ヒーローと名探偵 作:タルマヨ
SOS!歩美からのメッセージ(前編)
日曜日の昼下がり、阿笠邸のリビングには賑やかな声が響いていた。
テーブルを囲んでいるのは圭人、コナン、元太、光彦、歩美の五人。その少し離れたソファでは、灰原がファッション雑誌のページを静かにめくっている。一同が遊んでいるのは、仮面ヤイバーの絵柄が描かれたトランプでのババ抜きだった。
「よし、あがり!」
圭人が手元のカードを出し切り、軽く伸びをした。それに続くようにコナンと歩美もあがり、残されたのは元太と光彦の二人だけとなった。
「さあ元太君、どちらにしますか?」
光彦が慎重な手つきで、元太が差し出した二枚のカードに指をかける。
元太の持ち札は、ババであるジョーカーとハートの2。光彦の指がジョーカーに触れると、元太の口角がピクリと上がり、隠しきれないニヤリ顔になる。逆に指がハートの2へ移動すると、途端に眉が下がり、今にも泣き出しそうなほど分かりやすい悲しい顔に変わった。
それを見ている圭人とコナンが、思わず顔を見合わせてクスクスと笑い出す。
「……こっちですね!」
光彦が迷わずハートの2を引き抜くと、元太の顔が絶望に染まった。
「クソ!何で俺ばっか負けんだよ!」
元太が憤慨して声を上げる。
「そりゃオメーの顔みてりゃ園児でも勝てるさ。何しろジョーカーを見るときとそうじゃない時の顔が全然違うんだからな!」
コナンが言う。
「駄目ですよコナン君、バラしちゃ」
光彦が苦笑しながら言うと、元太が勢いよく身を乗り出した。
「そうだったのか!じゃもう一度、ずっとこの顔でやるぞ」
元太は不敵なニヤリ顔を作ったまま、トランプを混ぜ始める。
「まだやるの?もういいよ元太…結果は見えてるしさ」
半分呆れた表情になった圭人の言葉に、元太はニヤけながら返した。
「付き合い悪りぃぞ!圭人兄ちゃん」
「あっ!そうだコナン君!知ってますか?」
ここで光彦が声を張り上げ、前日の杯戸町で起きた強盗殺人事件の話題を切り出した。「ル・エスカルゴ」というフランス料理店で、女性オーナーが殺害された事件のことだ。
「ああ……」
コナンは当然知っているという反応を示す。
「エスカルゴ?変な名前の店だな」
元太が首を傾げると、圭人が補足を入れた。
「別に変じゃないさ。エスカルゴはフランス料理に使う食用カタツムリのことだよ」
「カ、カタツムリぃ!?あんなヌメヌメしたもん食うのかよ……」
元太はカタツムリが食べられることに驚き、脳内で白米の上に巨大なカタツムリが鎮座する「カタツムリ丼」を想像して絶句する。
「何を想像してんだよ…」
コナンが横から呆れながらツッコミを入れる。光彦は話を戻し、コナンにさらなる詳細を問うた。
「毛利のおじさんが電話で目暮警部と話してるのを聞いたんだけど…被害者は昼まで寝ていて、強盗は鍵をこじ開けてきた強盗と鉢合わせしたらしいんだ」
コナンの話を聞いて、いつの間にか雑誌を閉じた灰原が静かな足取りで近づいてきた。
「それじゃ強盗も留守だと思って忍び込んだってこと?」
「ああ」
コナンが頷く。
「被害者を縛って金を奪い、直前に殺害した残忍な手口だそうだ」
「もしかして犯人は金のありかを聞き出し全て奪って、出ていく直前に被害者を刺したのかな?」
圭人が問うと、灰原が冷徹な分析を口にした。
「殺害した理由は顔を見られたからってとこかしら…」
「おっかねぇ…」
元太が身震いして絶句する。
「でも、そんな凶悪犯じゃ僕ら少年探偵団の出番はなさそうですね……」
光彦が肩を落として嘆くのを、奥のキッチンから顔を出した博士が怒鳴りつけた。
「当たり前じゃ!大体子供が殺人事件の話なんかするもんじゃない!もっと子供らしく夢のある話をしなさい!」
博士の叱責が響く中、圭人は一人、ずっと沈黙を守っている歩美の異変に気づいた。
「歩美ちゃん、どうした?体調悪い?」
圭人が心配そうに顔を覗き込むと、歩美が力なく博士の方を向いた。
「うん……博士、のど飴ない?」
「のど飴?」
博士が首を傾げるより早く、灰原が歩美の側へ寄った。
「ちょっと失礼……」
灰原が歩美の喉元にそっと手を触れ、その顔を覗き込む。
「吉田さん、扁桃腺が腫れているわ。少し熱もあるみたいね……」
「ええっ、本当かね哀君!」
博士が慌てて歩美のもとへ駆け寄る。
「今日はもう解散にして、吉田さんを家で休ませた方がいいわ」
灰原の言葉に一同が頷き、今日はここでお開きとなった。
歩美を家まで送り届けるため、博士がビートルを玄関に回す。
