ヒーローと探偵 作:タルマヨ
聖域の残光と月下の奇術師
警視庁本部の特別会議室には、換気扇の低い回転音だけが虚しく響いていた。
松本清長管理官は、顔の傷跡を険しく歪め、目の前に置かれた「市役所占拠事件」の最終報告書を叩いた。
「……目暮。君のこれまでの理性を信じたいが、この内容は刑事の書く報告書か? 特撮映画の台本の間違いではないのか!」
目暮警部は、帽子を深く被り直し、真っ直ぐに上司を見据えた。
「……仰る通りです、管理官。ですが、あの日あの場所で、我々を救ったのは黄金の輝きを纏った『人型の光の戦士』……。私や高木君、現場にいた数十名の捜査員が目撃した紛れもない事実なのです」
「サイズは我々とさほど変わらない……。だが、放たれるオーラは圧倒的でした」
高木刑事が、あの日見た「光」の神々しさを反芻するように呟く。
「白鳥、君はどう思う」
松本の問いに、白鳥警部は冷静に資料をめくった。
「鑑識の結果は『お手上げ』です。現場に残された銀色の砂は、現行の物理学では説明不能。我々は『何か』に襲われ、そして理屈を超えた『光』に救われた。事実として書けるのはそこまでです」
「……信じられないのも、無理はありません」
不意に口を開いたのは、佐藤刑事だった。
「私も、現場であの輝きを目にするまでは、高木君や警部が少し疲れているのかと思っていたくらいですから。……でも、あれは決して幻覚や集団催眠なんてものじゃありません。私たちが絶望しかけた瞬間、あの光は確かにそこにいて、私たちを助けてくれたんです」
彼女の凛とした声が、重苦しい会議室に響く。
「管理官。市民はもう、あの光に希望を見ています。彼らの想いをただの『ガスによる幻覚』という言葉で片付けてしまうのは……私は、刑事として少し寂しい気がします」
松本は苦渋を滲ませ、窓の外を睨んだ。
「公式発表は『原因不明のガス発生による混乱』とする。……警察組織は『理屈の通らない正義』を公認するほど柔軟ではない。……あの光を追うのは一旦止めろ。千葉、お前が署内で聞き回っているあの呼称――『ティガ』だったか。それも報告書には一文字も書くな」
その重苦しい沈黙を、乱暴なドアの開放音が打ち破った。
「おいおい! 一課の連中、何を湿っぽくお通夜みたいな顔してやがる!」
現れたのは、捜査二課の中森警部だった。血走った眼で、一枚の予告状を突き出す。
「そんな得体の知れない『光』の心配より、こっちだ! 来たんだよ、あのキザな泥棒……怪盗1412号からな!」
松本は、そのカードを睨みつけ、微かに口角を上げた。
「……中森、君の言う通りだ。我々が戦うべきは、地に足のついた現実の悪だ。目暮、キッドの警備に全力を挙げろ。……会議を終わる!」
◆
数日後、阿笠邸。博士が持ち帰った予告状の写しを、新一(コナン)と圭人が囲んでいた。
「……というわけなんじゃよ、新一君、圭人君。警察では怪盗1412号……通称『キッド』と呼び、警戒を強めているらしい」
「『エイプリルフール、月が二人を分かつ時』……。ただの泥棒のくせに、ずいぶんと手の込んだ招待状を出しやがって」
コナンが不敵に笑う。隣で圭人は、ポケットの中のスパークレンスの感触を確かめながら、静かに息を吐いた。
「……ねえ、博士。このマーク、格好いいね!」
キッチンから歩美が顔を出し、元太や光彦も興味津々に集まってくる。
「あ、歩美君。……いや、これはな……」
博士は慌てて「コナン君」と呼び変え、子供たちを宥めた。
「どうする。警察は今、例の『光』の件でピリピリしてる。そんな時に派手な予告をしてくる奴が現れたとなれば、現場は相当混乱するぞ」
