ヴァージニアとデルトラクエスト2   作:アヤ・ノア

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人質を助けるため、ついにリーフ達は影の王国に向かいます。
けれど、やっぱりちゃんと考えて行動しなくては、です。


第19話 いざ、影の王国へ

 ヴァージニア、ワソ、リーフ、バルダ、ジャスミンは、火の傍に静かに佇む人々を見渡した。

 皆、真剣に頷いていた。

 ティラルの言う事は真実のようだった。

(でも、これは策略だろう。ティラルは僕達が絶対に渡さないであろう何かを要求するのだろう)

 ヴァージニア達を見渡すと、ジャスミンの手がジャスミンの肩に伸びているのが見えた。

 そこにはフィリとクリーが静かに寄り添っていた。

 バルダは眉を潜めていた。

 きっと、人生の大半を共に過ごした忠実な相棒だった剣の事を考えているのだろう。

 ヴァージニアとワソも同じように考えている。

 リーフは、自身の最も大切な宝物――父が鍛えた剣と、

 母が手織りした隠れ家のようなマント――を思い浮かべた。

 それらなしで、影の王国でどうやって生き延びられるというのだろうか。

 ティラルが目を輝かせながらリーフの方を向くのを、リーフは酷く不安に苛まれながら待った。

 ついにティラルは口を開いた。

「デルトラ国王よ、あなたが身に着けているあの美しい宝石のベルトを……」

「お母さん!」

 エムリスは愕然と叫んだ。

 目も眩むような熱波がリーフを襲った。

 ヴァージニア、ワソ、バルダ、ジャスミンは驚きと怒りに叫び、

 見物人達が歓声を上げているのが聞こえたが、リーフはただ吐き気を覚えるだけだった。

 安堵のあまり吐き気がしたのだ。

 ティラルに自分の目を見せてはいけないと悟り、リーフは俯いたが、ようやく顔を上げた。

「分かった」

 ヴァージニア、ワソ、バルダ、ジャスミンの驚いた抗議を無視し、

 リーフは輝くベルトの留め金を外し、ティラルに手渡した。

 見物人達は畏敬の念に息を呑みました。

 多くの人が飛び上がり、指導者の周りに群がり、

 あの有名なベルトをもっと間近で見ようと躍起になった。

 しかし、ティラルの顔は困惑と怒りに満ちていた。

 リーフが自分の要求に応じるとは、一瞬たりとも思っていなかった。

 他のケラス族と同じように、ティラルもドランの物語を聞いて育ってきたのだ。

 デルトラのベルトが地上世界の安全にとってどれほど重要か、ティラルは知っていた。

「リーフ、何を考えているの?」

「三つある。まず、もうすぐ影の王国に着く。

 次に、デルトラのベルトにある宝石はデルトラの国境の外には持ち出せない。

 ティラルは明らかにその事実を知らない。

 そして三つ目に、ここは貴重なものを隠すのに最も安全な場所だと思う」

 ジャスミンの表情が急に変わった。

 彼女は長い間、現実に生きてきたため、リーフが影の王国に行くには

 デルトラのベルトを後にしなければならない事をすっかり忘れていたのだ。

 しかし、バルダの顔は雷のように青ざめていた。

 ヴァージニアとワソは、身体が震えている。

 自分達を召喚した影の大王が支配する場所に乗り込むなんて、信じられないと思った。

「リーフ、本当に国境を越えるつもりなのか?」

「もちろん! 僕はいつもそう言っていたじゃないか」

 リーフは驚いてバルダを見つめた。

 バルダは激怒して首を横に振った。

「何を言っても、時が来れば正気に戻ると確信していた。リーフ、正気か?」

「影の王国には行けませんわよ!」

「だって、私達を召喚したあいつがいるんだから……」

「そしてデルトラと影の大王の間には、君とベルトしか存在しない。義務感はないのか?」

「義務?」

 リーフは拳を握りしめた。

 ここ数ヶ月のリーフの人生は、義務への揺るぎない献身ではなかっただろうか。

 目が燃えるように働き、愛する全てのもの、

 全ての人々から身を隠していたのではなかっただろうか。

 王国の安全が第一の責任であり、敵がいたるところにいたため、

 秘密を守り、批判され、誤解され、憎まれてもいなかっただろうか。

 情熱的な言葉が唇を震わせた。

 ついに心の重荷を下ろそうとしていた。

(駄目だ! 今、弱気になってはいけない。特に今は……)

