあああああっ!! 見たかァ!!」

 

 

染岡の野性味あふれる雄叫びが、観客席からの割れんばかりの歓声と入り混じる。

僕も思わず両腕を天に突き上げて喜んだ。

二点目だ。

これで尾刈斗も1点目を入れられた時のような平常心ではいられないはずだ。

そう思い、僕は祈るような気持ちで地木流監督の方へ視線を走らせた。

 

 

「――っ」

 

 

息が、止まりそうになった。

地木流監督は、笑っていた。

一点目を奪われた時と全く同じだった。

全く同じ、腕を組んだ姿勢のまま。ただ、その血の気のない青白い口元に浮かんだ三日月型の笑みだけが、先ほどよりも僅かに深く、おぞましく刻まれていた。

まるで、「二点取られることさえも、俺の書いた脚本通りだ」とでも言わんばかりに。

 

 

ピッチ上の尾刈斗の選手たちも同じだった。

誰一人として悔しそうな顔をしていない。

舌打ち一つ聞こえない。

センターサークルへ戻る足取りさえ、軽快で、試合開始直後と全く同じリズムだった。

 

 

(やっぱり、なんか変だ……)

 

 

ピッピッピーーッッ!!

 

 

やがて、前半終了を告げる甲高い笛が鳴り響いた。

二対〇。

スコアボードの数字だけを見れば、僕たちの完勝ペースだ。

けれど、地木流監督のあの笑顔が、僕の胃の腑の底へ、黒いコールタールのような染みとなってべっとりとこびりついていた。

 

 

✤✤✤

 

 

長い前半を終え、僕たち雷門イレブンは、グラウンドの隅にある掘っ建て小屋のような部室へ次々と入った。

空は鉛のように分厚い雲に覆われている。

それでも、湿気をたっぷり吸い込んだトタン屋根の下はサウナのように蒸し暑く、男たちの汗と土埃、そして湿った芝生の匂いが狭い室内へむっと籠もっていた。

 

 

「プハァーーッ! 生き返るぜ!」

 

 

染岡は錆びて軋むパイプ椅子へ乱暴に身体を投げ出すと、スポーツドリンクのボトルを逆さにし、一気に喉の奥へ流し込んだ。

ゴクゴクと力強く喉仏を上下させる音が、静かな部室に響く。

 

 

前半で奪った二つのゴールは、どちらも染岡の右足から生まれたものだ。

肩で荒く息をしながらも、その野暮ったい顔には隠し切れない充実感と、ストライカーとしての強烈な自負が浮かんでいた。

 

 

「ナイスシュートだったぞ、染岡! 後半もその調子で頼むぜ!」

 

「おうよ! 任せとけ円堂。このまま俺が三点目もぶち込んで、アイツらに引導を渡してやる!」

 

 

円堂が泥だらけの手で染岡の肩をバンバンと叩き、染岡も力強く自分の胸をドンドンと叩き返す。

 

 

「守りもバッチリだったぞ! なあ、半田!」

 

「まあな。前線からしっかりコースを限定して、後ろで絡め取る。うちの守備、結構ハマってたんじゃないか?」

 

「噂の割には、案外大したことなかったね~。このまま無失点でいけるんじゃない?」

 

 

マックスくんも、いつもの飄々とした調子で笑う。

勝利を疑わない明るい熱気が、部室の中へじんわりと広がっていく。

僕は円堂から手渡された、水滴の滴る冷たいボトルを両手でギュッと握り締めた。

掌は氷のように冷えているのに、胸の奥で警鐘を鳴らし続ける嫌な感覚は、どうしても消え去ってくれない。

 

 

「ねえ、円堂……」

 

「ん? どうした、葦考。どっか痛めたか?」

 

 

円堂が、屈託のない瞳で僕を見つめ返す。

 

 

「……尾刈斗高校、何か変じゃなかった?」

 

「変って、何がだ?」

 

 

円堂が不思議そうに首を傾げた。

 

 

「染岡が一点目を決めた時……いや、一点目だけじゃない。二点目を取った時も、向こうの監督が笑ってたんだ......」

 

