都立呪術高専に内通者を置き、その情報を基に呪術師よりも先回りして呪詛師を始末する。
同時に、放置すれば被害が拡大する呪霊も密かに排除する。
やっていることだけを見れば呪術師と大差はない。
だが地位を剥奪された以上、表向きには“呪詛師”として動くしかない――それが久禮田葉月の現在だった。
廃ビルの屋上に降り立った葉月は、無言で下を見下ろす。
そこには宿儺の器・虎杖悠仁と、その同期である伏黒恵、釘崎野薔薇の1年生3人組。
相手は二級呪霊。帳も下りている。彼らなら対処できる範囲だと判断し、葉月は静観を決めた。
だが数分もしないうちに、空気が変わる。
「……この気配は、特級」
視線を落とせば、地面に叩きつけられている伏黒と釘崎の姿。
虎杖も応戦してはいるが、3人だけでは明らかに分が悪い。
特級呪霊が止めを刺そうと倒れた2人へ腕を振り上げた瞬間――
葉月は小さく息を吐き、躊躇なく飛び降りた。
二級呪霊との戦闘中、突如現れた特級により形勢は一変した。
虎杖は吹き飛ばされ、俺と釘崎はほとんど瀕死。立ち上がろうにも骨が軋み、身体が言うことをきかない。
このまま終わる――そう思った矢先。
「……っ!」
目前に迫っていた特級呪霊の巨体が、横殴りに吹き飛んだ。
代わりに視界を遮る白装束の背中。
「……アンタは、呪詛師の――」
「意識はあるようだね。巻き込まれると面倒だから、下がってもらうよ」
軽々と俺と釘崎の身体を抱え、安全圏まで後退する。
背後から呪霊が腕を振り下ろすが、見えない壁に弾かれたかのように届かない。
運ばれた先には虎杖の姿もあった。眠っている。
「彼は宿儺と入れ替わられると厄介だから、少し寝てもらっている。君たちはここで待機」
「……アンタ一人で、やるのか?」
相手は特級だ。
しかも五条先生の話では、この呪詛師はそれほど強くないはず――だが白装束の人物はただ微笑した。
「大丈夫。任せて」
その背中は、不思議なほど頼もしく見えた。
――
特級呪霊を前にしても、葉月の表情に焦りはない。
「……さて、どうしたものか」
背後には五条の教え子たち。戦い方を見せるのは本意ではない。
しかし相手は特級。手加減すれば命取りになる。
「……まぁ、いいか」
右顔面を覆う仮面に手を掛ける。
「時間がない。さっさと終わらせるよ――夜兎」
駆け出す葉月の隣に、人型の呪霊が音もなく顕現する。
双刀を抜き、一気に間合いを詰めた。
後方で見ていた伏黒は目を見開く。
呪霊操術――いや、違う。
呼び出された呪霊は自我を持ち、葉月と呼吸を合わせて動いている。
夜兎が腕を一振りするだけで敵の左半身が砕け散り、その隙を葉月の双刀が切り裂く。
遠距離主体の式神使いとも違う。体術、剣技、呪力操作、そのすべてが高水準で噛み合っている。
(……これが、五条先生の元同期の実力……?)