 リーフは歯を食いしばり、軽率な言葉を振り払った。

「ピラの笛が初めて僕を呼んだのは、僕がその存在すら知らなかった頃だった、バルダ。

 僕はそれを探し出し、この探求に携える運命だった事を知っている。

 今、それを手放すつもりはない」

「それなら、見なければよかった!」

 バルダは唸り声を上げた。

 ジャスミンは不安げで、不安げな様子だった。

 ヴァージニアとワソは恐怖でまだ震えていた。

「本当に賭けに出るつもりなのね、リーフ。もしかしたら……」

「私だって怖いよ。あいつが召喚したんだし、あいつが私を洗脳したんだし」

「……正直、影の王国に行くのは嫌ですわ。もしかしたら、ウネウネ」

「ジャスミン、バルダに加担して僕を裏切るなんて、あり得ない! ジニーもワソも怖がるな!

 僕は自分の本性、いや、心に逆らう事はできない!」

 リーフは悲しげに思った。

「ジャスミン、分からないのか?

 ピラの笛があろうとなかろうと、どうして君を行かせて、ついて行かないでいられるんだ?」

 ティラルの周りに集まっていた人々が後ずさりしているのに気づいた。

 彼女は手に持ったベルトの重さを量り、その顔には怒りと苦い軽蔑が混じり合っていた。

「これは公平な交換ではありません! ベルトは全く役に立ちません!」

「お母さん、そんなはずはない!」

 エムリスが恥ずかしさで顔を赤らめながら、叫び出した。

「ドランが教えてくれたんだ! デルトラのベルトはピラの笛に匹敵するほど強力だ!」

「地上ではそうかもしれません。ですがここでは宝石を散りばめたつまらないものに過ぎません」

 群衆は落ち着きなく騒めき、ティラルが唇を噛みながら辺りを見回すと、

 リーフは安堵の溜息をついた。

 どれほど望んでも、笛吹きは今になって約束を破るわけにはいかない。

 そうすれば不名誉な目に遭い、民の信頼を失う事になるからだ。

 ティラルは、まるであらゆる動きが苦痛であるかのように、

 ぎこちなくローブの襞から小さな貝殻の箱を取り出した。

 同時に、リーフはシャツの下からピラの笛の吹き口と胴体が入った赤い布袋を取り出した。

 ティラルは箱を開け、差し出した。

 中には、絹のベッドの上にピラの笛の先端部が収まっていた。

 それはとても小さく、

 奇妙な彫刻が施された表面がエメラルドグリーンの光を受けてかすかに緑色に輝いていた。

 ティラルはリーフを見上げ、笛の音が周囲に響き渡る中、二人の視線が交わった。

 人々は静まり返った。

 彼らもまた音楽の音を聞いていた。

 しかし、ヴァージニア、ワソ、バルダ、ジャスミンはそわそわと顔を見合わせた。

 何も聞こえないからだ。

 音楽に茫然としたリーフは、未完成の笛を蓋から引き抜いた。

 ティラルがピラの笛の先端部を彼に手渡し、リーフはそれを元の位置に戻した。

 音楽は、まるで蛇口を閉めたかのように、突然止まった。

「嘆きは止みました」

 ティラルが囁くと、ティラルの青白く冷たい目に、きらめく涙が浮かんだ。

 突然の静寂に唖然としたリーフは、手にした魔法の物体を見つめた。

 それは、まるで内側から灯されたかのように、かすかな輝きを放っていた。

 ついに、ここにピラの笛があった。

