五条が任務報告のため職員室を訪れると、夜蛾の口から思いがけない言葉が返ってきた。
「……葉月は?一緒じゃなかったのか」
「先に帰ったものだと思っていた」
「いや、まだ来てないぞ」
その返答に、五条は眉をひそめる。
確かに任務は別れて行動したが、葉月が何も言わずに戻らないなど、これまで一度もなかった。
夜蛾は腕を組み、低く続けた。
「最近、あいつの行動には不審な点が多い。三級であるにもかかわらず、上を介さず、完全に別経路で単独任務を受けている形跡がある」
「……葉月が?」
思わず声が漏れた。
葉月は合同任務では常に後方支援に徹し、前線に立つタイプではない。
慎重で、計画的で、無茶を嫌う――それが五条の知る彼女だ。
そんな葉月が、単独任務を?
しかも夜蛾だけでなく、上層部すら関与していない様子だという。
胸に引っかかるものがあった。
先ほどの任務中、呪霊を祓う葉月の表情――あれは、明らかに“いつもの彼女”ではなかった。
強い憎悪。
そして、呪霊を前にして浮かべた、笑み。
その時――。
「あれー?悟も来てたんだ」
「「……!」」
振り返ると、着替えを済ませた葉月が、何事もなかったかのように夜蛾達の元へ歩み寄ってきた。
「どこに行っていた」
「制服が血だらけになっちゃって。寮に戻って着替えてたんです。
汚れ、落ちなくなっても困るし」
「怪我は?」
「してませんよー」
元気だと言わんばかりに、親指を立ててみせる。
だが、その軽さが、余計に不安を煽った。
「……葉月。あの呪霊は何だ」
五条の問いは、先ほど彼女を襲った“それ”を指していた。
「知らないよ」
「嘘だ。そんな風には見えなかった」
何かがある。
理由は分からないが、そう直感していた。
「うーん……大したことじゃないんだけどなぁ」
葉月は困ったように笑う。
「最近、増えてきたんだよね。呪霊の襲撃」
「……!」
「命を狙われてるってことか?」
「さぁ……何でだろ。よく分からない」
あまりに無頓着な返答に、五条と夜蛾は言葉を失う。
「……ていうか、任務の報告に来ただけなのに、なんで尋問みたいになってるの?」
肩をすくめる葉月に、二人は何も返せなかった。
「夜蛾先生、明日休みもらっていいですか?最近任務続きで、さすがに疲れちゃって」
「あぁ、構わん」
「よし」
見事に話題を切り替え、ガッツポーズをする葉月。
「悟、悪いんだけど寮まで運んでくれない?」
「……は?」
「呪力、使いすぎたみたい」
そう言って、葉月は五条の背に体を預けた。
次の瞬間、完全に意識を手放す。
「おい……」
慌てて身体を支え、背負い直す。
「……夜蛾先生、何か知ってるんすか」
「葉月の素性か?非術師の家系だということくらいだ。だが……進級直後から単独任務が多いのも、呪霊の襲撃も、確かに異常だ」
夜蛾は静かに言った。
「個人的に調べてみる」
「……よろしく頼みますわ」
五条はそう言うと、眠る葉月を背負い直し、寮へと向かった。
彼女の体温は確かにそこにあるのに、
どこか、遠くへ行ってしまったような――そんな嫌な予感だけが、胸に残っていた。
――…
葉月が目を覚ました時、そこが自分の部屋だと気づくまで、そう時間はかからなかった。ただし――状況が、明らかにおかしい。
「あー、起きた」
「もう朝だよ」
「……?」
視界に飛び込んできたのは、添い寝するように布団に入り込んでいる五条と、ベッドのすぐ脇に腰を下ろし、こちらを覗き込む夏油の姿だった。
「何事?」
思わずそう口にすると、
「暇つぶし」
「悟、嘘はよくないよ。葉月が心配だったんだろう?」
「?」
「眠れないって、私の部屋に来たのは誰だったかな」
「うるせーぞ傑」
「悟こそ、いつまでも中学生みたいな態度はやめた方がいいと思うよ」
今にも小競り合いが始まりそうな空気に、葉月は小さく苦笑した。
「……喧嘩するなら他所でやって。悟も傑も、心配してくれたんでしょ。ありがとう」
「私は何もしてないよ」
そう言いながらも、どこか満更でもなさそうな夏油。五条はというと、何を思ったのか、急に葉月に抱きつこうとしてくる。
――が、葉月はするりと布団を抜け出し、鏡の前に立った。
「ということで、葉月」
「ん?」
「今から出かけようか」
「は?」
「何か用事でも?」
「特にないけど」
「じゃあ決まりだね。どうせ、出かけるつもりだったんだろう?」
夏油は、すべてお見通しだと言わんばかりに微笑む。
