ヒーローと名探偵 作:タルマヨ
ホヅミと別れた後、一行は一度山を下りて駅前へと向かった。
午後4時を過ぎた頃、蘭と園子、そして圭人とコナンは目的の『赤樹旅館』に到着する。
旅館の趣ある木製の自動ドアをくぐると、ロビーの片隅に宿泊客や観光客が自由に書き込める伝言ノートが置かれていた。園子はホヅミに頼まれた通り、備え付けのボールペンを握ると、迷いのない手つきでノートの新しいページにメッセージを書き込んでいく。
「ええっと……『お探しの木は見つかりました。ドラマのラストで使った岩のある場所に来てください』と。よし、これで完璧ね!」
書き終えた園子は、満足げにパチンとノートを閉じた。ホヅミの代わりに伝言を残すという一仕事を終え、ちょうど小腹も空いてきた頃合いだったため、四人は食事をとるために旅館を後にした。
向かった先は、近くにあるファミリーレストラン『Chu-ji』。
店内は暖房がよく効いており、山歩きで冷えた身体には心地よかった。圭人と蘭がメニューを選んでいる横で、コナンはお子様ランチを前にしながらも、先ほどのホヅミとの会話を頭の中で反芻していた。
食事が運ばれてくると、園子はハンバーグを口に運びながら、すぐに次の作戦を企み始める。その気まぐれな性格が、再び頭をもたげていた。
「ねえ、やっぱりあのままじゃ真さんに私のハンカチを見つけてもらえないわ。だからね、さっきファミレスに来る前にコンビニで良いものを買っておいたのよ!」
園子がバッグから取り出したのは、太い油性マジックと、どこで手に入れたのか小さな添え木だった。
「これよこれ! 今度はどれが私のハンカチか一目で分かるように、赤いハンカチに大きな字で『園子』って書いて、この添え木でしっかり固定して目立たせるの! そうすれば、真さんも絶対に迷わないはずでしょ?」
「もう、園子ったら、本当に諦めが悪いんだから……」
蘭が呆れたように頬杖をつき、圭人も「園子らしいっていうか、そこまでやればさすがに京極さんも気づいてくれるかもね」と、苦笑しながらもその執念に感心していた。
食事を終えて外に出ると、山の冬の空気はすっかり冷え込み、周囲は夕闇に包まれ始めていた。
しかし、京極との完璧なシチュエーションでの再会を夢見る園子の熱意が冷めることはない。マジックと添え木を握りしめた園子を先頭に、四人は再び、静まり返った夜の森の中へと向かって歩き出すのだった。
昼間の賑わいが嘘のように静まり返った夜の森は、踏みしめる落ち葉の音さえも不気味に響くほど静潔に包まれていた。
頭上を覆う木々の隙間から微かな月光が差し込むものの、手元の明かりがなければ一歩先を進むのも躊躇われるほどの暗闇だ。
園子は大きな字で『園子』と書いた赤いハンカチと添え木を大事そうに抱え、京極とのロマンチックな再会を夢見て足早に歩みを進めていく。その後ろを蘭が心配そうに追いかけ、圭人とコナンは周囲の様子を油断なく観察しながら歩いていた。
圭人は左腕のアストロウォッチから放たれる光で足元を照らし、コナンは腕時計型ライトのベゼルを回して白い光条を前方に走らせている。
ガサリ、と足元で奇妙な感触がした。
「……ん?」
アストロウォッチの光を下へ向けた圭人が、歩みを止める。その視線の先、カサカサに乾いた落ち葉の隙間に、何かが半分埋もれるようにして落ちていた。
一歩前に出たコナンが、腕時計型ライトでその物体を捉えながら、素早く手を伸ばして拾い上げる。それは一冊の小さな手帳だった。
「これって……」
圭人が横から光を近づけると、手帳の表紙には、はっきりとカタカナで『ホヅミ』の文字が残されていた。昼間に別れたテレビ局のAD、
「ホヅミさんの手帳だね。こんなところに落としたのかな」
圭人が呟くのと同時に、コナンはすでに手帳のページをめくっていた。パラパラと指を動かしていたコナンの手が、あるページでピタリと止まる。
カレンダーのページだ。その4月1日の欄には、まるで指で強くこすりつけたような、赤黒い筋が残されていた。
「これ、血痕……!?」
圭人が息を呑む。コナンが慌てて手帳を裏返すと、その裏表紙には、まだ完全に乾ききっていない真っ赤な生血がべっとりと付着していた。
(――しまっ、た……!)
