先ほどの出来事を報告するため、五条は学長室に呼び出しをかけた。
学長の他に、家入硝子と七海建人も同席している。
「……急に呼び出してどうしたのよ」
硝子が煙草を弄びながら言う。
「葉月に会った」
空気が止まった。
七海の眼鏡の奥の瞳がわずかに揺れ、
学長の指先が机を一度だけ叩く。
「捕縛は?」
「いや……それよりも、気になることを言ってた」
3人の視線が集まる。
「葉月は、12年前……一般人を殺していないって」
沈黙。
誰もすぐには言葉を返さなかった。
「それだけじゃない。殺したのは呪詛師で、上が情報を操作して、“一般人殺し”の罪を被せて追放したって」
「……無実だと?」
七海の声は低い。
否定ではなく、整理のための確認だった。
「本人が、そう言ったのか」
学長がゆっくりと問う。
「ああ。突然追放されたから、仕方なく呪詛師として動いてるって」
硝子が短く息を吐く。
「上が絡んでるって言いたいわけ?」
五条は答えない。
確証はない。ただ、違和感だけが残っている。
「久禮田さんは今も活動しているんですか?噂をほとんど聞きませんが」
七海の指摘は正しい。
12年間、消息は完全に途絶えていた。
「……再び遭遇できる可能性は低いな」
学長が呟く。
「いや、むしろ向こうから来ると思うよ」
3人の視線が再び集まる。
「調べる必要があるって言ってた。高専に来る理由は十分ある。当時を知ってる人間も限られてるし……。彼女にとっては好都合だ」
言い切ることで、自分に確信を与えるように。
「次に会ったら、拘束する。今度こそ、皆の前に連れてくるよ」
その言葉が、壁に反響する。
――その会話が、既に聞かれているとも知らずに。
――
五条と別れた足で、葉月は都立呪術高専の結界に触れた。
感知の網を広げる。
懐かしい気配がいくつも引っかかった。
「……傀儡操術の夜蛾正道。反転術式の家入硝子。十劃呪法の七海建人……」
そして、一つだけ読み取りにくい気配。
「相変わらず、見えにくいね」
五条の服に仕込んだ小さな盗聴器から、会話が流れてくる。
「……へぇ。本当に情報操作されてるじゃん」
確信ではない。
だが仮説は輪郭を持った。
「じゃあ……望み通りに動いてあげるよ」
再会は偶然ではなかった。
ずっと機会を窺っていた。
単独になった瞬間を選び、偶然を装っただけだ。
「……12年ぶりも、悪くない」
軽く伸びをして、葉月は結界の外へ消える。
次に五条と会ったのは、わずか一週間後だった。
――それもまた、偶然ではない。
――…
「先生って初恋とかあんの?」
街を歩きながら、虎杖が何気なく聞いた。
「ちょっと気になるかも」
釘崎が横目で五条を見る。今日は目隠しではなくサングラスだ。
「そもそも誰かを好きになったこと、あるんですか?」
「それひどくな~い?」
わざとらしく目を潤ませる五条に、
「うわ、きも」
釘崎が即答する。
「で、どうなんです?」
逸れかけた話を伏黒が戻す。
「いるよ。今までで1回だけ」
3人が同時に足を止めた。
「え、なにその反応。君たちが聞いたんでしょ?」
「……どんな人なんですか」
「他人思いで、優しくてね。高専の時は僕の後ろにいた」
珍しく茶化さない口調に、3人は顔を見合わせる。
「……今でも好きなんですか?」
伏黒の声は小さい。
「……たぶんね」
曖昧な返答。
笑っているのに、目元だけが笑っていない。
「まあ、いつでも会えるように先生やってるのさ」
冗談めかした言い方に、3人は安心して歩き出す。
「……なんで忘れられないんだろうね」
その呟きは、雑踏に溶けた。
――ドンッ。
「あ、すんません!大丈夫ですか?」
虎杖が人にぶつかる。
「ああ、こちらこそ」
「悠仁、前見なきゃ……って、……え?」
五条の声が止まる。
「葉月?」
空気が一瞬で冷えた。
「やぁ、また会ったね」
彼女は僅かに笑う。
「お前、今までどこに――」
「君には関係ない」
穏やかな声音なのに、拒絶だけが鋭い。
1年生たちが言葉を失う。
「関係あるだろ……!突然、俺の前から消えて――」
「深い関係だった覚えはないけど」
感情のない事実だけの言葉。
五条だけが取り残される。
