なんていうか、作中で描写薄いキャラをなんで主人公に据えようと思ったんだっけ?
「すずか、どうしたの?」
夕暮れの車内。黒塗りのベンツの中、ふかふかとしたシートに身を預けて、すずかは遠い場所へ意識をとばしていた。思い返されるのは、あの竜の事。今頃、あの竜はどうしているのだろうか。話によると翼がなおるまでは身動きできないそうだから、今もあの広場にいるのだろうけども、ご飯とかはどうしているのだろうか。食べなくてもいいのか、それとも何か差し入れをするべきなのだろうか。
そんな風に、答えのない疑問を浮かべていた彼女は、隣から呼びかけられた声に我に返った。
「ごめん、アリサちゃん。ちょっとぼうっとしてた」
「どうしたのよ。ぼっとしてるのはいつもかもしれないけど、呼びかけても答えないなんて」
とりようによっては辛辣ともとれる毒舌を吐くのは、ブロンドの髪を延ばした少女だ。勝ち気と活力があふれ出しすぎて攻撃的な印象を受ける、そんな少女だ。彼女の名はアリサ・バニングス。イギリス系の血を引く、しかしねっからの日本育ちで、すずかの友人である。彼女の繰る日本語は実に滑らかで、少し品がない。けど、そうした強い言動の裏に、深い情愛を秘めているという事を、すずかはそれなりのつきあいからよく知っていた。
「ううん、本当に何にもないの。少し、気になることがあって」
「ああ、嵐で庭がむちゃくちゃになっちゃったって奴? あれは本当にびっくりしたわよね。異常気象だ、温暖化が原因か、ってニュースで騒いでたけどさもありなんって感じよね」
うんうんとうなずくアリサ。この友人は一を聞いて十を知る頭の回転の早さは素晴らしいのだが、今回に限ってはそれが勘違いになっている。だが、その勘違いをあえて修正する必要もあるまい。何せ、今まさに渦中のすずかでさえ、自分自身の体験をいまだ半信半疑なのだから。
森の奥で、ドラゴンに出会った、等と。
だがそれは確固とした事実であり現実だ。今日も、家をでる前にドラゴンにあいさつをかわし、りんごを差し入れしてきたばかりだ。それになにより、今胸元にしまい込んでいる竜の鱗……あまりにも頑丈で穴があかなかったために接着剤でペンダントトップとしてくっつけている、ほのかに暖かい欠片が夢でも幻でもないと教えてくれる。
だけど、それをアリサにはなす事はできない。とうてい信じられない話だし、そもそもドラゴン自身が話を大げさにしたくないと言っていた。
そう。これは決して隠し事ではない。アリサに、嘘をついている訳ではないのだ。だって事実、庭のあれようだって、すずかにとって悩み事なのだから。
「うん。でね、ファリンったら確認にいった先で埋まっててね……。雨で緩んだ地盤を踏み抜いたみたいなんだけど、あの時はいつまでたっても戻ってこないからびっくりしたよ」
「……それ、笑い話にするには物騒な話じゃない?」
「それぐらい庭が大変なの。今度、業者さん呼んでちゃんと見てもらうってお姉ちゃんいってたけど……」
「はー。広い屋敷を持ってると大変ねー」
「アリサちゃんのおうちだって十分大きいでしょ?」
「さすがにあたしんちはすずかの家みたいに途方もなく広い裏庭なんてないもの。ちょっと荒れたけどそんなでもないわ」
けど、せっかく設置した庭の遊具がねえ……と憂鬱そうに溜息をつくアリサに、あはは、と苦笑いを返すすずか。時折思うのだが、この友人は世間一般の家屋が庭を持っていて当たり前のような認識をもっているのではないだろうか。正直、今の世の中庭をもってる家の方が少なくて、アリサの家の庭もそれこそ相当なものなのだが。
と、ふと窓の外を流れる景色が、覚えのあるものになった。事前に確認しておいた目印の看板が流れていくのを見て、すずかはあわてて運転席に身を乗り出した。
「あ、ここ。ごめんね、アリサちゃん。私、ちょっと用事があるから。鮫島さん、ここで卸してもらっていいですか?」
「わかりました。後でお送りしましょうか?」
「いえ、結構です。塾も終わったし、個人的な用なので」
「いえいえ、遠慮なさらずに。実は私も後でここを通る理由がありますので」
微笑を浮かべて、鮫島。だが、その理由というのがほかならぬすずかの迎えという意味で、建前である事は明確だった。とはいえ、そこまで察しておいて断るのも逆に失礼だろう。相手は運転のプロなのだし。
「えっと、じゃあ、お願いできますか」
「はい、喜んで」
「お願いします。じゃあ、アリサちゃん、またね」
「ええ、またね。でも、一体何の用事があるの?」
「ちょっと、うちの子達に、ね。それじゃ」
