ヒーローと名探偵   作:タルマヨ

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怪盗キッドの龍馬お宝イリュージョン(前編)


 二十年前、まだ「昭和」の熱気が色濃く残る時代の夜。 主催者である樽見猪彦の野心によって集められた坂本龍馬の遺品たちが、厳重な警備に守られた展示会場で静かに時を刻んでいた。

その静寂を破ったのは、一通の予告状と、月下に舞い降りた一輪の花――「昭和の女二十面相」と謳われた、怪盗淑女(ファントム・レディ)であった。

彼女が狙いを定めたのは、幕末の英雄・坂本龍馬に纏わる三つの至宝。

一つは、暗殺される前夜、妻であるお龍へ宛てて書かれた、書きかけの手紙。

一つは、暗殺のその瞬間、龍馬の鮮血が飛び散り、今もなおその痕跡を留めているという近江屋の盃。

そしてもう一つ、龍馬が護身用として懐に忍ばせていた、スミス&ウェッソン第Ⅰ型ピストル。

「さあ、夜明けを夢見た英雄の記憶、私が預かっていくわ」

警備員たちの怒号と、鳴り響くサイレン。張り巡らされた赤外線センサーや最新の鍵など、彼女の前では無意味に等しかった。ファントム・レディは、まるで夜風と戯れるかのように優雅な身のこなしで次々と展示ケースを攻略していく。

手紙の揺らぎ、盃の光沢、そして冷たい鉄の感触。彼女はその指先で歴史の重みをなぞり、翻るドレスの裾と共に、闇の中へと鮮やかに消え去った。

樽見をはじめとする関係者たちは、目の前から消えた至宝と、ただ一点の曇りもない犯行手口に愕然とするしかなかった。警察は威信をかけて彼女を追ったが、その行方を掴むことは叶わない。

しかし、この夜を境に、ファントム・レディの伝説は突如として幕を閉じる。あれほど世間を騒がせた「女二十面相」は、この三品を最後に、二度と歴史の表舞台に姿を現すことはなかった。

彼女がなぜこの品々を選んだのか。そして、なぜ忽然と姿を消したのか。

その真相を知る者は、この時まだ、誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二十年前のあの夜、ファントム・レディが忽然と姿を消してから、時は流れ。

「昭和の女二十面相」の伝説が人々の記憶から薄れかけた頃、夜の闇を騒がせる新たな星が現れた。

 

怪盗キッド。

 

白一色のマントを翻し、魔法のような手口で獲物を掠め取る若き大泥棒。警察庁の茶木神太郎警視らは、その神出鬼没な手口と時代を超えた技術から、キッドをファントム・レディの「弟子」ではないかと推測していた。だが、その正体が彼女の息子であること、そして彼が二代目を継いだ真の理由が、父の死の真相を探るためであることを知る者は、この世に数えるほどしかいない。

そして今、運命は再び「坂本龍馬」の名の下に交錯しようとしていた。

 

 

 

現在、米花町の鈴木大博物館。

ここでは先週から、大規模な「龍馬展」が開催されていた。かつてファントム・レディに煮え湯を飲まされた樽見猪彦が、二十年の時を経て再び主催者として表舞台に立ったのである。

