明らかに人外の力による被害は、すべて〔呪い〕によるものと判断される。
その対応を任されるのは、一級呪術師・七海建人と、呪術高専1年の虎杖悠仁だった。
現場は映画館。
七海は、館内に残る痕跡を指し示しながら説明する。
「見えますか。これが呪力の残穢です」
「いや、全然見えない」
虎杖の率直な返答に、七海は表情を変えない。
「それは、見ようとしていないからです。私たちは普段、当たり前のように呪いを視認しています」
術式の行使によって残る痕跡――それを残穢と呼ぶ。
「ただし、残穢は呪霊そのものよりも薄い。目を凝らして、よく見てください」
「んー……?」
言われた通り集中すると、虎杖の視界に、ぼんやりとした違和感が浮かび上がる。
「おぉっ! 見える見える!」
「当然です。見る前に“気配”で悟って一人前ですから」
「もうちょっと褒めて伸ばすとかさぁ……」
「褒めも貶しもしません。事実に即し、己を律する。それが私です。――追いますよ」
「押忍! 気張ってこーぜ!」
「いえ。そこそこで済むなら、そこそこで」
「(なんか噛み合わねぇ……)」
2人は残穢を辿り、映画館の外へ出る。
「監視カメラには何も映ってなかったんだよね?」
「ええ。被害者以外に確認できたのは、少年が1名のみです」
やがて辿り着いた先は、裏手の駐車場。
そこに、呪霊が2体佇んでいた。
「こちらは私が片付けます。虎杖くんは、もう一体を。勝てないと判断したら呼んでください」
「いやいや、さすがにナメすぎじゃない?」
「ナメるナメないの話ではありません。私は大人で、君は子供です。私は君を、自分より優先する義務があります」
「ガキ扱いなら、ナメられた方がマシだよ」
「君はいくつかの死線を越えてきた。ですが、それで大人になったわけではない」
七海は淡々と告げながら、スーツのジャケットのボタンを外す。
「枕元の抜け毛が増えたり、お気に入りの総菜パンが突然店頭から消えたり――」
呪具を手に取る。
「そういった小さな絶望の積み重ねが、人を大人にするのです」
――
その様子を、屋上から静かに見下ろす影があった。
――葉月。
本来、この案件に関与するつもりはなかった。
だが、映画館に残されていた残穢を調べた際、どうしても拭えない違和感を覚えたのだ。
「……ありゃ、ただの呪霊じゃないな」
葉月は体内に呪霊を宿している。
さらに、右顔面を覆う仮面の下には、〔人〕と〔呪い〕を識別できる特殊な器官がある。
呪霊が、どのような経緯で生まれたものなのか――
それを、直感的に見抜くことができた。
「まぁ……気付くまで様子見、かな」
自分が出る場面ではない。
そう判断し、戦いの行方を見守る。
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「私の術式は、どんな相手にも強制的に“弱点”を作り出すことができます」
七海の声が、駐車場に響く。
「7:3。対象の長さをこの比率で分割した“点”に攻撃を当てれば、クリティカルヒットです。格上相手にもそれなりのダメージを与えられる。呪力の弱い相手なら、このナマクラでも両断できる」
「……聞いていますか、虎杖君」
「あっ! 俺に言ってたの!?手の内をバラしていいの?」
「バレても問題のない術式、問題のない相手。あるいは、ミスリードを誘える場合です」
七海は一拍置き、続ける。
「“手の内を晒す”という縛りは、術式の効果を底上げします。――例えば、こんな風に」
一閃。
呪霊の四肢が、無造作に切り落とされた。
「私からは以上です」
「すんげ……」
虎杖が感嘆する、その瞬間。
呪霊が反撃に転じる。
「余所見は感心しませんね」
「話しかけたのだぁれ!?」
虎杖は意識を切り替え、拳に呪力を込める。
〈逕庭拳〉
瞬発力に遅れて到達する呪力。
二重の衝撃が、呪霊を打ち抜く。
「五条さんが連れてきただけはありますね……」