自動で開かれたドアから、カバンを手に車から降りる。全自動で再び閉鎖されるドアの向こう、窓ガラスごしにアリサと手を振り合うと、すぐにガラスは曇って見えなくなった。エンジン音も低く発進していくベンツを道の向こうに消えてしまうまで送って、すずかはカバンを背負いなおして手近な交差点に向かった。
向かいの通りにある店の看板には、こうあった。
『れぷとる・LOVE!! 爬虫類はおまかせ!』。
「ちょっと高かったけど、流石専門店。本当に薬おいてるんだ……」
数十分後。店員さんの「お買い上げありがとうございます」と無数の爬虫類の視線に見送られながら、店を後にするすずかの姿があった。自動ドアをくぐると、ペットの為に比較的高く維持されていた店の室温と、まだ少し肌寒さを感じる外の空気との温度差で、少しすずかは襟元をなおした。店内が暖かすぎたので、そのギャップもあるかもしれない。
「温暖化温暖化といっても、やっぱり今の時期は寒いの半分、暖かいの半分だよね」
呟きながら、手に抱えた袋に目を落とす。
中に入っているのは、爬虫類用の薬だ。それも、大型爬虫類……ワニとかにつかうような代物だ。言うまでもなく、竜の為に用意したものだ。
実のところ、これ、店主が冗談で置いていたものである。一般家庭でこんなものを使うとしたら、どんだけ大きくてもワニガメぐらいだ。ふつうに考えれば用途の事もあって、すずかみたいな小さな女の子に売ってくれるかどうか怪しい代物である。だが、すずかの顔はここ近辺のお金持ちの一人として商店街では有名であり、お金持ちのお嬢さんがトンチンカンな買い物をしにきた、と店主はカモにしたつもりで売ってくれたのだ。そのあたりの心情は、すずかもきっちりと見抜いていたのだが、売ってくれるのならそれはそれでよい。世の中、お互いが幸せならそれでいいのだ。
「……真実なんて、全部知ってないといけない、なんて事もないもんね」
どこか実感のこもった呟きを残して、空を見上げる。
鮫島はいつ頃くるか、等とはいっていなかったが、彼がすずかやアリサの期待を裏切ったことは一度もない。おそらくは、一度戻ってアリサが私服に着替えるのをまって、もう一度こっちにやってくるだろう。彼はすずかの買い物が何かを知らないだろうが、学校帰りに、家からそれなりに離れた場所に降りると言い出した事からそれがそう大げさな買い物ではなく、目的の物が見つかればすぐに済むたぐいである、とまで予想しているかも知れない。
「取りあえず、完璧な運転手っていうのは鮫島さんみたいな人の事をいうんだろうね」
取りあえず、さっき降ろしてもらった歩道のあたりで待っている事にしよう。そう思って、すずかはそれなりに重い荷物を抱えなおして、信号に並んだ。
その時だった。
かっ、と胸元にしまっていた竜の鱗が、突如熱を放った。今まで感じていた人肌より少し高い程度の暖かみではなく、はっきりと肌にひりつく熱だ。
「あつっ!?」
うめいて、すずかは思わず荷物を取り落としてしまう。地面に紙袋がどさりと落ちて、大きな軟膏の入れ物が袋からこぼれた。
だが、すずかには取り落とした荷物に目をやる余裕さえ許されなかった。胸元を押さえ、かがみこんだ彼女を、猛烈な振動がおそったのだ。
「きゃ、きゃあああ!?」
悲鳴を上げて、頭をかばってその場にうつ伏せる。足下を揺るがす猛烈な振動に、立ち上がろうという気にすらならない。周囲からは、男女の悲鳴が無秩序に響き、ガラスの割れる音や車がブレーキを踏む音、無数の危機感をあおる不協和音が甲高く響きわたり、すずかの耳を苛む。
「いや、いや、いや……」
堅く躯を閉じて、強く目を閉じる。怖い、怖い、怖い。早く、この振動に収まって欲しい。
だから彼女は気がつかなかった。うずくまる彼女の周囲に、オレンジ色の陽炎のドームがうっすらと張り巡らされていたことに。そのゆらゆらとゆらぐ熱気が、降り注ぐガラス片からすずかの身を守っていたこと。そして、それが今も胸元で熱を放つ鱗から発生していた事に。
そして、数秒、あるいは数分の時間が流れた。恐怖にふるえていたすずかには何十分、あるいは数時間に感じられたが、やがて振動は収まっていった。躯の芯を揺らすような悪寒がすぎさって、やがてすずかはゆっくりと顔を上げた。
「…………え?」
そして、変わり果てた世界を、自分の住む街の惨状を目の当たりにした。
建物の多くはガラスが割れて、屋根瓦がはがれてしまったりしたものもある。道ばたには乗り捨てられたと思われる車が止めてあり、遠くからは配水管が破損したのか水が噴水のように吹き上がっていた。
それはいい。いや、よくはないのだが、それでも地震の後、と考えれば常識の範疇である。
だから、問題なのは。
「木の……根っこ?」