 ピラの争い合う部族が笛を分割し、その音を静めて以来、初めて、完全な状態に戻ったのだ。

「でも、変わったわ!」

 ジャスミンは畏敬の念を抱いた。

「光っている! それに、本来あるべき大きさよりも大きくなっているわ」

 確かに、笛の端の部分は全ての部分の中で最も小さく、ほんの少しの貢献しか果たせなかった。

 しかし今、完成した笛は、以前よりも遥かに大きく、強く、奇妙で、美しく、刺激的に見えた。

 まるで、その部分の総和よりも偉大な存在であるかのようだった。

 しかし、それは沈黙していた。

 温かい息吹が、笛に完全な命を与えるのを待っていた。

 長きに渡り悲しみに暮れてきた幽玄の世界から、その音楽を呼び戻し、

 今この瞬間に歌わせてくれる、熟練した愛情のこもった触れ合いを。

「僕にはできない」

 リーフは悲しみに打ちひしがれながら思った。

 どうやって始めればいいのか分からない。

 たとえその技術があったとしても、リーフがその役割を担うべきではないと思った。

 リーフはティラルを見上げた。

 ティラルの輝く瞳に、切望が宿っているのを見た。

 突然、何をすべきかが分かった。

 リーフは両手を差し出し、輝く笛を緩く挟んだ。

「ティラル、君が笛吹きか。吹いてくれるか?」

 

 そして、世界が始まって以来初めて、ピラの笛の清らかな音色が秘密の海の洞窟に響き渡った。

 ケラスの人々は、うっとりとした顔を上げ、涙に濡れながら耳を傾けていた。

 音楽は波打つ水面を撫で、きらめく岩に木霊した。

 空気さえもその美しさに震え、どんな壁もそれを封じ込める事ができなくなるほどだった。

 音楽は禁断の道へと流れ込み、ヒル達はそれを聞き、暗闇の中で身を縮めた。

 オパール色の海で歌い、巨大なウナギ達は水滴を滴らせた頭を水面から上げて、

 音に合わせて体を揺らした。

 島のオーロン族の人々は、その音が耳に漂ってくると、仕事の手を止めて見上げた。

 彼らの笛吹きの老いた顔は変わらなかったが、

 体はまるで氷のような嵐に揺さぶられたかのように震えていた。

 ペンは、筏の上の小さな小屋で原稿を詰めながら、喜びと驚きで両手を握りしめていた。

 笛の音は、泥の地雷が逃れようと深く潜り込んだ虹色の洞窟に響き渡り、

 海モグラが跳ね回り、音を立てた。

 その音は骸骨山をその美しさで満たし、ルビー色の海、そしてプリューム島へと流れていった。

 戦士グロックの墓を守っていたノルズは、その音を聞いて叫び声を上げた。

 ノルズは慌てて立ち上がり、岸辺へと駆け寄った。

 そこでは畏敬の念を抱き、沈黙した人々が膝、腰まで浸かる緋色の水の中を歩きながら、

 音の方を見つめていた。

 音楽はかすかに、そして忘れがたいまま漂い続け、黄金の海の果ての隅まで届いた。

 そこでは、小さな笛で釣りをしていたクレフとアザンが網を落とし、魅了されて座っていた。

 最後の、小さな音の影が、トパーズ色の霞を突き抜けて、彼らの頭上高く昇っていった。

 そして、涼しく柔らかな風に乗って、黄金の竜の魔法の眠りに忍び込み、

 太陽の光、大きな風、高い山、魔法、そして消え去った栄光の高揚する夢を運んでた。

 