何かが最悪の形で動き出している。それを察知した瞬間、コナンの表情が戦慄に染まり、まるで鬼のような形相へと一変した。
「コナン君!?」
蘭の制止の声が響くよりも早く、コナンは手帳を握りしめたまま、夜の闇の奥へと猛然と走り出した。
「あ、おい! コナン!」
圭人も光を前方に向けながら、すぐに後を追って駆け出す。ただごとではない雰囲気を察した蘭と園子も、互いの顔を見合わせた後、悲鳴を上げるようにして二人の後ろを追いかけていった。
生い茂る木々の枝を押し分け、暗い獣道を夢中で突き進んだコナンの足が、ある開けた空間の手前で急ブレーキをかけた。遅れて追いついた圭人が、アストロウォッチのライトでコナンの視線の先を強く照らし出す。
「こ、これは……」
圭人の声が引きつった。
そこに横たわっていたのは、昼間に親しげに話しかけてきたあの男、ホヅミだった。
大の字に倒れた彼の胸元には、鋭利なサバイバルナイフが深々と突き刺さっており、衣服を伝って溢れ出た大量の血が、周囲の地面を赤黒く染め上げている。ホヅミの目は虚ろに見開かれ、すでにそこには何の生気も残されていなかった。
「キャーーーーーーーーーッッ!!」
「いやぁーーーーーーーーーっ!?」
すぐ後ろまで追いついていた蘭と園子がその光景を目撃し、夜の森を切り裂くような悲鳴を響かせた。園子は恐怖のあまり、持っていた添え木付きのハンカチを地面に落とし、蘭にしがみついてガタガタと震え出す。蘭も園子を抱きしめながら、恐怖に顔を青ざめさせていた。
「蘭、園子を連れて少し下がってて」
圭人は柔らかい口調を保ちつつも鋭く指示を出すと、即座に左腕のアストロウォッチを操作した。すぐさま群馬県警へと繋ぎ、現在地と殺人事件が発生した旨、そして胸にナイフが刺さった男性が倒れている状況を的確に伝え、臨場を要請する。
圭人が迅速に警察への通報を行っている間、コナンは恐怖を押し殺し、腕時計型ライトの白い光を遺体に当てながら、その傍らにしゃがみ込んで状態をじっくりと観察していた。
(遺体の状況から見て、凶器は胸に刺さったこのナイフ。だが……)
コナンの鋭い眼光が、ホヅミの衣服の別の場所を捉える。
胸の致命傷とは別に、腹部のあたりにもう一箇所、衣服が裂けて血が滲んでいる場所があった。
(なるほど……一度腹を刺されたんだな。被害者はその衝撃で倒れ込みながらも、必死に抵抗しようとした。その過程で、上着のポケットに入っていた手帳に手が触れ、4月1日の欄に指でなぞるような血痕を残しちまったんだ。だけど、犯人はそれを許さず、仰向けになった被害者の胸に容赦なくナイフを突き立てて確実に殺害した……そういうことか)
じわりと、遺体の周囲に広がる血溜まりを指先で確認する。
(血の凝固状態、それに手帳の血がまだ乾ききっていなかったことを考えると……死亡推定時刻は、今から一時間ほど前。午後5時頃か。クソッ、オレたちがファミレスで飯を食っているまさにその時間に、ホヅミさんはここで殺されていたんだ……!)
コナンが悔しげに歯噛みした、その時だった。
カサ……サササッ……。
背後の闇から、無数の気配が這い寄ってくるような、異様な空気の変化を感じ取った。
それは一人の人間の足音ではない。何十人、あるいはそれ以上の人間が、息を潜めて自分たちを包囲するようにじわじわと近づいてきている――そんな圧倒的で不気味な質量を持った気配だった。圭人もアストロウォッチを構えたまま、その気配のする方へと鋭い視線を向ける。
「……なぁ、イチ。気づいた?」
圭人が低い声でコナンに語りかける。その身体は、次の瞬間には動けるよう微かに張り詰めていた。
「あぁ……。どうやら、歓迎されていない客がワンサカ集まってきたみたいだな……」
コナンも腕時計型ライトの光の向きをそっと変え、眼鏡の奥の目を鋭く光らせながら、背後の闇を見据えた。ホヅミの遺体が横たわる静潔な森の中に、目に見えない無数の悪意が満ち始めていた。
けたたましいサイレンの音が夜の山林に響き渡り、赤色灯の光が木々を禍々しく照らし出す。
圭人の通報を受けて駆けつけたのは、群馬県警の山村警部率いる捜査一課の面々だった。
「いやあ、まさかこんな山奥で殺人事件なんてねぇ……。でも、蘭さんに園子さん、それにコナン君に圭人君まで揃っているなんて、なんだか心強い執念を感じちゃったりして!」
相変わらず緊張感のない調子で現れた山村警部だったが、鑑識の現場検証が進むにつれて、現場の異様な状況が浮き彫りになっていった。
ホヅミの遺体が発見された周囲の森には、夜中にもかかわらず何人もの人間がひしめき合っており、近くに張られたテントの中にも人がいたのだ。実は、この周辺一帯の山林は冬の紅葉を静かに楽しむための静かなロケーションとして一部に人気があり、近くの旅館には全部で53人もの客が宿泊していた。
