神社の前には、1人の神主が立っていた。
その男は葉月の姿を認めるなり、はっとした表情で駆け寄ってくる。
「……あ、あの……あなたもしかして……12年前、呪霊対峙に来てくださった……呪術師の方ですか?」
「……そうですが」
「よ、よかった……! 無事だったんですね……!
あの時、あまりにも……死に急ぐような表情をされていたので、ずっと気になっていたんです」
その言葉に、葉月の表情が一瞬だけ曇る。
それを七海は見逃さなかった。
「……それより、今回は別件で。この村の住人は、現在あなたお一人ですか?」
「いえ。この村の住人は……12年前、呪霊の“実験体”にされて以降、私を含め、生き残っていた者は皆、他の町へ移りました」
「……呪霊の…“実験体”?」
現実離れした話に、五条と七海は思わず息を呑む。
だが、心当たりのある葉月だけは、黙したままだった。
神主は続ける。
「近くに、新興宗教団体の施設がありました。当時、この村の住人の多くが信者だったのです。……ですが、帰ってきた者は一人もいませんでした」
帰ってきた者は皆、呪霊となって人々に襲いかかっていた。
私は、ただ耐えることしかできなかった。
「……活動が再び活発になったのは、いつ頃ですか?」
「一か月前です。それまで、この村には呪霊すら現れなかったのに……ある日突然、湧き出したのです」
「……一か月前」
それは、葉月が日本に戻ってきた時期と重なる。
――まさか。
(……私の帰国を皮切りに、再び“奴”が表に出てきたとでもいうの?)
だが、それを確かめる術はない。
駅前にいた連中も、すでに拠点を移しているだろう。
今できることはただ1つ。
大本を断ち、これ以上の悲劇を生まないこと。
「……葉月。大本って、どんな存在なの?」
五条の問いに、葉月は言葉を詰まらせる。
それを語れば、彼らを巻き込むことになる。
「……それは、呪霊ではありません」
代わりに、神主が口を開いた。
「肉体に呪霊を宿らせるための実験室……そう表現するのが近いでしょう。ただし、呪力を持たぬ人間は宿すどころか、支配されてしまう」
「……そんな感じ」
「……それって、葉月の過去と――」
「あながち、同じものだと思っていいよ」
それ以上、葉月は語らなかった。
だが2人には、十分すぎるほど伝わっていた。
「神主さん。その実験室は、どこに?」
「この神社の地下です。……案内しましょう」
神主に導かれ、3人は神社の裏手へ回り、地下へと続く階段を下りていく。
「……いかにも、って感じだね」
葉月は、五条たちの背を見つめながら歩く。
この先に広がる光景を、彼女は知っていた。
階段を二層分降りた先。
そこに広がっていたのは、言葉を失う惨状だった。
床、壁、天井――至るところに黒く乾いた血痕。
見慣れない器具。固定具。鎖に繋がれた枷。
「……これは……」
五条と七海が絶句する中、葉月は神主に静かに声をかける。
「神主さん。ここを……破壊しても、いいんですね」
「……お願いします。ここで犠牲になった方々の無念を……どうか、晴らしてください」
「……わかりました」
葉月は頷き、2人を振り返る。
「悟、七海君」
「ん?」
「私は、これからこの建物を破壊する。2人は神主さんを連れて、外へ」
「……葉月が、やるの?」
「うん。過去の遺物は、自分で終わらせないと」
その覚悟に満ちた表情は、五条の胸をざわつかせた。
――12年前と、同じ目だ。
「……僕がやっちゃダメなの?」
「ダメだよ」
即答だった。
「君たちは、外で待ってて」
大丈夫だから、と微笑みながら背中を押す。
階段を上っていく足音を確認し、葉月は仮面に手をかけた。
「……本当に、12年前と何も変わらない」
この光景は、彼女の日常だった。
「他にも、きっと同じ場所がある。だから――鵠沼も、手伝って。もう二度と……私たちみたいな“呪物”を生み出さないために」
仮面が外れ、左眼が紅く染まる。
〈……葉月が望むままに〉
その声と同時に、
地の底を揺るがす爆音が、神社を包み込んだ。
――
葉月に言われるまま、渋々地下室を離れ、神社から距離を取る。
正直、納得なんてしていない。
次の瞬間だった。
足元から伝わる地鳴り。空気が震え、神社全体に亀裂が走る。
(……葉月……)
さっきまで、確かに“在った”建物が、音を立てて崩れていく。
粉塵が舞い上がり、視界が白に塗り潰された。
周囲にいた呪霊たちが、一斉に動きを止める。
恐怖を察したように、逃げ惑い始めた、その――次の瞬間。
ザシュッ!!
「――っ!!」
崩壊した建物の内部から、棘のような“何か”が突き出した。
それは逃げる呪霊を選別するかのように、正確に、無慈悲に貫いていく。
串刺しにされ、断末魔すら上げられず消えていく呪霊たち。
「……何だ、あれ……」
理解が追いつかない。
ただ、嫌な予感だけが、喉の奥に張り付いていた。
砂煙がゆっくりと晴れていく。
その向こうに――人影が、立っている。
「……!?」
息が詰まった。
そこにいたのは、葉月だった。
だが、僕の知っている葉月じゃない。
仮面は外れ、瞳は血のように赤く輝いている。
右の顔面を侵食するように、呪いが深く刻まれていた。
――あれは。
「……五条さん、あれは一体……」
七海の声も、どこか遠い。
僕は、答えられなかった。
答えたくなかった。
あれは呪いだ。
封じてきたもの。見せないようにしていた“本性”。
葉月は、何も言わず空を見上げていた。
そして静かに目を閉じ、右手を顔に添える。
次の瞬間、仮面が“生まれ”、その異様な姿を覆い隠した。
再び目を開いた時には――
いつもの、葉月だった。
「……ふぅ。終わったみたいだね」
瓦礫を掻き分け、こちらへ歩いてくる。
「葉月……」
声をかけるより早く、彼女は言った。
「怪我はない?」
――その瞬間、何かがブチッと切れた。
「あー!!もう!!それはこっちの台詞!!」
「?」
訳が分からない顔の葉月の頬を、思い切りつねる。
「葉月は!? 怪我ないの!?あんなの、建物ごとドカーンってやってたんだよ!?」
「ないよ」
あっさり言い切って、今度は七海を見る。
「七海君も大丈夫?」
「ええ、問題ありません」
「だーかーら!!他の男と話すの禁止って言ったでしょー!!」
完全に八つ当たりだ。分かってる。
でも止まらない。
僕は葉月の腰を引き寄せ、ぐっと抱き寄せる。
「悟、どうしたの?」
呆れたような声。
でももう、どうでもいい。
「……今夜は離さない」
「え?」
「なんでもない。ほら、もう夜遅いし、泊まるところ探そう」
すると神主が遠慮がちに声をかけてきた。
「それでしたら、私の屋敷へどうぞ。少し距離はありますが、車を出します」
御礼をしたいので、と言われてしまっては、断る理由もない。
何より――葉月と一緒にいられる。
「七海君も、行こう」
「……」
「お前は外で寝ろよ」
「悟、七海君を苛めないで」
即、庇われる。
この人は、本当に無自覚だ。
誰にでも優しくて、
それがどれだけ男を惑わせるか、分かってない。
(……今夜は、本当に、絶対に離さない)
そう心に決めて、
僕は葉月を見下ろした。