圭人が懸念を口にすると、コナンは鋭い眼差しで紙面を見つめた。
「ああ。だが、どんなマジックを弄したところで、真実ってのはいつも一つしかねーんだからな」
◆
予告当日の夜、米花博物館の屋上。
「……静かなもんだな。下はあんなに騒がしいってのに」
圭人が夜空を見つめ、隣に立つコナンに声をかけた。
「ああ。……イチ、あそこだ」
月光を背に、重力を無視して宙に佇む白い影が、手すりに舞い降りた。
「……初めましてかな? 小さな探偵君。そして……そちらの君。君からは、夜の闇を掃うような、不思議な光の気配を感じるね」
キッドのモノクルの奥が、圭人の正体を見透かすように光る。
「……お前が、キッドか」
麻酔銃を構えるコナン。圭人は無言で間合いを詰め、生身の武道家としての威圧感を放つ。
「この街には、最近少しばかり『眩しすぎる光』が差しているようだ……。泥棒としては困りものなのですがね。……では、ショーの続きは下で行うとしましょう。失礼!」
パチンと指が鳴らされ、閃光弾が炸裂する。白い影は夜の帳へと消えた。
◆
博物館内は、キッドの変装によってパニックに陥っていた。
「……居たぞ。あいつだ」
圭人が目配せをした先、千葉刑事に化けたキッドが近づいてくる。
「……千葉さん。さっき、目暮警部が呼んでましたよ。無線機を予備のと取り替えてくれって」
「え? あ、ああ……そうか。分かったよ」
千葉が背を向けようとしたその瞬間、圭人がその腕を正確に掴んだ。
「……千葉さんは、無線機の予備なんて持ち歩きませんよ。あれは各班のリーダーが管理してるはずだ」
「千葉刑事」の動きが止まる。振り返ったその顔には、先ほどまでキッドが浮かべていた「俺」の余裕が宿っていた。
「……参ったな。星野くん、だったかな? 君、さっきから勘が良すぎるよ。まるで俺の『色』が見えているみたいにね」
「フッ… 今度は千葉刑事か。変装のネタ切れを心配しちゃうね」
キッドは非常ベルを鳴らし、再び白煙の中に消えた。二人は煙を突き抜け、本物の『ブラックスター』が置かれた特別展示室へと滑り込む。
月明かりの下、真珠を手にしたキッドが不敵に笑う。
「……チェックメイトだ、怪盗さんよ」
コナンの言葉に合わせ、圭人は窓際への動線を完全に遮断するように立った。
「逃がさないよ。……今度こそね」
圭人の低い声。スパークレンスを掲げるまでもない、静かな闘志。
「ハハッ! 面白い。だが、俺のショーに『ただの観客』はいらないんだ!」
キッドが懐から取り出したのは、トランプ銃ではなく、小型の吸引カップが付いた発破用マジックアイテムだった。それを窓ガラスへ投げつけると同時に、キッドはマントを翻して背を向ける。
パリンッ!
鋭い破裂音と共に、吸盤を中心にクモの巣状の亀裂が走り、強化ガラスが外側へ向かって弾け飛んだ。
「何っ!?」
コナンが腕で顔を覆う隙に、キッドは砕けた窓の縁に足をかけ、月夜の空へと身を投げ出した。
「では、また次の舞台で会おう! 真実は一つでも、ショーの結末は無限にあることを忘れないでほしいね!」
白いハンググライダーが夜空に広がる。一歩及ばなかった二人だが、足元には盗み出されたはずの真珠と、一枚のカードが残されていた。
『今宵の星は、私の求める光ではなかったようだ』
「……結局、返してったのかよ。全くなめた野郎だぜ」
真珠を拾い上げるコナン。駆け込んできた中森や目暮の怒号を背に、二人は静かに博物館を後にした。
「光の戦士」が守ったこの街に現れた、新たな伝説。
米花町の夜は、さらに深く、そして熱く加速し始めていた。