目立たず静かに生きたいだけなのに、 呪い付きモブとして転生した結果、 五つの学園を練り歩く最下位スタート生活になりました。 作:やっくん。
装備を整え、残りのゼニーで回復ポーションを一本買って、フツーノ村を出た。
街道とは名ばかりの、踏み固められた土の道。
靴底から伝わる感触が、どこか頼りない。
両脇には森が広がり、風が吹くたびに葉擦れの音が近くで鳴った。
村を出てから、まだ誰ともすれ違っていない。
腰の剣が歩くたびに太ももを叩く。
鞘を押さえて位置を直しても、数歩でまたずれた。
重心が剣のほうへ傾いてしまう。
一度だけ後ろを振り返ると、木々の隙間からフツーノ村の煙突が細い煙を上げていた。
「あぁ、普通にのんびり暮らしたい……」
しばらく、その光景を眺めていた。
視界の端の赤い数字に目をやって、前を向く。
学生でありさえすれば、あとは――
――ガサッ。
茂みから、腰の高さほどの緑色の影が飛び出してきた。
「ゴブリン……」
AFAで、何百体と斬ってきた初期モンスター。
だが、俺の記憶だとこの街道にはモンスターは出ないはず。
おかしいな……おれのデータにはないぞ。
剣の柄を握る手のひらが、じっとりと湿っていた。
一歩、後ずさる。
かかとが土の段差に引っかかった。
視界の端で、赤い数字が一つ減った。
後ずさった足を、元の位置へ戻した。
「……ッ!」
剣を抜こうとした、その瞬間。
腹に衝撃が来た。
「ぐっ!」
視界が回り、背中から地面に叩きつけられる。
肺の空気が全部押し出された。
咳き込みながら顔を上げると、ゴブリンがジリジリと距離を詰めてきていた。
首を傾け、こちらの様子をうかがうように。
これ、ガチだ――
ゴブリンの黄色い目が細まり、口の端が吊り上がった。
唾液が糸を引き、牙が濡れて光る。
剣を握る指が勝手に震え始めた。
一歩近づかれるたびに、呼吸が浅くなる。
こ、こえぇ――
右手が地面を探った。
指先に小石が当たる。
掴んで投げた。
「グェッ!」
ゴブリンが顔を押さえてのけぞる。
その隙に跳ね起き、背を向けて茂みへ走った。
枝が頬を打つ。足がもつれる。それでも、止まらず走る。
しばらく走って、ようやく振り返る。
追ってくる気配はない。
「た、たすかった……」
膝に手をつき、肩で息をする。
呼吸が落ち着くのを待って顔を上げた。
森の奥へ一歩踏み出そうとして、そこで足が止まった。
ポケットからビラを取り出す。
俺の汗で『剣術学園』の文字が滲んでいる。
しばらくそれを見つめていた。
無意識に首元へ手が伸び、ネクタイを緩めようとした指が何もない襟元を掻く。
乾いた笑いが漏れる。
森の奥へ目をやると、薄暗く、静かで、誰にも会わずに済みそうな道。
「……そっちは、もういいわ」
ビラを丁寧にたたみ、ポケットの奥へしまう。
視界の端では、赤い数字が音もなく減り続けている。
茂みの向こう、街道のほうで枝の折れる音がした。
剣の柄に手をかけるが、手汗で滑って握りそこねた。
俺はズボンで手のひらを拭ってしっかりと掴む。
「……いくか」
踵を返してゴブリンの居た道へ。
◇
「……いた」
街道の真ん中に、緑色の背中があった。
今度は、先に剣を抜く。
鞘から抜けきる金属の音に、ゴブリンが振り返った。
「ギャッ!」
黄色い目がこちらを捉え、一直線に距離を詰めてくる。
足音が近い。荒い息遣いが、もう耳に届く。
ゴブリンが勢いよく踏み込んできた。
「剣技スラッシュ……!」
叫びと一緒に剣を振る。
声だけが響き、刃は空を切った。
「……出ない……か」
AFAで剣を選んだ主人公が、最初から使える技。
ほんの少しだけ期待していたが、何も起きなかった。
空振りの勢いで、身体が前に流れる。
ゴブリンが脇をすり抜け、背後で向き直る気配がした。
慌てて振り返り、剣を構え直す。
ゴブリンが、肩をすくめるように身を沈めた。
この動き、さっきと――
体当たりの直前の溜め。
片足を軸に半歩だけ横へずれる。
ゴブリンの身体が、すぐ脇をかすめていった。
――今。
がむしゃらに腕を振る。
「ギャッ――!」
刃がゴブリンの腕を捉えた。
骨に当たったような鈍い衝撃が、手のひらから肘まで突き抜ける。
浅い。でも、確かに斬れた。
ゴブリンが腕を押さえて飛び退き、歯を剥いた。
喉の奥から低い唸り声が漏れる。
身を沈める。今度は溜めが短い。
速っ――
「うわっ」
思わず目をつむる。
それでも、両手で柄を握りしめ、前に突き出したまま剣だけは離さなかった。
手首にずしりと重みがかかった。
――ドサッ。
……えっ?
恐る恐る目を開ける。
足元にゴブリンが崩れ落ちていた。
ぴくりとも動かない。
突き出した剣の切っ先が、赤く濡れている。
……自分から刃に飛び込んできた……のか。
静寂が戻る。
葉擦れの音と、遠くの鳥の声が、急に耳に戻ってきた。
「……あ、あぶねぇ」
剣を下ろそうとして、指が柄から離れないことに気づく。
一本ずつ、ゆっくりと引き剥がした。
手のひらが、まだ震えている。
その場に座り込んだ。
心臓がうるさい。
でも、さっきとは鳴り方が違う。
胸の奥から熱い何かがせり上がってくる。
「うおおぉぉぉぉ――っ!!」
右手を天に高々と突き上げた。
しばらくそのまま、肩で息をする。
「……なんだ、アイツ」
背後から声がした。
振り返ると、街道の向こうに三人組の冒険者が立っていた。
剣を帯びた男、杖を持った女、大きな盾を背負った女。
「ゴブリン一匹倒して、吠えてんぞ」
「この辺で一番弱いやつだねー」
「右手を突き上げて何かするのかな」
三人の視線が、突き上げたままの右手に集まる。
「…………」
突き上げている右手を、そっと下ろした。
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