 ティラルは、笛を演奏した後の祝賀会の間、静かに座っていた。

 火を囲んでは食べ物や飲み物、笑い声が溢れていたが、ティラルはそれに加わる事はなかった。

 ケラス族がキノコの木で作った小さな笛を持ち出した時、ようやく彼女は頭を上げた。

 甘美で息の混じった音楽は、確かに聴く価値があった。

 そしてヴァージニア達が驚いたことに、最も甘美な旋律を奏でていたのはエムリスだった。

 ヴァージニア達がエムリスを祝福し、

 エムリスが楽器を置いてティラルの隣に座ると、エムリスは唇を噛んだ。

「演奏はいつも僕を喜ばせた。

 でも、ピラの笛を聴いた今、自分の出す音は音楽の可能性のほんのちょっとだけだった」

 エムリスはぎこちなく袖で笛を拭き、バルダに差し出した。

「今度は、僕達のために演奏してくれない? 僕は、この世の音楽を聴きたいんだ」

「君の音楽によく似ているよ。でも、俺は君の前で演奏できない」

「じゃあ、わたくしが何とかしますわ。聖歌を歌ってますし」

 ヴァージニアは教会でよく聖歌を歌っていたので、ピラの笛を演奏するのに自信があった。

「古代には、ピラの最高の音楽家だけが笛を演奏していたのですよ!」

 新たな希望に輝く顔で、ティラルは周囲の沈黙した人々に訴えた。

「ケラス族よ、私達の信条では、目的が無意味なら、

 いとこに寄付したり貸したりしてはいけない! そうではないのでしょうか?」

 人々は渋々頷いた。

 甲高く緊張した声が静寂を破ると、皆が飛び上がった。

 エムリスが前に進み出ると、金髪の根元まで赤らみ、皆が見つめた。

「いとこ達が笛を弾けなくても大丈夫だよ」

 エムリスはどもりながら、ティラルの怒りの視線に反抗的に応えた。

「だって、僕は上手に弾けるんだもの。それに、一緒に行くんだもの!」

 激しい議論が続いたが、ティラルが激怒しても、

 バルダ、ジャスミン、ワソが抗議しても、何の役にも立たなかった。

 ケラス族の人々にとって、エムリスの宣言は、

 ピラの笛を影の王国へ持ち去る事への最後の異議を却下したのだ。

「それで、あなた達は勝ち、私は負けました」

 ティラルはヴァージニア達の武器を返しながら、苦々しく言った。

「私はピラの笛だけでなく、息子も失いました。

 あなた達は、その両方と、自分達を破壊する権利を得ました。

 この勝利があなた達にとって喜びとなる事を願います」

 ティラルの顔は青ざめていた。

 頭の周りの蛾はほとんど動いていなかった。

「ティラル………」

 リーフが言いかけた。

 しかし、既にティラルは背を向け、足早に立ち去っていた。

「エムリスが私達と一緒に来たのは、私達のせいじゃないわ」

「全部あいつの仕業だって言いたいんですの?」

「ええ! もしティラルが私達を平和に解放してくれていたら、

 エムリスは絶対にそんな考えを思いつかなかったわよ」

「ああ、きっとそうするだろう。

 あの少年は俺達と同じくらいこの島から脱出したがっているんだ。

 やっとそのチャンスを掴んだんだ」

「でも、エムリスは自分が何をしているのか分かってない!」

「まさか」

「私達も?」

 

