ヴァージニアとデルトラクエスト2   作:アヤ・ノア

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今回のボスは、こういう奴なんです。
だから、こんな感じになってしまうのですよ。


第7話 洞窟に潜む怪物

 松明はすぐ目の前の地面を照らしていたが、その温かく揺らめく光を濃い闇が包み込んでいた。

 まるで小さな光の泡に乗って黒い海を漂っているようでした。

 リーフは夢の中で動いているような気がした。

 空気は重く、温かかった。

 そしてゆっくりと、奇妙な麝香のような匂いが強くなっていった。

「ここに何か、怪物がいる」

 リーフがそう言うと、松明の光が前方の何かを照らした。

 巨大な何かだ。

 踊る影の中で、鱗が金色に輝いた。

 歯と爪が白く光っていた。

 針のように鋭い棘が密集した尾が巻き付いていた。

 蜘蛛の巣で覆われた、折り畳まれた革のような翼が塵の中に引きずられていた。

(竜!)

 リーフの胸に深く、古き恐怖がこみ上げ、足が震えた。

 バルダが息を吸うのが聞こえた。

 竜は身動きしなかった。

 動いていたのは、その巨大な体に揺らめく松明の光だけだった。

「え、これ、竜ですの? この世界で見るのは初めてですわ」

「でも、私達に気づいていないような」

「目は閉じている。眠っているか、あるいは死んでいる」

「死んではいないと思う」

 リーフは、何とか気持ちを落ち着かせようとしながら言った。

「でも、眠っているわけでもない。

 そうでなければ、僕達の存在に気づいて目を覚ましていたはずだ。これは何かの魔法だ」

 イラダチは左へと忍び寄り始めた。

 ヴァージニア達が後を追うと、洞窟の岩壁に松明の光が揺らめき始めた。

 やがて、壁と竜の頭の間に狭い隙間がある事に気づいた。

 これがヴァージニア達の進むべき道だった。

 既にイラダチは必死にその隙間を這い進んでいた。

 バルダは深呼吸をして、まっすぐ前を見つめながらイラダチの後を追った。

 ヴァージニア、ワソ、リーフも後を追った。

 リーフは前を見据えるべきだと分かっていたが、できなかった。

 振り返り、見とれてしまうほど恐ろしい頭を見つめた。

 手を伸ばせば触れるほど近くにあった。

 リーフが見つめていると、竜の大きな金色の目が開いた。

(……僕達に気づいたのか!?)

 リーフは凍りつき、頭が真っ白になった。

 恐怖も、希望も、思考も何もなかった。

 あるのは竜の目だけ。

 そこに映る自分の顔――青白く、弱々しく、小さな顔――は、

 デルトラのベルトのトパーズのように金色に輝く冷たく平らな海に浮かんでいた。

 太古の記憶が深く刻まれていた。

 しばらくの間、その目はリーフを捉えていた。

 そして、ゆっくりと、再び閉じた。

 

「はぁ、はぁ……」

 解放され、衝撃で吐き気を催すほどだったリーフは、

 ヴァージニア達が待つ場所へとよろめきながら進んだ。

「ちょっと、どうしたんですの?」

「リーフ、お前は正気か? 危険を冒すとは……?」

「様子が変ですよ?」

 リーフは何も考えずに通り過ぎた。

 目の前には暗闇が広がっていたが、背後に広がる闇よりはましだった。

 冷たい風が顔を吹きつけ、額の汗を冷やした。

 リーフにはただ逃げる事、身を隠す事しか考えられなかった。

 ヴァージニア達が急いで追いかけてくる音が聞こえ、

 バルダが引き止めようとしているのを感じた。

 またも冷たい風が吹き込んだ。

 松明が燃え上がり、消えた。

 リーフはよろめき、体勢を立て直し、薄い空気の中へと踏み出した。

 

「えっ?」

「危ない!」

 一瞬、信じられない思いがした。

 そしてリーフは落下し、バルダも引きずりながら、闇の中へと突き落とされた。

 

「……どうしますの?」

「追いかけるよ、ヴァージニア」

 ヴァージニアとワソは、縄を使って慎重に降りた。

 