しかし、捜査の網を広げるための決定的な情報がすぐに寄せられる。
53人の宿泊客のうち、その日の朝に新しくチェックインした新規の客は、わずか3人だけだったのだ。
「なるほど、その3人が怪しいわけですね!」
山村警部の命令によって、現場近くに集められたその3人の容疑者たちは、それぞれ一癖も二癖もある人物ばかりだった。
一人目は大隈勇(25)。鼻にピアスを開け、終始不機嫌そうに警察を睨みつけている若い男だ。
「チッ、なんで俺がこんなところで足止めされなきゃなんねーんだよ。人殺しなんか知るかってんだ」
口が非常に悪く、態度も最悪である。
二人目は綿貫辰三(69)。分厚い眼鏡をかけた、いかにも神経質そうな老人だ。
「私は静養のためにこの山へ来たのです。余計なトラブルに巻き込まないでいただきたいな……」
終始、眉間にシワを寄せながら懐中電灯を弄んでいる。
三人目はハンス・バックリー(41)。大柄な外国人で、どこか落ち着かない様子で周囲を見回している。
「ワタシ、ニホンゴ、アマリ得意デナイ。サツジン? オオ、ノー……関係ナイデス」
片言の日本語を話し、ひどく怯えたような仕草を見せていた。
山村警部は腕組みをして、3人の前に立った。
「ふむ……。被害者のホヅミさんは、テレビ局のADさんで、ここでドラマ『冬の紅葉』のロケハンをしていたそうなんです。そこで皆さんに伺いますが、そのドラマ、見たことがあったりしちゃったりします?」
アリバイや被害者との接点を探るための問いかけだったが、3人の反応は冷ややかなものだった。
大隈は「そんなダセードラマ知らねえよ」と吐き捨て、綿貫も「テレビなど俗っぽいものは見ん」と一蹴。ハンスにいたっては「ド・ラ・マ? ナニソレ?」と首を傾げるばかり。全員がドラマなど知らないと強く主張した。
「ええ~、誰も知らないんですかぁ? 面白いのに……。よし、それなら僕の携帯テレビで今ちょうどやってる再放送を見せてあげますから、思い出してくれちゃったりして!」
山村警部がポケットから携帯テレビを取り出し、液晶画面を3人に向けた。コナンと圭人も横からその画面を覗き込む。
しかし、画面に映し出されたのは、ドラマの美しい紅葉の映像ではなかった。画面の中で、屈強な男たちが激しい打撃を繰り出し合っている。
「あれ? おかしいな……チャンネルは合ってるはずなのに……」
困惑する山村警部の横で、画面を見た園子が「あーーっ!」と声を上げた。
「これ、ドラマじゃなくて『空手道王者選手権』の特番じゃない! 今日が放送日だったんだわ!」
画面の端にはテロップが躍り、実況が絶叫している。そこには、圧倒的な強さで対戦相手をなぎ倒していく京極真の姿がリアルタイムで映し出されていた。
「あ、本当だね。京極さん、やっぱりすごい迫力だよ……」
圭人が感心したように呟く中、コナンは画面から目を離し、再び事件の思考へと没入していく。
(特番のせいでドラマの確認が潰れちまったか。だが、それより気になるのは……)
コナンがホヅミから預かった手帳の血痕について考えていたその時、山村警部の無線機がけたたましく鳴り響いた。本部に残って被害者の身元確認を行っていた部下からの連絡だった。
「はい、山村ですが……え? 何だって!?」
無線機の向こうからの報告を聞いた山村警部の顔が、驚愕に引きつった。
「山村警部、どうしたの?」
コナンがすかさず尋ねると、山村警部は信じられないといった様子で携帯テレビをポケットにしまい込み、声を震わせた。
「た、大変ですよコナン君、圭人君! 警察がテレビ局に確認したところ、制作会社に『ホヅミ』なんて名前のADは、最初から実在しないそうなんです!」
「何だと……!?」
コナンの目が鋭く見開かれた。昼間、あれほど親しげにドラマの裏話を語り、園子にハンカチまで手渡したあの男が、テレビ局の人間ではない。
「じゃあ、あのホヅミって人は一体誰なのよ……!?」
蘭が不安そうに声を上げる中、山村警部は制作会社からファックスで送られてきたという社員名簿のコピーを広げた。
「おかしいんですよ。これがその制作会社の社員名簿なんですけど……ほら、ここを見てください」
山村警部が指差した場所を、圭人とコナンが覗き込む。
「名簿の中に、名前じゃなくて……何故か日付が混じって書かれているんです」
その名簿の不自然な記述を見た瞬間、コナンの脳裏に激しい閃光が走った。実在しないAD、手帳の4月1日の血痕、そして名簿に紛れ込んだ日付。バラバラに見えたピースが、コナンの頭の中で急速に繋がり始めていた。