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第3話『雨の日マッチポンプ』

 翌日は朝から雨だった。

 憂鬱だ。雨の日は天宮が変なテンションになりがちだから。

 

 登校の準備を終えて階段を下りる。

 キッチンには心愛の姿があった。

 パジャマエプロンスタイル。その姿が妙に様になってしまっている。

 可愛いけど、兄としては複雑な気分だ。

 心愛は学校に行かない代わりに家事のほとんどを引き受けている。

 掃除も洗濯も、俺の弁当作りも。

 それが心愛なりの、家にいることへの罪滅ぼしなのかもしれない。

 

「はい、お弁当。ちゃんと卵焼きも作ったから」

「ありがとう」

 

 弁当箱を受け取る。まだ温かい。

 毎朝作ってくれるのはありがたいけど、たぶんこれも依存の一環なんだよな……。

 俺の世話をすることで、自分の存在価値を確認してるというか。

 

「今日も学校は?」

「…………」

 

 やっぱり駄目か。

 3年生になればあるいは、とも考えていたのだが。

 最悪、中学は行かなくてもいい。

 高校にさえ進学してくれれば、と兄は願うばかりだ。

 俯く心愛の頭に手を置く。

 慰めるように、くしゃっと髪を撫でる。

 

「髪の毛ぐちゃぐちゃになっちゃう」

「寝癖ついてるから変わらないだろ」

「んふふ」

 

 心愛は猫のように頭を振ってから、上機嫌な様子で顔を上げた。

 

「今日は何時に帰ってくる?」

「普通に夕方かな」

「ちゃんとメッセージ返信してよね」

「ああ」

「既読無視したら怒るからね。未読無視も許さないから」

 

 学校では天宮と先輩、家では心愛。

 俺に自由な時間なんてあるのだろうか……。

 まあ、心愛の場合は孤独に起因しているものだから、他のふたりとは事情が違うんだけど。

 

「行ってらっしゃい、お兄ちゃん」

「行ってきます」

 

 玄関で靴を履いて傘を手に取る。

 天気予報によると、今日は夜まで雨が続くらしい。

 

 

         *

 

 

 校舎の門前に、傘を差した天宮が立っていた。

 それはもう、お面を張りつけたようなニコニコ顔で。

 

「おはよう!」

 

 なんだろう。

 昨日連絡を無視したことを、笑顔で皮肉られているのかな。

 ちょっと怖い。

 

「ああ……おはよう。どうした」

「今日はいい天気ね!」

 

 雨粒が傘を叩いている。

 どう考えても悪天候なんだが、いい天気というのは晴れの日を指すのが通説じゃないのか。

 まあ、今さら天宮に常識を説くのも馬鹿らしいが。

 

「雨だってのに機嫌がいいな」

「そりゃそうよ! だって雨よ? 雨が降ってくれたのよ!? 恵みの雨が!」

「いちいち繰り返すな」

 

 こいつの悪い癖だ。

 一言で伝わるものを、何回も何回も繰り返して。

 

「やっぱり願掛けは大事ね! てるてる坊主を100個作った甲斐があったわ!」

「お前、相当暇人なんだな……」

 

 100個って。何分かかったのやら。

 でも待てよ。

 

「あれ。てるてる坊主って晴れにするためのやつじゃ」

「逆さに吊るすと雨になるのよ!」

 

 天宮は誇らしげに胸を張った。

 

「ちゃんとペンで顔も書いたわ! 完璧なてるてる坊主よ!」

 

 薄暗い部屋の中、逆さに吊るされた100匹のてるてる坊主たち。

 そのイメージ映像が俺の脳内に浮かぶ。

 ……軽くホラーだ。

 

「なんだか拷問してるみたいで気分が悪かったけど、まあ、雨が降ってくれたのなら良しとするわ!」

「てか、なんで雨乞いしてんだよ。そっちのクラス、体育でマラソンでもあったのか?」

「ひ・み・つ!」

 

 ウインクされた。嫌な予感しかしない。

 

 ――朝の校門でそんなやり取りを交わして、迎えたその日の放課後。

 

 今朝のことなどすっかり忘れていた俺は、鞄を提げて靴箱へと直行した。

 今日こそは速攻で帰ろう。天宮に捕まる前に。

 だが、今日も逃亡は失敗に終わってしまった。

 昇降口の屋根下に、天宮の姿を発見する。

 あちらも俺に気づいたらしい。

 パッと華やかに笑ったあと、しかし、なにやらその表情に影が落ちた。

 

「……?」

 

 なんだろう。

 靴を履き、傘置きから自分の傘を手に取る。

 天宮の前を通り過ぎようとしたところで声をかけられた。

 

「あのさ、青鳥。あたし、傘を忘れちゃって……」

「は……? 朝から雨降ってたろ」

 

 さらにつけ加えるなら、朝の校門で話したときに天宮は傘を差していたような覚えがあるんだけど。

 だが、俺の疑問など意味を為さなかった。

 

「傘を忘れちゃって……」

 

 天宮が同じセリフを繰り返す。ゲームのNPCみたいに。

 ああ。なるほど……。

 なんとなく意図を悟った。

 悟ったうえで、あえて話を逸らす。

 