 数時間後、島の北側から物言わぬ険しい顔をしたヒル採集者達が漕ぐ二艘の長い船が出発した。

 ヴァージニア、ワソ、リーフ、バルダ、ジャスミン、そしてエムリスは一艘の船尾に座った。

 もう一艘には、凍り付いた顔をしたティラルと、ティラルの側近二人が乗っていた。

 緑色の海が前方に広がり、徐々に灰色へと暗くなっていった。

 水平線は闇に包まれていた。

 クリーは不安そうにコッコッと鳴いた。

 影の王国が近づくにつれて、ヴァージニアとワソの震えが強まった。

「灰色の大地よ」

 ジャスミンは不吉な水平線を見つめながら言った。

 エムリスの痩せた顔には、恐怖と興奮が入り混じっていた。

 その顔は、厚く鈍い緑色のヒル採集者のマントフードでほとんど覆われていた。

「考えを変えるのに遅すぎる事はないぞ、エムリス。これはドランの物語じゃない。

 命懸けの現実なんだ」

「今更帰るなんてできないよ。君には僕が必要なんだ。僕がいないと笛を吹けないだろ?」

「エムリス、あなたの肌は地上の世界には向かないわ。

 きっと太陽があなたの身体を焼くでしょうね」

「マントが太陽から僕を守ってくれるんだ。それに、洞窟を出たピラの民は僕が初めてじゃない。

 ドランによると、アリスとロズナンの時代に七人がそうしたんだ」

「エムリス、奴らは皆、死んだ。死んで、二度と故郷を見る事はなかった」

「あの人達は太陽じゃなくて、地上の者達に殺されたんだ。

 いずれにせよ、あの人達はプリューム族だった。

 プリューム族は、オーロン族が邪悪であるのと同じくらい無謀で愚かだった」

「違う! プリューム族もオーロン族も愚かでも邪悪でもないわ! エムリスと同じよ!」

 船を漕いでいたヒル採集者達は振り返り、凶暴に眉をひそめた。

 一人は喉の奥から低い音を立て、もう一人は不快そうに歯を剥き出した。

 ジャスミンは唇を噛み締め、怯む事なく彼らの視線を返した。

 ついに彼らは正面を向き、再び船を漕ぎ始めた。

 エムリスは骨ばった肩を竦めた。

「お願いだから、もう騒がないでくれ。これは、願いを叶えるたった一度のチャンスなんだ。

 自分の世界ではない世界を見る事。もし死ぬとしても、それは僕が選んだ道だから」

 バルダは絶望に打ちひしがれ、乱れた髪を手でかき上げた。

「五人だ。五人の短気な若者だ。神にかけて、三人でも十分悪かったのか?」

 

 エメラルドの光は徐々に消え、

 一時間も経たないうちに船団は灰色の陰鬱な世界を漕ぎ進んでいた。

 彼らは今やドランの地図の範囲を遥かに超え、デルトラの国境を越えた。

 見上げると、ただ渦巻く闇しか見えなかった。

 遥か頭上には、恐怖の山の背後に群がる危険な峰々が聳え立っているのが分かっていた。

 鉄のように硬い岩山には、湿った秘密の洞窟がいくつもあり、

 巨大ヒキガエルのゲリックのような恐ろしい獣が棲んでいる。

 ヴァージニアとワソの顔色はかなり悪くなっていた。

 船の速度は徐々に落ち、ヒル採集者達の険しい顔は緊張し、警戒を強めていた。

 前方に墨のように黒い影が迫っていた。

 影の王国の地下の洞窟だ。

「いつになったら奴らは私達を置いて行ってしまうの?」

「影の端まで行かなければならない」

 ヒル採集者の一人が、振り返らずに突然言った。

「笛吹きがそう言ってるんだ。

 ケラスに感謝を込めて、我々はそこで立ち止まり、君を地上の邪悪な場所へ送り出す」

「僕達を送り出すのか?」

 リーフは混乱して瞬きした。

 ケラス族が地上への秘密の道を教えてくれると思っていたのだ。

 だが、これはまるで……。

「この仕事に七つの魔法は必要ないかもしれない。

 だが、念のためそうしておいた方がましだと思った。

 上の岩がどれほど深いかは誰にも分からない。

 君がどんなに奇妙な考えを持っていたとしても、途中で捕まるのは嫌だ、そうだろう?」

 同行者はくすくす笑った。

 リーフはジャスミンが身震いするのを感じ、ジャスミンも自分と同じように、

 固い岩の真ん中に閉じ込められるという悪夢のような幻覚に囚われている事を悟った。

 ヴァージニアとワソは一度、影の王国に召喚された。

 二人にとって改めてもう一度行く場所なのだから、恐怖が止まらないはずがなかった。

「怖がらないで。僕達の祖先は、ドランを何度も地上に送り返して、何の害も与えなかった」

「それはずっと昔の事だ。それに、ドランは影の王国に送られたわけではないはずだ」

「まさか! ドランはいつもケラスの西の洞窟から出ていた。

 上の地、ちょうどその場所には大きな水路があって、故郷へ帰るための船があると言っていた」

「トル川だ! ドランはあんなに隠れてそうしていたのか。恐怖の山の下の茂みに姿を現す。

 それから川まで歩いて行き、船を待つ。当時は盗賊はそんなに多くなかっただろう」

「あるいはオル」

「……オルって、あの変身怪物よね」

 クリーはジャスミンの肩の上で神経質に鳴いたがジャスミンはクリーの方を振り返らなかった。

 ジャスミンの目は、目の前に迫りくる闇の塊に釘付けだった。

 影の王国……もうすぐ、本当にすぐに、

 ジャスミンは失踪した妹、フェイスの捜索を始めるだろう。

 ヴァージニア、ワソ、リーフ、バルダも傍らにいるだろう。

 ジャスミンは、リーフがフェイスの事を自分に隠そうとした事を許していなかった。

 しかし、洞窟に入ってから二人で共に乗り越えてきた数々の経験を経て、

 ジャスミンの怒りは徐々に収まっていた。

 今、リーフがフェイスを秘密にしていたのは、

 愛するジャスミンを危害から守りたいという切実な願いからだったと確信していた。

(リーフが私を騙したのは間違っていたみたいね)

