鏡烏(かがみからす)は働かない 〜無職の最強能力者と、塗り潰される社会のバグ取り履歴書〜   作:元気のG

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あの世で罰を受けるほど その②

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目的地に到着した瞬間、鏡は背筋に薄寒いものを感じた。  

 

そこは、地図から忘れ去られたような朽ち果てた神社だった。

 

社殿の朱色は剥げ落ち、木材は虫食いに無数の穴を開けられている。

 

柳が、ゆらゆらと力なく揺れていた。  

 

 

 

「……今日は、この木を切り倒す」  

 

父の声は、神域の静寂に不自然なほど低く響いた。

 

造園業という仕事が、時にこれほど不気味な側面を持つとは鏡は思いもしなかった。

 

 

 

「それは何?」

 

 鏡は、父が取り出した小さなプラスチックケースと、コンビニで買ったような安物のカップ酒に目を向けた。

 

「酒と塩だ。切る前に清め、切った後に捧げる。

 

木に対する最低限の礼儀だ。……さもないと。」

 

 

 

普段は癇癪持ちの乱暴な父が、目に見えないものに敬意を払う姿を見て、鏡は少しだけ認識を改めた。

 

 

 

だが、次の言葉がその静かな敬意を塗り潰す。

 

「二十年前……まだ駆け出しだった俺は、この木を切れという依頼を受けた。その時は二人でやってたんだが、相方が死んだ」

 

 

 

 父の言葉には、作られていない重みがあった。

 

鏡は手持ち無沙汰を紛らわせるように、無意味に指を鳴らした。

 

 

 

樹齢三十年程度か、どこにでもある平凡な木だ。

 

そんな因縁、ただの迷信だろう――そう思いたかった。

 

 

 

 

 

 父がチェーンソーを起動する。

 

けたたましい爆音が神社の静寂を切り裂き、鋭い刃が樹皮に触れようとした、その刹那だった。

 

 

 

 硬い木を削る音ではない。濡れた肉に刃を突っ込んだような、粘着質な手応えと共に、チェーンソーが断末魔を上げて停止した。

 

 

 

 

 

「……なんだ? 刃が噛みやがったか」

 

父が忌々しげに刃を引き抜こうとする。

 

 

 

だが、鏡の目はその「傷口」に釘付けになっていた。  

 

切り口から溢れ出したのは、樹液ではなかった。

 

どす黒く、腐った血のような濁った液体がドロリと滲み出し、同時に強烈な腐臭が鼻を突く。

 

真夏のゴミ捨て場と、古い線香を混ぜ合わせたような、生理的な嫌悪感を呼び起こす臭気。

 

 

 

「おい、手伝え。これを……うっ!?」  

 

 

 

父が突然、胸を掻きむしるようにしてその場に崩れ落ちた。

 

顔色は瞬時に土気色へと変わり、唇が紫に染まる。

 

 

 

ニトロだ。

 

ニトロが必要だ。

 

 

 

鏡が駆け寄ろうとした、その時。頭上の柳の枝から、「それ」が音もなく落ちてきた。

 

ドサッ、グチュ。

 

湿った重量感のある音。

 

それは、人間が一人分、無理やり詰め込まれたような古びた麻袋だった。

 

表面には赤黒いシミが地図のように広がり、内側から何かが、狂ったように袋の壁を叩いている。

 

 

 

『――あ゛、ぅ、あ゛、あ゛ぁ゛……』

 

 

 

 袋の口を縛る荒縄の隙間から、女のうめき声が漏れた。ズルリ、と袋が動く。

 

足もないのに、ナメクジのように地面を這い、動けなくなった父の方へと滲り寄っていく。その軌跡には黒い粘液がべっとりと付着し、触れた下草を、命を吸い取るように枯らしていった。

 

 

 

「クソッ、来るな!」  

 

鏡は反射的に父の襟首を掴み、力任せに引きずった。

 

理屈ではない。

 

あれに触れたら、魂ごと腐らされる――そんな直感が脳内で警報を鳴らしていた。

 

 

 

 何とか軽トラの助手席に父を押し込み、震える手でニトロを舌下へ滑り込ませる。

 

心臓マッサージを繰り返しながら、鏡は運転席へと飛び乗った。

 

 

 

無免許。

 

教習所で数回触れただけのマニュアル車。

 

だが、迷っている暇は一秒もなかった。

 

 

 

「……持ってくれよ、親父、このポンコツも!」  

 

クラッチを蹴り込み、ギアを強引に一速へ叩き込む。

 

エンジンが悲鳴を上げ、車体が激しく揺れながら急発進した。    

 

 

 

しばらく走らせていると、車内に「あの匂い」が漂い始めた。

 

阿片窟、あるいは死体安置所のような、鼻を刺す穢れの臭い。

 

 

 

バックミラーを見れば、砂埃の向こうから、あの麻袋が転がるような速度で追ってきていた。

 

車輪も足もないくせに、アスファルトを滑り、最高速度で逃げる軽トラの背後にピタリと食らいつく。

 

 

 

 四辻が近づく。

 

袋が、内側から爆発するように膨らんだ。

 

形容しがたい絶叫。

 

 

 

助手席の父が、麻袋の叫びに呼応するように再び苦しげな声を上げる。

 

 

 

「クソが……。頼むぜ、BlueSky」

 

 

 

 鏡はハンドルを固定し、意識を背後へ集中させた。  

 

青い巨人――Mr.Blueskyが虚空から現れ、走行中の軽トラのリアゲートを、その並外れた膂力で真後ろから殴りつけた。

 

 

 

凄まじい衝撃と共に、軽トラは物理法則を無視して加速し、文字通り射出された。

 

タイヤが悲鳴を上げ、火花を散らしながら、麻袋の能力射程外へと一気に距離を突き放す。  

 

 

 

ミラーの中、ある境界線でピタリと止まった麻袋が、恨めしげに蠢いているのが見えた。

 

「……ハァ、ハァ……逃げ切った、か」  

 

 

 

すぐに脈を確認する。

 

微かだが、まだ親父の鼓動は刻まれていた。  

 

 

 

鏡は近くのコンビニに車を滑り込ませ、震える指で通報した。

 

遠くから聞こえてくるサイレンの音。  

 

 

 

普段なら忌々しく感じるその音が、これほど待ち遠しく、福音のように聞こえたことは、二十六年間の人生で一度もなかった。

 

 

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