意識が薄れていく中でも、伏黒はその光景を焼き付けようとした。
決着は呆気なかった。
夜兎の一撃が特級呪霊の核を貫き、巨体は塵となって崩れ落ちる。
「……手応えないな」
葉月は夜兎を呼び戻し、体内へと収める。仮面を付け直し、伏黒のもとへ歩み寄った。
「……アンタ、名前は……?」
「久禮田葉月。特級相手にご苦労様。補助監督には連絡済み、後は任せるわ」
背を向け、去ろうとする。
「……待ってくれ!」
「?」
「どうして……アンタ、呪詛師のはずなのに……」
一瞬だけ振り返り、淡々と答える。
「五条悟の教え子なら助けるのは当然かと。たとえ私が、無実の罪で追放された身でもね」
「……!」
「じゃあ、またどこかで」
その言葉と共に、姿は消えた。
報告書
虎杖悠仁・伏黒恵・釘崎野薔薇、二級呪霊との交戦中に特級呪霊を確認。
戦闘途中、呪詛師・久禮田葉月が介入し特級を祓除。
補助監督到着時には久禮田の姿はなく、負傷した3名のみ確認。
直ちに高専へ搬送した。
---
伏黒の報告を受け、五条は現場を訪れていた。
「……ここに、葉月がいた」
任務から戻った直後、伏黒たちが特級呪霊と遭遇し、さらに呪詛師・久禮田葉月に救われたという情報が入った。
理由を尋ねたのかと聞けば、伏黒は短く答える。
〔五条先生の教え子なら、助けるのは当然だと〕
「……だったら、どうして僕から逃げるんだよ」
距離を置かれているとしか思えない。
偶然にしては出来すぎているが、明確な目的も見えない。
地位を戻してやろうとしても、12年という空白はあまりに重い。
葉月の存在は、今や虎杖や夏油に次ぐ“危険因子”として扱われているのだろう。
「……葉月」
かすれた声で名を呼ぶ。
「……呼んだ?」
「!!」
振り返ると、そこに白装束の彼女が立っていた。
「……どうして」
「呼ばれたから」
首をわずかに傾げ、五条を見据える。
「……地位、戻せそうにないみたいだね。案の定」
「……っ」
「今さらだし、別に気にしてないよ」
期待していなかったのか、軽く肩を回してみせる。
「久禮田一族を殲滅して、呪詛師と呪霊を排除する。やってることは君たち呪術師と大差ない。ただ立場が違うだけ。今のほうが、よっぽど楽」
何にも縛られない自由。そう言って微かに笑う。
「……両方の立場から追われる、ってことか?」
「そうだね」
一瞬だけ、寂しげに目を細めた。
「宿儺が虎杖悠仁の中にいる限り、私は味方だよ」
「……!」
「じゃ、また」
背を向けた葉月の腕を、五条が掴む。
「……どこにも行かせない」
「……?」
「もう、葉月を手放したくない」
だが葉月は驚きもせず、困ったように笑った。
「それは無理な話だ」
「なんでだよ……!」
そっと手を外す。
「じゃあ教えてくれ。目的は何だ。12年間、姿を消してた理由は――」
「国外を拠点にしてただけ」
「……!」
「それだけ」
飄々とした口調。だが表情の奥は読めない。
「それでも、僕の元を離れる理由にはならないだろ」
「一理ある」
「だったら――」
「私には、もう時間がないんだ」
「!!」
「……だから、ごめん」
その言葉と同時に、葉月の姿は消えた。
《葉月!》
五条の声だけが、虚しく空気に溶けていった。
---
―都立呪術高専・学長室―
京都校学長・楽巖寺嘉伸。
東京校学長・夜蛾正道。
2人の前に、葉月は立っていた。
「……12年ぶりだな、久禮田葉月」
入学当初から対立してきた保守派の一人。
彼こそ、追放に関与した中心人物だった。
「どこにいたか、話してもらおうかの」
「話す必要がありますか?」
葉月は露骨に眉をひそめる。
「返答次第で、お前の扱いを決める」
短く息を吐く。
「国外を拠点にしていた」
「……ほう。何故だ」
「久禮田家を殲滅した後、あなた方の策略で追放された。同時に呪詛師側からも逆賊扱い。両方から追われる身になったから、国外に逃げた。それだけ。帰国したのは――虎杖悠仁が宿儺の器になった頃」
