目を覚ましたとき、そこに葉月の姿はなかった。
「……あれ? 葉月?」
相変わらず、ふらりと一人でどこかへ行ってしまう。
それが彼女の癖だと分かっていても、毎度のことながら心臓に悪い。
「まだ寝ていらしたんですか、五条さん」
頭上から、落ち着いた七海の声が降ってくる。
「ねえ、葉月は? どこ行ったの?」
「散歩ですよ。どうしても“見たい場所”があると言って」
「……なんで起こしてくれないのさ」
葉月のことだ。
寝ている人間を無理に起こすのは悪い、などと考えて、そのまま放置したに違いない。
「何度も声はかけていましたよ。ですが、あなたが起きる気配を一切見せなかったので、諦めたようです」
七海も誘われたらしい。
だが、僕が目を覚ましたときに一人きりになっていたら、何をしでかすか分からない――そう判断して残ったのだという。
「……で、どこ?」
「近くの河原です」
河原に何があるというのか。
首を傾げつつ、僕は布団を抜け出し、朝食の準備をしてくれていた神主の元へ向かった。
そこで聞かされたのは、奇妙な新興宗教団体の話だった。
「……60年周期で、“教祖となる資格”を持つ双子が生まれるそうです。その双子は4歳の時、光と闇に引き裂かれ――17歳を迎える日に、互いに殺し合う。生き残った方が教祖となり、組織を統治すると」
「……その教祖様は、今も?」
「いえ。12年前、相打ちになって死に絶えたと聞いています」
正体の見えない話だ。
だが、胸の奥に、嫌な既視感が芽生える。
そこへ戻ってきた葉月が、あっさりと爆弾を落とした。
「その宗教団体ね。要するに“神の使徒”を作るために、非術師を呪霊に作り替えてたんだよ」
「……は?」
「殺すより、よっぽど効率的でしょ?」
一瞬で血の気が引いた。
同時に、ある家系の存在が脳裏をよぎる。
「……もしかして」
「うん。勘づいてると思った」
葉月は、まっすぐこちらを見る。
「新興宗教団体の正体は――久禮田家。そのもの」
言葉を失う僕をよそに、彼女は淡々と語る。
「200年前、久禮田家は呪術界を追放された。その後、新興宗教を名乗って布教を始めた。呪霊を“神の使徒”と崇め、非術師を抹殺し、呪霊が支配する世界を作る。それが最終目的」
信者として集めた非術師たちの肉体を使い、強制的に呪霊を宿らせる――
聞いているだけで、吐き気がする。
「……12年前、相打ちになった教祖様って」
「知ってるよ」
葉月は懐から一枚の写真を取り出した。
そこには、まだ幼い2人の子どもが写っている。
――葉月と髪色が同じで、どこか彼女の面影を残している双子の兄妹。
「……葉月が?」
「まさか」
即答だった。
「大人たちに殺された。規則通り、殺し合えなかったから」
従えない者は、一族ではない。
そう言われ、めった刺しにされたのだという。
葉月は写真を一瞥し、すぐに懐へ戻した。
「……そうだったんだ」
「もう過去の話。気にしてないよ」
そう言って、彼女はパン、と軽く手を叩く。
その音を合図に、重苦しかった空気が、不自然なほど和らいだ。
だが僕は知っている。
それが“気にしていない”者の仕草ではないことを。
「……でさ、葉月」
僕は、いつもの調子で口を開く。
説教というより、確認作業に近い。
「どうして何も言わずに出かけるの? すげー心配したんだけど」
「え? 起こしたよ。何度も」
そう言って、葉月は七海の腕を掴む。
「証人は七海君です」
その瞬間、反射的に僕は彼女の手を叩き落とし、代わりに自分の手で掴み直した。
「あのね。僕の前で、他の男の手を掴むとか――しちゃダメ」
「朝から独占欲が強すぎて疲れる」
「僕の独占欲、甘く見ないほうがいいよ?」
「……朝から何を言っているんですか」
「ほんと、それ」
七海と葉月の呼吸が、やけに合っている。
その様子が、どうにも気に食わない。
高専時代、そこまで接点があった記憶はない。
なのに――久しぶりに再会したと思ったら、この距離感だ。
「葉月、いつから七海の味方なの?」
「私、しつこい人好きじゃないからさ」
肩をすくめるように、葉月は言う。
「悟のこと嫌いになったら、七海君に鞍替えしようかな」
冗談なのか、本気なのか。
相変わらず、判断がつかない。
「……もう!! 本当に“縛り”つけるよ!!」
半ば本気で言っても、葉月は困ったように笑うだけだった。
そのやり取りを挟まれている七海は、実に言葉にしづらい表情をしている。
「“縛り”つけたら、本当に悟のこと嫌いになるから」
その一言で、僕は口を噤んだ。
こうして、騒がしくも任務は終了し、
3人は帰路についた。
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――帰路
帰りの新幹線は三列シートだった。
窓側に僕、通路側に七海、そして葉月がその真ん中。
案の定、僕は隣で爆睡している。
にもかかわらず、葉月の腕に自分の腕を絡め、しっかり固定したまま。
「……これじゃ、席も立てない」
「逃げないように、がっちりですね……」
隣で本を読んでいた七海が、苦笑混じりに呟く。
「困るなぁ……東京までこの状態は辛いよ」
そう言いながらも、葉月は左手だけで器用にページをめくっている。
そのとき、空いていた右手に、そっと触れるものがあった。
「……ん?」
指先に絡む感触。
気づいた瞬間、それが七海の手だと分かる。
葉月が見上げると、七海は耳まで赤くして、視線を逸らした。
それを見て、葉月は小さく笑い、彼の肩にそっと頭を預ける。
「やっぱり、君は温かいね」
そう呟きながら、その手を軽く握り返した。
――眠ったままの僕だけが、
その微妙な距離の変化に、気づかずにいた。