 深く冷たい水。

 リーフは水面に押さえつけられている。

 肺が破裂しそうになりながら、リーフは必死に水面へと這い上がった。

 水面でもがき、大きく息を吸い込み、ぼんやりとした水面越しに辺りを見回した。

「バルダ! ジニー! ワソ!」

 リーフが必死に叫ぶと、こだまがリーフに応えた。

 無数のこだまが、四方八方から呼びかけ、囁くように響いた。

 突然、近くで水しぶきが上がった。

 安堵で眩暈がするリーフは、バルダが息を切らし、咳き込むのを聞いた。

 そして、ヴァージニアとワソがゆっくりと上から降りて、

 偶然にあった板の上に降りるのを、リーフは確認した。

「バルダ! ジニー! ワソ! 僕はここにいる!」

「いるよー!」

「いますわよー!」

 リーフは、音の方向へもがきながら叫んだ。

 目が冴え始めると、リーフはバルダの頭の形を見た。

 淡い液体の金のように動く水面に、黒く浮かぶ頭。

 周囲一面に金の柔らかな輝きが広がっていた。

 始まりも終わりもないかのような広大な洞窟の壁から、金が煌めいていた。

 竜の目のように、竜の鱗のように、巨大なトパーズのように。

 ここは、遥か昔、アリスが逃げ込んだ洞窟だった。

 ジャスミンが探し求めていた場所。

 影の王国へと続く地下道の始まり。

 しかし、古い物語には重要な点が一つだけ記されていなかった。

 洞窟は水浸しだった。

 そして……リーフの胃がひっくり返った。

 ジャスミンは泳げなかったのだ。

 深い悲しみの中、リーフはバルダの腕が伸びリーフの傍らの水面に浮かぶ何かを掴むのを見た。

 一瞬、リーフはそれが死体だと思った。

 しかし、それはただの丸太だと気づいた。

 リーフは見上げた。

 煌めく洞窟の天井が、黄金色の空のように高く弧を描いていた。

 ヴァージニア達が落ちた穴は、小さなぼんやりとした暗闇の塊に過ぎなかった。

 リーフには辛うじて見える程度だった。

 ヴァージニア達がそこに辿り着く事は到底不可能だった。

 バルダは丸太に半分寄りかかりながら、リーフの方へ漕ぎ寄った。

「これでしばらくは浮いているだろう。別の脱出口が見つかるまでは。それとも……」

「それとも、どうなるんですの?」

 リーフは、ヴァージニアの声が震えるのを感じながら思った。

「木が水浸しになって沈んでしまうまでか?

 それとも、もうこれ以上掴まっていられないほど疲れ果ててしまうまでか?」

「この先、もっと浅いかもしれない。やってみよう」

 そう言うと、リーフは視界の端に何かが動くのを見た。

 小さくて黒い何かが、波打つ水面をかき分けてこちらに向かってうごめいていた。

 リーフはもつれ合う脚と怒りに満ちた赤い視線の正体に気づき、自分の目が信じられなかった。

「イラダチ!」

 蜘蛛が丸太に辿り着くと、リーフは叫んだ。

 イラダチは鎖を引きずりながら、苦労して水から這い上がり、

 丸太の頂上に辿り着き、そこに睨みつけた。

 バルダは信じられないといった様子で首を振った。

「少なくともお前とはお別れだと思っていたのに、蜘蛛め」

 それでも、イラダチの出現はヴァージニア達を元気づけた。

 丸太が体を支えているリーフとバルダはゆっくりと漕ぎ始めた。

 ヴァージニアとワソも、板の上に乗りながら泳ぎ始めた。

 最初は互いに言葉を交わし、この場所の神秘的な美しさに驚嘆し、

 イラダチが相変わらず拗ねている事を冗談で言ったりもした。

 しかし、時間が経つにつれて会話は途絶え、ついにヴァージニア達は沈黙した。

 それは疲労と寒さ、そして徐々に失われていく希望による沈黙だった。

 リーフの足は痺れていた。

 最早漕ぐ力は残っていなかった。

 リーフは丸太に頭を下ろし、頬の下に奇妙なスポンジのような柔らかさを感じた。

「しっかりしろ、リーフ! 死ぬんじゃない!」

 バルダの声は遠く感じられた。

 リーフは答える事ができなかった。

 彼の心は漂い、漂っていた。

 輝く水面を漂っている間も。竜の眼球に自分の姿が浮かんでいた。

 

