目立たず静かに生きたいだけなのに、 呪い付きモブとして転生した結果、 五つの学園を練り歩く最下位スタート生活になりました。 作:やっくん。
気軽に一話ずつ読んでいただけたら嬉しいです。
朝は、まだ薄暗かった。
剣術学園の稽古場。
石床に冷たい空気が張り付いている。
シズカは、いつもの位置に立っていた。
壁際の端。
邪魔にならない場所。
(……端とか壁際とか狭いスペースが落ち着くんだよなぁ。ここなら誰にも話しかけられないしいい感じ)
そう思っていた。
思っていたのに――
「……いた」
背後から声がした。
透明で、澄んだ声。
振り向くまでもない。
シトラ・シトラス。
銀髪の美少女。
剣術学園ランキング三位。
講師補佐。
そして俺の中での分類は――
(暴力女)
美少女なのに暴力女。
世の中ってバグってる。
シトラスは剣を抜き、無表情で言った。
「開始」
(いや、開始じゃない。俺はまだ同意してない)
シズカは慌てて両手を上げた。
「す、すみません! 今日はちょっと……!」
「遅刻?」
「違います!」
「体調不良?」
「いや、元気です!」
「なら、開始」
(会話のゴールが全部“開始”に収束するのやめろ!)
シズカが後ずさった瞬間――
視界が反転した。
「がっ!?」
次の瞬間、床。
背中から落ちて、肺の空気が一気に抜けた。
(……ああ、これだ。これが朝の挨拶だ)
シズカは転がりながら思った。
(俺の人生、いつから「おはよう=投げられる」になったんだろう)
シトラスが淡々と言う。
「遅い」
「開始前です!」
「心が遅い」
(心が遅いって何だよ。初めて聞いたよそんな遅刻)
シズカは起き上がった。
起き上がるしかない。
倒れたままだと、次が来る。
前世の職場では、倒れたら休憩扱いだった。
そして起きたら仕事が増えているなんでよくあった。
だから倒れるのはごくごく普通のことだ。
シズカが剣を構える。
シトラスは言った。
「まず、これ」
指先で軽く手招きする。
――かかってこい。
(やだよ)
そう言いたかったが、口が動く前に身体が動いた。
剣を振り下ろした。
次の瞬間。
腹に衝撃。
「……っ!」
息が強制的に吐き出される。
痛い。
とても綺麗なフォームの右ストレートだった。
(暴力にも品があるな)
シズカは冷静にそう思った。
そして膝から崩れ落ちた。
シトラスは覗き込んで言う。
「わかった?」
「ど……どういう……」
「わかんないなら、もう一回」
(質問の意味が違う!)
腹に二発目。
「ぐふっ……!」
シズカは床と抱き合った。
(床、今日もよろしく)
(俺たち、親友だな)
シトラスが淡々と言った。
「先に動くと、読まれる」
「……読まれる?」
「全部、見える」
短い説明。
(ああ……なるほど)
ゲームでもそうだった。
先に動いた側が、相手に情報を渡す。
だから後の先。
シトラスは続けた。
「相手を見てからでいい」
「避けるか、流すか、カウンターか」
「好きなのを選ぶ」
(好きなのを選ぶって、ゲームではポチポチ選択肢を選ぶだけだったけど現実はどれもハードルが高いな。自主練してゲームと現実とのギャップの確認をする必要があるな。だったら朝の訓練は一人のほうがいいか?)
そう思ってシズカが口を開く。
「すみません、俺……朝稽古って強制なんですか?」
シトラスは少し考える。
「……強制じゃない」
「じゃあ、俺は――」
「でも、来た」
「いや、来たのは……」
「来たなら、やる」
(論理が暴力寄りすぎる)
シズカは思った。
(これ、どこかのタイミングで辞めたいこと言わないと。)
シトラスは言う。
「始める」
(始めないで)
願いは届かなかった。
次の瞬間、世界が反転した。
「――っ!」
視界が回り、床が迫る。
だが――
身体が勝手に動いた。
転ぶ。
転がる。
受け身。
衝撃は少ない。
シズカは転がされ続けたおかげで受け身だけは人一倍に上達していた。
シトラスが低く言う。
「……今の」
(来た、追撃だ)
シズカは身構えた。
しかしシトラスは淡々と言った。
「最後まで見てた」
「……え?」
「良い」
(褒めた?今、褒めたのか?)