「尾刈斗の監督が?」

 

「うん。でも、監督だけじゃないんだ。選手達も、前半で二点もリードされたのに、全然焦ってなかった」

 

 

僕は自分の太腿へ手を置いた。パイプ椅子に座っている今この瞬間も、筋肉の奥底へ重たい鉛を流し込まれたような疲労が、じんじんと脈打つように残っている。

 

 

「前半、尾刈斗は点を取り返そうとしてるようには見えなかった。ただただ、点差を付けられないように、ボールを回してた。時間を使ってたような気がするんだ」

 

「でも、二対〇で勝って前半終わったんでやんすよ? 気にしすぎでやんす」

 

「そうッス! 司場先輩の考えすぎッス。俺たちの守備が完璧だったってことッスよ!」

 

 

栗松くんと壁山くんが顔を見合わせ、楽観的な声を上げる。

 

 

「それに……2得点した染岡にはマークを強めもしないのに、最後まで豪炎寺くんへのマークだけは全く緩めなかった。

それどころか、豪炎寺くんが一歩動けば、まるで守備陣全体がそれに合わせて動いてる......まるで──」

 

「――俺にボールを触らせない守備だった」

 

 

壁際の暗がりから、ひときわ低く、冷ややかな声が飛んだ。首へ白いタオルを掛けていた豪炎寺くんが、鋭い視線をゆっくりと上げる。

 

 

「司場の感覚は正しい。このまま前半と同じように、闇雲にボールを追い続ければ、俺たちは負ける」

 

「なんだって!?」

 

 

円堂が弾かれたように振り返った。

 

 

「どういうことだよ、豪炎寺。俺たちは二点もリードしてるんだぞ! 今の調子なら絶対勝てるって!」

 

「忘れたのか円堂。俺たちは昨日、ビデオで見ている」 

 

「ビデオ?」

 

 

疑問符を浮かべる円堂。

その疑問に答えるように、部室の入り口に立っていた春奈が、胸の前で大切そうにビデオカメラを抱き締めたまま、小さな身体いっぱいに声を張り上げた。 

 

 

「そうです! 皆さん、思い出してください!

昨日、私と葦考センパイが撮ってきた尾刈斗の練習試合を! 相手選手たちが急に動けなくなるところを!」 

 

 

さっきまで部室を満たしていた「2点リード」という浮かれた熱気が、一瞬にして冷水を浴びせられたように凍りついた。

 

 

昨日、僕と春奈が尾刈斗高校の練習試合を陰から撮影してきた映像。

何度も何度も部室の小さなテレビ画面で見返したあの不気味な光景が、全員の脳裏へと嫌な生々しさをもってフラッシュバックする。 

 

 

誰にも触れられていない。

それなのに、まるで両足の裏を太い釘で地面へ打ち付けられたように、一歩も動けなくなる相手選手たち。

その動けない泥人形のような選手たちの間を、幽鬼のように悠々と進み、あっという間に三点を奪い逆転勝利した尾刈斗高校。 

 

 

「そうだ。尾刈斗はまだ、『呪い』を使っていない……」 

 

 

豪炎寺くんの低く重い言葉に、部室の誰かがゴクリと生唾を飲み込む音がはっきりと聞こえた。

パイプ椅子に座る壁山くんや栗松くんの身体が、怯えで小さく震えている。 

 

 

「へっ。随分と弱気じゃねぇか、天才ストライカー様よぉ」 

 

 

沈みかけた空気を強引に蹴散らすように、染岡がパイプ椅子をガタンと激しく鳴らして立ち上がった。 

 

 

「尾刈斗が後半に何をしてこようが、最後に勝ちゃいいんだろうが! 後半もバンバン点を取りゃいい。単純な話じゃねぇか!!」 

 

 

染岡の太い声が、狭い部室の壁に反響する。汗ばんだユニフォームの胸元を激しく上下させ、ギラギラとした鋭い視線で豪炎寺くんを射抜いていた。

前半で叩き込んだ二つのゴール——自分の力で掴み取ったリードだという自負が、彼の全身から猛烈な熱量となって噴き出している。

だが、その威勢の良さの裏側には、ぬぐいきれない焦りと劣等感が透けて見えていた。 

 