「先週会った後、色々調べたよ。相変わらずだね、高専」
「……!」
話が見えないまま、緊張だけが増す。
「呪詛師の私、捕まえないの?」
そう言いながら、虎杖を見る。
「あ、君が宿儺の指を食べた子?」
3人の気配が一斉に変わる。
「宿儺くらいの“呪い”なら、“私たち”は死ねるのかな」
「……お前、何を言って――」
「せっかくだし、高専連れてってよ」
五条はため息を一つつき、彼女の腕を掴む。
「連れてく。12年前のこと、全部話せよ」
「話したって信じないでしょ」
「……上に嵌められたのか?」
葉月の視線が一瞬だけ揺れる。
それだけで、十分だった。
(やっぱり何かある)
五条はその手を強く握る。
「ねえ。高専連れてったら、僕と付き合ってくれる?」
1年生3人が同時に固まる。
「……何で?」
「12年前の返事、まだ聞いてない」
沈黙のあと、葉月が小さく鼻で笑う。
「……そういえば、そうだね」
手は振り払われなかった。
「よし。じゃ、帰ろっか」
軽い声とは裏腹に、五条の指先だけが少し震えていた。
こうして、高専の4人と、呪詛師の葉月は並んで歩き出す。
――誰も、同じ方向を見てはいなかった。
――都立呪術高専
門をくぐった瞬間、葉月は足を止めなかった。
懐かしむ素振りも、嫌悪もない。ただ通過するだけの視線。
「着いたよ」
「君が教師ね。想像つかないな」
「うるさいなー」
軽口を交わしながらも、五条の手は離れない。
指と指が絡んだままだ。
「……呪詛師のアンタが、何しに来た」
伏黒の問いに、葉月は五条を見る。
「夜蛾先生は?」
「ここの学長」
「へえ。意外」
「悠仁たちは戻ってていいよ。僕が連れてくから」
3人は顔を見合わせ、無言で去った。
残ったのは2人だけ。
「これで2人きりだね」
葉月は苦笑する。
握られた手が、恋人繋ぎになっていることに気づいて。
――学長室
夜蛾はぬいぐるみに針を通していた。
顔を上げた瞬間、手が止まる。
「……お前、本当に……久禮田か」
「ご無沙汰してます、夜蛾先生」
軽く頭を下げる。
あの頃と何も変わらない所作。
「硝子、七海くんも。久しぶり」
硝子は言葉を失い、
七海はわずかに会釈する。
「……顔合わせはいい。葉月、12年前に何があった」
五条の声が一段低くなる。
葉月は小さく息を吐いた。
「遡るなら、私の家系から話さないといけない」
「家系?」
「久禮田の名は、200年前まではそれなりだった。今は……存在しないことになってる」
夜蛾の眉が動く。
「非術師の家系じゃなかったのか」
「そう伝わってる時点で、もう書き換えられてるよ」
静かな言葉。
だが4人の空気が変わる。
「久禮田家は代々、呪詛師を出す一族だった。非術師を殺し、呪霊の世界を作る。それが“教育”だった」
誰も口を挟まない。
「反発すれば、家族でも殺される。私は……それを壊した」
沈黙。
「上は私を危険因子と見た。任務の名目で何度も消そうとした」
そして。
「12年前、私は宗家と分家を殲滅した」
息を呑む音が重なる。
「でも久禮田家は“非術師の家系”になってた。だから私は、“一般人殺し”になった」
言い終えると、葉月は一度だけ瞬きをする。
「今は呪詛師として動いてるのか」
「私が殺すのは、〔呪い〕と〔人〕だけ」
笑っているのに、意味は濁ったまま。
右頬を覆う仮面が、わずかに光を拾う。
「……実力の偽装は事実か」
夜蛾の問い。
「ああ、それ」
一瞬、言葉を選ぶ。
「半分嘘」
「何がだ」
「一級を殺したってところ。私は殺してない」
「……つまり、記録が嘘か」
「追放するには、分かりやすい罪が要るでしょ」
葉月は一歩下がる。
「話はここまで。真相は渡した。私は帰る」
「待て、どこへ行く」
「追放された身が、ここに残る理由ある?」
正論だった。
出口へ向かう背に、五条の声が重なる。
「呪術師に戻れるなら、残る?」
葉月が振り向く。
「……は?」
「地位、戻すよ」
手を掴む。
強く。
「12年ぶりだ。もう離さない」
葉月は小さく鼻で笑う。
「やってみればいいさ」
手を振り払う。
「もう手遅れなんだから」
出口の光に溶けるように、姿が消える。
部屋に残ったのは、
ぬいぐるみの糸の揺れだけだった。