鏡烏(かがみからす)は働かない 〜無職の最強能力者と、塗り潰される社会のバグ取り履歴書〜   作:元気のG

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風を撃て その①

 

 

 

赤錆の浮いた鉄階段を上るたび、安っぽい塗装の剥がれが靴底で嫌な音を立てる。 A県警刑事部捜査零課の一条寺怜華は、手元のタブレットに表示された、ふざけた内容の報告書を睨みつけ、深い溜息を吐き出した。

 

 

 

『対象者:鏡烏かがみからす。二十六歳男性。S県H市出身』

 

 

 

酩酊した親が勢いでつけたような名前だが、これで本名だというのだから呆れる。定職に就かず、親の仕送りとギャンブルで食いつなぐ、社会のダニ。

 

だが、その「勝ち方」は異常の一語に尽きた。

 

万馬券を的中させる確率は、もはや運の良さなどという次元を超越している。

 

 

 

「……国家や公共の福祉を害する存在であれば、排除せよ、か」

 

 

 

その曖昧な指令のために、捜査一課という花形から、こんな掃き溜めのようなアパートの前まで立たされている。

 

指令に従い、"能力者"の存在が公に膾炙するのを未然に防ぎ、国家存亡の危機の芽を摘む。

 

それが最適解であることは理解しているし、汚い手を使わなければ平和は護れないことも知っている。

 

 

 

だが、不満は消えない。

 

 

 

怜華は込み上げる苛立ちを飲み込むように、呼び鈴を押し込んだ。 一回、二回、三回。 神経を逆撫でするような、執拗なリズム。

 

「ピンポーン……ピンポーン……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋の中。 遮光カーテンの隙間から、午後の気怠い陽光が埃となって舞っている。 鏡烏は、枕を頭に被せて、外界の騒音を必死にシャットアウトしようと試みていた。

 

どうせ宗教勧誘か、新聞のセールスだ。

 

無視を決め込み、再び微睡へと沈もうとする。

 

だが、チャイムは止まない。諦めという言葉を知らない機械的なリズムに、鏡はついに根負けした。

 

 

 

「……鏡だけど、あんた何?」

 

 

 

錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、外界の光が射し込む。

 

そこに立っていたのは、モデルのように整った顔立ちをした女だった。

 

その後ろには、石ころのように印象に残らないスーツの男。

 

 

 

「警察よ、鏡烏。バカみたいな名前ね。貴方には"能力者"の嫌疑がかけられている。大人しく同行しなさい」

 

 

 

女の第一声は、侮蔑を隠そうともしない言葉だった。

 

その懐からは、鏡には見分けがつかないが、確実に殺傷能力を持つ銃口がわずかに顔を覗かせている。

 

 

 

「バカみたいな名前とは失礼だな。"能力者"とか本当によく分かんねえんだけど、あんた頭大丈夫か? 

 

それとも、警察を騙るヤバい二人組か」

 

「これを見なさい」

 

 

 

怜華は無言で警察手帳を突き出した。

 

写真の中の真面目腐った顔がおかしくて、鏡は口元を歪めた。

 

 

 

「って言われても、この手帳が本物かどうかも分かんねえな。

 

まあいいや、能力者ってのは何なんだ。

 

大の大人が口にするのも恥ずかしい単語だろ、それ」

 

 

 

「治安を乱し、国家権力を脅かす特異点。……我々はこれを"能力者"と呼称している」

 

「俺の名前よりバカみたいじゃないのか、その妄想。俺にそんな能力は無いし、国家の狗の遊びに付き合う暇は無いんだ。

 

もうちょっと寝たいんだよ。帰ってくれ」

 

 

 

鏡は扉を閉めようとする。 その刹那――「ワン」と犬が吠えた。

 

 

 

「犬? 警察犬か?」

 

「本物の"犬"はこの場に居ないわ。私の能力――ーAlpha Dogーが吠えただけ。こいつは能力者にしか視認できず、その声も聞こえない。

 

……貴方、能力者確定ね」

 

 

 

電飾のラインだけで形作られたような光る犬が、突如として姿を現した。

 