パスポートを夜蛾に手渡す。
「……確かに。先月帰国しています。それ以前の記録はありません」
楽巖寺が目を細める。
「我々より先回りして呪詛師を始末しているのは、お前だな」
「それが?」
「邪魔か。それとも別の目的か」
葉月は薄く笑った。
「地位を奪われても、信念は奪えない。理由なんていらないよ」
迷いのない声に、夜蛾は小さく息を呑む。
根幹は何も変わっていない。
「……なるほどな」
楽巖寺が口を開く。
「ならば役職を与えよう」
「……役職?」
「久禮田葉月。お前に一級呪術師の名乗りを、1年間のみ許可する」
「……は?」
「加えて、都立呪術高専1年の副担任を務めてもらう」
「はい?」
突拍子もない決定だった。
追放した張本人が、条件付きとはいえ地位を与える。
こうして葉月は、楽巖寺の采配により呪術界での立場を一時的に取り戻し、高専の副担任として現場へ復帰することになった。
――…
「……一番喜ぶのは、悟だろうな」
楽巖寺が去った後、夜蛾はぽつりと呟いた。
「一年縛り、というのが……あの人らしい」
「……理由、分かってるのか?」
葉月は肩をすくめる。
「最終的には死刑執行でしょ」
「!!」
「楽に生かすはずがないよ。理由がどうであれ、12年間“呪詛師”を名乗っていた事実は消えない」
淡々とした口調だったが、夜蛾の胸には重く落ちた。
だが、このことを五条や家入に伝える気にはなれなかった。
――本人の口から語られるべきだと、そう思ったからだ。
「……夜蛾先生。副担やるなら、拠点くらいは欲しいんだけど」
「ああ、手配しよう……葉月」
「?」
呼び止め、夜蛾は不意に葉月を抱き寄せた。
「……12年間、疑ってしまってすまなかった。生きていてくれて……よかった」
意外な温もりに、葉月は一瞬だけ目を見開く。
そして子どもをあやすように、彼の背を軽く叩いた。
「……で、挨拶は来週?」
「ああ。五条は今週遠方任務だ。それまでに部屋の準備を済ませてくれればいい」
「……分かった。先生が下の名前で呼ぶの、なんか久しぶり」
「苗字だと……嫌がるかと思ってな」
不器用な気遣いに、葉月は小さく笑った。
――…
任務報告のついでに学長室へ立ち寄った五条は、思わぬ話を聞かされる。
「……え? 葉月が1年の副担任? なんで急に」
「上の采配だ。手のひら返しもいいところだが、今は従うしかあるまい」
夜蛾は手で追い払うように言った。
「……葉月は?」
「部屋の整理を終えて、休んでいる頃だろう」
「……どうも!」
言い終わる前に、五条は駆け出していた。
――
用意された部屋で荷物を片付け終え、葉月はベッドに身を沈めていた。帰国後はホテルを転々としていたため、日用品の多くは夜蛾任せだ。
不意に、ノックもなく扉が開く。
「?」
視線を向けると――
「葉月」
五条だった。
そのまま歩み寄り、ベッドの縁に腰を下ろす。
伸ばされた手が、頬に触れる。
「……やっと、手元に置いておける」
安堵と執着が混ざった声。
「12年前の返事、聞いてもいい?」
「……告白の?」
「そう」
一拍置き、葉月は視線を逸らす。
「……好きだったよ。悟のこと」
「そっか。……嬉しい」
目隠しを外し、額を寄せる。
言葉にしきれない感情が、静かに重なった。
やがて眠りに落ちた五条を横目に、葉月は小さく息を吐く。
「……悟」
行為の最中も、右顔面の仮面だけは外さなかった。
途中で外されそうになり、反射的に制したほどだ。
「……嘘、ついた」
仮面の下は傷だらけだと説明した。
だが本当は違う。
――そこに刻まれているのは、呪霊を呼び出すための呪い。
この身体を宿主としている以上、戦闘時以外に外すことはできない。
「……ごめんね。嘘つきで」
眠る五条には届かない声が、夜の静寂に溶けていった。