 

「それとも何か? 自分が一点も取れてねぇからって、俺の得点は『相手の思惑通り』で片づけるつもりじゃねぇだろうなぁ!?」 

 

「染岡! 豪炎寺は、別にお前のゴールにケチをつけてるんじゃないって。何でもかんでも豪炎寺に噛み付くなよ!!?」 

 

 

半田が慌てて二人の間へ割って入った。 

 

 

「フンッ……」 

 

 

染岡は半田の肩越しに、豪炎寺くんを真っ直ぐ睨みつける。 

得意げな言葉とは裏腹に、その声の奥には、前半で奪った二得点を否定させまいとする剥き出しの意地が滲んでいた。 

 

「……お前の得点を否定しているわけじゃない。だが、尾刈斗は二点差をつけられても、まだ一度も『呪い』を使ってきていない。奴らには焦る素振りもない。……だから気を抜くなと言ってるんだ」

 

豪炎寺くんは、窓の向こうに見える尾刈斗のベンチを、射抜くような眼差しで睨みつけた。 

 

 

「よーし! そこまでだ!」 

 

 

パンッ! と部室に乾いた破裂音が響いた。

キーパーグローブを嵌めた両手を、キャプテンの円堂が思い切り打ち鳴らしたのだ。その力強い音ひとつで、部屋に満ちていた刺々しい摩擦が一瞬にして弾け飛ぶ。

円堂はグローブをはめた両手を腰に当てると、ニカッと太陽のような笑みを浮かべて二人の間に立った。

 

 

「二人とも、そのへんにしとけって!

染岡、お前のあの2ゴール、マジで痺れたぜ! お前の特訓の成果、バッチリ出てたな。今オレたちがリードして後半を迎えられるのは、間違いなくお前のおかげだぞ!」

 

「……チッ。分かったよ……」

 

円堂の裏表のない真っ直ぐな称賛に、染岡は気まずそうに顔を背けたが、その肩からはすっと刺々しい力みが抜けていた。

「お前の力だ」とキャプテンに真正面から認められたことで、彼の中の焦りが薄れて行くのが分かった。

円堂はウンと力強く頷くと、今度は豪炎寺くん、そして部室にいる全員の顔を一人ひとり、包み込むような強い眼差しで見回した。

 

 

「でもな、豪炎寺の言うことも一理ある。

相手は油断出来ない。それに、アイツらだってサッカープレイヤーなんだ。このまま黙って引き下がるような連中じゃない筈だ」

 

 

ゴクリ、と誰かが生唾を飲み込む音がした。

壁山や栗松の顔に、再びキュッと緊張の色が戻る。

円堂の言葉は、チームの空気を冷やしすぎず、熱しすぎない絶妙な温度に保っていた。

 

 

「だからって、ビビる必要なんかないぞ!

相手がどんな罠を張ってこようが、オレたちはオレたちのサッカーを全力でぶつけるだけだ!」

 

 

円堂はグローブをはめた右拳を、自分の左胸のエンブレムにドンッと力強く叩きつけた。

 

 

「染岡は後半もガンガン攻めろよ! 豪炎寺も隙を突いてどんどん点を狙って行ってくれ!

お前ら二人が前を向いてる限り、オレたちの攻撃は絶対に止まらないんだからな!