SFの存在が具現化したようで、生活感のないワンルームにはあまりに不釣り合いだ。

 

 

 

「……分かったよ。しらばっくれても無駄みたいだな」

 

 

 

鏡がため息をつくと同時に、六畳一間の空気が一変した。

 

鏡の後方に、魁偉な大男が突如現れる。

 

全身青色、筋骨隆々の「ランプの魔神」を想起させるその巨躯は、現れただけで室内の気圧を一気に圧縮したかのような重圧を生んだ。

 

 

 

「物理干渉型か……。膂力も相当なものでしょうし、事前の調査通り運命や確率の操作が可能なら、"使える"わ。

 

今追っている事件の犯人と相性が良い」

 

「俺が脅威じゃないと分かったろ。そろそろ解放してくれ。眠いんだ」

 

「とりあえず署へ行きましょう。貴方に対手としてもらいたい相手が居るの。……要は、丁度いい相手が居るってことよ」

 

 

 

この勧誘のしつこさは、宗教のそれより質たちが悪い。 一条寺怜華は犯人を連行するかのような態度で、鏡を強引に外へと連れ出した。

 

 

 

 

 

 

 

2 

 

 

 

一条寺が捜査車両に戻ると、さっき居たもう1人の刑事が控えていた。

 

 

 

「どうも鏡さん。僕は佐藤悠真と言います。以後お見知りおきを」

 

「良い警官悪い警官か、古典的だな。まあいいや、あんたの方が付き合いやすそうだ。よろしく」

 

 

 

不平を言いながらも鏡は握手を交わした。

 

佐藤の手は温かく、乾燥していた。

 

 

 

「ところでさ、さっきの犬のやつ。俺が犬に反応しなかったらどうしてたの?」

 

「そうね、鳴き声だけでもある程度の反応は見せるだろうし、それでも無反応だったら-Alpha Dog-の全体像を見せてたわ。それでも無反応なら能力を使ってた」

 

 

 

捜査車両の後部座席で膝に電子犬を撫でながら、鏡は質問を続ける。

 

指先が光の粒子に触れるたび、微弱な電流のような痺れが走る。

 

 

 

「なるほど、ちなみにアンタの能力ってのは?」

 

「明かせる訳ないでしょ。会って間もない人間に能力を明かすのは、ネットに住所を書き込むのと同じよ」

 

「言えてるよ。すごく言えてる今風に。じゃあ俺もあんたに能力を明かさない」

 

 

 

鏡は手持ち無沙汰で、しばらく車の窓を開けたり閉じたりする遊びをしていた。

 

話は弾み、3人と1匹を乗せた捜査車はA県警本部へ到着した。

 

 

 

現場に入るまでに、警察署内で5枚の許可書と1枚の誓約書にサインした。

 

どれも責任の所在を曖昧にするための官僚的な紙切れだった。

 

 

 

一行はエレベーターで地下7階へ向かう。

 

ボタンは地下二階までしかないが、特殊な操作でさらに深くへと降りていく。

 

扉が開き、鏡の眼前には刑事ドラマで見るような刑事の溜まり場が広がる。

 

だが、節々には新設されたとは思えないような粗雑さが見て取れた。

 

 

 

特に臭いである。

 

タールをその辺にぶちまけたかのようなタバコ臭さと薄汚さ。

 

鏡はタバコの臭いが好きだったが、その部屋の中古感が厭だった。

 

 

 

「ここが捜査第零課。能力者による犯罪を事前に察知したり、怪事件の事件解明に動いてる」

 

「言っていい?」

 

「ご自由にどうぞ」

 

「ボロくねえか。まだ食える食材をドブでクタクタに煮詰めたみたいじゃん。もっとこう威信を示そうみたいな心意気は公務員には無いの?」

 

 

 

鏡の言葉通り、部屋の隅には埃を被ったパイプ椅子が無造作に積まれ、天井の蛍光灯は寿命が近いのか、不快な羽虫の音のようなノイズを立てて明滅している。

 

 

 

