目立たず静かに生きたいだけなのに、 呪い付きモブとして転生した結果、 五つの学園を練り歩く最下位スタート生活になりました。 作:やっくん。
朝。
いつも通り、稽古場はまだ薄暗い。
「遅い」
「……はい」
「開始」
もはや挨拶みたいになりつつあるやり取りを交わし、俺は剣を構えた。
シトラ・シトラスの剣が振られる。
速い。
いや、速いとかいう次元じゃない。
人間の速度をしていない。
見てから避ける。
間に合わなければ、受け流す。
判断が遅れれば、当然のように弾き飛ばされる。
俺は今日も、何度も地面と仲良くなった。
「……」
何十回か転がされたあと、稽古は終わった。
「終了」
「……ありがとうございました」
息が上がっている。
身体は当然のように痛い。
だが、なんとか俺は立っている。
シトラスは俺を一度だけ見て、小さく頷いた。
「……近いかも」
「はい?」
聞き返したときには、もう背を向けていた。
(近いって……何がだ? 距離? 死期?)
いや、死期は普通に近い。
呪いのせいで、常に。
だが、この人が言う「近い」は、そういう意味じゃない気がする。
最近、こういう“意味が分からない一言”が増えている。
考えても仕方ない。
そもそも、この人の会話は八割が省略されているのだ。
俺は脇腹を押さえながら、稽古場を後にした。
◇
授業が始まると、違和感ははっきりした。
――静かすぎる。
いつもなら、雑用を押し付けてくる学生が寄ってくる。
荷物運びだの、掃除だの、謎のパシリだの。
だが今日は、誰も近寄ってこない。
代わりに、視線だけがある。
話しかけられない。
距離を取られている。
(……あれ? 俺、なんかやった?)
思い当たることはない。
朝稽古も、夜の森も、いつも通り。
俺はいつも通り、生きるために必死なだけだ。
なのに――妙に、周囲が静かだ。
(……汗臭いからか? 朝稽古の後、ちゃんと拭いたけどな)
俺の脳は、現実逃避の結論を出した。
そうでもしないと、心が折れる。
◇
昼休み。
食堂。
席を探して歩いていると、声をかけられた。
「シズカ」
振り向くと、見覚えのある顔。
中肉中背、色黒で、わりと端正な顔立ち。
そして、俺にとっては貴重すぎる存在。
「モカ?」
ランキング九十二位の学生。
入学直後に知り合った、数少ない友人だ。
「久しぶりだな」
「そうだね。元気そうでなにより」
俺が言うと、モカは少しだけ笑った。
そして周囲を気にするように視線を巡らせてから、俺の隣に座る。
……この時点で、嫌な予感がした。
「……なんか、周りの空気変わってないか?」
「え?」
「いや、俺の気のせいかもしれないけど……」
モカは言葉を選ぶように、スープをゆっくりかき混ぜる。
「変わってる。明らかに」
俺は即答した。
「だよな……」
「距離取られてるっていうか。やっぱり俺、汗臭いのかな」
「いや、全然匂わないぞ」
モカは即答し、それから声を落とした。
「……それよりさ」
嫌な予感が、確信に変わる。
「最近、噂になってるの知ってるか?」
「噂?」
俺が聞き返すと、モカは肩をすくめた。
「朝……シトラスさんとの稽古、続いてるって本当か?」
一瞬、俺の手が止まった。
「ああ、うん……一応」
「一応って……」
モカが苦笑する。
「それ、結構な噂になってるぞ」
「……噂?」
「最下位なのに、直々に、ってな」
最下位。
つまり百位。
俺である。
モカは続ける。
「シトラスさんって、声かけたこと自体は何人もいるんだよ。でも……」
そこで一拍置く。
「その特訓の厳しさで有名で、二日続いてるやつが皆無なんだ」
(……ああ、そういうことか)
心当たりはそこしかない。
朝稽古。
地獄稽古。
人間をスポンジ扱いする講師補佐。
「別に、特別なことしてないんだけどな」
「それを決めるのは、周りだぜ。それにたぶん、リネットちゃんと仲良くしているのも・・・」
モカはそう言いかけて、スープを飲んだ。
そして、少しだけ真面目な顔になる。
「まぁ俺は分かってるぜ。シズカが派手なことしないのは」
「……助かる」
「ただな」
モカの声が、わずかに低くなる。
「それらを面白く思わないやつも、いる」
「……だろうな」
学園のランキングは、秩序だ。
そして秩序は、下が勝手に動くのを嫌う。
社会もそうだった。
この世界も同じらしい。
俺はため息をつきたくなった。
生きるって、めんどくさい。
◇
午後。
廊下を歩いていると、前から歩いてきた学生が――わざとぶつかってきた。
肩が当たる。
強めに。
「……すみません」
反射で謝る。
社畜の条件反射だ。
当たり屋に謝るのは日本の伝統である。
相手の胸元の番号が、キラリと光る。
ランキング八十番台。