「歩美ちゃん、大丈夫?ゆっくりしなよ」
圭人が優しく声をかけながら、助手席に乗り込んだ。
歩美の住む高層マンションに到着し、歩美の部屋の前で母親が対応した。
以前、キリエロイドの件で迷惑をかけた圭人と久々に会い、母親は歩美のことも含めて改めて深く礼を言った。
「あの節は本当にありがとうございました。歩美のことも、いつも気にかけていただいて……」
「お久しぶりです。いえ、そんな。……今は歩美ちゃんをゆっくり休ませてあげてください」
圭人は丁寧に、柔らかい口調で返した。
「歩美君、ゆっくりしてちゃんと食べるようにするんじゃよ」
博士が優しく告げると、歩美は静かに頷き、母親に促されて家の中へ入っていった。
翌日、月曜日の朝、帝丹小学校一年B組の教室。
ホームルームの時間、教卓に立つ担任の小林澄子先生が、クラスの児童たちに向けて告げた。
「えー、先程、吉田さんのお母さんからご連絡があって、吉田さんは風邪でお休みとのことです」
その言葉に、教室の一角に集まっていた少年探偵団の面々が反応する。
「歩美ちゃん、やっぱり風邪だったんですね……」
光彦が心配そうに眉を下げた。
「ケッ、うな重食えばケロっとするぜ!」
元太が鼻を鳴らして豪快に笑うと、隣に座る灰原が冷ややかな視線を向けた。
「それは貴方だけでしょ。普通の子供はそんなに単純じゃないわよ」
コナンも昨日の歩美の様子を思い出し、表情を曇らせる。
「しっかり休めばいいんだけどな……」
一方、歩美の自宅。
地上三十階にある高層マンションの一室では、静まり返ったリビングに母親の声が響いた。
「歩美、お母さんちょっと買い物に行ってくるからね。大人しく寝てるのよ」
「……うん、ケホケホッ……」
ベッドの中から弱々しく返事をする歩美を確認し、母親は玄関のドアを閉めて出かけていった。
それからしばらくして、静まり返った部屋に電話の呼び出し音が鳴り響いた。
けたたましく鳴り続けるその音は、まるで家の中が留守かどうかを確認しているかのようだったが、熱で朦朧としている歩美は受話器を取ることなく、深い眠りの中にいた。
これがいわゆる、ターゲットの在宅を確認する「アポ電」であることに、歩美は気づく由もなかった。
その頃、マンションのロビー。
フルフェイスのヘルメットを小脇に抱え、サングラスをかけた不審な男がオートロックの前に立っていた。男は適当な部屋番号を呼び出し、インターホン越しに声を出す。
「すみませーん、宅配便です…」
住人が疑うことなくロックを解除すると、男は悠々とマンションの内部へ侵入し、エレベーターで三十階を目指した。
歩美の部屋の前。
静かな廊下に玄関の呼び鈴が鳴り響いた。その音で、歩美はようやく目を覚ます。
「(あ……お母さんかな……)」
重い体を引きずり、玄関の方へゆっくりと近づいていく。
しかし、ドアの前で歩美はふと足を止めた。母親なら自分の家の鍵を持っているはずだし、わざわざチャイムを鳴らすわけがない。
(変だな……)
そう思った瞬間、玄関の鍵穴から「カチャカチャ」と金属が擦れ合う不気味な音が聞こえてきた。
歩美は心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、壁際に置いてあった踏み台を玄関ドアの前まで引きずってきた。その上に乗り、震える指先でドアの覗き穴に目を寄せる。
レンズの向こう側にいたのは、ヘルメットを被り、サングラスで顔を隠した見知らぬ男だった。
「ひっ……!」
歩美は声を上げそうになるのを必死で抑え、踏み台から飛び降りた。
急いでリビングにある電話の子機を手に取り、110番しようとするが、指の震えが止まらない。
「あ……ああ……」
焦れば焦るほど手元が狂い、ついに子機を床に落としてしまった。
プラスチックがフローリングにぶつかる乾いた音がリビングに響くと同時に、玄関から「ガチャリ」と解錠される音がした。
男が中に侵入してくる。
歩美はパニックになりながらも、なりふり構わず自分の部屋へ走り込み、ベッドの下にある狭い隙間へと潜り込んだ。
男はリビングに入ると、すぐに床に転がった電話の子機と、玄関に残されたままの踏み台に目を留めた。
「チッ……誰かいやがるのか」
男は舌打ちをすると、鋭い目つきで家中を物色し始めた。
ベッドの下で丸まり、自分の吐息すら漏らさないように必死で口を塞ぐ歩美の頭に、昨日コナンたちが話していた事件の内容が蘇る。
(も、もしかして……昨日、コナン君たちが言ってた強盗犯……?)
