『飾られし色の異世界』   作:幻灯(Gentō)

6 / 10
――四つの選択と祈りの者

 

■赤の部屋

 

 赤の部屋に足を踏み入れた瞬間、灯の喉を焼くような香が流れ込んだ。

 蓮を模した香炉が幾つも浮かび、絶え間なく煙を吐き出している。

 甘く、濃く、逃げ場のない香り。

 それは祈りであり、欲であり、怒りであった。

 壁は血肉のように脈打ち、床は生き物の体温を持ち、天井は吐息のように震えている。

 ここは部屋ではない。

 選択を迫るために作られた、生きた問いそのものだ。

 その中心に立つ存在を見て、灯は息を呑んだ。

 ヨーギニー──アディティ。

 二つの頭、四本の腕。

 右の頭は烈火のごとく目を光らせ、嗤っている。

 左の頭は水面のように静かに伏し、祈るように唇を閉ざしていた。

 右手には赤宝石を抱いた曲線の剣。

 左手には蓮模様の盾。

 背の腕は虎の仮面とガルーダの羽根を掲げている。

 怒りと静けさ。

 獣と神鳥。

 祈りと破壊。

 相反するものすべてが、ひとつの肉体に同居していた。

「四つの選択──斬るか、守るか、変わるか、飛ぶか」

 重なり合う声が、二重にも三重にも響く。

 空間そのものが震え、問いが骨に染み込んでくる。

 灯は深く息を吐き、黒き蜘蛛の装身具を取り出した。

 指で撫でると、脚がカチリと開き、黒糸の影が床を走る。

「……この命綱、繋いでみせんす」

 その声は震えていたが、迷いはなかった。

 一方、ペネロープは白銀のトンボを手に取る。

 翅が光を弾き、空気を切り裂くように震えた。

「なら、私は飛ぶ。自由は、掴み取るものよ」

 二人は並び、同時に一歩を踏み出した。

 剣が床を打ち据える。

 ガンッ、と赤い火花が散った。

 アディティは虎の仮面をかぶる。

 瞳が黄金に燃え上がり、唸り声が空気を引き裂いた。

「怒りは隠さぬ──ならば、斬る!」

 剣閃。

 ギィンッ、と音が鳴り、床石が裂ける。

 灯は蜘蛛糸を張り巡らせ、舞うように跳んでかわした。

「速すぎんす……ッ!」

 盾が薙ぎ払われ、ペネロープの身体が宙を舞う。

 だが白銀の翅が羽ばたき、ぎりぎりで体勢を立て直した。

「正面は無理ね」 「背から攻めんす!」

 蜘蛛の糸とトンボの翅が交差する──その瞬間。

 ガルーダの羽根が震えた。

 暴風が巻き起こり、神鳥の咆哮が二人の動きを縫い止める。

 次に、象の仮面。

 声が低く澄み、盾から蒼光が溢れた。

「守ることは、忘れること。痛みを流せ」

 衝撃波が放たれ、蜘蛛糸が焼き切れる。

 灯は膝をつき、胸を押さえた。

「……心臓ごと削られるようでありんす……ッ」

「忘れさせようなんて、傲慢ね!」

 ペネロープの白銀のトンボが盾へ迫る。

 だが一閃で弾かれ、翅に深い傷が走った。

 そして、蓮の仮面。

 風が凪ぎ、顔が幾重にも揺らぐ。

 獣、神、無面──定まらぬ姿。

「変わることは、選ぶこと……私は……何を……」

 その迷いが、部屋を震わせた。

「ここで、退くわけにはいかんす!」

 灯は蜘蛛を前へ投げ出す。

 黒糸が幾重にも張り巡らされ、剣をわずかに縛めた。

「トンボ! 今よ!」

 白銀の翅が閃き、仮面の縁を噛み砕く。

 だが──

 轟音。

 蜘蛛は四肢を砕かれ、トンボは翅を裂かれた。

「……お役目、ご苦労でありんした……」

 灯の声は、哀惜に震えていた。

 その犠牲が、確かに裂け目を作った。

 灯は鈴付き帯留めを打ち鳴らす。

 シャリン、と音が重なり、幻惑が二つの頭を揺らす。

「今の一瞬、迷うておりんす!」

 ペネロープの銀の腕輪が鞭となり、剣を逸らす。

 灯は杵型かんざしを大杵へ変え、踏み込み、振り下ろした。

「生きるためなら──人は皆、顔を偽り、選び取ってきたんす!」

 鈴、鞭、杵。

 連撃。

 仮面が砕け、赤い煙の中へ崩れ落ちた。

 静寂。

 四本の腕が溶け、二つの頭が重なり合う。

 そこに残ったのは、一人の女性。

「選ぶことは、祈ること。私は祈りの者でありたい」

 灯は汗を拭い、かすかに笑った。

「顔が多いんは……苦しゅうても、強うなれる証にありんす」

 赤の部屋は、やがて灰色へと沈んでいった。

 

 

【挿絵表示】

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。