そして——後ろのゴールは、オレたちで絶対に守り抜くぞ。ディフェンス陣!」

 

 

その言葉には、一切の迷いも飾りの言葉もなかった。

ただ純粋で、どこまでも愚直な「サッカーへの熱」と、仲間への絶対的な信頼だけがこもっている。

 

 

「後半も全員で声を出し合って、最後まで走り抜くぞ! いいな!!」

 

「「「おおおおおっ!!!」」」

 

 

円堂の叫びに呼応して、部員たちの腹の底から太い返事が爆発した。

不安も、焦りも、ライバル心も、すべてが「勝利への渇望」という一つの巨大な炎に束ねられていく。

落ちかけていたチームの気が、円堂という絶対的な太陽の光を受けて一気に跳ね上がったのだ。

 

 

「さぁ、後半戦だ! グラウンドへ行くぞ!!」

 

 

円堂が先陣を切って部室の重い鉄扉を押し開けた。

途端に、白く眩しい曇天の光と、乾いた土の匂いがドッと押し寄せてくる。

僕は結び直したスパイクの紐を一度手で叩き、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

正直、胸の中の不安感は消えていない。

さっきまで少し怖くて足が震えてた。

実際、呪いに直面したらどうすればいいのか、対処方法なんて何も無いんだから。

だけど——先頭を走る円堂の背中と、隣で気合いを入れ直す染岡や豪炎寺くんの背中を見ていると、不思議と足の震えは収まっていた。

 

 

「よし、行くぞっ!」

 

 

僕たちは、決戦の待つ後半戦のピッチへと足を踏み出した。

 

 

✤✤✤

 

 

『さあ、運命の後半戦、いま開幕のホイッスルを待つばかりとなりました!

前半を終えて2対0! 誰もが予想だにしなかったこの展開、雷門高校が尾刈斗高校を相手に、堂々2点ものリードを奪ってハーフタイムを折り返しております!

このまま勢いに乗る雷門が尾刈斗を完全に突き放してしまうのか!?

それとも、尾刈斗高校が怒涛の反撃を見せるのか!?』

 

 

ピィィィーーッ!!

 

 

後半開始を告げるホイッスルが、重たい雲を切り裂くようにグラウンドへ鳴り響いた。

尾刈斗ボールでのキックオフ。

 

 

「みんな、後半も立ち上がりからガンガン行くぞ!」

 

「「「おう!!」」」

 

 

円堂の声に背中を押され、僕たちは一斉にラインを押し上げた。

だが、尾刈斗はすぐに前線へボールを運んでこない。

横パス、バックパス、足裏を使った細かな方向転換。

そこまでは前半の嫌らしいボール回しと同じだった。

けれど、明らかに一つだけ、質の違う動きが混ざり始めている。

 

 

パスを出した選手が、その場に留まらない。

右サイドから斜めに切れ込む影。

弾き出されるように逆サイドへ流れる影。

ぽっかりと空いたスペースへ、後方から寸分違わぬスピードで別の影が滑り込んでくる。

紫色のユニフォームが、時計回りに、あるいは反時計回りに――フィールドの上に、グルグルと幾何学模様を描き出していた。

 

 

「司場、そいつを離すな! ついていけ!」

 

「う、うん!」

 

 

目の前を横切った選手を、荒い呼吸のまま追いすがる。

外へ開くフェイント、急ブレーキ、そこからのカットイン。

加速した直後に、あざ笑うような急減速。

意図の見えない緩急に無理やり体を合わせるたび、限界の近い太腿とふくらはぎが鉛のように軋み、焼けるような痛みが全身を駆け巡る。

 

 

「くそっ、今度は誰を見ればいいんだ!? マークがズレる!」

 

 

半田の叫び声にも、明らかな焦燥感が混じっていた。

尾刈斗の陣形が崩れているわけじゃない。

誰かが意図的に空けたスペースへ、必ず別の誰かが、寸分の狂いもなく入り込んでくる。

それを、何度も何度も、狂気を孕んだメトロノームのように正確に繰り返していた。

 

 

コツッ。コツッ。コツッ。

 

 

ボールを蹴る、乾いた音。

土を抉る、スパイクの音。

視界の中を右から左へ、左から右へと横切り続ける、紫色の人影。

気づけば、僕の呼吸はずっと浅く、異常なほど速くなっていた。

視界が歪み、グラウンドごとグルグルと回されているような強烈な目眩に襲われる。

その時だった。

 

 

『マ~レ……マ~レ……』

 

 

湿った風に混じって、どこからともなく地を這うような低い声が、直接意識を撫でるように響いた。

 

 

(……何? 今の声……)

 

 

