転生したら、必殺技が存在しない世界だった件! 作:スライみゅ
【葦考side】
5/27(火)放課後
運命の日は、皮肉なほどに穏やかな日の光と共にやってきた。
あの夜から一週間、放課後の部室に集まっても、ゲームを取り出す者はいなくなった。狭い場所でパスを回し、河川敷が空いていれば、みんなでボールを追った。
頬の腫れが引き、脇腹の痛みが薄れていく間に、僕のジャージも毎日泥だらけになった。けれど、十一人揃っての練習は一度もできないまま、今日を迎えてしまった。
今、雷門サッカー部員達は部室に集まっている。
掘っ建て小屋同然のこの場所が、今はまるで爆発直前の圧力鍋のように、ひりつく緊張感に満ちていた。
「紹介するよ。今日、助っ人で入ってくれる――松野空介だ」
円堂の隣に立っているのは、ストライプ柄のニット帽を深く被った男子生徒だった。
そのどこか飄々とした佇まいは、部室を支配する重苦しい沈黙の中に、不思議なほど自然に溶け込んでいた。
「僕のことは『マックス』って呼んでいいよ〜」
松野空介――マックスくんは、捕らえどころのない薄笑いを浮かべながら、ひょいと軽く右手を挙げて自己紹介をした。
「君たちのキャプテンを見てたらさ、なんだか〝退屈しなさそうだな〜〟って思ったんだよね〜」
そのあまりに場違いで軽い言葉が、水面に投じられた石のように、張り詰めた空気に波紋を広げた。
真っ先に眉をひそめた染岡が、マックスくんを睨みつける。
「退屈って……遊びじゃないんだぞ、試合は!」
「心配いらないよ〜」
染岡の鋭い声には、剥き出しの苛立ちが混じっていた。それでもマックスくんは、その殺気を柳に風と受け流して笑った。
「サッカーはまだやったこと無いけど、これまで色んなスポーツをやってきて、だいたい人並み以上に上手くやれてたからね。こう見えて器用なんだよね〜」
「――ってことだ。期待しようぜ!」
円堂は深く考える様子もなく、楽しそうにそう言った。その明るさが、張り詰めた空気を少しだけ和らげる。
けれど、半田が不安を押し殺すように、確認の言葉を呟いた。
「しかし、これでもまだ十人だぞ? あと一人足りな――」
「――十一人いるけど……」
「うわあああっ!?」
背後から届いた暗く低い声に、半田が飛び上がった。つられて振り返ると、入り口近くの壁際に、影野くんが立っていた。
マックスくんの話に気を取られていたせいか、まったく気づかなかった。隣の栗松くんも目を丸くしている。
「ご、ごめん……気づかなくて。ハハハ……」
半田が額の冷や汗を拭いながら、慌てて謝罪の言葉を口にする。
「いいさ……俺は、もっと存在感を出せる男になりたくて
影野くんは幽霊のような声でそう呟くと、脇に抱えていた一枚のポスターを仰々しく広げて見せた。
【サッカーは存在感を鍛える!】
あまりにも標的を絞りすぎた、身も蓋もないキャッチコピー。
一同は呆気にとられ、かける言葉を失った。
「ポスター? 誰が作ったんだ、これ」
首を傾げる円堂の疑問に答えるように、部室の入り口から弾けるような声が響いた。
「はーい! それ作ったの、私でーす!」
元気よく片手を挙げて答えたのは――春奈だった。
「春奈!? どうして
思わず声を上げると、春奈は僕のすぐ後ろから、ひょこりと顔を覗かせた。
「心臓に悪いって……! そもそも、いつからそこに……」
「えー? センパイの後ろにずっといましたよ?」
こともなげに言ってのける春奈は、クスクスと小悪魔のように喉を鳴らして笑っている。
僕の反応を楽しんでいるようなその表情――この揶揄い癖には、中学時代から本当に参ってしまう。
「誰だか知らねぇが、ようやく十一人集まって、今から帝国に勝つための作戦会議するところなんだ。部外者は出て行ってくれ」
染岡が横から口を挟むと、春奈は怯むどころか、リスのように頬を膨らませた。
「むぅ……そんな強く言わなくてもいいじゃないですか! せっかく皆さんが喜ぶと思って、帝国学園の情報を持ってきてあげたのに!」
「情報!」
「帝国の情報」という言葉に、円堂の瞳がキラリと輝いた。
それを見た春奈は、確信犯的な笑みを浮かべて、僕をジロリと射抜いた。
「そもそも! サッカー部が十一人揃ったのだって、私が作ったポスターの
(そんな情けない泣きつき方してない、はず……。『人手が足りなくて困ってるんだ』くらいの相談はしたけど……!)