そう。道路を砕いてその下から、生け垣を突き破り散らし、建物の壁に這い上がるようにして延びている、それ。
巨大な、木の根。
呆然としてすずかがその元をたどると、すこし離れた町のはずれ。普段は山が見えるはずのその場所に、そびえ立つ巨大な樹木の姿があった。どれだけ巨大なのか、頂点付近は霞がかってすら見える。
「…………」
無言で木を見上げながら、ふとすずかは自分の頬に手を延ばした。ぎゅ、とつねる。
「! 痛い……」
とりあえず、夢ではないようだ。
「で、でも、現実ならいいってものじゃないよ……。なに、これ。幻覚? 地震で地下の配管が壊れてガスでも漏れたの? でも、幻覚性のガス……?」
まだ混乱しているのか、秩序だっているようでとんちんかんな事をつぶやくすずか。いくらなんでも、幻覚をみるようなガスは都市部で使われていない。
だがやがて衝撃から立ち直り、思考が正常に回り始めると、ある事に思い当たってすずかは顔を蒼白にした。
「…………アリサちゃん! そうだ、アリサちゃんと鮫島さんは!?」
鮫島は、すずかを迎えにくるといった。それに、アリサが同行している確率は、かなり高い。今までがそうだったからだ。そして、この得体の知れない木による破壊範囲をみる限り、それにアリサ達が巻き込まれている可能性は、かなり高い。
「私の……私の……せいなの……?」
もし。もしもすずかは、寄り道すると言い出さなければ。迎えを受け入れていなければ。アリサと鮫島は、自宅でこの災害をTV越しに見ているだけだったかもしれない。だけど、それはもしも、ifの話となってしまった。
「わたしの……せい……で」
胸が苦しい。視界が定まらない。
がつん、とすずかが地面に膝をついた。地面に転がっていたガラス片が肌を裂いて血がにじむが、その痛みは絶望と後悔に苛まれるすずかの意識には響かない。
その彼女の目の前で、再び世界が揺れた。
道路を割って生えていた巨大な木の根。それがまるで動物のように動き始めたのだ。まるで蛇のようにのたうち、鎌首をもたげた根は天に向かって大きく延びると、まっすぐに地面へと振り下ろされた。その下に、すずかの小さな躯を捉えて。
「え」
すずかは動けない。そもそも、目の前の事態が理解できない。先ほどから立て続けに起きる常識外の出来事に完全に翻弄された彼女は、目の前にせまる驚異を正確に認識できない。
少女の躯を、巨大な根が無慈悲にも粉砕しようとした、その瞬間。
胸元の鱗が、再び熱を放った。その熱に肌を焼かれて、一瞬すずかの意識が痛みで白く染まる。そして我に返った彼女の目の前には、迫り来る茶色の巨大な根。
「っ……?!」
きわめてシンプルな、直感。当たれば死ぬ。
罪悪感や混乱を一時忘我し、それだけを認識したすずかの瞳が、深紅に染まった。力なく投げ出されていた手足に活力が戻り、彼女はとっさに地面を転がって根の軌道から身をそらした。間一髪、根はすずかの躯を捉えることなく地面を穿ち、その衝撃で砕け散る地面の波にのってすずかは根から距離をとった。そこで根は再び動きを止め、世界に静寂が戻る。
土埃の舞う中、すずかはよろよろと身を起こす。身体中土まみれでぼろぼろだったが、彼女はそんな自分の状態にかまう事なく、懐に手を差し入れた。取り出すのは、あの鱗だ。はっきりと熱を放ち、握りしめるとやけどしてしまいそうなそれを両手でもって、すずかは問うように呟いた。
「貴方が、助けてくれたの……?」
鱗が、答えるはずもない。だが、すずかの心には確かに、言葉なき声が届いた。そしてその声は、すずかに未だ警戒を呼びかけている。
その声に答えて周辺を見回せば、動いている根っこは先の一本だけではなかった。目的があるのかないのか、無数の根っこがあちらこちらで無秩序に振り回され、周囲に被害を与えている。このままでは、被害が拡大する一方なのは目に見えて明らかだった。
「でも……でも、私に、何ができるの……?!」
すずかは無力な子供だ。あんな、車や建物をただの一撃で粉砕するような存在に立ち向かえるはずもない。ましてや、そんなものが蠢く中、アリサ達を探しに行く、なんていうのは自殺行為に等しい。何せすずかは、そのうちのただの一本に巻き込まれただけで死にかけたのだから。
だけど。
「だけど……」
だけども。
それでも、アリサはすずかにとって、かけがえのない人だった。
「アリサちゃん……。アリサちゃんを、助けないと……! せめて、無事かどうか、だけでも」
理屈ではない。理論でもない。
友情に、親愛に。誰かを思う心の前では、そんなものは要らない。
全身の切り傷に苦痛をこぼしながらも立ち上がったすずかはあえて破壊の直中に駆け出した。