「1人より、3人の方が楽しいよ」
「……硝子には内緒でね」
人差し指を唇に当てる夏油に、葉月は小さく笑った。
――とある公園
「……何してんの? あいつ」
「悟、葉月と出かけるの初めて?」
「お前は知ってたのかよ」
なぜか葉月の用事に付き合わされる形になった俺たち。公園に着くや否や、子供たちが葉月の元へ駆け寄り、自然と輪ができていく。
「……葉月は、人に好かれるみたいだね」
普段とは比べ物にならないくらい、柔らかい表情。俺たちの前では決して見せない笑顔を、子供たちに向けている。
(……なんだよ、あんな顔)
胸の奥が、妙にざわつく。
(俺には、見せたことないくせに)
「悟も、余計なちょっかい出さなければ、ああやって笑ってくれるよ」
図星を突かれ、言い返せない。そこへ、
「悟、傑」
「なんだい?」
「なんだよ」
「付き合わせてごめんね。もう終わったから、帰ろう」
子供たちは葉月に手を振り、名残惜しそうに見送っている。
「じゃあ、パフェ奢って」
「アイスならいいよ」
「私はいらないかな」
「付き合わせたから、傑も好きなの選んでね」
そう言って先を歩く葉月の後ろを、夏油が自然に追う。
「あー……嫉妬するわ」
思わず漏れた言葉を、誰も拾わない。
俺は少しだけ足を速め、二人の後を追った。
――――――
それから数日が経ち、誰もいない教室で葉月はぼんやりと外を眺めていた。窓から差し込む光に目を細めていると、不意に視界に蒼い色が入り込む。
「何やってんだよ」
顔を覗き込んできた蒼い瞳に、葉月は反射的に視線を逸らした。
「そちらこそ」
「暇つぶしに来た」
ガタガタと音を立て、椅子を引き寄せて正面に座る五条は、じっと葉月を見つめ続ける。
「……なに?」
「……いや、なんかさ」
「サングラスは?」
「サングラスしてた方がいい?」
普段から葉月は、サングラスを外した五条と目を合わせようとしない。視線を逸らすか、こうして窓の外に逃がすか――それが常だった。
「どっちでもいい」
「……でも、目合わせてくれないじゃん」
渋々と五条がサングラスをかけるのを横目で確認してから、ようやく葉月は彼を見た。
「葉月」
「なに」
「……悩みあるなら聞くぞ」
「明日、槍でも降るの?」
即座に返され、五条は眉をひそめる。
「人が真剣に言ってんだよ」
「悟が悩み相談なんて、明日の天気が心配になるね」
「……おい」
葉月は小さく肩をすくめた。
「何もないよ。悩みなんて」
「じゃあ聞き方変える」
五条の声が、少しだけ低くなる。
「葉月。あの時、何をした?」
一瞬、教室の空気が張り詰めた。
「……もう終わった話でしょ」
葉月はそう言って、話を切ろうとする。
「俺より先に奇襲に気づいた」
「……」
「しかも、何の前触れもなく呪霊を祓った」
「……」
「そのあと、お前は倒れて、そのまま眠った」
五条は言葉を区切り、続ける。
「正直……もう目、覚まさないんじゃないかって思った」
いつもとは違う声色。葉月はそれを受け止めきれず、わずかに目を伏せた。
「……ごめんね」
「は?」
「足手纏いで」
責めるつもりはなかった。
なのに、そう言われると、どう言葉を返せばいいのか分からない。
「……まだ、コントロールできてないんだろ」
「そのうち出来るようになるよ」
「……いつもと違って、正直戸惑った」
沈黙。
「――だからさ」
五条は急に、いつもの軽い調子に戻る。
「早く強くなれって話」
「……え?」
「プライスレスなんだよ、俺は」
何を言われているのか分からず、葉月は首を傾げる。
「どういう意味?」
「頼ってくれてもいい、ってこと」
その言葉に、葉月は一瞬だけ目を見開いた。
そしてすぐに、柔らかく笑う。
「大丈夫だよ」
「……」
「君たちは、何も心配しなくていい」
その笑顔は、明確な拒絶だった。
「!!……葉月」
「自分のことくらい、自分で対処できるよ」
わざわざ聞きに来て、こんな答えを引き出した自分を、少しだけ馬鹿にしたように。
「悟も、随分暇だね」
五条は言葉を失う。
「……本当に、何もないのか?」
「ないよ」
葉月は立ち上がり、振り返らずに言った。
「……うん。大丈夫。私は、まだ……大丈夫だから」
それは誰に向けた言葉なのか。
自分か、五条か、それとも――。
用事を思い出したと言い残し、葉月は教室を出ていった。
引き留めようとした五条の声は、空の教室に虚しく残るだけだった。