1. 復旧率95%の「景色」
29歳になった翌朝、俺は自分の視界が「書き換えられた」ことに気づいた。
ギルドの執務室を見渡すと、昨日まではただの『風景』だったものが、膨大なデータの奔流となって流れ込んでくる。
(……左奥、第三書庫の棚のたわみ。湿気による劣化。来月には修繕予算を組むべき。右の新人事務員、タイピングの手が震えている。昨夜の深酒か、あるいは帳簿の不一致による焦燥。後で監査を入れる。ミリアの淹れたコーヒー。温度82度。俺の好みに完全にアジャストされている。……合格だ)
これが、復旧率95%の景色。
前世の「事務員としての経験値」が、この世界の「魔力」と奇妙に融合し、**『全知の管理職(フル・マネジメント)』**というスキルに昇華されつつあった。
もう、意識して考えなくてもいい。組織の淀み、人間の嘘、そして「次に打つべき一手」が、まるでエクセルのオートフィル機能のように勝手に埋まっていく。
「……おはよう、ゼン。昨日の落花生、食べた?」
隣の席で、ミリアが少しだけそわそわしながら聞いてくる。
昨日、俺を殺した凶器(落花生)を贈ってきた少女。今や彼女は、俺の「陰湿な事務イズム」を継承した、最も信頼できる右腕だ。
「ええ、完食しました。おかげで目が冴えましたよ」
「そう。ならいいわ。……さあ、今日の『ゴミ掃除』を始めましょうか」
彼女が指差した先には、朝一番の訪問者がいた。
それは、スタンピードの脅威が去り、黄金の街となったエルムドに群がってきた「ハイエナ」の一団だった。
2. 王都からの「天下り」
「失礼する。王都ギルド総本部より派遣された、特別運営監察官のヴィクトールである。……以後、このギルドの運営権は私が預かることになった」
現れたのは、磨き上げられた革靴を履き、指にいくつもの宝石を嵌めた、白面の若造だった。
その後ろには、武装した私兵と、これまた「王都エリート」を絵に描いたような取り巻きたちが控えている。
「運営権の移譲? 冗談はやめてくれ、ヴィクトール殿。我がギルドはスタンピードを乗り越えたばかりだ。マスター・アルベルトも健在だ」
俺が席を立たずに答えると、ヴィクトールは薄笑いを浮かべて俺を見下ろした。
「ああ、あの粗野なマスターか。彼は今、別室で本国への『報告義務不備』の嫌疑で聴取を受けている。……ゼンと言ったかな。平民の君に分かりやすく教えよう。スタンピードで得た膨大な魔石利権、そして商人たちから徴用した備蓄物資。それらの一連の処理に『不透明な点』が多いという告発があったのだ」
ミリアが隣で椅子をガタつかせる。俺はそれを手で制した。
「……告発、ですか。それはどこのどなたで?」
「匿名だよ。だが、中央の裁定は下った。今日からここでの決定権は私にある。……まずは、ミリア・アルベルト。君はマスターの娘でありながら、事務員として優秀だと聞いている。私の秘書として王都へ来い。……そしてゼン、君は解雇だ。平民がギルドの予算を弄ぶなど、言語道断だからな」
典型的な「利権の横取り」だ。
前世でもいた。現場が血反吐を吐いて成功させたプロジェクトを、実力者の二世が「コンプライアンスの不備」を盾に奪い取る光景。
懐かしささえ覚えるその悪意に、俺の脳内の「95%」が、最適解を瞬時に弾き出した。
3. 「詰み」のプロセス
俺はゆっくりと立ち上がり、ヴィクトールの前に一冊のファイルを置いた。
「解雇、承知いたしました。ですがヴィクトール監察官、引き継ぎの前に、一つだけ『未処理の案件』を片付けていただけますか?」
「ふん、なんだ。最後っ屁か?」
「いいえ。王都総本部が発行した『緊急時物資徴用に関する連帯保証規約』の確認です。スタンピードの際、我々は商人ギルドから物資を徴用しましたが、その際の債務保証は、実は『総本部』が負うという契約になっております。……こちらの、第31条第4項ですね」
ヴィクトールの顔から余裕が消える。
「……何をバカな。そんな不利益な契約、総本部が結ぶはずが……」
「ええ。数年前、当時の総本部理事が実績作りのために承認した、形骸化していた法案です。……しかし、有効な法規だ。ミリア、昨日商人たちに送った『請求書の転換通知』の控えを」