『マ~レ……マ~レ……』

 

 

その声は、ピッチ全体へ不気味なリズムを行き渡らせていく。

その声の調子に合わせるように、それまで複雑に交錯していた尾刈斗の選手たちの動きが、さらに一段階、ピタリと揃った。

 

 

右へ。

左へ。

もう一度、右へ。

 

 

僕たちの視線が、無意識のうちに、その規則的な紫色の動きに引っ張られる。

意識のすべてが、彼らの動きを追うことだけで塗りつぶされていく。

そして、最終的にボールが、ピッチの中央に立つキャプテンの幽谷の足元へピタリと集められた。

 

 

「あいつだ! 幽谷(10番)を止めろ!」

 

 

誰かの悲鳴のような叫びと同時に、雷門の選手全員の視線が、ボールを持った幽谷一人へ、文字通り釘付けになった。

 

 

『マレト、マレッ!!!』

 

 

どこからともなく響いた最後の囁きが、僕の耳の奥へ、冷たい蛇のように滑り込んできた。

 

 

「クフフ……ムダさ。君たちはもう、何も出来ない。『霊手の呪縛(ゴーストロック)』の完成さ」

 

 

幽谷が、足音ひとつ立てず、まるで芝の上を滑るようにドリブルでボールを運び始めた。

 

 

「さぁ......反撃、開始だ」

 

 

(──っ! 仕掛けてきた! パスコースを切りながらプレスしなきゃ──)

 

 

止めなければ。

絶対にシュートは打たせない。

反射的に全身のバネを弾き、ボールへ向かって飛び出そうとした、次の瞬間。

 

 

(――へ?)

 

 

僕の両足は、一ミリたりとも動かなかった。

上半身は動く。呼吸もできる。それなのに、足だけが僕の体じゃないみたいに、ピクリともしない。

靴の裏がグラウンドに縫い付けられてしまったかのように、完全に地面へ固定されていた。

 

 

「な、なんだこれ!? 足が……!」

 

「足が……動かないでやんす! 」

 

 

周囲からも、もがくような仲間たちの悲鳴が次々と上がる。

怖い。

自分の身体が、見えない誰かに縛られてしまったような感覚。

その抗いようのない気味の悪さに、全身の血が冷たく凍りついた。

抵抗すらできずマネキンのように立ち尽くす僕たちの間を、幽谷が薄ら笑いを浮かべながら悠々とすり抜けていく。

ゴール前の円堂すら例外ではなかった。

両腕を構えた完璧な迎撃姿勢のまま、腰から下だけが石像のように呪縛され、一歩も前に出られずにいた。

 

 

「う、動け……! 動けぇぇっ!! オレの足ィ!!」

 

 

円堂の必死の叫びも、虚しく空気を震わせるだけだ。

幽谷の放ったシュートが、動けない円堂の脇をあざ笑うように抜け、ゴールネットを揺らした。

 

 

『ゴ、ゴールッ!? 尾刈斗高校、後半最初の得点! 雷門の選手たちは、一体どうしたことか、なぜか一斉に足を止めてしまいましたぁぁ!!』

 

 

ボールがゴールネットを揺らした、まさにその瞬間だった。

ふっと、両足を絡め取っていたあの重みが嘘のように消え失せた。

前へ出ようと必死に重心を傾けていた僕は、糸の切れた操り人形のようにバランスを崩し、無様に膝からグラウンドの土へ突っ伏した。

 

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

 

昨日の偵察で見て、頭では分かっていたはずだった。

なのに、いざ自分の身体が縛り付けられると、本当に呪いをかけられたような抗いがたい恐怖に襲われる。

 

 

ピーーッ!!