 ジャスミンの目は、焦点の定まらないまま、前方に広がる影を見つめていた。

 デルでリーフを待っているのは将来の妻――博識で高貴なトーラの娘――に相応しい王妃となり

 いつかリーフの後を継いでデルトラのベルトを身に着ける子供を産むだろう。

 しかし、ジャスミンは今、リーフと共にいる。

 そしてジャスミンは、リーフの真の友だ。

 それで十分だと、ジャスミンは自分に言い聞かせた。

(私には城の礼儀作法なんて知った事じゃないわ。何も知らないし、知りたいとも思わない)

 フィリは襟首の下で小さくすすり泣き、ジャスミンを慰めようと手を上げた。

 ジャスミンは無意識のうちにフィリの温もりに慰められていた。

「ドランが最初に洞窟に来た時、ケラスに辿り着けなかったんだ」

 エムリスはその間、ヴァージニア、ワソ、バルダに話しかけていた。

「プリューム族がトパーズの海で溺れているドランを見つけたんだ。

 助けたのに、すぐに水面に送り返したんだ! プリューム族って本当に間抜けだね!」

 リーフは言葉を止め、罪悪感を込めてジャスミンを一瞥したが、

 ジャスミンはまだじっと前を見つめていた。

「プリューム族はドランが忘れるだろうと思っていたんだ。

 でも、船を漕ぎながら歌った歌が頭に残って、思い出したんだ。

 それでドランは戻ってきた。そして今回は……」

 エムリスの熱意に満ちた声は甲高い声に途切れた。

 暗闇がカーテンのように降り注いだ。

 ヴァージニア達を取り囲む水面は夜のように黒く、何も見えなかった。

 聞こえるのは波の打ち寄せる音と、長舟を取り囲む小舟が優しくぶつかり合う音だけだった。

「時が来ました」

 ティラルの震える声が闇に響いた。

「今こそ、考えを変える最後のチャンスです。

 私達と共にケラスへ、そして安全な場所へ戻りますか?

 異世界から来た二人の女、リーフ、バルダ、ジャスミン、エムリス?」

 長い沈黙があった。

 

「分かりました」

 ティラルの声は、今や厳粛に抑制していた。

「一つ忠告があります。必ず心に留めておいてください。

 その価値を全身で感じているからです。今や影はピラの土に深く沈み込んでいます。

 プリューム族とオーロン族がどう思おうと、ピラは永遠に失われました。

 二度と取り戻す事はできません」

「それは分かっている。プリューム族もオーロン族も分かっていないだろうが……」

「まだ言い終わっていません」

 ティラルはリーフに遮るように言い放った。

「聞いてください。影の大王の力は、笛がピラの地を守っていた頃よりも、遥かに強大です。

 上手く吹こうが下手であろうが、笛が影の大王の手を止めるのはほんの一時だけ、

 それも不意を突かれた時だけだ。その魔法は最も必要な時まで取ってください」

「そうしよう」

 ヴァージニア、ワソ、リーフ、バルダ、ジャスミンは一緒に呟いた。

 影の大王に召喚されたヴァージニアとワソの顔は、少し生気が戻っていた。

 

「では、あなた達の幸運を祈る以外に何もする事はありません。

 腕を組んで、目を閉じて、何も考えないように」

 暗闇の中からティラルが言った。

 まるで夢の中にいるような気分で、リーフは船の中央へと移動した。

 リーフは硬く濡れた板の上に跪き、両腕を広げてヴァージニア達をぎゅっと抱きしめた。

 彼は頭を下げ、意識を空っぽにしようとした。

「幸運を祈るぞ、いとこ達」

 ヒル採集者の一人の荒々しい声が静寂の中に低く響いた。

 そして、凍えるような寒さ、押し寄せる暗闇、耐え難いほどの眩暈が襲った。

 突然、恐ろしい静寂が訪れた。

 荒涼とした苦い匂い。

 すぐ近くで、風の呻き声と混ざり合った、速くてドスンという音が響いた。

 リーフは痛みを伴う目を開け、影の王国で初めて、息を切らして息を吸った。




影の王国では、オルに匹敵する脅威が待ち受けている事でしょう。
エムリスも守らなくては。
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