「要するに、傘を貸せって話か?」

「全然違う!」

 

 詰め寄られ、腕を掴まれた。

 

「相合傘で帰りたいの!」

 

 やっぱりそういうことか。

 雨乞いしたのも全部このため。

 傘もどこかに隠してあるのだろう。

 ……こいつの奇行には付き合ってられない。

 

「知るか。俺はひとりで帰る」

 

 天宮の手を振り払う。

 俺は構わず歩き出した。

 

「えっ!? ちょっ、待っ……!」

 

 俺を追いかけたようとした天宮が、昇降口から飛び出して濡れた地面に足を滑らせる。

 そして前方へと派手に転んだ。

 自業自得なのだから放置して帰るべきだろう。

 しかし、その姿がいつかの天宮と重なって……。

 

「はあ……」

 

 踵を返す。

 天宮の前にしゃがみ、傘の下に入れる。

 

「立てるか?」

「ぁぁぁっ……、あぁぁっッ……!」

 

 天宮は倒れ伏したまま俺を仰いだ。

 歓喜的な声と、狂喜的な笑みを宿しながら。

 

「やっぱり、青鳥はあたしの王子様なんだよ……!」

 

 マッチポンプなのに、よくそこまで自信満々に言えるな……。

 呆れていると、いきなり天宮に抱き着かれた。

 

「ちょっ」

「青鳥……、青鳥ぃっ……!」

 

 一瞬ドキッとしたけど、すぐに我に返って天宮の体を押す。

 だが、頑なに離れようとしない。

 昇降口から出ていく生徒たちが、遠巻きに俺たちの様子を眺めていた。

 

「うわぁ……」

「2年になってもまだやってる……」

 

 ひそひそ話が耳に入る。

 視線が痛い。このままじゃまた変な噂が立つ。

 今度は強めに力を入れて引っぺがす。

 

「人前でひっつくな」

「人前じゃなかったらいいの?」

「そういう問題じゃない」

「じゃあどういう問題なの?」

「とにかく離れろ」

 

 いつまで経っても離れようとしないので、俺は身を捩って無理やり距離を取った。

 

 結局、天宮を放置するわけにもいかず、なし崩し的に駅まで一緒に向かうことに。

 相合傘など願い下げだったけど、傘はないと言い張るのだから他に選択肢もない。

 

 雨音に支配された道を、とぼとぼ並んで歩く。

 車のタイヤが水溜りを弾いて、灯りが雨に煙っている。なんとなく切ない気持ちになる、雨の日特有の寂しげな雰囲気。

 そんな中で、天宮はつぶやくように口を開いた。

 

「ねぇ、青鳥」

「ん」

「どうしたらあたしのこと好きになってくれる?」

「別に嫌いってわけじゃ」

「違う」

 

 天宮が立ち止まった。

 同じ傘だから俺も止まるしかない。

 

「あたしは好きになってもらいたいの。あたしが好きになる人って、なぜかみんなすぐに離れてっちゃうから」

「だろうな」

 

 男なら『魔が差して』とか『遊び感覚で』みたいな欲も出るかもしれないが、天宮が相手だとその後があまりにも怖過ぎる。

 添い遂げるぐらいの覚悟がなくちゃ、天宮の恋人は務まらないだろう。

 

「でも、青鳥はなんだか言いつつもあたしに構ってくれるでしょ? 初めてなの、そんな人。だから」

 

 口を開いては閉じて、天宮は言葉を探っている。

 もどかしい動作を繰り返したあと、力強く言った。

 

「絶対に好きになってもらえるよう頑張る!」

「付き合わないって何度も言ってるだろ」

「それでも頑張る!」

「はぁ……」

 

 どうやったら天宮の執着から逃れられるのか……。

 簡単な話だ。他のやつらがそうしたように徹底的に拒絶すれば、きっと天宮もいつかは去っていくのだろう。

 だが、俺にそれをする甲斐性はない。

 でなければ、今こうして肩を並べてなどいなかった。

 拒絶する勇気もなく、さりとて他に答えも見つからない。

 我ながら情けない性分だな。

 

「ところでお前、駅からどうやって帰るつもりなんだ?」

 

 俺は話題を変えることにした。

 

「え?」

「傘、忘れたって設定なんだろ」

 

 俺たちの最寄り駅は別々で、傘もひとつしか持っていない。

 女を濡らして帰るぐらいなら自分が濡れて帰る――なんていう殊勝な心構えも、俺は持ち合わせていなかった。

 天宮が本当に傘を忘れていたらその未来もあったかもしれないが、まず間違いなく学校に隠してあるだろうし、自爆した天宮のために濡れて帰るなど真っ平御免だ。

 天宮は一瞬キョトンとしたあと、にっこりと笑った。

 

「大丈夫! 家、駅からそんなに遠くないし! 走って帰れば平気平気!」

「ふーん」

 

 折りたたみ傘ぐらい鞄に隠し持っとけばいいものを……。

 計画的なんだか場当たり的なんだか、判断に困る女だ。

 

 ただ――こんな馬鹿な真似をしてタダで済むはずもなく。

 

 この翌日、天宮は39度の高熱を出した。

 結果、俺はあいつの実家へとお見舞いに行くことになってしまった。

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