――翌日。
五条に連れられて教室へ入ると、3人の視線が一斉に向けられた。
直接面識があるのは伏黒だけ。他の2人とは一度顔を合わせた程度だ。
どうやら五条が事前に話していたらしく、露骨な警戒はない。
「今日から1年の副担任を務めることになった、久禮田葉月です。よろしく」
腰に回された五条の手を無言で外す。上から小さく舌打ちが落ちてきた。
「五条先生とは、高専2年まで同期でした」
「そうだったんですねー」
「じゃ、自己紹介お願いしてもいいかな?」
順に名乗っていく。
「釘崎野薔薇。……あんた、本当に呪詛師だったの?」
「12年間名乗ってただけ。呪詛師は嫌いだけどね」
あまりにあっさりした返答に、釘崎は言葉を失う。
「俺、虎杖悠仁っす。この前、宿儺がどうとか言ってましたけど……関係あるんすか?」
「あるよ。宿儺が人間だった頃、久禮田家は生贄を捧げてた側だから」
教室が静まり返る。五条ですら目を見開いた。
「……どういうこと?」
「そのままの意味。宿儺と久禮田家は昔から縁が深い」
それ以上は語らず、伏黒へ視線を向ける。
「……伏黒恵です」
「よろしく」
微妙な空気のまま自己紹介が終わった直後、
「よし! 今から組手しよっか!」
「「「は?」」」
葉月すら聞いていなかった。
――
場所は高専の道場。
葉月1人に対し、1年3人。
敵意と不信。伏黒だけが静かに警戒している。
「ルールは簡単。どちらかが片膝ついたら終了。術式も体術もあり。やりすぎたら僕が止めるから」
「先生! 質問!」
虎杖が手を挙げる。
「葉月先生って、どんくらい強いんすか?」
「身体能力は抜群だよ。昔、僕から一本取ったし」
「……12年前の話でしょ」
「じゃあ始めよう! スタート!」
号令と同時に動く3人。
虎杖が距離を詰め、伏黒が式神を展開し、釘崎が呪力を込める。
一瞬で把握する。
(虎杖は近接、伏黒は後衛寄り、釘崎は直線的)
拳を紙一重で避け続ける。
掠りもしない。
「なんで当たんない!?」
「完全に見切られてる……?」
苛立ちが滲んだ瞬間。
虎杖の拳を受け止め、背負い投げ。
「はい、次」
振り向きざま裏拳。釘崎が吹き飛ぶ。
「ほい、最後」
伏黒の背後へ回り、足払いから腹へ一撃。
数十秒。
3人とも動けなくなった。
「はい終了~」
「……術式じゃないよね?」
「使ってないよ。基本、いらない」
伏黒が口を開く。
「この前の特級呪霊の時は……」
「ああ、見てたんだっけ…。手の内、明かす必要ある?」
軽く手を振って遮る。
「特級相手だったから、少し本気出しただけ」
五条が静かに言う。
「……戦い方、知らないんだよね。僕」
「実力あると動きにくいから、ずっと抑えてた。後方支援に徹してたのもそのため。話すより、見た方が早いよ。任務に呼んでくれれば同行する」
「ということで、副担任に異論ある人?」
誰も手を挙げない。
「改めて、よろしくお願いします」
組手は幕を閉じた。
――
「……相変わらず隠し事多いね」
職員室へ向かう途中、五条が呟く。
「あの頃は、お互い何も知らなかっただけ」
「どうして相談してくれなかったの?」
足を止める五条。
葉月は振り返り、淡く笑う。
「相談する必要がないと思った」
「頼りなかった?」
「違うよ」
首を振る。
「信じてたから、言わなかっただけ。……過信だったかもね」
12年間、誰も疑わなかった事実は変わらない。
「じゃ、任務あるから」
「は?」
「また数日後」
それだけ言って、背を向ける。
――距離は縮まらない。
けれど完全には離れていない。
その曖昧な間隔だけを残して、葉月は去っていった。
別の日――
1年生3人と五条、そして葉月は、二級呪霊討伐任務のため廃ビルを訪れていた。
帳が下りるのを確認しながら、葉月は振り返る。
「……で? 今回は私1人でやるから。3人と悟は手出し不要」
あくまで今日は“実力確認”の任務だ、と釘を刺すと、4人は素直に頷いた。
「万が一の時は参戦するから」
「必要ないと思うけどね」
葉月はそれだけ言うと背を向け、ゆっくりと右顔面を覆う仮面を指で叩いた。
「……《
呟いた瞬間、葉月の頭上に鳥型の呪霊が顕現する。
「一階、三級4体。二階、二級2体。三階、四級3体。計9体」
「……なるほど。《
命じると同時に、獣型の呪霊が両脇に現れ、躊躇なく走り出した。
後方にいた4人は、言葉を失う。
あまりにも自然で、あまりにも唐突だった。
術式展開の兆しも、呪力の流れも、何一つ感じ取れなかった。
(……いつ、展開した?)
五条ですら、目を細める。
「……じゃあ、二階に行こうか」
葉月は淡々と双刀を抜き、呪力を纏わせた。
――ギァアアアアア!!
