ヒーローと探偵 作:タルマヨ
米花図書館の怪
閉館を告げる重苦しいチャイムが、米花図書館の静寂を切り裂くように鳴り響いた。
館内には、まるで澱んでいるかのような重苦しい沈黙が流れ、書架の間を目暮警部率いる捜査員たちが慌ただしく動き回っていた。数日前から行方不明になっている職員、玉田の捜索のためだ。
「……いない。どこにもいないよ……」
閲覧室の隅で、歩美が不安そうに警察の様子を見つめて呟く。
「警察の方々があれだけ探して見つからないなんて……。一体どこへ消えてしまったんでしょうか」
光彦が眼鏡を押し上げ、神妙な面持ちで周囲を見渡す。
「腹減ったな……。玉田さん、本当はどっかでカツ丼でも食ってんじゃねーのか?」
元太がぼやきつつも、その目は警察の必死な動きを追っていた。
だが、どれだけ本棚の裏や隙間をしらみつぶしに調べても、有力な手がかりは一つとして見つからなかった。
「目暮警部、やはり何も……。書架の裏から天井裏まで一通り当たりましたが、ホトケはおろか、争った形跡すらありません」
捜査員の報告に、目暮警部は苦々しい表情で帽子を直した。
「……うむ。仕方ない。……よし、今日の捜索はここまでだ! 全員撤収!」
警部の野太い指示が響き、捜査員たちは次々と機材を片付け、引き揚げていく。何も見つからないまま、館内から人影が消えていく。その虚しさが、ガランとした空間に広がっていくのを、少年たちはただ見ていることしかできなかった。
その様子を、カウンターの奥から一人の男がじっと見つめていた。
津川館長だ。
眼鏡もかけず、剥き出しになったその瞳は爬虫類のように冷たく、焦点が合っているのかさえ分からない。警察官たちが去っていくのを、顔に張り付いた死後硬直のような歪んだ笑みを浮かべて見送っている。その異常な佇まいに、圭人は言いようのない不気味さを感じ、子供たちを庇うように位置を取った。
一行が館長の前を通り抜け、出口へ向かおうとしたその瞬間。背後の闇から湿り気を帯びた低い声が響いた。
「夜の図書館は暗くて危ないからね。早く帰りなさい、少年探偵団の諸君……」
「ひっ……!」
歩美が短く悲鳴を上げ、元太と光彦も肩を跳ねさせる。いつの間にかすぐ後ろに立っていた館長は、眼球だけをぎらぎらと動かし、獲物を定めるように子供たちを舐め回して見つめている。圭人は咄嗟に一歩踏み出し、館長の刺すような視線を遮った。
「……さあ、早く。これ以上居座ると、怖い目に遭うよ……?」
喉の奥で鳴るような、粘りつく笑い声。一同はその背中に凍り付くような寒気を感じながら、逃げるように図書館を後にした。
◆
夜の帳が下りた図書館の外。ようやく冷たい夜風に当たり、歩美たちは安堵の息を漏らしていた。だが、元太が突然、血相を変えて自分の腹を叩いた。
「あ、あれ!? ねえ、ねえよ! 俺の食料がねえ!」
「……食料? 元太君、また何かどこかに忘れてきたんですか?」
光彦が呆れ顔で問い詰めると、元太はバツが悪そうに頭をかいた。
「非常階段の踊り場の影に、隠しといたんだよ……。明日の朝飯にするつもりだった特製サンドイッチ!」
「ええっ!? そんなところに戻るの? 暗くて怖いよぉ……」
歩美が顔を強張らせるが、元太は引かない。
「腹が減っちゃ戦ができねえだろ! 圭人兄ちゃん、コナン、頼むよ! 一緒に来てくれよ!」
結局、圭人とコナンは顔を見合わせ、溜め息をつきながら元太のわがままに付き合うことになった。
正面入り口は当然閉まっている。一行は建物の裏手へ回り、非常階段を上った先にある天窓へと辿り着いた。コナンが手際よく鍵を開け、真っ暗な館内へと滑り込む。
「……うう、真っ暗だね……」
歩美が圭人の服の裾をぎゅっと掴む。圭人は周囲を警戒しながら、懐中電灯の光を最小限に絞って足元を照らした。
昼間はあんなに親しみやすかった本棚の迷路が、今は巨大な墓標のように一行を圧迫してくる。一歩踏み出すたびに、古びた床がギィ……と不気味に軋み、その音が静寂の中に吸い込まれていった。
「静かにしろよ。誰か残ってるかもしれねーからな」
コナンの低い声に、元太もようやく口を噤んだ。一行は息を殺し、壁際に身を潜めながら、元太が食料を隠したという場所を目指す。
その時だった。
――ウィィィィン……
沈黙を切り裂いて、エレベーターの駆動音が響き渡った。
「……あ、あれ! 誰もいないのに、エレベーターが動いていますよ!」
光彦が震える指で指差した先、表示パネルの赤い数字が「1」からゆっくりと上がり、最上階で止まる。
やがて扉が静かに開き、中から津川館長が現れた。男は手にした懐中電灯で周囲をなぶるように照らし、手に持った洋書を広げて独り言を漏らす。
「フフ……無駄だよ、目暮警部。あんなところ、誰にも見つけられはしない……。玉田も、私の秘密を覗かなければ、あんなことにはならなかったのにねぇ……」
津川は不気味な笑みを浮かべながら、洋書をナイフで切り裂いた。中から現れたのは、大量の白い粉の包み。男はそれを愛おしそうに眺め、狂気に満ちた瞳をぎらつかせた。
だが、彼が一度エレベーターを降り、再び何かを思い出したように中へ一歩踏み込んだ、その瞬間だった。
――ブーッ、ブーッ、ブーッ!