そう呟き、七海は先ほど四肢を断った相手へと視線を戻す。
「失礼、止めを――」
その瞬間、七海の目に映ったのは。
――腕時計の付いた、人間の腕。
「……嘘でしょう」
咄嗟に携帯電話を取り出し、撮影する。
「虎杖君!」
「今度はなに!?」
「止めは待ってください。これを見てください」
画面に映っているのは、どう見ても人間の一部だった。
「呪霊って、こういうの写らないんじゃ……」
「落ち着いて聞いてください。私たちが戦っていたのは――」
「人間だよ」
背後から、淡々とした声が割り込む。
振り返ると、白装束を纏った葉月が立っていた。
「……葉月さん。いつから、そこに?」
「まぁまぁ。とりあえず――」
葉月は軽く肩をすくめる。
「硝子の意見も聞きましょう。私がここにいる理由は、その時に話すから」
こうして3人は、一度高専へ戻ることになった。
――――
〈……葉月の言う通りだ。人間だよ〉
高専の安置室で“それ”を確認した家入硝子は、携帯電話に向かってそう告げた。
通話の相手は七海建人である。
〈いや、正確には“元人間”と言うべきだな。映画館の3人と同じだ。呪術によって、無理矢理身体の形を変えられている〉
「それだけなら、初めに気付けます」
七海は即座に返す。
「我々が戦った2人には、呪霊のように呪力が漲っていた」
〈それについては……私より、葉月の方が詳しいんじゃないか?〉
そう言って、家入は葉月に話題を振った。
「……どうですか、葉月さん」
七海はスマホのマイクを葉月の方に向ける。
「んー……」
少し間を置き、葉月は言葉を選ぶ。
「呪力そのものは、せいぜい三級程度。でも――この2人に使われた術式は、私の知る限り、相当面倒極まりない」
「……?」
〈どういう意味?〉
「私が知る“呪霊を人の肉体に宿らせる方法”とは違う。人を“呪霊に変える”のは、術式としてもかなり特殊だよ」
葉月は淡々と続ける。
「犯人と直接対面すれば分かるだろうけど……この呪霊、発生してからまだ間もない」
「……発生したばかり?」
七海が眉をひそめる。
「つまり、まだ呪術界に把握されていない存在だと?」
葉月は小さく息を吐いた。
「憶測の域は出ないけどね。でも確実に言えるのは――」
少しだけ声を低くする。
「放っておけば、多大な被害を生む“脅威”になる可能性が高い、ってこと」
〈……そうだな〉
家入が短く同意する。
〈虎杖、聞いてるか?〉
思い出したように、家入が名を呼んだ。
「あ、ウス」
〈こいつらの死因は、ざっくり言えば“身体を改造されたことによるショック死”だ〉
〈君が殺したんじゃない。その点、履き違えるなよ〉
「……はい」
〈葉月は、そのままそっちに合流するのか?〉
「そうだね。状況が変わったから」
「え? 葉月先生、そうなんですか?」
〈……まだ話してなかったのね。まぁ、葉月の判断に任せるわ〉
そこで通話は切れた。
沈黙を破ったのは、虎杖だった。
「……どっちもさ。俺にとっては、同じ重さの“他人の死”だ」
拳を握りしめる。
「それでも、これは……趣味が悪すぎだろ」
その表情には、はっきりとした怒りが浮かんでいた。
「(……この子は、他人のために本気で怒れるのだな)」
七海は内心でそう評価する。
一方、葉月は――理解できなかった。
「(……命の重さ。尊さ。そんなもの……私のいた世界には存在しない)」
生と死の価値が歪んだ世界。
そこから来た自分が、日の当たる場所に居続けることは難しい。
葉月は、どこか醒めた確信と共にそれを悟っていた。
「残穢自体がブラフだったのでしょう」
七海が口を開く。
「我々は誘い込まれています。相当なやり手です。これは“そこそこ”では済まない」
立ち上がり、続ける。
「葉月さんも合流してくれたことですし――」
「気張っていきましょう」
「おう!!」
「……そんなに期待しないでよ」
2人との温度差に、葉月は肩をすくめた。