「はい。……これね」
ミリアが、含み笑いを隠しもせずに書類を差し出す。
「今朝、この街の全ての商家に対し、物資の支払い請求先を『エルムドギルド』から『王都総本部』へ切り替える手続きを完了しました。総額、金貨1万枚。……ヴィクトール殿、あなたが運営権を持つということは、この『膨大な負債』の支払い責任も、あなたが負うということになります」
「金貨1万……!? 払えるわけがないだろう!」
「おや、困りましたね。監察官殿が権限を握った瞬間に支払いが滞れば、総本部の信用は失墜。王都の騎士団も、商人からの供給が止まれば黙っていないでしょう。……ああ、それから、あなたが今履いているその高価な靴。王都の予算から『調査費用』として落とす予定だそうですが、不自然な経費計上として、既に王都の会計監査局へ匿名で通報しておきました」
ヴィクトールの顔が、見る見るうちに青白くなっていく。
4. 陰湿なプロのやり方
「な、なんだ……貴様は、何を……!」
「私はただの事務員ですよ。……ミリア、例の『映像魔石』の準備は?」
「バッチリよ。彼がさっき『利権を奪いに来た』って言ったシーン、全部撮ってあるわ。明日には王都の新聞屋に届く手はずになってる」
ミリアは、かつて俺に嫌がらせでコーヒーを凍らせていた時よりも、ずっと楽しそうに微笑んでいた。
彼女は俺から学んだのだ。暴力で勝つよりも、相手が最も大事にしている「社会的立場」と「金」を奪う方が、どれだけ効率的で、どれだけ愉快かを。
「……あ、あとヴィクトール殿。最後のアドバイスです」
俺は震えるヴィクトールの耳元で、前世で何度も無能な上司を追い詰めた時の「最低のトーン」で囁いた。
「あなたが今ここで『自分の無能を認め、全権をマスター・アルベルトに戻す』という書類にサインすれば、経費計上の件も、不適切な発言の映像も、私の判断で『事務的なミス』として処理してあげられますが……どうしますか?」
「……っ、ぐ……ぅ……!」
ヴィクトールは、泣きそうな顔で羽根ペンを握った。
彼が来た時のような威風堂々とした姿はどこにもない。そこにあるのは、経験29年(+30年)の社畜が仕掛けた罠に、頭から突っ込んだ哀れな獲物だけだった。
5. 30歳、チート解禁まであと一日
「……お疲れ様、ゼン。あいつ、逃げるように王都へ帰っていったわね」
夕暮れの事務室。
マスター・アルベルトの嫌疑も晴れ(というか、ゼンの根回しで『最初からなかったこと』になり)、ギルドには再び平穏が戻った。
ミリアは窓際で、残った落花生をポリポリと齧りながら、満足げに笑っている。
「悪い顔をするようになりましたね、ミリアさん」
「誰のせいだと思ってるのよ。……でも、少しだけ分かった気がするわ。数字や法律で人を守るっていうのが、どういうことか」
彼女はそう言うと、不意に真面目な顔で俺を見つめた。
「ねえ、ゼン。あなた、明日で30歳でしょ。……何か、変わるの?」
その問いに、俺は自分の胸に手を当てた。
心臓の鼓動が、今までとは違うリズムで刻まれている。
脳の奥にある「進行ゲージ」は、既に99.9パーセント。
残りの0.1パーセント、そこに何が詰まっているのか。
それは、落花生で死んだあの日の後悔か。それとも、異世界で「ただの人間」として足掻き続けた29年間の結晶か。
「……ええ。おそらく、今までの苦労が馬鹿らしくなるような何かが、起きるんでしょうね」
俺がそう言った瞬間、視界の端に巨大なダイアログが現れた。
【全経験値の統合完了まで:00時間59分59秒】
【待機スキル:『事務神の加護(アドミニストレーション・ゴッド)』】
【警告:世界理(システム)の再構築を開始します】
「……あ、れ」
視界が白く染まっていく。
隣でミリアが「ゼン!?」と叫ぶ声が遠のいていく。
29年間、ずっと待ち続けていた。
落花生を喉に詰まらせて、滑稽に死んだあの日から。
ただの子供として、ただの平民として、ただの事務員として。
キレ散歩を繰り返し、世知辛い現実に舌打ちしながら、それでも地道に積み上げてきた。
ついに、約束の時が来る。
俺のチートが、今、解禁される。