 

 

混乱したまま、試合は無情にも再開された。

僕たちは恐怖を振り払うように声を張り上げ、今度こそ止めようと必死にグラウンドを駆けた。

けれど、焦れば焦るほど、尾刈斗の異様な動きを捕まえることができない。

 

 

同じリズム、同じテンポ。

機械的なボール運びの前に、何度も何度も左右に振られて走らされる。

息が限界を超えて跳ね上がり、疲労で視界の端がどんどん黒く塗りつぶされていく。

そして、極限まで体力を削られ、警戒する余裕すら失ったその瞬間に。

また、あの声が、耳の奥へ滑り込んできた。

 

 

『マ~レ……マ~レ……マレト、マレ〜』

 

 

二度目だ。

またしても両足の自由を奪われ、ただ突っ立っていることしかできない。

必死にもがく円堂をあざ笑うかのように、尾刈斗の放ったシュートは、今度は力なくゴールネットへ転がり込んだ。

同点。

懸命に守ってきたリードが、何の抵抗もできないままあっけなく溶けていく。

 

 

「そんな……嘘だろ。本当に、呪いなのかよ……」

 

 

誰かが漏らした震える声が、チーム全体を覆う恐怖に、最悪の輪郭を与えてしまった。

次もまた、足が動かなくなるかもしれない。

そう怯えた瞬間から、一歩踏み出すごとに、足首へ見えない鉄球を繋がれたように身体が重く、鈍くなっていく。

 

 

だが、その時。

視界の端で、ベンチにいる春奈が、抱えていたビデオカメラのモニターを弾かれたように開くのが見えた。

 

 

✤✤✤

 

 

【音無side】

 

 

私はビデオカメラの巻き戻しボタンを強く押し込み、ビデオを確認していた。

小さな液晶画面の中で、尾刈斗高校が昨日の対戦相手を、まるで蛇が蛙を嬲るように追い詰めている。

 

 

(何か、呪いを成立させるための秘密があるはず……)

 

 

これまでに、嫌になるほど見返した映像だった。

尾刈斗の選手が、相手に直接触れた様子は一切ない。

反則行為も映っていない。

『何か』がないかと、私は手元のモニター映像と、目の前のグラウンドで起きている惨状を必死に見比べた。

 

 

画面の中の選手たちの足がピタリと止まる、その数十秒前。

右サイドの選手が、斜め中央へ入る。

中央の選手が、押し出されるように左へ流れる。

空いたスペースへ、後方から別の選手がスプリントして上がってくる。

幾何学的な動きの反復。

そして最後に、ボールがキャプテンの幽谷選手へ渡る。

その瞬間、相手チームの守備陣の視線が、一斉にボールを持った幽谷選手一点へ誘導される。

 

 

直後。

相手選手たちの足が止まった。

そこで、私は決定的な『共通点』に気がついた。

 

 

「──っ! もしかして……!」

 

 

私は震える指で、もう一度ビデオを巻き戻した。

 

 

「──やっぱりっ……!」

 

「ん? どうしたの、音無さん」

 

 

隣で心配そうに戦況を見つめていた木野先輩が、私の手元を覗き込んできた。

 

 

「木野先輩、これを見てください! 今の失点シーン……尾刈斗の選手たちの動き方が、昨日の偵察映像と完全に同じなんです!」

 

 

私は木野先輩に見せるように、映像を再生した。

右から中央へ。

中央から左へ。

後ろから前へ。

そして斜め左前へ。

さらに幾重にも連なる不規則なポジションチェンジ。

それらのパターンを寸分違わず五回繰り返す。

そして最後に、幽谷選手がボールを収める。

 

 

完全に、同じだった。

サッカーという常に状況が変化するスポーツで、なんの作戦の共有もなしに、偶然ここまで一つ一つのステップが重なることなど絶対にあり得ない。

 

 

「本当だわ……。でも、同じように動いただけで、どうしてみんなの足が突然止まるの?」

 

「分かりません。映像に、何か他の手掛かりが残っていれば……」

 

 

私はカメラの音量を最大まで上げた。

けれど、小さなスピーカーから流れてくるのは、ザーザーという激しい風の音と、対戦校の選手たちの悲鳴ばかりだった。

 

 

茂みの葉が風で擦れる音。

遠くのグラウンドで交わされる選手たちの不明瞭な声。カメラを構える、私自身の緊張した荒い息遣い。

それだけだった。

 

 

