―数日後―
任務の準備をしていると、不意に名を呼ばれた。
「葉月」
振り返ると五条が立っている。
何も言わずに抱き寄せられ、そのまま小さな包みを差し出された。
「これ、あげる」
「……何これ。君の呪力を感じるけど」
「お守り。葉月に何かあったら、僕に分かるようにしてある」
先日の話が相当堪えたのだろう。
急に過保護になったな、と葉月は思う。
「へえ。落とさないようにするよ」
ポケットにしまう。
「今日の任務、余裕だとは思うけど油断しないで」
「君も任務じゃないの?」
「そうだよ。本当は一緒にいたいのに」
絡みつく腕をどうにか外す。
「……気をつけて」
「君もね」
軽く手を振り、部屋を後にした。
---
―――――
任務は滞りなく終わるはずだった。
「久しぶりだね、葉月」
その声に、葉月は目を見開く。
「……夏油、傑……?」
そこにいたのは、かつての同級生――呪詛師となった夏油傑だった。
変わらぬ笑みで歩み寄ってくる。
「12年ぶりだ。君もこちら側に来たと聞いて、すぐ会えると思っていたよ」
少し寂しそうな声音。
「迎えに来た。悟の元から逃げよう」
差し出された手。
何を言っているのか理解できず、葉月は固まる。
「葉月はここにいる人材じゃない。君と私なら世界を変えられる。呪術師だけの世界を作れる。悟に見つかったと知ってから、ずっと準備していたんだ」
微笑みは、あの頃のままだった。
「……変わったね、傑」
経緯を知らない。だから彼の言葉は届かない。
「葉月は追放された身だ。立場を選べる」
「そうだね。もう呪術師にはなれない」
「なら尚更、共に行こう」
葉月は小さく首を振る。
「嬉しいよ。でも……もう手遅れなんだ」
その瞬間、夏油は異変に気付く。
空気が歪むほどの呪力放出。
「……葉月?」
「私は、君たちの知る“久禮田葉月”じゃない」
身体が軋み、呪霊の気配が溢れ出す。
「誰だい……葉月を乗っ取ったのは――」
「傑」
声だけは変わらない。
「今回は見逃す。だから今すぐ離れて」
「……!」
「早く。奴らが来る」
掌を向け、呪力で距離を弾き飛ばす。
「またね」
その言葉を最後に、葉月の姿は呪霊の奔流に飲み込まれた。
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――報告
二級呪霊と交戦後、特級呪霊複数体を確認。
一級呪術師・久禮田葉月が単独で対峙。
帳解除後、血まみれで倒れているところを発見。
現在、意識不明の重体。
――同時刻、虎杖悠仁 死亡。
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高専の空気は張り詰めていた。
発端は五条悟の苛立ちだ。
本日の任務はどれも自分でなくても済む内容ばかり。
違和感を抱えつつ終えた直後、お守りが弾けた。
戻れば、虎杖死亡の報。
意図的に仕組まれたとしか思えない。
「上の連中、全員殺してしまおうか?」
伊地知が凍りつく。
「珍しく感情的だな」
家入硝子が現れる。
「宿儺の器か。好きに解体していい?」
「役立てろよ」
「誰に言ってんの」
他愛ない会話の最中――
「……!」
死んだはずの虎杖が蘇生した。
安堵と呆れと笑いが入り混じる。
虎杖は死亡扱いとして、密かに鍛え直されることとなった。
---
――医務室。
扉が勢いよく開く。
「家入さん! 至急治療を!」
「どしたの、そんな慌てて」
「久禮田一級呪術師が、特級複数体と交戦して意識不明です!」
空気が変わる。
家入は無言で準備に入った。
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「治療は終わった。命に別状はない」
廊下の五条に告げ、ベッドへ案内する。
「……五条」
家入の声がわずかに震えている。
「葉月の仮面の下、見たことあるかい?」
「ないけど……何かあった?」
「身体の構造が……解体しないと分からない」
本来あるべきものがなく、
あってはならないものが存在していた。
五条は眠る葉月を見る。
「……特級複数体相手に、生きて帰った。それで十分だ」
家入はベッドの傍に立つ。
「……12年間、ずっと一人にしてごめんね、葉月」
―目覚め―
目を覚ますと、白い天井が視界に入った。
消毒液の匂い。病室だと気付く。
「……?」
腹のあたりに重みを感じ、視線を落とす。
五条がベッドに突っ伏して眠っていた。
「……葉月、起きたのね。丸2日よ」
声の主は家入硝子だった。
「……心配、かけた」
「右顔面、とりあえず包帯で覆ってる」
葉月はそっと右手を上げ、顔に触れる。
「……そう」
小さく息を吐き、指先に呪力を集めると、包帯に手をかけた。
「硝子、見ない方がいい。……治療の時に見たと思うけど、“呪力を持つ者”が直視すると精神に来るから」
「……わかった」
家入は背を向ける。
五条が深く眠っていることを確かめ、葉月は静かに包帯を外した。
数分後。
「……終わったよ」
振り返った家入の視界に、右顔面を覆う仮面が戻っている。
「怖い思いをさせてごめん」
「……葉月」
家入は思わず抱きしめた。
「無茶しすぎ。ここには私たちがいるんだから、もっと頼りなさいよ」
「……昔から言われてるのにね。不器用でごめん」
背を軽く叩くと、家入は離れる。
葉月が他に傷がないか確かめていると、背後から腕が回された。
「……生きてて、よかった……」
「……」
「特級複数体なんて、無謀すぎるだろ」
確かに無謀だ。五条ですら滅多に相手にしない数だ。
だが葉月の声は落ち着いていた。
「……仕方なかったんだよ」
「仕方ない?」
「自分で招いた結果だから」
2人の表情が固まる。
「特級呪霊にとって、私の肉体は“器”と同じ。主導権を奪えば人間社会に紛れ込める。だから襲撃された」
「……奴らって?」
「久禮田家が生み出した、失敗作」
一拍の沈黙。
「……私以外の、被験者だよ」
「まさか……人体実験の?」
五条が低く呟き、家入へと説明を補う。
「葉月は、そいつらに追われてる?」
「そう。言ったでしょ。両者から追われてるって」
両者――呪術師と呪詛師。
そして、特級呪霊。
五条は抱きしめた腕を緩めない。
「……なあ、葉月。もう一人でどこか行かないでくれ。僕を頼ってよ。僕が強いの、知ってるでしょ」
「……」
「どうしても離れるなら、“縛り”を付けてもいい」
「それは困るな」
「なら傍にいて。僕が守るから」
葉月は答えない。ただ、困ったように笑うだけだった。
《葉月》
気付けば家入の姿はなく、部屋には二人きりの静けさが落ちている。
顔を背けていた葉月の頬に五条が手を添え、そのまま口づけた。
「……絶対に、葉月は誰にも渡さない」
強い決意の言葉。
葉月はどこか哀しげな目で五条を見る。
――もう、叶わない願いだと知っているから。
12年前。
彼らと共に学生時代を過ごしていた
【久禮田 葉月】は、すでに殺されている。
その事実を――
まだ、誰も知らない。