鏡烏(かがみからす)は働かない 〜無職の最強能力者と、塗り潰される社会のバグ取り履歴書〜   作:元気のG

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風を撃て その②

3

 

——数週間前、護送任務に付いた警察官Kの日記より。

 

 

 

「よう、冷えとるじゃろうね。留置所は。

 

あんた、日本人か?あぁ焼けて色が黒いだけか。

 

最近は混ざったのが活躍するじゃろスポーツでもなんでも。

 

やはり応援するのは日本男児、大和男子がええな。

 

どうしても肌が黒いのは日本人とは思えんのよね。

 

あんたもそう思うやろ?」

 

 

 

滔々と時代に不釣合いな言論を振り撒く禿頭の男は近衛醜盾、56歳。

 

政治結社『臣民を護る会』の会長。

 

A県知事に対するデモを行っていた所、彼と相対する団体と暴力沙汰になり逮捕された。

 

 

 

彼を留置所へ護送する車内。

 

鉄格子と強化プラスチックで仕切られた狭い空間に、男の湿った喋り声が反響する。

 

あからさまな差別発言に反論して荒波を立てるのも面倒だ。私は曖昧な同意を示して聞き流す。  

 

 

 

面倒な人種だが、手錠をかけていれば暴れるような事もしない。

 

まだ扱いやすい方だ。

 

警吏となったからには、ある程度の理不尽と矛盾を受け入れる能力が問われるのだ。そう自分に言い聞かせてハンドルを握る。

 

革手袋がきしむ音だけが、私の苛立ちを代弁していた。

 

 

 

それにしても不思議だ。  

 

ウチのポストに変なビラが入っていたから団体の名前は知っているが、近衛ごときをここまで厳重に——二台体制で護送する必要があるのだろうか。

 

政府や警察組織にコネがあるという話も聞かない。  言わば「草莽の志士」を気取ったただの過激派が、何故……?

 

 

 

そんな無意味な考察をめぐらしていると、その視線を辿った先に人影。

 

歩道を往くでも無く、車道を横切るでもなく、そのままそこに立っている様がまるでこちらを挑発するようだった。

 

普段だったら話を聞いて、注意で済ませるか悪質な場合、逮捕するか。

 

時間も無く面倒な状態なので、迂遠な道を行こう。

 

 

 

いや、奴は何かおかしい。

 

不審者の後ろ側にもう1つ影。

 

それは、巨大な工業用扇風機を無理やり人の背中に埋め込んだような、ふざけた格好をしていた。

 

背後の空間が陽炎のように歪み、巨大なタービンが回転しているような幻覚が見える。

 

 

 

迷惑系YouTuberか。

 

時間が無いにしても、付近の住民の迷惑になる。

 

本部に連絡して、警邏の連中にでも処理させればいいか。

 

 

 

そう判断したのが、遅かった。

 

三日月のような形の半透明の物体が、ほとんど視認出来ない速さでこちらに向かってくる。

 

空気が悲鳴を上げるような高周波音が鼓膜を叩く。

 

 

 

その半透明は車へ突き刺さり、防弾仕様のフロントガラスがズタズタに切り裂かれて、半月状の跡が残る。

 

あまりに突然の事で避ける事も叶わず、護送車はブレーキ痕を遺して、カーアクション映画で見た通りに横転する。

 

天地が逆転する衝撃。各種のアラート音。焦げた匂い。

 

 

 

「畜生、なんで俺の人生はこんな、なんだよ……」

 

 

 

全身の痛みを堪えて車から這い出す。

 

視界が赤く点滅し、世界が斜めに傾いでいた。

 

護送車からは煙が上がり、爆発の危険がある。

 

 

 

「おい、近衛を……!」

 

私は護送対象の安否を確認しようと振り返り、息を呑んだ。

 

 

 

護送車の後部ドアが、缶詰のようにこじ開けられている。

 

そこに、あの扇風機を背負った男が立っていた。  

 

男は無表情のまま、逆さ吊りになった近衛醜盾に向けて、透明な「風の刃」を放った。

 

相当に恨みを買っていたのだろう。 惨殺。 その一言では形容できないほど、人体は損壊していた。赤黒い飛沫がアスファルトを濡らす。

 

 

 

今着ているペラペラの防刃ベストじゃあ、奴の風の刃によってズタズタに引き裂かれてしまう。

 

こちらには警棒と警杖、回転式拳銃に弾が5発。

 

こんな装備で勝てるか……。と思案していると、扇風機を連れたあいつは目的を果たしたのか風のようにどこかへ消えていた。

 

 

 