「見てよ蘭、みーちゃん! これが今回の目玉、高杉晋作が龍馬に贈ったっていうガンベルトよ!」

園子が興奮気味に指差す先には、鈍く光るバックルに大粒のルビーが埋め込まれた重厚なガンベルトが展示されていた。

「すごいわね、園子……。本物なのよね?」

「ええ、蘭さん。有名な鑑定家の華村政之輔さんが、間違いなく幕末当時のものだと鑑定したそうですから」

蘭の問いに、美桜が落ち着いた声で答える。その隣では、圭人とコナンが並んで展示ケースを覗き込んでいた。

「龍馬が愛用してたっていうわりには、妙に綺麗だね」

「ああ……。二十年前の騒ぎがあるから、樽見って男も今回は相当気合入れてるんだろうけどな」

圭人が少し首を傾げながら呟くと、コナンの眼鏡の奥の瞳が鋭く光った。

「……でも、それ以上に気になるのは、あの予告状だよ」

コナンが口にしたのは、数日前に警視庁に届いた、キッドからの予告状。

通常なら『盗み出す』と書かれるべき文面に、こう記されていたのだ。

『現在開催されている龍馬展にて、ファントム・レディが20年前に盗んだ上記3品を返却しに来る。近日参上いたします。怪盗キッド』

「返す……なんて、あのキッド様らしくないわよねぇ」

「ええ。ですが、あえて『返却』という言葉を選んだからには、キッドさんなりの深い意図があるのでしょうね」

園子の言葉に、美桜は静かに頷いた。そこへ、恰幅のいい老人が意気揚々と歩み寄ってくる。

「ガッハッハ! 泥棒風情が改心したというわけではあるまい! むしろ、わしが強化したこの鉄壁の警備に恐れをなして、白旗を上げに来たに違いな――」

「もう……相変わらずね、次郎吉おじさまは。少しは落ち着いてよ」

呆れたように肩をすくめる園子の横で、圭人が苦笑いしながら次郎吉を出迎える。次郎吉は一同を見回し、不敵な笑みを浮かべたまま声を潜めた。

「しかし、わしは合点がいかん。あの樽見という男、昔から義経展だの信長展だのと企画しては、警備がずさんでことごとく盗難に遭っておる。そんな男がわざわざ持ってきたこのガンベルト……。本当に本物かえ?」

「おいおい、鈴木相談役。人聞きが悪いな」

背後からかかった声に振り返ると、そこには不敵な笑みを浮かべた樽見猪彦と、神経質そうな顔つきの鑑定家・華村政之輔が立っていた。

「今回の品は、私の名誉にかけて本物だ。華村先生の太鼓判もある」

「左様。あれは紛れもなく、坂本龍馬が腰に巻いた歴史の遺産ですよ」

華村がメガネを押し上げながら断言するが、次郎吉は鼻で笑った。

「ふん、その自慢の警備とやらも、キッドにかかればザルも同然。現に中森の坊主が、今も必死に走り回っておるわい」

次郎吉の言葉通り、会場には「キッドォ! どこだ、どこに隠れてやがる!」という中森警部の怒鳴り声が響き渡っている。そこへ、落ち着いた足取りで茶木警視が現れた。

「中森警部、落ち着きたまえ。……どう思うね? キッドが、かつての『ファントム・レディ』の名を出してまで返却に来るというこの事態を」

「茶木警視! ……ええ、あの女泥棒とキッドが師弟関係にあるというのは、我々の間ではもはや通説ですからな。弟子のキッドが、師匠の汚名をそそぐために返しに来ると……そういう筋書きでしょう」

その推理を聞いていた圭人は、隣のコナンと視線を合わせた。

(師弟……か。まあ、世間じゃそう見えるんだろうけどな)

(ああ。でも、あいつがわざわざ『返す』なんて手間をかけるのは、それなりの理由があるはずだぜ)

その時、博物館の受付にいた職員が、真っ青な顔をして駆け寄ってきた。

「け、警部! たった今、キッドからの二通目の予告状が届きました!」

中森がひったくるようにそれを受け取り、大声で読み上げる。

『明日20時、閉館間際に例のピストルなどを持参し、幕末の志士 坂本龍馬の名の下に 今一度洗濯いたし申候。怪盗キッド』

「明日……20時だと!?」

「『洗濯いたし申候』……。龍馬が姉に宛てた有名な手紙の一節ですね」

美桜が静かに補足する。会場に緊張が走る中、コナンは一人、窓の外を眺めていた。

「……なあ、圭人。明日の天気、どうなるか知ってるか?」

周囲に聞こえない程度の低い声で、コナンが隣の圭人に問いかける。

「天気? ああ、さっき予報を見たけど、夜から崩れるみたいだよ。雨が降るかもしれないってさ」

答えを聞いたコナンは、確信を得たように口角を上げた。

「やっぱりか……」

「ん? どうしたの?」

「『洗濯』だよ。服を洗うには水が必要だろ? つまりキッドは、雨が降るのを待って、予告の日時を決めたんだ」

コナンの言葉に、圭人が空を見上げる。どんよりとした雲が低く垂れ込め、重苦しい空気が博物館を包み込み始めていた。

「雨……。キッドは、雨の中で何を『洗おう』ってんだ?」

「……さあな。だけど、ただの雨じゃない。この二十年の垢を洗い流す、大荒れの夜になりそうだぜ」

コナンは不敵に笑った。

かつてファントム・レディが盗んだ三つの宝。そして、今回新たに展示されたガンベルト。

因縁の品々が揃う明日、怪盗キッドが仕掛ける「洗濯」の正体とは何なのか。

幕末の風雲児が愛した遺品を巡る、二十年越しの攻防戦。その幕が、静かに上がろうとしていた。

 