 リーフは、どれくらいの時間が経ったのかも分からず、

 深い眠りからゆっくりと浮かび上がってきた。

 目を開け、瞬きをした。

 金色の光は緋色に変わっていた。

 空気さえも赤く染まっているようだった。

 水しぶきの音が聞こえ、何かが急速に動いているのを感じた。

 ゆっくりと、自分が船の底にいる事に気づいた。

 バルダ、ヴァージニア、ワソが隣に横たわっていた。

 そして船の中央に座り、素早く完璧なタイミングで櫂を水に浸していたのは、

 奇妙な姿をした二人の生き物だった。

 彼らの体は小柄だったが、人間だった。

 立ち上がれば、恐らくグノメ族と同じくらいの身長だろう。

 だが、体格は遥かにずんぐりとしているようだった。

 しかし、彼らは全く毛がなく、頭と顔は犬のように、長い鼻先と大きく尖った耳を持っていた。

「何だか妖精みたいですわね」

 リーフは最初、彼らが赤い服を着ていて、肌も赤いと思った。

 しかし、それが緋色の輝きによる幻覚だと気づいた。

 実際、その生き物の皮膚は死ぬほど青白く、地中を這う生き物によくある柔らかさだった。

 リーフは身震いした。

 これはゴブリン族に違いない。

 昔話に出てくる醜く意地悪な生き物だが、リーフが想像していたような姿とは違っていた。

 目が覚めた事を悟られたくないリーフは、

 半瞼でゴブリン族が静かに漕ぎ、青白い目でまっすぐ前を見つめるのを見守った。

 ゴブリン族達は急いでいるようだ。

 彼らの動き、険しい顔つきには、焦りを感じた。

 ヴァージニア達をボートに乗せるのに、かなり時間がかかったに違いない。

 今、彼らは遅刻しているか、何らかの危険に晒されているようだ。

 ゴブリン族は邪悪な意志を持つ怪物だとよく言われている。

 しかし、この二人は、遅れる余裕などなかったにもかかわらず、

 ヴァージニア達を溺死から救ってくれたのだ。

 もしかしたらゴブリン族の悪評は嘘だったのかもしれない。

 恐らく、かつてゴブリン族を目撃した数少ないデルトラの民は、

 その奇妙な外見故に彼らを恐れていたのだろう。

 しかし、そう思ったリーフは自分の剣を探した。

 それはなくなっていた。

 振り返ると、バルダの剣、ヴァージニアのメイス、ワソの刀と銃もまたなくなっていた。

 柔らかな赤い光に目を細めて目を凝らすと、

 ゴブリン族の足元に金属片がかすかに光っているのが見えた。

 ヴァージニア達は武器を奪われていた。

(なんで、わたくし達の武器を奪うんですの)

(ヴァージニアには奇跡があるからいいんだけどね)