「お金がないの。ただでさえ不景気だってのに、"能力者"は一般人には隠さないといけないし、色々と予算に制約があるの。ただ与えられた権限だけは強い。超法規的措置を取れる機関なの。それに、お上は人件費をタダみたいな物だと考えてるフシが有るから、人間は使い放題よ」

 

「怖いな。こんなんが隠されてたなんて。陰謀論者もビックリだ」

 

 

 

鏡はこれもまた粗雑で簡素な会議室に通された。

 

貧乏ゆすりをしながら待っていると、2分もしないうちに佐藤がコーヒーを持ってきた。

 

 

 

「それで、どこまで説明したっけ」

 

「ちょっと、犬を消すなよ。俺は犬撫でれると思って来たんだぞ」

 

「それだけ?自分が生まれ持った能力を世間のために活用しようとかそういうのは無いの?」

 

「あったらこんな生活してねえよ。とにかく、犬を出せ」

 

 

 

どうやら交渉の余地が無いようだ。

 

一条寺は渋々了承して、鏡が電子犬を膝の上に載せて撫でる事となった。

 

-Alpha Dog-は飼い主の不満も意に介さず、鏡に尻尾を振る。

 

苦虫を噛み潰したよう顔で、一条寺は話を続ける。

 

 

 

「貴方には事件を解決して欲しいの」

 

「いいね、警察にも太刀打ち出来ない難事件を素人探偵が解決するの。小説は読まないしテレビドラマは見ないけど、そういうの好きだよ割と」

 

「貴方に求められてるのはそういう役割じゃないの。警察を舐めないで」

 

 

 

一条寺の声が、コンクリートの壁に冷たく反響する。

 

犬を撫で、上機嫌になっていた鏡の鼻っ柱を折るのにはちょうどいい発言だった。

 

 

 

「そんな言わなくてもいいじゃん。ほんのジョークなのにさ……」

 

 

 

暫しの沈黙が流れたあと、鏡は犬の頭を撫でながら口を開く。

 

 

 

「まあいいや、それで続きは」

 

「こっちも少し言い過ぎたわ、謝る。とにかくここ最近、排外主義的な思想を持つ団体の関係者が何人も惨殺されてるの」

 

「排外主義ってのは」

 

「いわゆるゼノフォビアね。外国人嫌いって意味」

 

「ほーん、カタカナはだいたい一緒に聞こえるんだよな。それで?」

 

「何人かの遺体に残る刃物で切り付けたような跡。刺創と切創ね。我々は県内の監視カメラを精査した結果、犯人を突き止めたわ」

 

 

 

「おー凄い、人海戦術だ。警察は優秀だね。やっぱどんな能力があっても犯罪なんてするもんじゃねえな」

 

「それで、貴方にはその相手と対峙する役目を果たして欲しいの。勿論それなりの謝礼は出すし、なるべく危険が無いようにするわ。

 

貴方の持ってるであろう運命操作か確率操作の能力なら、肝心な時に敵の攻撃を避ける事が出来るでしょ」

 

「やっぱそういう役割になるよな。さっき俺の名探偵登場を否定された時から察してたけど」

 

 

 

鏡はウンウンと頷きながら自らの運命を何とか飲み込もうとするが、それは中々に難しいものだった。

 

 

 

「ちなみに……それ断れる?」

 

「断っても良いけど、その場合貴方がしてきた賭博を違法な物として遡及するわ」

 

「遡及って、忘れたけどなんかの法律で禁止されてんだろ。警察が法を守らなくてどうする」

 

「さっき言ったでしょ。超法規的措置機関だって」

 

 

 

一呼吸置いたあと、鏡は犬を撫でるのを辞めて、自堕落に生きてきた自らのこれまでを受け入れるように息を吐く。

 

 

 

「分かったよ。俺の家とか付きまとわれるのも面倒だしやってやる。その作戦の概要教えてくれ。あと、眠いからこれも貰うわ。飲みたかったら佐藤さんに新しいの頼めよ」

 

 

 

鏡は少し冷えたコーヒーを一条寺の分まで2杯、一気に流し込んだ。

 

安っぽいインスタントにしては妙に体に染みて美味かった。

 

焦げたような苦味が、これから始まる厄介事を予感させるように喉を焼いた。

 

 

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