分かるのは、選手の動く順番が同じということだけ。

でも、それだけで雷門のみんなの足が、催眠術にかかったように全員同時に止まるはずがない。

絶対に、録画には映っていない『何か』があるはずだった。

 

 

私はカメラから勢いよく顔を上げ、グラウンド全体を食い入るように見渡した。

ちょうど、尾刈斗が三度目の攻撃パターンに入ったところだった。

右サイドの選手が中央へ入る。

中央にいた選手が左へ流れる。

その背後から、別の選手が上がってくる。

 

 

映像と、全く同じ。

先ほどの二回の失点シーンとも、全く同じだ。

 

 

(動きに気を取られちゃ駄目。動きだけで呪いが成立するわけがない。必ず、別の仕掛けが隠されてるはず……!)

 

 

私は尾刈斗の選手たちのボール回しから、視線を引き剥がした。

選手ではない場所。

昨日の映像には映っていなかった場所。

ピッチの外――尾刈斗のベンチへと目を向ける。

その時だった。

 

 

『マ~レ……マ~レ……』

 

 

ベンチにいる私の耳にまで、地を這うような低い声が届いた。

 

 

「……え?」

 

 

尾刈斗のベンチ前。

腕を組んで立ち尽くす地木流監督の青白い唇が、選手たちの動きに合わせて、細かく動いていたのだ。

 

 

『マレト……マレ……』

 

 

背筋に強烈な悪寒が走る。

聞き覚えがあった。

一度目の失点も、二度目の失点も、雷門の選手たちの足が止まる直前には必ず、全く同じリズムの声がグラウンドを這っていた。

目の前の激しい試合に気を取られ、誰もそれを『暗示』として認識していなかっただけだった。

 

 

「声です!」

 

「え?」

 

「皆さん、耳を塞いでください!!」

 

 

私はベンチから弾かれたように飛び出し、ピッチの際まで駆けて叫んだ。

 

 

「皆さんの足が止まる直前、必ず尾刈斗の監督が――」

 

 

『──マーレ・マーレ・マレト・マレ〜〜ッ!!!』

 

 

私の必死の声と重なるように、地木流監督が、呪詛を言い放った。

 

 

「──っ!!」

 

 

けれど、私の警告はほんの一瞬、遅かった。

ボールが幽谷選手へ渡る。

疲労と緊張で限界を迎えていた雷門のみんなの視線が、幽谷選手一人へ強制的に集められる。

次の瞬間。

 

 

「くそっ......またっ......!!」

 

「どうすればいいんだっ!!」

 

 

またしても、雷門イレブン全員の足がピタリと止まった。

 

 

「そんな……!」

 

 

幽谷選手が、まるで時が止まった世界を歩くように、立ち尽くす選手たちの間を悠々と抜け去っていく。

ゴール前の円堂さんも、顔を歪め、一歩も動けない。

抵抗すら許されないまま、放たれた至近距離からのシュートが無情にもゴールネットへ突き刺さった。

 

 

『ここで尾刈斗高校が逆転ーっ! 現在のスコアは3対2! 雷門イレブン、絶体絶命! 残り時間は、もう10分を切っているーっ!!』

 

 

三連続失点。

グラウンドの雷門を、ひんやりとした絶望の空気が包み込む。

それでも、私は声を出すことをやめなかった。

今度こそ、見つけたんだから。

映像に残された『同じ動き』と、この試合で聞こえた『声』。

その二つが重なって、ようやく呪いのカラクリが暴かれた。

 

 

「皆さん!!」

 

 

私は精いっぱい声を張り上げた。

 

 

「今の三回の失点は全部、皆さんの足が止まる直前に、あの尾刈斗の監督が呪文のようなものを唱えることで成り立っています!」

 

 

円堂先輩が、ハッとして顔を上げた。

 

 

「呪文……?」

 

「はい! 尾刈斗の選手たちが決められた順番で動いて、最後に監督が呪文を唱える! 