俺(百位)から見れば、余裕で格上だ。
その学生はちらりと俺を見て、鼻で笑った。
「最下位が、調子に乗るなよ」
「……え?」
返事を待たず、去っていく。
(……調子に乗ってたか? 俺)
調子に乗っている自覚はない。
俺はいつも通り、死にたくないから動いているだけだ。
結果的に変な噂になっているだけだ。
だが、どうやら何かがズレて伝わっているらしい。
それが一番怖い。
誤解は、いつも人を殺す。
社会的に。
◇
放課後。
稽古場の片隅で、一人剣を振っていると、足音が近づいてきた。
「シズカくん」
振り向くと、リネットがいた。
栗色の髪。
柔らかい雰囲気の美少女。
だが、今日はどこか落ち着かない顔をしている。
「リネット。どうしたの?」
リネットは口を開いて――閉じた。
「その……最近、変な噂が……」
「噂?」
モカに聞いた話と繋がる。
俺の中で嫌な予感が育つ。
だがリネットは、首を横に振った。
「……ううん。やっぱり、いい」
「え?」
「まだ、本人に言う段階じゃないっていうか……」
視線を逸らす。
耳が少し赤い。
(……完全に何かあるな)
聞きたい気持ちはある。
だが、無理に聞いてもリネットを困らせるだけだ。
この子は優しい。
優しい子を困らせるのは、俺の主義に反する。
俺は剣を握ったまま、言った。
「まあ、何かあったら教えて」
「……うん」
リネットは小さく頷き、少しだけ安心したように笑った。
その笑顔に、俺の心が少し軽くなる。
……だが。
逆に言えば。
リネットが言えないレベルの噂が、今、学園で広がっているということだ。
俺の心は、また重くなった。
◇
その少し離れた場所。
数人の学生が、ひそひそと話していた。
「なあ」
ランキング中位の学生が、仲間に声をかける。
「確認したか?」
「ああ。朝稽古、事実らしい」
「だよな」
視線の先には、剣を振るシズカの姿。
「……おかしい」
別の学生が言った。
「最下位が、シトラスさんの稽古相手?」
「秩序が乱れる」
「しかもシトラスちゃんと仲が良いらしいぞ」
彼らの声には、苛立ちと焦りが混じっていた。
秩序は安心だ。
秩序が崩れると、自分の立場も揺らぐ。
「生意気だな。正す必要があるな」
「そうだな」
「最下位が、特別扱い? ありえない」
不満は静かに共有され、形を持っていく。
そして誰かが、決定的な名前を出した。
「……ワイン・ワイトさんに言うか?」
空気が、一瞬だけ固まる。
「やめとけ。あいつは面倒だぞ」
「でも秩序の番人だ」
「規則違反を嗅ぎつけたら、絶対に逃がさない」
それでも彼らは、頷いた。
面倒でも、必要だと思ったのだろう。
自分たちの安心のために。
彼らは知らない。
秩序の番人が動く時、秩序そのものが血に濡れることを。
◇
夜。
森の中。
俺は、いつも通りゴブリンと向き合っていた。
避ける。
流す。
返す。
ゴブリンが倒れる。
「……ふぅ」
耳を袋に入れる。
十ゼニー。
たった十ゼニー。
でも、俺の命には換えられない。
(……コツコツだな)
噂も、不満も、人の視線も。
ここにはない。
ここにあるのは、剣と、自分だけ。
だから落ち着く。
社会の人間関係より、ゴブリンの方が分かりやすい。
殴ってくるなら、殴ってくると分かっているからだ。
俺は息を整え、帰路についた。
◇
部屋に戻ると、机の上に紙が置かれていた。
見覚えのない封。
「……?」
誰かが入った?
いや、鍵は……。
嫌な汗が背中を伝う。
封を切ると、中の紙は一枚だけだった。
内容は、簡潔。
だが――読んだ瞬間、胃が冷えた。
【決闘の申し込み】
日時:七日後・早朝
場所:第一稽古場
貴殿の最近の行動は、
剣術学園のランキング制度の秩序を乱している。
講師補佐シトラ・シトラスとの私的な稽古、
ならびにリネン・リネットとの不純異性交について、
確認が必要と判断した。
決闘をもって、実力と立場を明らかにしたい。
差出人:ランキング六十二位 ワイン・ワイト
文字が、妙に綺麗だった。
文字が一つも乱れることなく書かれている。
「……断れる、よな?」
俺は呟いた。
だが、答えは分かっている。
こういうのは、断れない。
社会がそうだった。
そして、この学園もそうらしい。
胸の奥がざわつく。
いや、胸じゃない。
これは――胃だ。
おれは胃が弱いのだ。
ストレスがダイレクトに胃腸へ届くタイプだ。
おれの胃が、「また面倒な案件が来た」と言っている。
静かすぎる日は、だいたい何かが始まっている。
そんな気がしてならなかった。
【※読者の皆さまへお願い】
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