 岩が岩に擦れるような、低くしゃがれた音が洞窟に響き渡った。

 ゴブリン族は二人とも立ち止まり、耳を震わせ、警戒した。

 一方が他方に囁きかけ、それから二人はさらに速く漕ぎ始めた。

 船がスピードを上げるにつれて、水面の波紋は大きくなっていった。

 再びざらざらとした音が響き、遠くで轟音が響き、

 そして突然、衝撃的な事に、船首が急激に上昇し、そして再び沈んだ。

「きゃぁっ!」

 ヴァージニアは小さな叫び声を上げた。

 リーフは冷たい水が船の側面を伝って流れ落ち、リーフの体に降りかかるのを見て息を呑んだ。

 バルダは身動きしてうめき声を上げた。

 ゴブリン族は彼らを一瞥したが、一瞬たりとも漕ぐのを止めなかった。

 船は再び吐き気がするほど上下に揺れた。

 そして今、リーフは、船の側面越しにはっきりと見えた赤い水の大きな波が

 ヴァージニア達の周りでうねり、刻一刻と大きくなっているのを見た。

 まるで嵐に巻き込まれたかのようだったが、風はなかった。

 聞こえるのは、あの不気味なざらざらとした音と、次第に大きくなる鈍い雷鳴だけだった。

 リーフは今、それが陸に打ち寄せる波の音だと分かった。

「陸だ!」

 リーフは起き上がろうとしたが、船がまた別の波を乗り越え、

 反対側に滑り落ちると、すぐにまた後ろに倒れた。

 冷たく泡立つ水に浸かりながら、彼は再び起き上がろうともがいた。

「静かにしろ!」

 一人のゴブリン族が怒って叫んだ。

 ヴァージニア達は渦巻く水に膝まで浸かっていたが、

 それでも以前と変わらず集中力を保ちながら漕いでいた。

 巨大な赤い波が今や船の四方八方にそびえ立っていたが、ゴブリン族は前だけを見ていた。

 長い鼻をぴくぴくさせ、青白い目を近視するように見つめていた。

 そして突然、リーフが安堵の叫びを上げるような音と感触が訪れた。

 船の底が陸に擦れていたのだ。

 ゴブリン族は櫂を投げ捨て、水に飛び込み、船を波から引きずり出し、助けを求めた。

 傷つき、震えながら、ヴァージニア達は膝から這い上がった。

 ゴブリン族は船を、渦巻く水面から隆起した泥だらけの陸へと引き上げていた。

 近くには他の船もいくつかあり、最初は奇妙な形の木のように見えたが、

 リーフはすぐにそれが巨大な枝分かれした緋色のキノコだと気づいた。

「キノコみたいだ。でも、毒があるかもしれないから食べちゃダメだよ」

 リーフは呆然と周囲を見回し、目の前の光景を捉えようとした。

 赤や茶色のキノコの木々が生い茂る丘陵地帯。

 水辺に近い数本は波の力で折れたり根こそぎにされたりしていた。

 整然とした畑には、流れ落ちる水面の上に、何らかの作物の列が見えていた。

 そして、岸辺の泥の向こうに村があった。

 波は村を囲む低い壁を越え、通りは水浸しになっていた。

 数体のゴブリン族が村から逃げ出し、安堵と歓迎の叫び声を上げていた。

 ヴァージニア達を救出したのは、クレフとアザンという名の男だったようで、

 明らかに待ち望まれていた。

 しかし、ヴァージニア達の姿を見た途端、歓喜の声がさらに大きくなり、

 熱心な手がヴァージニア達をボートから助け出した。

「早く安全な場所へ連れて行け」

 アザンは言い、船の座席の後ろから剣を拾おうと屈んだ。

