弥生に一方的に通話を切られた僕は、葉月の状態が気になって仕方がなかった。
電話越しの様子では、そこまで機嫌が悪いようには思えなかった。だが、呪詛師との交戦中に何かあった可能性は否定できない。
そんなことを考えながら、無事に回収された生徒たちの元へ向かうと――
そこには、ちょうど悠仁の姿があった。
「おつ~!」
気前よく声をかけた、その瞬間だった。
悠仁はスッと立ち上がり、一直線にこちらへ向かってくる。
――パシッ
「!」
振り抜かれた拳を、咄嗟に手で受け止めた。
「……貴様、俺のお気に入りに手を出しやがって……」
悠仁の頬の一部から、低く歪んだ声が漏れる。
嫌でも分かる。――宿儺だ。
「ちょ、五条先生!これ、俺の意思じゃない!!」
「……宿儺だね?」
「おい宿儺!急に何言い出すんだよ!!」
悠仁は訳が分からないといった様子で、自分の顔に浮かび上がった口元を叩く。
「……その様子じゃ、自覚はないか。まあいい。本人に直接確かめるまでだ」
そう言い残すと、宿儺の気配はすっと引いていった。
「……」
正直、僕自身も要領を得ない。
だが一つだけ確かなことがある。
――この高専の中に、宿儺にとっての“お気に入り”がいる。
そこへ、弥生が戻ってきた。
だが、一緒にいるはずの葉月の姿がない。
「弥生、葉月は?」
「ん? 治療に専念するって言って、夜蛾学長のとこ行ったよ」
「……!」
思わず目を見開く。
「葉月、怪我したの!?」
「そうそう。右肩を貫通するレベルの呪術を食らったらしくてさ。反転術式じゃ治らないから、別の方法を試すって」
「え!? 葉月先生、大丈夫なんですか!?」
傍で聞いていた悠仁も、さすがに顔色を変える。
「本人は『心配ご無用』って言ってたけどね」
「……」
その言葉を聞いた瞬間、僕は踵を返しかけた。
――今すぐ会いに行く。
だが、
「五条、今はやめといたほうがいい」
「……何で?」
「さっき電話で言ったろ? 今の葉月は
理由を問う視線を向けても、弥生は何も答えない。
それが、妙に腹立たしかった。
「幼馴染の俺ですら、傍にいるのを拒んだくらいだ。……察しろ」
「……」
分かっている。
葉月は、考え込むときほど人を遠ざける。相談もしないし、頼ろうともしない。
「ほら。これから状況報告だろ。葉月は夜蛾学長と一緒に来る。先行こうぜ」
弥生はそう言って、いつもの軽い調子に戻り、歩き出した。
「……なんか調子狂うわ」
「勝手に狂ってろ」
僕は葉月のことを気に掛けながらも、ひとまず弥生と共にその場を後にした。
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二階堂と別れた後、葉月は夜蛾学長の元にいた。
怪我の状態を見せた瞬間、夜蛾は目を見開き、即座に止血を試みる。
「……この怪我は、反転術式ではどうにもならない」
「……となると、処置方法は?」
「……荒業だが……ここなら、呪霊を出せるかもしれません」
そう言って、葉月は右顔面を覆う仮面に手をかけた。
「……これが、葉月のやり方か」
「そういえば、呪霊を召喚するところは初めてですかね」
――仮面の下は、見ない方がいいですよ。
そう忠告してから、葉月は仮面を外す。
現れたのは、クラゲ型の呪霊だった。
触手がゆっくりと伸び、葉月の傷口に触れる。
「……っ……」
「……コレ、痛イ?」
「大丈夫。中から“彼”が治癒してくれてる。……でも、炎症起こしているね」
言葉通り、傷口の周囲は赤く腫れ、一部は悪化していた。
「毒……ミタイナ、感ジ」
「……誰にやられた?」
「呪詛師との交戦中。……隙を突かれた」
「……相当な手練れだな。悟が言っていたが、局所的に別の帳が下りていた。葉月はそこに?」
「…私だけ侵入を許し、他は拒む帳だった」
「……つまり、葉月狙いか」
「そういうことです」
治療はひとまず、応急処置の段階まで進んだ。
「……《淀月》。ありがとう」
そっと手を添えると、呪霊は嬉しそうに身を揺らし、葉月の体内へと溶け込んでいく。
葉月は仮面を指で叩いた。
「……止血は完了だな」
夜蛾の手を借り、包帯を巻く。
「この後、会議ですか?」
「ああ。治療が終わり次第、向かう」
「終わったら……治療の続き、だね」
「……そうだな」
2人は静かに視線を交わし、会場へと向かった。
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「――……続いて、人的被害です」
伊地知の報告に、室内の空気が一段重くなる。
「二級術師3名、準二級術師1名、補助監督5名、忌庫番2名。
高専に待機していた術師で、五条さんや夜蛾学長と別行動だった方たちです。
家入さんからの正式な診断待ちですが……以前、七海さんと葉月さんが遭遇した呪霊の仕業で、ほぼ間違いないかと」
それぞれが、思い思いの反応を見せる。
(……やっぱり、あいつか)
「チッ」
「この件、学生や他の術師にも共有した方がいいですか?」
「……いや」
