■白の部屋
白――。
その部屋は、あまりにも無垢だった。
床も壁も天井も、境界という概念を失い、
ただ果てしない光が広がっている。
影は存在できず、
色は意味を失い、
あるのは「明度」という名の圧力だけ。
ペネロープは、その中心に立っていた。
だが、その白の世界には、確かに“欲望”があった。
黄金。
白銀。
宝石の粒。
王冠、首飾り、指輪、耳飾り。
整然と並び、果てなく続く装身具の群れ。
光の森。
富と力の象徴が、無限に咲き誇っている。
「……これ全部」
ペネロープは、うっとりと息を吐いた。
「わたしのものになればいいのに」
指先を伸ばした、その瞬間。
ビリッ!
稲妻のような拒絶が走り、
彼女の手を弾き飛ばす。
「いったぁっ!」
白光の中で、彼女は舌打ちした。
「……ふん。
そう簡単にくれる気は、ないってわけね」
そのときだった。
ヒュゥゥゥゥ……ッ!
白を裂き、影が落ちる。
巨大なトンボ。
透き通る翅は刃のように鋭く、
複眼は幾千もの光を映し出し、
あらゆる死角を拒んでいた。
その胸に輝く、銀の装身具。
トンボのブローチ。
「なるほど……」
ペネロープは、冷ややかに笑った。
「番人ってわけね」
懐から、金色の塊を取り出し、投げる。
ゴゴゴゴゴッ……!
それは空中で変形を始めた。
鋭い機首。
展開する翼。
咆哮するエンジン。
金の戦闘機。
近代の空を支配した、
火力という名の獣が、異界に顕現する。
「お行きなさいッ!」
ギュオオオオォォォン――ッ!
戦闘機は床を蹴るように離陸し、
白の空間を引き裂いて加速する。
対するトンボは、
ヒュババババッ!と翅を振るわせ、
光の残像を引きながら舞い上がった。
その動きは直線ではない。
鋭い折れ線。
右へ、左へ。
上下を欺く疾駆。
「……速い」
ペネロープは目を細めた。
「でも、撃ち落とせるはずよ」
彼女は操縦桿を持たない。
代わりに、装身具と精神を直結させる。
思考が、即、火力となる。
バリバリバリ――ッ!
機銃が火を噴き、
無数の閃光が白空を薙ぎ払った。
だが。
トンボはクルリと宙返りし、
弾丸の雨を紙一重で回避する。
「チッ……!」
次の瞬間。
ズバァァッ!
トンボが急接近する。
複眼が戦闘機を捕捉し、
翅の風圧で機体が大きく揺れる。
ガガガッ!
側面装甲が裂け、火花が散った。
「この……虫けらがぁぁッ!」
怒声とともに、
ペネロープはスロットルを全開にする。
戦闘機は白の部屋を縦横に突き抜け、
轟音とともに急旋回。
Gの圧迫が、肉体を押し潰す。
ドゴォォォン――!
すれ違いざま、
機体の翼がトンボの翅をかすめる。
破片が舞う。
だが、トンボは怯まない。
ギチギチと顎を開き、
金属を噛み砕かんと迫る。
「……やっぱり、厄介ね」
バリバリッ!
戦闘機の腹部が喰い破られ、
黒煙が立ち上る。
機体は半壊。
制御が、効かない。
「……まだ」
ペネロープは、笑った。
「終わってないわ」
懐から、別の装身具を取り出す。
銀の懐中時計。
カチリ。
秒針が動いた瞬間。
チチチチチ……。
音は、白の部屋全体に増幅され、
無数の「時間の残像」を描き出す。
幻影の時計塔。
重なり合う時刻。
増殖する“今”。
トンボの複眼が、それらすべてを映す。
だが――
情報が、多すぎた。
完璧な視覚が、
逆に判断を狂わせる。
「どう?」
ペネロープは、唇を吊り上げる。
「あんたの目の良さ、
今は仇よ」
ヒュバッ!
ヒュギュルルッ!
トンボは蛇行し、
回避軌跡を誤った。
「いまだ――ッ!」
半壊した金の戦闘機が、
最後の突撃を仕掛ける。
ドォォォォォン――ッ!
正面衝突。
翅が粉砕され、
複眼が砕け、
銀の装身具が床へと転がった。
ペネロープは、
懐中時計をパチンと閉じた。
肩で息をしながら、笑う。
「……やっぱり」
白の世界に、彼女の声が響く。
「最後に勝つのは、あたしよ」
その足元に、
白猫が音もなく現れた。
透き通る瞳。
静かに揺れる尾。
「……あんたも見てたんでしょ」
ペネロープは肩をすくめる。
「どう?
悪くなかったでしょ」
返答はない。
ただ、白猫の沈黙だけが、
勝利の証として、そこに在った。
白の部屋は、
再び、静寂に包まれた。