 集団の真ん中で押し合いへし合いになりながら、ヴァージニア達は村へと急がされた。

 壁に到達すると、再びざらついた音が聞こえてきた。

 今度は耳障りなほど高く、耳障りな音にまで高まった。

 リーフは驚いた。

 ゴブリン族は速度を緩め、緊張した表情も少し和らいだ。

 しばらくして、波が壁に打ち寄せていない事に気づいた。

 少なくとも今は、危機は去ったようだ。

 ヴァージニア達は村に入り、家々が立ち並ぶ、

 水浸しで閑散とした通りを水しぶきを上げながら進み始めた。

 家々はどれも暗い赤や茶色に染まっていた。

 多くは嵐で被害を受けていた。

 中には、ドアが破裂して中の部屋に水が流れ込んでいる家もあった。

 鮮やかな色に塗られた鉢や壺、小さな家具、寝具や衣類までもが洪水に流されていた。

 クレフは、通りを次々と急ぎ足で進むヴァージニア達を、怒りの眼差しで左右に見渡した。

「今まで見た中で最悪の状況だ!」

「なぜウォーロンは生贄を捧げなかった?」

「時間がなかったんだ」

 隣にいたゴブリン族が不安そうに言った。

「新しい生贄のために、準備の儀式をもう一度始めなければならなかったのに、

 まだ終わっていないんだ」

「それがどうした?」

 背後からアザンが叫んだ。

「あの最後の呼びかけは最後の警告だった。儀式が我々の命よりも大切なのか?」

 バルダはくぐもった叫び声を上げた。

 リーフはちらりとバルダを一瞥した。

 しかし、バルダは聞いていなかった。

 バルダはゴブリン族の頭越しに、村の端にある群衆が集まっている広場を見ていた。

 群衆が新参者を出迎えようと押し寄せる中、その広場の中央には、背の高い檻があった。

 檻は高い壁に囲まれ、複雑な模様の赤い石で囲まれていた。

 そして檻の中には、両手を後ろ手に縛られたグロックとジャスミンが立っていた。

 

「生贄だって? 随分、物騒な事を言うんだね」

 ワソは彼らの会話を見て、そう呟いた。

 

「グロック! ジャスミン! 無事だったんですのね!」

「この通り……な」

 咆哮と共に、バルダは最も近くにいたゴブリン族を倒し、

 くるりと身を翻してアザンと剣へと突き進もうとした。

 リーフはアザンを助けようと飛びかかったが、二歩も踏み出さないうちに閃光が走り、

 リーフはその場に凍りついた。

 同時に、洞窟は闇に包まれた。

 震え、目も見えず、手足は思うように動かず、

 リーフは周囲に広がる混乱の中、無力に立ち尽くしていた。

 辺りは叫び声と呻き声で満ちていた。

 ゆっくりと、ごくゆっくりと、僅かな光が戻ってきた。

 かすかな赤い光、まるで日の出を予感させるかのようだった。

 リーフは人影と動きを判別し始めた。

 バルダ、ヴァージニア、ワソはリーフ自身と同じように、じっと近くに立っていた。

 地面に倒されたゴブリンたちは、他のゴブリン族の助けを借りながら、

 必死に立ち上がろうとしていた。

「ゴブリン族を縛り、急げ! 奴らを長く拘束したまま、光も保つ事はできない」

 リーフは愕然とした。

 両腕が背中に引っ張られ、手首が縛られているのを感じた。

 足首も縛られていたが、歩けないほどきつくはなかった。

 バルダ、ヴァージニア、ワソも同じ扱いを受けているのが分かった。

「どうして今まで縛られなかったんだ、クレフ?