現れたのは二級呪霊、そして――。
「……情報と違うな」
そこには、一級呪霊が混じっていた。
「まあ、いいか。大差ないし」
軽く首を傾げ、仮面に手を掛けた瞬間。
――呪力が、爆発的に膨れ上がる。
量が違う。質も、圧も、常識の枠を逸脱している。
(……何だ、これは)
「《
葉月の両脇に現れたのは、人型の呪霊だった。
次の瞬間、2体は躊躇なく一級呪霊へと襲い掛かる。
盾となり、刃となり、葉月の動きと完全に同期する。
既に五体の呪霊が召喚されているにもかかわらず、すべてに均等な呪力が供給されている。
「……呪霊操術?」
伏黒が呟く。
だが、違う。夏油のそれとは、決定的に。
術式ではない。
“管理”でも、“支配”でもない。
――共存だ。
数分後。
廃ビル内に残っていた呪霊は、一体残らず消えていた。
「……こんな感じ。ざっと、ね」
振り返った葉月に、誰もすぐには反応できなかった。
五条が、ゆっくりと近づき、葉月の両肩を掴む。
「……どういうことだ。葉月」
声音は低い。
「その肉体そのものが……媒介なのか?」
「正解」
即答だった。
「私は久禮田家の中でも、最も優秀で――最高傑作」
「……それは、一体……」
葉月は、淡々と告げる。
「生後間もない頃から行われた人体実験によって、この身体は半永久的に呪霊を取り込めるようになった」
静寂。
誰も、すぐには言葉を見つけられなかった。
人体実験。それが、過去の話ではなく、目の前に立つ“人間”に施されていたという事実。
葉月は、ただ静かにそこに立っていた。
まるでそれが――特別でも、不幸でもないかのように。
「この右顔面を覆う仮面は、呪霊の召喚に使う。同時に、呪力の抑制もね」
葉月は、両肩を掴んでいた五条の手を、そっと外した。
「……幻滅した?」
見上げて首を傾げる仕草は、あまりにも穏やかで。
「悟。これが私の実力で、戦い方」
一拍置いて、続ける。
「同期の前で隠していた理由は――当時、制御できなかったから」
「……制御?」
「一部の呪霊は、呪力の相性で主従関係を結べなかった。術式も使えたけど、反動が大きすぎてね」
淡々とした口調のまま、
「呪霊に肉体の主導権を奪われることも、あった」
「……!」
その言葉に、五条の表情が強張る。
「だから仮面は外せなかった。暴走したら……君たちを巻き込む」
それだけは、絶対に避けたかった。
「だから、悟たちには明かせなかった」
次の瞬間。五条は何も言わず、葉月を強く抱き寄せた。
「……悟?」
「話してくれりゃあ、解決法だって探せたじゃねぇか」
声が、低く震えている。
「なんで一人で抱え込むんだよ……そんなもん」
葉月は一瞬、言葉を失う。
「僕がどれくらい強いか、分かってるくせに」
抱き締める腕に、力が籠もる。
「葉月が暴走しても、止められた。絶対に」
「……」
「もう、二度と離さない」
あまりにも真っ直ぐで、子どもみたいな独占欲に、葉月は小さく息を吐いた。
(……生徒の前なんだけどな)
心の中でそう突っ込みながらも、五条の背中をぽん、と軽く叩く。
「……そっか」
それ以上、何も言わなかった。
こうして任務は終わり、1年生3人と五条、そして葉月は高専へと帰還するのだった。
――…
部屋に戻った葉月は、棚の奥から一冊の書物を取り出した。
ゆっくりと頁を開く。
そこに並んでいるのは――この12年間で、葉月自身の手で殺してきた人間の名前だった。500を、優に超える。
その中には、血の繋がった親族の名も含まれている。
葉月は書物を閉じ、手元に置かれた双刀へと視線を落とした。
「……随分と重宝してるよ。貴女から受け取った呪具は」
小さく、独り言のように。
「ねぇ、九十九さん」
その名と共に、記憶が遡る。
――あれは、すべての始まりとなった日の朝のこと。
***
呪術高専を訪れていた九十九は、当時2年だった葉月と向かい合っていた。
《……アナタが、呪詛師を輩出する家系の人間ね?》
初対面にもかかわらず、その一言で正体を言い当てられる。
《……何の話ですか?》
《実力を隠すのが上手ね。……その仮面、何か秘密があるでしょう》
《……っ》
葉月は一瞬息を呑みながらも、九十九から視線を逸らさなかった。
《武器を持ってないみたいだから――これ、あげる》
そう言って、九十九は何かを放る。
受け取ったそれは、脇差ほどの長さの双刀だった。
柄を握った瞬間、不思議なほど手に馴染む。
《……え?》
《呪詛師を輩出する家系の人に聞くのも変だけど》
九十九は、探るような視線を向ける。
《アナタは、呪霊被害をどう見ている?》
葉月は一瞬考え、正面から答えた。
《呪霊を狩るだけでは、被害の根本解決にはならない》
《呪霊は、非術師から漏れ出た呪力が澱のように積み重なり、形を成すもの》
《その発生を防ぐには――非術師を滅ぼす、という選択も、間違いではない》
九十九は目を見開く。
《……続けて》
《呪術師も非術師も、特別扱いしない》
《全人類が呪力を持つ世界か、あるいは完全に持たない世界》
《どちらかを作れるなら、私は今の狂った世界を変えたい》
《……意外ね》
九十九は軽く肩をすくめる。
《何年生?》
《……2年です》
《2年でそこまで現実的なことを言えるなんて》
一拍置いて、冗談めかして言う。
《久禮田家で洗脳でもされなかったのかしら?》
《……洗脳は、ありました》
葉月は静かに言った。
《でも、今日で――それとも決別できそうです》
その言葉に、九十九は悟る。
目の前の高専生は、ただの優等生ではない。強烈な覚悟を抱え、すでに何かを決断している。
《……そう》
九十九は小さく笑った。
《アナタなら、そのうち有望な呪術師にでもなれそうね》
《将来が、楽しみだわ》
そう言い残し、背を向けて歩き出す。
***
そして――その2日後。
久禮田家宗家および分家、総勢130名。
葉月は、呪術によってその全員を殺害した。