そして周囲で見ていた数人の学生がひそかにざわついた。
「今の見たか?」
「シトラス様が“良い”って言ったぞ」
「最下位に……?」
続いて横からの打ち込み。
シズカは身体を捻る。
剣が、すぐ横を通り過ぎた。
(避けれた!)
だが足が絡む。
体勢を崩したまま、前へ。
――どん。
突っ込んだ先は、シトラスの胸元だった。
静寂。
周囲の学生たちが、一斉に息を止めた。
「……今の、わざと?」
「最下位、死ぬ気か……」
「いや、あれは高度な距離詰め……?」
ただの転倒だった。
シズカは額をつけたまま言った。
「……すみません」
シトラスは無表情で言う。
「えっちだね。わざと?」
「違います!!」
即答した。
シトラスは少し考えてから言った。
「なら、ゆるす。一回だけ」
(その顔、許してる顔じゃないんだが)
シトラスは親指で首を横切る動作をする。
(動作が怖いんだよ)
「……はい」
再開。
シトラスの動きを、ひたすら見る。
振り出し。
踏み替え。
重心の移動。
避ける。
転ぶ。
受け身。
立つ。
倒れる。
立つ。
倒れる。
立つ。
倒れる。
立つ。
気づけば周囲の学生たちは稽古をやめ、
完全に観客になっていた。
「何回立つんだ……」
「普通、最初の一回で心が折れるだろ」
「いや、心じゃない……魂が折れる」
シズカは集中しているため周囲の噂やガヤには気づいていない。
そして、努力している意識もない。
(まだ意識ある)
(まだ動ける)
(じゃあセーフ)
シズカの中ではそれだけだった。
だが剣術学園の学生たちは違う。
この学園では、血筋と才能が強さだ。
努力は「下の者がするもの」。
しかも、努力しても無駄だと思っている。
だから――
努力を続ける最下位が、異常に見える。
周囲のざわめきが変質していく。
「最下位なのに折れない……」
「いや、あれは精神力の化け物だ」
「もしかして、実力を隠してる?」
シズカは気づかない。
気づく余裕がない。
なぜなら、次が飛んでくるからだ。
シトラスは確認するだけ。
「まだ、やれる?」
シズカは自分の剣を見る。
刃こぼれはない。
足も、立つ。
肺も、まだ動く。
「……はい」
するとシトラスは少しだけ首を傾げた。
「……変」
(いや変なのはあなたです。)
「続ける」
(続けるのか)
地獄は続いた。
そして――
ある瞬間。
ほんの一瞬だけ。
シトラスの剣が、遅く見えた。
スローモーションみたいに。
振り出しが見える。
踏み込みが見える。
刃が来る軌道が見える。
(……あれ?)
シズカの身体が勝手に半歩ずれた。
剣先が、空を切る。
(避けた……?)
しかし次の瞬間、元に戻った。
いつもの速度。
(……気のせいか)
シズカは思った。
(たぶんランナーズハイみたいなもんだな)
シトラスは淡々と言う。
「今の、見えてた」
「……え?」
「でも、身体が遅い」
そして少し間を置き、
「鍛えて」
それだけ言った。
(鍛えるって何だ。もう十分鍛えられてる気がするんだが)
シトラスは剣を収め、去っていった。
去り際に一言。
「……明日も来て」
(断る選択肢、どこだよ)
シズカが座り込んでいると、
遠巻きにしていた学生たちが小声で話していた。
「最下位、やばくないか?」
「毎朝シトラス様に挑んでる……」
「命知らずってレベルじゃない」
「いや、あれは“覚悟”だ」
シズカはそのまま、息を整える。
そして、ようやく気づいた。
周囲が自分から距離を取っている。
そして、なぜか自分たちの噂をしていることに。
しかし理由は分からない。
分からないまま、シズカは気まずくて思い早足でその場をあとにする。
立ち上がるのは、普通だ。
立ち上がらないと、次が来る。
だから立つ。
それだけなのに――
剣術学園ではそれが、
なぜか「異常な努力」に見えるらしかった。
朝稽古は、本格化した。
そしてシズカは今日も、
自分が浮き始めていることに気づかないまま、
静かに、確実に、
面倒な方向へ転がっていった。
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