僕が言葉を飲み込んで硬直していると、春奈はさらに一歩踏み込み、至近距離から「ねえ、葦考センパイ?」と、底知れない笑みを浮かべて覗き込んできた。
「私の言ったことに、なにか間違い、あります?」
「……う、うん。ほ、本当に助かったよ、春奈……」
ここで言い返したら、また何を言われるか分からない。僕は観念して、がっくりと項垂れた。
「……弱ぇ」
「完全に尻に敷かれてるな……」
染岡と半田の小声が、しっかり聞こえてしまった。顔を上げると、二人は何故か、深く同情するような目を僕へ向けていた。
✤✤✤
「それで、
円堂が本題に引き戻すと、部室の空気は一気に引き締まった。
春奈は手際よくノートパソコンを起動させ、画面の青白い光が、彼女の顔を厳かに照らし出す。
「これが、私の集めた帝国についてのデータです!」
画面には、過去の対戦結果と、大会記事の切り抜きが並んでいた。その下には、試合映像を止めて撮ったらしい画像も貼られている。
「新聞部の資料と、去年の大会の記事、それから試合映像を調べてきました。まず、選手一人一人の能力が全国トップクラス。パワー、スピード、テクニック、どれを取っても隙がありません」
「ハンッ、んなこと、元々分かりきってる事じゃねぇか」
染岡が鼻を鳴らした。
けれど、腕を組んだその指は、落ち着かない様子で二の腕を叩いていた。
「……それでは次に――具体的な戦術についてお話しします」
春奈が画面を切り替えると、試合映像が流れ始めた。
緑のユニフォームを着た選手たちが、次々にパスを繋いでいく。追いかける相手が足を伸ばしたときには、もう別の選手へボールが渡っていた。
「帝国は、細かくパスを繋いで、ボールを持ち続けるチームです。昨年の大会特集によると、全試合の平均ボール支配率は、70パーセントを超えています」
「……ななじゅう、パーセント!?」
帝国学園の驚異的な数値に驚愕し、僕の口から、乾いた声が漏れた。
(それって……試合中の半分以上を、帝国にボールを持たれっぱなしってことじゃん……)
想像しただけで、喉がカラカラに乾いていく。
僕は無意識に唾を飲み込むと、その音が、静まり返った部室にやけに大きく響いた気がした。
「正確かつ細かいパスワークで相手守備を翻弄し、最後は二人の強力なフォワードが確実に仕留める。それが帝国のスタイルです。ですが、警戒すべきは攻撃だけではありません」
映像の中で、帝国のパスを相手選手が引っ掛けた。ようやく攻められるのかと思った直後、その選手へ二人の帝国選手が詰め寄っていく。
「今のところです。ボールを奪われても、近くの選手がすぐに取り返しに行きます」
春奈が映像を少し戻した。
一人が前から迫り、もう一人が横へ回る。相手が慌てて蹴ったボールを、さらに後ろにいた帝国の選手が拾った。
「奪われた方が止まってしまうと、その間に取り囲まれます。取り返したと思っても、安心できないんです」
僕は画面の中の選手を、自分に置き換えてしまった。ボールを止めるだけでも足元へ目を落としてしまう僕が、あんなふうに一度に迫られたら――。
部室の空気が、完全に凍りついた。
誰も何も言わず、春奈の指先がキーに触れる小さな音だけが聞こえた。
「そして、この選手こそが、帝国学園の頭脳であり、心臓。最も警戒すべき要注意人物――」
春奈が画面を切り替えようとした、その瞬間――。
「――ち、ちょっと待ってほしいっス!!」
張り詰めた沈黙を、悲鳴のような叫び声が切り裂いた。
椅子がガタンッと音を立て、壁山くんが立ち上がる。内股になった両脚をもじもじと動かし、両手を股間へ押し当てていた。
「ど、どうしたでやんす? 壁山」
「お、俺……ちょっとトイレ行ってくるっス!!」
返事を待つ間もなく、壁山くんは部室を飛び出した。ドタドタという足音が遠ざかっていくのを、僕たちは呆然と聞いていた。
「また壁山の悪い癖が出たでやんす……」
栗松くんが、呆れたように、深いため息を漏らした。
緊張すると、すぐにトイレへ行きたくなるらしい。さっきまでの説明を聞いていたら、その気持ちは僕にも分からなくなかった。
「春奈、あまり刺激の強いもの見せないでよ。壁山くんが完全にビビっちゃったじゃないか……」
僕は春奈へ、恨めしげな視線を向けた。
「あはは……。詳細なデータがあった方が良いかと思ったんですけど、ちょっと刺激が強すぎましたかね?」
春奈はバツが悪そうに、視線を泳がせた。
「ところで――聞きそびれてたけど、君は誰なんだ?」
半田の純粋な問いに、春奈は背筋を伸ばして一礼した。
「あっ、申し遅れました! 私、新聞部一年の音無春奈です。葦考センパイの中学時代からの後輩で、皆さんの勝利をお手伝いしたくて、勝手ながらサポートに参りました!!」
春奈は先ほどまでの真剣な表情を捨て、ハキハキと、明るい自己紹介をして頭を下げた。
高く快活な彼女の声が、部室の重苦しさをわずかに、けれど確かに和らげる。
「〝音無〞っていうより……」
「……〝やかまし〞だな」
半田とマックスくんがそんな言葉を交わした、そのときだった。
ガラガラガラ――ッ!!