「な、なんですか!? 館長一人しか乗っていないのに、定員オーバーのブザーが……!」
光彦が息を呑み、コナンの表情が一変した。
「……そうか、そういうことか。圭人、エレベーターの箱の上だ! あそこに死体が乗ってるから、館長が乗っただけで重量オーバーになったんだ!」
その時、コナンの鋭い感覚が危機を察知した。
「しまった! ライトを消せ!」
だが、遅かった。鳴り響くブザー音に、津川がピタリと動きを止め、狂気に満ちた顔を一行のいる暗闇へと向けた。
「……少年探偵団……あのアカガキ共か……。まだ帰っていなかったのか……」
男は近くにあった鉄パイプを手に取り、床を引きずりながら歩き出した。キィ、キィ……。
「見つけたぞ……。私の秘密を知った奴は、一人残らず消してやる……!」
「……いいか、あいつを引きつけてくれ。完全に俺たちを殺しに来てる。その間に俺たちが遺体を確認し、証拠を固める!」
コナンの低い指示を受け、圭人は迷いなく闇へと踏み出した。
◆
「どこだ……どこに隠れた……!」
館長が書架を一つずつライトで照らしていく。本棚の隙間から、あの剥き出しの瞳が覗く。歩美は必死に声を殺し、元太も光彦も震えながら心臓の鼓動を抑えていた。
カツ……カツ……カツ……。
足音がすぐ隣の列まで来ている。
「そこに……いるんだろう……?」
ライトの光が激しく揺れ、ついに子供たちが隠れていた列に差し掛かったその瞬間――。
「見つけたぞぉぉ!!」
血走った目を見開いた津川が、書架を乗り越えるような勢いで躍り出た。振り上げられた鉄パイプが空を切り、標的のすぐ横の書架を叩き割る。
だが、その狂気の前に圭人が立ちはだかった。
津川は獣のような咆哮を上げ、再び鉄パイプを大きく振り回す。狭い書架の間で放たれる横薙ぎの一撃。圭人はそれを最小限の沈み込みでかわすと、すぐさま二撃目が頭上から降り注いだ。
ガツゥゥン! と床が削れる轟音。
「チョコマカと……死ねぇ!」
狂乱した津川が突進してくる。圭人はその巨体の一瞬の隙を突き、死角から鋭く踏み込んだ。
「……あんたの聖域は、とっくに腐り落ちてるよ」
振り下ろされたパイプを左手で受け流すと同時に、空いた右手で館長の喉元を強打し、そのまま重力と自身の体重を乗せて壁際へ叩きつける。
「がはっ……!?」
空気が漏れるような声を上げた津川の腕を掴み、背中側へ強引にひねり上げた。ミキミキと関節が鳴る音が沈黙の館内に響く。
「な、なんだ君は……! この私が……貴様のような子供に……!」
「ただの通りすがりですよ。……あんたのその汚い執念、ここで終わりだ」
圭人が津川を床に叩き伏せ、その背中に膝を乗せて完全に拘束した。津川はなおも呪詛を吐こうとしたが、その眼光に気圧されたのか、最後には力なく項垂れた。
その頃、エレベーターホールでは、コナンが天井裏から玉田の遺体を発見していた。
◆
夜明け前、図書館の前にはパトカーの赤色灯がいくつも連なり、暗い夜道を赤く染めていた。
「……えへへ、ごめんなさい、警部さん」
コナンが頭をかきながら、子供らしく殊勝に頭を下げる。
「全くだぞ、コナン君! それに星野君、君もだ! 高校生の君がついていながら!」
目暮警部の雷が落ちる中、津川館長は警察官たちに抱えられ、護送車へと押し込まれていった。
「……終わったな」
圭人がポツリと呟くと、隣にいたコナンが眼鏡の奥の瞳を和らげ、小さく頷いた。
「ああ。……帰ったら、蘭に大目玉だな」
「はは、そりゃ災難だな。……じゃあな、名探偵」
二人は赤色灯の光に背を向け、静かにそれぞれの帰路へとついた。