夜蛾が低く言った。
「上で止めておけ。呪詛師界隈に“特級呪物流出が確定した”という確信を与えたくない」
「捕らえた呪詛師は、何か吐きました?」
「口が堅いわけではないんですが……支離滅裂で、要領を得ない発言が多くて。
ただ、件の襲撃については“取引の上で命令された”と」
「性別不詳のおかっぱ頭のガキ……心当たりは?」
「なーし。適当こいてるだけじゃない?自白に強い術師、いないの?」
「そもそも、どうして呪霊や部外者が天元様の結界を抜けられたのよ」
「それ、生徒たちが相手にした特級呪霊のせいじゃね?」
五条が肩をすくめる。
「たぶんね。あれ、特殊な気配をしてた。呪霊っていうより、精霊に近い。植物に潜り込めるらしいし、天元様の結界は植物には機能しない。
あの結界、“守る”より“隠す”に全振りだから、内側に入られると弱いんだよ」
そこまで話して、二階堂がふと首を傾げる。
「あれ? そういえば葉月も呪詛師、捕らえてたよね?」
「あー……」
五条の隣に座っていた葉月が、思い出したように声を漏らす。
「まだ提出してなかったの?」
「忘れてた」
「……ん? 葉月も捕まえてたの?」
「呪詛師、8人くらいいたから。まとも以外、全員始末した」
淡々と言いながら、葉月はポケットから黒い正方形の物体を取り出した。
「……ここで出す?この件について、喋るとは思わないけど」
「自白剤とかあればいいんだけどさ」
「……どうします、伊地知さん?」
「……とりあえず、聞くだけ聞いてみましょうか」
了承を得ると、葉月は立ち上がり、中庭へと物体を投げる。
――次の瞬間。
黒い箱が歪み、巨大化し、中から血に塗れた男が吐き出されるように現れた。
「……何それ」
「どういう仕組み?」
「持ち運びに便利な箱」
葉月はそう言って、倒れている男の腹を容赦なく蹴る。
「……っ、は!? き、貴様――!」
「おはよ。さて、楽しい尋問の時間だよ」
笑っている。
だがそれは、感情の乗らない、冷えた笑顔だった。
「……バケモノ!! 来るな、来るな!!」
男が叫ぶ。
葉月は無言で頬を掴み上げた。
「ねえ。誰の命令?組屋鞣造とは、別口だよね?」
「……うるせぇ!俺は……お前を連れてこいって――」
「へえ」
「人殺し……バケモノがァ!!」
男が唾を吐く。
葉月は拭いもせず、ただ見下ろしたまま。
「質問に答えろ」
次の瞬間、
男の左耳から血が噴き出した。
葉月の指先には、引き千切られた耳。
「耳、いらないよね?」
静かな声だった。
「2つあっても、答えられないなら意味ないでしょ」
男は悲鳴を上げ、地面に転がる。
後方にいた術師たちは、誰一人言葉を発せなかった。
「……で?」
「お前の……首を……身体を奪えって……!!命令されただけだ!!」
「ふーん」
「……つまり、葉月狙い?」
五条が低く言う。
「そうだね。まあ、分かってたけど」
葉月は腰を落とし、男と同じ目線になる。
「でもこれ……。特級呪物を盗った呪霊とは、別系統だ」
首を掴み、持ち上げる。
「……か……は……」
血が滴る。
それでも、葉月は気にしない。
「……話した……だろ……」
「うん」
「……な……ぜ……」
抵抗する腕を、葉月は迷いなく引き千切った。
「誰だか分かって奇襲したんでしょ?本気で生きて帰れると思ってた?」
そして今までにない満面の笑みを浮かべ、地獄へと突き落とす。
「目障りだから――死んで?」
その瞬間。
「……葉月、よせ」
夜蛾の声が落ちる。
「これ以上、葉月が手を汚す必要はない」
「……」
一瞬の沈黙の後、葉月は手を離した。
男は地面に落ち、荒い息のまま笑う。
「ひゃひゃ……噂より、気弱じゃねぇか……久禮田の名も……廃れるな……」
「……」
「落ちこぼれが……教祖だなんて……」
立ち上がろうとした、その瞬間。
男の腹が――内側から弾けた。
蟲が、溢れ出す。
腸を食い破り、血肉を啜り、
口、目、あらゆる穴から噴き出す。
叫び声は、途中で途切れた。
蟲たちは、やがて葉月の元へ這うように集合する。
葉月の掌から呪霊が現れ、それらを音を立てて喰らい尽くす。
静寂。
「……口封じ、か」
葉月は小さく呟き、振り返る。
「体内に仕込まれてたんだろうね。時間制限付きの呪い」
「……気づいてた?」
「いや。でも、こんな手口を使う奴には心当たりがある」
「……」
「――まあ、生徒が無事だった。それでいいでしょ」
唐突に話題を切り替え、葉月は肩をすくめる。
誰も、すぐには反応できなかった。
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関係者が解散した後。
葉月は一人、中庭に立っていた。
血の海の中で、蟲の欠片を拾い上げる。
精巧な術式。
遠隔起動。
「……どんな手を使ってでも、引き込むつもりか」
呪物を奪った呪霊とも、手を組んでいるはずだ。
そうなれば――自分の立場は、さらに危うくなる。
「……水面下で、よく蠢く」
葉月は欠片を口に放り込み、噛み砕いた。