部室の木製の扉が、悲鳴を上げるような音を立てて乱暴に開かれた。
「き、君たち……っ!」
そこに立っていたのは、顧問の冬海先生だった。
顔は青白く、額には脂汗が浮かんでいる。眼鏡の奥の視線をせわしなく動かし、先生は部室の中を見回した。
それは、これから試合に向かう顧問の顔には見えなかった。
「て、帝国学園が、もうすぐ到着します……! は、早くグラウンドに集まりなさい!」
その震える声が投げられた瞬間、部室の温度がさらに数度下がった気がした。
✤✤✤
僕たちは雷門高校の本校舎前のサッカーグラウンドに移動した。
壁山くんはまだ戻ってこなかったけれど、冬海先生に急かされ、先に向かうことになったのだ。
普段はラグビー部の二軍が泥にまみれているその場所は、今日という日のために完璧に整えられていた。
真新しく引かれた白いラインの先で、張り直されたゴールネットが風に揺れている。いつも遠くから眺めていた場所に立っているのに、嬉しさよりも先に、胃の辺りが重くなった。
まるで、処刑台を綺麗に掃除して待っているかのような、そんな薄気味悪ささえ感じる。
僕たちはボールを蹴りながら相手の到着を待った。けれど、半田のパスを受けた僕は、何でもないところで足元からこぼしてしまう。
「ご、ごめん!」
慌てて追いかけて顔を上げると、向こうでは宍戸くんの蹴ったボールが、栗松くんの横を抜けていた。誰も、いつものような声を出していなかった。
その時――。
――ゴゴゴゴゴゴゴッ。
低いエンジン音が、校門の向こうから近づいてきた。普段聞く乗用車のものとは違う、腹の底へ響くような重い音だった。
「な、なんだ……!?」
全員が、弾かれたように顔を上げた。
校門の向こう、道路の先から姿を現したのは――巨大な「黒い影」だった。
「なん、だよ……あれ……??」
宍戸くんが呆然と呟いた。
漆黒の車体に、角張った分厚い外装。前方へ突き出した先端は衝角のようで、バスというより、装甲車と呼んだ方がしっくりくる。
窓まで黒く覆われたその巨体が、エンジンを唸らせながら近づいてきた。
その巨体が、校門前でゆっくりと制動した。
――プシュゥゥゥゥゥ。
大きなエアブレーキの排気音に、僕は思わず肩を竦めた。
――ガシャン、ウィィィィン……。
重厚な金属が激しく擦れ合う音を立てて、メインハッチが開かれた。
まず降りてきたのは、帝国の制服を纏った大勢の生徒たちだった。
彼らは一糸乱れぬ動きで整列すると、手際よく深紅のレッドカーペットを地面に敷き詰めていく。
その訓練された軍隊を思わせる機能美に、僕の思考は停止した。
(……いや、軍隊かよ!? これ、本当にたかが一高校生のやること……!?)