後に残されたのは、生臭い血の匂いと、不気味なほどの静寂だけ。

 

近衛は気持ちのいい人間ではなかったが、ここまでされる必要はあったのか……。

 

それより何より与えられた仕事が完遂出来なかったのが残念だった。

 

 

 

 

 

4

 

——数カ月前、ある電車内にて

 

 

 

本当に、軽い気持ちだったんです。

 

電車で学校から帰ってる途中、ある人に話しかけられた事でそれは始まりました。

 

当時の僕は動画サイトで隣国を中傷する文字動画を見るのにハマっていました。

 

偶然、動画のオススメ欄に入って来て偶然それを見て、いきなり頭をぶん殴られたような感覚になりました。

 

 

 

自分の所属する日本が、他の国に誉められている。

 

こんなに気持ちいい事はありません。

 

僕は貪るように動画を見続けました。

 

小さな液晶画面の中だけが、僕の世界の全てでした。

 

その結果、隣国が日本に害をなす存在だと動画で学びました。

 

そんなきっかけで僕は登下校の際にそういう動画を見るようになりました。

 

 

 

「そういう動画見るんだ。残念だなぁ」

 

 

 

ほどよく人がいない閑散とした車内。

 

いきなり僕に声をかけてきた青年は僕のスマホの画面を食い入るように見て、そう告げました。

 

僕はバツが悪くて何も答えられず、暫しの沈黙が訪れます。

 

 

 

「ラブクラフトって知ってる?」

 

 

 

青年は再び口を開きます。

 

その声は妙に耳に残り、拒絶することを許さない不思議な磁力がありました。

 

 

 

「ラブクラフト……たしか昔のホラー作家か何かだったような」

 

 

 

前のと違って答えられそうな話題だったのでつい答えてしまいました。

 

 

 

「そう、ラブクラフトは1920年代とか30年代のアメリカのホラー作家。

 

その作家の作品に『インスマウスの影』なんて話がある」

 

「インスマウスなら聞いたことがあります。

 

魚顔の化け物の話ですよね?」

 

「そうだね。魚顔の化け物達が住む、寂れた街に主人公が潜入するような話。

 

俺が君くらいの頃読んでさ、肝が冷えるってのはあの事だな。あれ読んでからしばらく魚屋の前を通るのが怖かった」

 

「そんなに……」

 

 

 

僕が苦笑いすると、青年は一冊の文庫本を渡してくれました。

 

見ず知らずの人から本をもらうのは少し怖かったですが、彼の穏やかな声には逆らえない響きがありました。

 

 

 

「これ、『インスマウスの影』。まあ昔の本だし、邦訳は読みにくいんだけど、是非読んで欲しいな」

 

「良いんですか?ちょっと読みたいかも」

 

「ただ、さ……。このインスマウスって怪物は俺たちなんだよね」

 

「えっ」

 

 

 

青年は声のトーンを変えたように喋りだしました。

 

車内の空気が、急に氷点下まで下がったような錯覚を覚えました。

 

 

 

「1920年代のアメリカ、人種差別は強烈だったし例に漏れず、ラブクラフトもその思想を持ってた。悲しいが、今でも白人から見てアジア人なんて魚の怪物に見えてんのかもな」

 

 

 

僕はもう何も言えません。

 

彼はこう続けます。

 

 

 

「俺は色んな血が混ざっててさ、小さい頃は混ざりもんだろってよく言われた。大人になれば、分別が付く場合も多いけど、どうしてもそうじゃない奴が居る。どうしても許せねえんだ。だから、ごめんな」

 

 

 

突如として彼の後方に、はっきりと見えない何かが出現して、僕の脳を撫でるように風を、ふんわりと風を送ってきました。

 

それは物理的な風ではなく、頭蓋骨をすり抜けて脳の皺を直接撫で回されるような、冷たくて気持ちの悪い感覚でした。

 

 

 

そこから先はあまり覚えていません。

 

降りる予定の駅から五駅も過ぎたところでふと、降りなきゃと思いました。

 

僕の身に何が起きたのか、あれはただの夢だったのか。

 

 

 

ただ不思議なことに、その日以降、あんなに熱中していた文字動画を見たいとは一切思わなくなりました。

 

あの過激な言葉を見ても、「下品だな」としか感じないのです。

 

まるで、頭の中の回路が物理的に焼き切られて、組み変えられてしまったかのように。

 

 

 

その日に貰った『インスマウスの影』の文庫本は、まだ本棚に置いてあります。

 

怖くて、開くことができません。

 

表紙を見るだけで、あの時の脳を撫でる風の感覚が蘇り、背筋が凍るのです。

 

 

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