全部、全く同じパターンです!」

 

「間違いないんだな、音無!」

 

「はい! 間違いありません!」

 

 

円堂先輩は、私の言葉を疑うことなく、力強く一度だけ頷いた。

泥の付いたグローブをギリッと握り締め、ゆっくりと立ち上がる。

 

 

【音無side out】

 

 

✤✤✤

 

 

【円堂side】

 

 

音無が見つけてくれた。

あいつがあんな顔して「間違いありません」って言うなら、絶対に間違いない。 時折聞こえる不気味な声に、みんなの足を止める秘密が隠されている筈なんだ。

 

 

尾刈斗は、三対二で勝っている余裕からか、相変わらず攻め急がなかった。

オレたちを右へ左へ走らせながら、また時計の針みたいにグルグルと位置を入れ替えている。 足が鉛みたいに重い。

息も苦しい。

今すぐにでも前へ飛び出してボールを奪い、染岡や豪炎寺にパスを繋ぎたい。

だけど、オレは歯を食いしばって我慢した。

落ち着いて、ベンチから聞こえてくる地木流監督の声だけに、全神経を集中させた。

 

 

『マ~レ……マ~レ……』

 

「まーれ……まーれ……」

 

 

確かに聞こえてくる呪文みたいな言葉を、オレはなぞるように繰り返す。

 

 

『マレト……マレ……』

 

「まれと……まれ……」

 

 

何度も、何度も口に出して繰り返す。

そうしてるうちに、尾刈斗の選手たちの動きが、一段と速くなった。

ボールが、キャプテンの幽谷へと渡る。

 

 

マレト、マレ――トマレ。

 

「まれとまれ……とまれ……」

 

 

その瞬間、オレの頭の中へ、バチッ!と稲妻が落ちた。

 

 

「──止まれ(・・・)?」

 

 

そうか。

この呪文は、ただのデタラメじゃない。

グルグルとした動きを何度も見せられて混乱したオレたちの頭に『止まれ(トマレ)』という暗示を刷り込んでいたんだ。

 

 

(仕組みは分かった。でも、どうする......?)

 

 

音無の言う通り両手で耳を塞げば呪いは防げるかもしれない。

でも、キーパーのオレが両手を塞いでシュートを止められないんじゃ意味がない。

それなら一か八か、最後の『止まれ』っていう暗示ごと、ありったけの大声で丸ごとかき消してやる!

 

 

地木流監督の青白い唇が、最後の一言を紡ごうと開く。

 

 

『マレト、マ――』

 

 

バチィィンッ!!

オレは両手のグローブを、自分の顔の真ん前で、思いきり打ち鳴らした。

 

 

「ゴンゴロゴロゴロ――ドッカァァァンッ!!!」

 

 

腹の底から出た咆哮が、雷鳴のようにグラウンド全体をビリビリと揺らす。

監督の気味の悪い囁きも、頭の中へこびりついていた不気味なリズムも、疲労も恐怖も、全部まとめて宇宙の果てまで吹き飛ばすつもりで叫んだ。

 

 

『なっ!?』

 

 

ベンチの地木流監督が、初めて余裕をなくしたような表情をしていた。

その瞬間、両足に絡みついていた見えない鎖が、粉々に砕け散る。

 

 

(──っ、動ける!!)

 

 

「クヒヒ……これで終わりだヨ」

 

 

オレの呪縛が解けたことに気づかない幽谷が、ペナルティーエリアの中から、余裕たっぷりのフォームでシュートを放つ。

 

 

「させるかぁぁぁっ!!」

 

 

呪いから解き放たれた両足で、思い切り地面を蹴る。

大きく横へ飛び出し、飛んできたボールを両腕でガッチリと包み込んだ。

 

 

ドスッ!という鈍い衝撃。

それでも、腕の力は絶対に緩めない。

このボールから、オレたちの反撃が始まるんだ。

 

 

「ナンダトッ!?」

 

 

幽谷の驚愕の声すら塗り潰すように、オレは叫んだ。

 

 

「取ったぞぉぉぉーーっ!!」

 

 

魔法が解けたように静まり返るグラウンドの真ん中で、オレはそのボールを天高く突き上げた。

 

 

【円堂side out】

 

 

第24話fin

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