現実感が、砂のように指の間からこぼれ落ちていく。
そして――ついに「選手」たちが姿を現した。
深い緑を基調とし、鮮烈な赤のラインを配した帝国学園のユニフォーム。
一人、また一人とハッチから降りてくる選手たちの存在感は、
鍛えられた脚も、ユニフォーム越しに分かる肩の厚みも、僕たちとはまるで違って見えた。それ以上に、彼らは誰一人として、周りの様子を気にしていなかった。
見物に集まった生徒にも、待っている僕たちにも目を奪われず、揃った足取りで歩いてくる。
レッドカーペットの上を歩み進めるごとに、研ぎ澄まされた眼光が、獲物を定めるようにこちらを射抜いてくる。
「…………っ」
隣で誰かが息を呑んだ。僕も口を開けないまま、その「鉄の軍勢」の先頭に立つ一人を見つめていた。
ドレッドの髪を無造作に束ね、奇妙なゴーグルを装着し、真紅のマントを翻す男。
その姿は、近代的な学校の風景の中で浮き上がるほどに異質で、滑稽さすら感じるはずの格好なのに――誰一人として笑う者はいない。
彼がそこに立つだけで、空間そのものが彼を中心に回り始めたかのような、すべてを平伏させる覇王の風格が備わっていたからだ。
「……鬼道有人。帝国学園のキャプテンです」
春奈が、僕の隣で低く言った。
「さっき説明しようとした、要注意人物。背番号十番の選手です」
部室で聞きそびれた名前が、目の前の姿と繋がった。
鬼道くんがこちらへ顔を向ける。ゴーグルで目元が隠れているのに、見られたと思っただけで、手にしていたボールを抱える腕へ力が入った。
✤✤✤
「雷門高校サッカー部キャプテン、円堂守です! 練習試合の申し込み、ありがとうございま――」
円堂はいつもの笑顔を浮かべ、帝国イレブンの先頭に立つ鬼道くんへと駆け寄り、敬意と歓迎の意を込め、右手を差し出す。
だが、その手は虚しく空を切った。
「――初めてのグラウンドなんでね。ウォーミングアップをさせてもらってもいいかな……?」
鬼道くんは円堂の言葉に被せるように遮り、その手を見ることさえしなかった。
「え……ああ、どうぞ……」
拍子抜けした円堂を置き去りにして、帝国イレブンはグラウンドの半分を占拠し、淡々とウォーミングアップを始めた。
僕たちはパス交換の手を止め、その姿を見つめていた。
一人の選手がリフティングを始める。
ポン、ポン、ポン、と刻まれる音に合わせ、ボールがほとんど同じ高さまで上がっていく。足の甲に触れる場所も、落ちてくる位置も揃っていて、僕のようにボールを追って身体を泳がせることがなかった。
隣では、二人の選手がパスを交換している。速いボールなのに、受けた足元で跳ねず、次の一蹴りですぐに相手へ戻っていった。
別の場所では、ヘディングの練習を行っていた。
――ゴンッ!
跳び上がった選手が、空中で身体を捻って額を当てる。鋭く飛んだボールを、離れて待っていた仲間が、ほとんど動かずに受け止めた。
「嘘、だろ……」
染岡が震える声で漏らした。
「あんなの、同じ高校生の動きじゃないでやんすよ……」
隣で栗松くんが真っ青な顔をして立ち尽くしている。
(レベルが……違いすぎる……)
自覚できるほどに、僕の手が震え始めた。
抱えていたボールが指先からこぼれそうになり、慌てて掴み直す。
春奈から聞いた「全国トップクラス」という言葉を、分かっていたつもりだった。けれど、映像で見た動きが目の前で繰り返されると、それを相手にしなくちゃいけないのだと、嫌でも思い知らされた。
その時だった。
赤いマントをなびかせ、帝国のキャプテン、鬼道くんが動いた。
――パチンッ。
静寂を裂くような、乾いた指鳴らし。
一人の選手が顔を上げ、ボールを高く蹴り上げた。鬼道くんは落ちてくる位置へ数歩進み、身体を半身に開く。
目が、円堂の方を向いていた。
「……え?」
左足で地面を蹴り、鬼道くんが跳ぶ。上体を傾けるのと同時に右脚が振り抜かれ、落ちてきたボールを足の甲が叩き抜いた。
「はああああ!」
――バァンッ!!
鋭い音と共に、ボールが一直線に円堂へ迫る。
「っ!!」
円堂が両足を開き、ボールの正面へ身体を入れた。
――ガシッ!!
受け止めた腕がぐっと押し込まれる。円堂は片足を引きながら肘を曲げ、ボールを胸へ抱え込んだ。
(い、いきなり、こっちに向けてシュートを撃ってきた……!? こ、恐ぇ……っ!!)
ボールを抱えた円堂を見てから、僕は鬼道くんへ目を戻した。
蹴り足を下ろした彼は、涼しい顔のまま、円堂の腕の中に収まったボールを見ていた。
雷門の他の面々も同じだった。「本当に、あんな連中と戦うのか」という絶望が、誰が口にするまでもなくグラウンドを支配する。
だが、ただ一人。
「――面白くなってきたァァァ!!!」
円堂が叫んだ。
その顔に張り付いていたのは、恐怖ではなく、底知れない興奮だった。
ギラギラと輝く瞳で拳を握りしめ、獲物を見つけた猛獣のような笑みを浮かべていた。
(……なんでそこで、そんな顔できるんだよ)
誰も言葉を返せない中で、円堂だけが、抱えたボールを脇へ挟み直した。鬼道くんから目を逸らさず、土のついた掌をジャージで拭っている。
僕は震える指を握り込み、その隣へ目を向けた。
帝国学園との練習試合は、もう目の前に迫っていた。
第8話fin