鏡烏(かがみからす)は働かない 〜無職の最強能力者と、塗り潰される社会のバグ取り履歴書〜   作:元気のG

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地を這うものに翼はいらぬ その①

1

 

「なんかさ、最近、目が変なんだよね」

 

「大丈夫?」

 

 

 

いつものように鏡は水瀬結の家へと訪れていた。

 

体の不調を語り合うとはお互い年を取ったものだと水瀬は思った。

 

 

 

「片目だけ見え方が変なの。やばくね」

 

「片方だけ変ってのは脳の病気で聞いたことあるよ、脳梗塞とか。鏡くん、病院行ったほうが……。怖かったらついて行ってあげようか」

 

「いいよ、お前、仕事で忙しいだろうし。

 

まあありがとう。行ってみるわ」

 

 

 

この日はテレビで流れていた教養番組を見て終わった。

 

もっとも鏡はそれに興味を抱かなかったが。

 

三国志の後の時代から隋唐に至るまでの重厚なものだった。

 

 

 

水瀬の勧め通りに眼科を訪れた鏡。

 

問診票に無職と書くこれまでの日々は終わり、取り敢えず「探偵」と記入する。

 

 

 

「か、鏡……烏?さん」

 

 

 

名前を呼ばれたというよりは、こんな名前を付けるとか親は正気かどうか疑われた気がしたが、鏡は看護師に呼ばれた。

 

 

 

「眼圧測りますね〜」

 

「お願いします」

 

 

 

専用の機械で眼圧を測る。

 

これは目に空気を当てて、その凹み方を見るものらしく、よくそんな事考えるものだと、鏡は感心した。

 

レンズの奥に、小さな緑色の光が灯る。

 

 

 

「プシュッ」

 

 

 

無機質な機械から空気が発射される。

 

圧縮された風の弾丸が、無防備な眼球を直撃した。

 

鏡は身体を震わせビクッとなり、後ろへ後退してしまう。

 

 

 

「あー、すいません、なるべく動かないでくださいね〜。こういう患者さん多いんですよ〜」

 

「すいません。慣れないもので」

 

 

 

一連の会話が成されたあと鏡はこの後退を3回程繰り返してしまった。

 

このあとは眼科医の診察に入る。

 

 

 

「鏡烏さん。どうぞ」

 

メガネを掛けた初老の男性。典型的な眼科医って感じの人だと鏡は思った。

 

 

 

「目にライト当てますから、あっちの緑の光見ててください」

 

しぶしぶ、医師の指示に従う。

 

 

 

「それじゃあ右を見て」

 

鏡はとっさに左を見てしまった。

 

 

 

「そっちは左」

 

「すいません慣れてなくて」

 

 

 

鏡は内心、慣れてなくてってなんだよと思ったが、何処にも吐き出す場所がなかった。

 

まさか、この歳になって右と左の区別がつかない左右盲であることが露呈するとは。

 

にわかに左利きを矯正しようとした親の育て方がいけなかったのかな……。と思った。

 

このあとも無知ゆえに何度か恥をかいたりもしたが、なんとか全て終わった。

 

そして……、鏡は水瀬に連絡をした。

 

 

 

 

 

「もしもし、今仕事中?大丈夫?」

 

「うん、一応大丈夫だけど」

 

「なんかさ、緑内障って言われたんだよね。

 

そう言えばなんか視野が狭くなってると思ってたわ。俺さ、失明するのかな……」

 

 

 

鏡は久々に胸に堪えた。

 

今まで何回か敵の能力者と相対して死線をくぐってきたが、それの何十倍も何百倍も心に来る出来事だった。

 

 

 

自分が失明するかもしれないという恐怖。

 

視野が少しずつ侵食されていくという感覚。

 

世界の外側から、黒いインクで塗りつぶされていくような閉塞感。

 

明日、明後日、来るかもしれない恐怖と永劫に戦わねばならないのか。

 

そんな酷く重苦しい心境だった。

 

 

 

「鏡くん、元気だして。日本の医療は優秀だし、治療受けてればきっと治るよ」

 

水瀬は必死に慰めるも、

 

「医者が言うには緑内障って治らないんだって。一生高眼圧と向き合っていかないといけないんだって。辛いよ……明日の朝、目覚めたら真っ暗闇なんじゃないかって、そればかり考える」

 

 

 

見事に地雷を踏み当ててしまった水瀬。

 

水瀬はしばらく押し黙った。鏡の呼吸音だけが部屋を満たした。

 

 

 

「そうなんだ……。今度会うときまでに僕も下調べしとくよ。大丈夫。僕がついてる」

 

「ごめん、なんかもうそういう励ましも効かない段階に突入してるかもしれない。マジでごめん。帰って寝るわ。仕事頑張って……」

 

 

 

これは相当に凹んでいるやつだ。

 

何とか元気になってもらわないとな……と水瀬は苦心した。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

鏡が緑内障だと分かって4日ほど経った。

 

 

 

「それで……どう?調子は良くなった?」

 

「良くならない……。1日何本も目薬してさ……、1日中眼圧の事考えてさ……、辛いよ」

 

「どうしても耐えられないときがあったら今みたいに話してよ。それで少しは楽になるかもしれないし」

 

「うん……。ごめんな」

 

 

 

いつものように2人でなにか喋ったり何かを見たりという雰囲気にはならず、そのまま鏡は眠ってしまった。

 

その寝顔は、悪夢から逃れようとする子供のように険しかった。

 

 

 

「何か力になれればなぁ」と水瀬はふと呟いた。

 

 

 

 

 

また数日経って、鏡は突拍子もない思い付きを水瀬に告げる。

 

 

 

「思ったんだよね。なんかさ、新聞の広告ってやばいのたまにあるじゃん」

 

「たまに見るね」

 

「それの健康系を試してみるってのはどうかなと思って。いろいろ取り寄せてる」

 

「それ大丈夫?!あんまよくないと思うけど?」

 

 

 

「もう、こう言うのに頼るしか無いんだよね、俺は。ジョブスがコーヒー浣腸に頼った理由がやっと分かった気がする。

 

あれ馬鹿にされてるけど、死の恐怖、失明の恐怖を味わった人間にしか批判出来ないと思うんだ。嘘だと分かってても一縷の望みにかけるしか無いんだよね。俺、効果無いの分かってるけど」

 

 

 

テーブルの上には、派手なフォントで『奇跡の回復』『医者も驚いた』と書かれたチラシが散乱していた。

 

インクの安っぽい臭いが、鏡の焦燥感を煽るように漂っている。

 

 

 

これは相当参ってるなと水瀬は思った。

 

 

 

 

 

「と、言うことで俺はしばらく新聞広告のサプリを飲んだり、怪しい手かざし治療を受けたりしてくるわ。少し遠くまで行こうと思う。しばらく会えなくなるけどよろしくな」

 

「それは絶対辞めといたほうがいいと思うけど……。そこは鏡くんの自由だしなぁ。

 

取り敢えず約束、普通の治療は続けてね」

 

 

 

「西洋医学か。あんなものクソだけど……。

 

お前が言うなら一応は続けといてやる。

 

気休めだけど」

 

 

 

もう既に彼は超えてはいけないラインをとっくに超えているんじゃあ無いかと水瀬は思った。

 

科学という光が届かない、深い迷信の闇へと、鏡は自ら足を踏み入れようとしていた。

 

 

 

 

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