顔を見られたから殺された、フランス料理店のオーナー。
(見つかっちゃったら……歩美も、そのオーナーさんみたいに……)
歩美は暗い隙間の中で、ガタガタと震えながら涙をこらえていた。
帝丹小学校、一年B組の教室。
音楽の授業が始まる直前、移動の準備をしながら元太が威勢よく声を上げた。
「なあ、学校終わったらよ、皆で歩美の見舞いに行こうぜ!」
「いいですね。歩美ちゃんもきっと喜んでくれますよ!」
光彦も賛成し、パッと顔を明るくする。しかし、そんな男子二人の盛り上がりに水を差したのは灰原だった。
「それはどうかしら。女の子って、具合の悪い姿を人に見られたくないものなのよ。……特に、好きな男の子の前ならね」
灰原が意味深に告げると、付け加えるように小さく笑う。
「……なんて。小学生には、まだ関係のない話だったかしらね」
「オイオイ……」
コナンが呆れたように半眼になり、光彦は言われた意味を計りかねてポカーンとしている。
「自分だって小学生のくせに……」
元太だけが面白くなさそうにボソッと毒づいた、その時だった。
コナンの胸ポケットに忍ばせていた少年探偵団バッジから、ピピッと通信が入る音が響いた。
「なんだ!?」
「歩美ちゃんからでしょうか?」
コナン、元太、光彦、そして灰原の四人が驚いてバッジを覗き込む。
すると、スピーカーからは歩美の声ではなく、プォーという鍵盤ハーモニカの音が聞こえてきた。
「きっと歩美ちゃんですよ!鍵盤ハーモニカを弾いてるんですね!」
光彦が弾んだ声を出す。コナンはバッジに口を寄せ、問いかけた。
「歩美ちゃん?歩美ちゃんなのか?」
しかし、返ってくるのは歩美の返事ではない。流れてきたのは「ミミレドレ」というたどたどしいメロディー。
そして、それに続いて電子音が響いた。
『今日は5日、午前10時30分だ。さあ、元気よく起きようぜ!』
それは、以前歩美が自慢していた仮面ヤイバーの目覚まし時計の音声だった。
「……?」
コナンは不審に思い、自分の腕時計に目を落とす。今はまだ10時半を少し回ったところだ。
「歩美ちゃん?聞こえてるか?」
コナンがもう一度呼びかけると、再びバッジからヤイバー時計の「起きようぜ!」という声が返ってくる。
「仮面ヤイバー時計だ!間違いねーよ!」
元太が興奮気味に言うが、光彦は不思議そうに小首を傾げた。
「そうですけど……何で歩美ちゃんは自分で答えないんでしょう」
「声が出せないのよ」
灰原が静かに推理を口にした。
「昨日、扁桃腺が腫れているって言ったでしょう?風邪がひどくて、喋るのも辛いんじゃないかしら」
「なるほど……。おい歩美ちゃん、声が出ねーのか?もしそうなら、YESなら1回、NOなら2回、バッジを叩いてくれ!」
コナンの指示が飛ぶ。
……コン。
少しの間を置いて、バッジから乾いた音が1回響いた。
「1回だ、YESですね!」
光彦が言うと、元太が身を乗り出した。
「よし!そうと分かれば、俺たちが元気が出るように励ましてやろうぜ!」
「待て、元太」
コナンが鋭く制止した。その表情は真剣そのものだ。
「返事の代わりに時計の声を使ったのは分かるが……さっきの時計は5分以上遅れていた。それに、今日は5日でもねーだろ?」
「確かに……。吉田さん、何か困っていることがあるのかしら?もう一度聞くわよ、YESなら1回、NOなら2回叩いて」
灰原の問いかけに対し、バッジからは……。
コン、コン。
軽い音が2回、規則正しく響いた。
「2回……困ってないってことか」
「なんだ、やっぱり寂しいからバッジで話しかけてきたんだな!安心したぜ!」
元太と光彦はホッとしたように顔を見合わせたが、コナンと灰原の二人は、眉を寄せたまま黙り込んでいた。
(声が出ないからって、わざわざあんな不正確な時計の音を流すか……?)
二人が抱いた得体の知れない違和感。
その時、30階のマンションの一室では、口をガムテープで塞がれ、手足をロープで縛られた歩美が、涙を浮かべて強盗犯の男を見上げていた。男の手には、歩美から奪い取った探偵団バッジが握られていた。