 

 

 

 

予告日の前日、閉館後の鈴木大博物館。

展示室には、明日への備えを急ぐ次郎吉と、そこに残った圭人、コナンの姿があった。

「――金属探知ゲート、だね?」

次郎吉の前に立った圭人が、コナンの意図を汲んで言葉を繋ぐ。

「ああ。キッドは明日、ピストルを持ってくるつもりなんだろ? だったら入り口にそれを設置して、客全員を通せばいい。本物の銃を持ってりゃ、ゲートが黙っちゃいないはずだぜ」

コナンの言葉を圭人が自然に補足すると、次郎吉は太い眉を動かした。

「なるほど、小童の言う通りじゃ! 彼奴が予告通りに三品を持参するなら、入り口でひっ捕らえる絶好の機会。早速、明日の開館までに最新式のゲートを正面玄関に叩き込んでくれるわ!」

次郎吉はすぐさま部下に指示を飛ばすべく、鼻息荒く去っていった。嵐の前の静けさが漂う館内で、圭人は展示されている龍馬の遺品を見つめる。

「でも、キッドがそんな単純な仕掛けに引っかかるかな」

圭人が静かに呟くと、コナンは周囲に誰もいないことを確認し、鋭い口調で答えた。

「ああ、あの気障な泥棒が、自分が鳴らすと分かっているゲートを素直に通るとは思えねぇ。だけどな、圭人……あいつが『返却』なんて殊勝な真似をするからには、必ずその場で何かを『証明』しなきゃいけねぇ理由があるはずなんだ」

コナンは不敵に笑い、自身の推理を巡らせていた。

 

 

 

 

 

そして、予告当日。

空はコナンの読み通り、朝から厚い雲に覆われていた。

「うわぁ……すごい人だね、園子」

開館直後の博物館を訪れた蘭が、その光景に圧倒されて声を上げる。

正面玄関の前には、龍馬ファン、そしてそれ以上に膨大な数のキッドファンが詰めかけ、長蛇の列を作っていた。あちこちでキッドを模した白いシルクハットやマントを身につけた若者たちが、今か今かと主役の登場を待ちわびている。

「当然よ蘭! 今回はあのキッド様が『お宝を返しに来る』っていう、前代未聞のイベントなんだから! ほら、みーちゃんも見てよ、あの熱気!」

「ええ、園子さん。確かにこれほどの方々が集まると、警備の方も一苦労でしょうね」

美桜は冷静に周囲の状況を観察し、詰めかけた群衆の密度を測っていた。その入り口には、次郎吉が昨夜設置させた巨大な金属探知ゲートが鎮座し、一人ずつ厳重なチェックが行われている。

「おい、押すなよ! 俺はキッドを一目拝みに来たんだ!」

「龍馬のピストル、本物が見れるってマジかよ!?」

飛び交う怒号と歓声。中森警部は入り口付近で「怪しい奴は一人残らず調べろ!」と部下たちを怒鳴り散らしているが、あまりの人数に現場は混乱を極めていた。

「これだけ人が多いと、紛れ込むのは簡単そうだね」

圭人が人混みを避けるようにして歩きながら言うと、隣を歩くコナンが鋭い視線でゲートを通過する人々を追った。

「ああ……。だが、あのゲートがある限り、鉄の塊であるピストルを持ち込むのは至難の業だ。たとえキッドでもな。あいつがどうやってあの門を潜り抜けるつもりなのか……見ものだぜ」

時刻は刻一刻と、予告の二十時へと向かっていく。

雨の匂いが混じり始めた風が、博物館の周囲を吹き抜けていた。

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