出発の朝、葉月は夜蛾のもとを訪れていた。
「葉月、今回の任務に悟や傑は同行できないが、問題なさそうか?」
「大丈夫ですよ。もし何かあれば、すぐ連絡します」
「……無茶だけはするなよ」
夜蛾はそう言って、葉月を見送った。
任務へ向かう途中、葉月は九十九と遭遇し、呪具として双刀を受け取る。
その刃の重みを確かめるように、軽く柄に触れた。
―久禮田家 屋敷―
屋敷に足を踏み入れるのは、高専に入学して以来だった。
廊下には自我を持った呪霊が行き交い、
久禮田家とは、術師が少数精鋭で実際のところ
それは――葉月にとって、幼い頃から慣れ親しんだ日常の光景だった。
「ご無沙汰しております、葉月様」
「……睦月は?」
問いかけに、使用人は一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「……さて、どなたのことでしょうか」
白を切る態度に、葉月の表情が一変した。
次の瞬間、呪力を込めた拳が壁に叩きつけられる。
「……睦月に、何をした?」
「……っ、い、いつも通り体罰を――」
バンッ!
壁が砕け散る音が、屋敷に響いた。
「……手を出したの?」
低く、冷え切った声。
「言ったよね。傷つけたら許さないって。今すぐ、上の連中を呼んで」
殺意を隠そうともしないその気配に、使用人は青ざめ、慌てて人を呼びに走った。
ほどなくして、宗家の人間が姿を現す。
「1年半ぶりに帰ってきたと思えば、“あの落ちこぼれ”に何の用だい?君には不要な心配だろう」
「……睦月に、何をした?」
睨みつける葉月に、宗家の男は肩をすくめて笑った。
「少し抵抗したから、痛めつけただけだよ。次期当主である君の我がままを聞いて、17歳まで生かしているんだ。それなりに立場を弁えるのは当然だろう?」
「……」
「継承式は明日だ。君も準備をしなさい」
それだけ言い残し、背を向ける。
「……継承式には、誰が来る?」
「宗家と分家の人間だ。君を次期当主として正式に認めるためにな」
――つまり、この屋敷には久禮田家の関係者が一堂に会する。
宗家の人間はそう告げると、使用人に葉月を部屋へ案内させた。
「……睦月は、いつもの場所にいるの?」
「え……まさか、会いに行くおつもりですか?」
「最愛の妹に会いに行って、何が悪い?」
圧を帯びた言葉に、使用人は完全に震え上がる。
1年半前とは比べ物にならないほど、葉月は変わっていた。
葉月はそのまま、地下へと向かった。
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そこは、屋敷の一部の人間しか知らない幽閉空間。
地上の光も、声も届かない。
むき出しのコンクリート、分厚い鋼鉄の扉――全てが無機質だった。
さらに、特殊な術式によって呪力すら封じられた、完全な閉鎖空間。
――ジャラ……。
少女の足には枷が嵌められ、わずかな動きでも金属音が響く。
少女は、何日も食事を取っていなかった。
配膳には虫が集り、簡易ベッドには使われた形跡すらない。
部屋の隅に座り込み、壁に頭を預け、ただ闇を見つめている。
壁や床に付着した血痕。
無造作に置かれた拷問器具。
少女は口を開かず、その時を待ち続けていた。
やがて――足音が近づく。
懐かしい、忘れるはずのない足音。
「……〔睦月〕」
鉄格子の前に現れたのは、瓜二つの“もう一人の自分”。
「……迎えに来たよ」
「……〔葉月〕」
仮面の色だけが、2人の違いだった。
「……何もされなかった?」
「私は大丈夫。それより〔葉月〕こそ……また傷、増えたね」
鉄格子越しに、互いに手を伸ばす。
触れられない距離が、痛いほどもどかしい。
「明日……継承式だよね」
「うん」
2人は寄りかかりながら、静かに言葉を交わす。
――本来、双子は共に生きるはずだった。
だが久禮田家に伝わる人体実験により、〔葉月〕が被験者として選ばれた。
――生まれながらに力を持つ〔葉月〕。
――それに劣ると判断された〔睦月〕。
“無能”と決められた者には、呪霊に肉体を捧げる運命が待っていた。
だから2人は、名前と立場を入れ替えた。
〔葉月〕は地下に幽閉され、“落ちこぼれの睦月”として。
〔睦月〕は地上で、“次期当主の葉月”として。
継承式までの17年間――
その条件のもと、〔睦月〕は高専で力を蓄えてきた。
「……どれくらいの人が来るの?」
「宗家も分家も……相当な人数になると思う」
「……そうか」
〔葉月〕は静かに微笑む。
「ここを出たら、一緒にいろんなところへ行こう」
「……」
「外の世界は、とても綺麗だよ。〔葉月〕もきっと気に入る」
悲しげな眼差しに、胸が締めつけられる。
「……〔葉月〕を傷つける人は、許さない。たとえ、この世界を敵に回しても」
「……それはお互い様だよ、〔睦月〕」
〔葉月〕の右顔面には、生後間もない実験の痕が刻まれていた。
そして度重なる人体実験の後遺症である“呪い”。
仮面は、それを抑えるためのものだった。
「……〔睦月〕がいない世界なんて、考えたくない」
2人は視覚共有を通して、世界を分け合ってきた。
だからこそ――失う未来など、想像できなかった。
日が昇るまで、2人はそこにいた。
―――共に生きることを、再び確かめながら。