 長髪族があいつを見ると戦うだろうと、きっと分かっていただろう?」

 新たな声が苛立ちを込めて尋ねた。

「どうしてあんな遠くからでも見えるんだ? 奴らに魔眼があるのか?」

「昔話を聞いていたら、長髪族が異常なほど遠視力を持っている事を知っていただろうに。

 お前の不注意で、俺達を危険に晒したな」

「そして、ウォーロン、お前も遅れたせいで、俺達を危険に晒したな!」

 クレフは激怒して言い返した。

「『生贄』はとっくに終わったはずだ。

 アザンと俺は海で命がけで戦っていたのに、お前はここでぐずぐずしていた。

 ダークの怒りに抗い、村を……」

「自分の過ちから目を逸らそうとするな!」

 ウォーロンと呼ばれるゴブリンが叫んだ。

「もし私を尊敬しないなら、クレフ、せめて私の役職を尊重し、正式な称号で呼んでくれ」

 クレフは不機嫌そうに黙っていたが、

 薄暗い中で、リーフはクレフが歯を食いしばって唸り声を上げるのが見えた。

 ウォーロンは少し間を置いてから、再び声を張り上げた。

「長髪族を解放する。もっと光が入るようにな。しっかり掴んでおけ」

 洞窟がゆっくりと明るくなり、リーフは腕と脚が動き始めたのを感じた。

 誰かが背後からリーフの肩を掴み、リーフは振り返った。

 ヴァージニア達の前に立っていたのは、長い緋色のローブと、

 赤い石がちりばめられた背の高い硬い頭巾を被った、皺だらけのゴブリンだった。

 どうやらこれがウォーロンだったようだ。

 ウォーロンはヴァージニア達を睨みつけようと身を乗り出したが、

 急に後ずさりし、軽く身震いして鼻にしわを寄せた。

 明らかに、ヴァージニア達の姿は見ていて酷く醜く、匂いも気に入らないようだった。

「奴らを生贄の場に連れて来い。儀式はすぐに再開しなければ。ダークが焦り始めている」

 ローブをひらひらと鳴らし、ウォーロンは振り返り、よろよろと広場へと戻り始めた。

 後ろから押され、腕をしっかりと掴まれたヴァージニア達は、

 よろよろとウォーロンの後を追った。

 背後に立つグロックの巨体の前で小さく見えるジャスミンは、檻の柵に顔を押し付けた。

 リーフの心臓は激しく跳ね上がった。

 クリーがジャスミンの肩に座り、フィリが首から顔を覗かせていた。

 ジャスミンの髪は濡れて絡まっていた。

 リーフが沈黙の森で初めてジャスミンを見た時と全く同じようだった。

 しかし、ジャスミンは自由の身だった。

 監禁されているジャスミンを見るのは苦痛だった。

 檻に近づくとジャスミンの目は狂おしいほどに輝いた。

 明らかに、ジャスミンは目の前の光景が信じられないようだった。

「ヴァージニア、ワソ、リーフ、バルダ! ここで何をしているの? どうして……?」

「静かに!」

 ウォーロンが怒鳴った。

 彼は檻の扉を開け、ヴァージニア達を中に入れるようにせっかちに手招きした。

「何をしているんだ?」

 命令が守られると、クレフは怒り狂って叫んだ。

「まさか、一度の贈り物で長髪族を全部使うつもりじゃないだろうな?」

「もちろんだ」

 ウォーロンが下を向き、苛立ちに舌打ちをすると、

 ずれていた赤い石を元の位置に戻すためにかがみ込んだ。

「だが、それはおかしい!」

 アザンは群衆をかき分けてクレフの傍らに立った。

「ダークは毎年生贄の贈り物しか要求しない。

 この長髪族を三つ、将来のために取っておけば、

 民は三つの生贄のためにくじを引く必要がなくなる!」

 群衆の多くは頷き、同意の言葉を呟いた。

 ウォーロンは軽蔑するように首を横に振った。

「長髪族を安全に保管しておく事はできない。奴らは醜いだけでなく、凶暴でもある。

 それに、ダークが満足すれば、もうしばらくは生贄を要求しないかもしれない」

「将来、一つではなく四つの生贄を要求する可能性の方が遥かに高い!」

 クレフは叫んだ。

 ウォーロンが石を片付け続けると、不満のざわめきが始まった。

 返事もしなかった。

「あの人達は何を話しているんだ?」

「そもそも、怪物ダークって何者ですの?」

「死だ」

 グロックは唸った。

 ジャスミンは無言で振り返り、檻の背後にそびえ立つ壁のパネルを指差した。

 リーフとヴァージニアはそこに刻まれたものを見て、胃がむかむかした。

 それは、10本の触手が蠢く恐ろしい海の怪物の絵だった。

 怪物は叫び声を上げるゴブリンを掴んでいて、ゴブリンを引き裂いていた。

 ヴァージニアは思わず失神しそうになったが、何とか意識を保った。

「ダークはここからそう遠くない、洞窟の中にいるの」

 ジャスミンは呟いた。

「毎年、生贄を要求するの。

 もし人々が躊躇すれば、水に打ち寄せて大波を起こし、島を水浸しにして村を滅ぼすのよ。

 彼らは決して逆らおうとしないのよ」

 リーフは振り返り、檻の外に集まったざわめく群衆を恐怖の眼差しで見つめた。

 ウォーロンが背筋を伸ばし、両手を挙げ、口元に当てるのを見た。

 たちまち静寂が訪れた。

 

(あんなウネウネした怪物、相手にできませんわ。あんなのを倒すなんてどうかしてますわよ)

 ヴァージニアは壁画のダークを思い出しながら、身震いした。




秘密の海の表紙に描いてあったダークを見た時、
やっぱりヴァージニアはこういうのが苦手だなぁ、と思いながら書いていました。
しかも、第2部ではこういう怪物もたくさん出てくるそうで。
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