ヒーローと名探偵 作:タルマヨ
骨董品は隠せない(前編)
昼下がりの米花町。
静まり返った阿笠邸の門の前に、一台のバイクが滑り込むようにして止まった。ヘルメットのシールド越しに鋭い視線を邸内へと走らせているのは、世良真純だ。彼女はバイクから降りると、気配を隠すようにして門の陰へと身を潜めた。
その一連の不審な動きを、道路を挟んで向かい側に建つ工藤邸の2階の窓から、じっと見下ろしている男がいた。
大学院生の沖矢昴――その正体である赤井秀一は、カーテンの隙間から静かに世良の様子を観察し、眼鏡の奥の目を細めていた。
そんな緊迫した屋外の空気とは対照的に、阿笠邸のリビングでは、呑気な会話が繰り広げられていた。
主である博士は、テーブルの上に置かれた古めかしい小皿を愛おしそうに見つめながら、鼻の頭をこすって満面の笑みを浮かべている。どうやら、この皿を古美術鑑定士に見てもらい、大儲けしようと企んでいるらしい。
「棚の奥から古い木の板を見つけてのォ。何やら達筆で字が書かれていたから、持ち帰ってインテリアとして飾っておったんじゃが、つい先日それが板ではなく、フタがスライドする平たい箱だと気づき、中からなんと年代物の小皿が出てきたんじゃよ」
ソファに腰掛けたコナンは、頬杖をつきながら半ば興味無さそうに「へーえ」と生返事で相槌を打つ。
「伯父の栗介は大富豪じゃかったからな、もしかしたらかなり値打ちの骨董品ではないかと思って、知り合いの鑑定士に依頼したというわけじゃ」
その横で、お茶を飲んでいた圭人が不思議そうに首を傾げた。
「でもいいの? そんな小皿を勝手に持ってきても」
「うむ…栗介伯父さんは50年前に亡くなっとるし、その別荘を受け継いだ伯母さんには、別荘の中のものは好きにしてもいいと言われとったし、まぁその伯母さんも去年亡くなってしまったから、もうワシのもんじゃよ」
圭人とコナンは顔を見合わせ、「成る程なぁ」と納得したように相槌を打つ。そこでコナンが、本題を切り出すように視線を博士に向けた。
「で、何で俺を呼んだんだよ」
「呼んだのは私よ」
冷ややかな声とともに、キッチンから淹れたてのコーヒーを持って現れたのは灰原だった。彼女はトレイをテーブルに置くと、コナンを冷たい目で見据えた。
「あの娘をなんとかしてほしいから来てもらったのよ」
コナンは怪訝そうに眉をひそめる。
「あの娘?」
「ほら、今も門の陰からこっちを伺っているあの世良真純っていうボクっ娘よ」
灰原が顎で窓の外を示す。
それを聞いたコナンは、合点がいったように目を見開いた。
「じゃあ、俺をわざわざ裏口から入らせたのは……」
「そう。玄関から入らせるとあの娘もノコノコと一緒に入ってきそうだったから」
コナンはフっと呆れたように息を吐き出し、隣に座る幼馴染の肩を小突いた。
「つか、圭人がいるじゃねえか。オメーが一言言えば帰るんじゃねぇか? 同じクラスなんだし」
振られた圭人は、困ったように頭を掻きながら苦笑いを浮かべる。
「うーん……。彼女、俺が何を言っても聞く耳を持ちそうにないんだよね。それにほら、俺も彼女に色々疑われてるし」
圭人が情けない声を漏らすと、灰原はすかさずため息をつき、冷徹な視線を彼に突き刺した。
「この人は駄目ね。ヒーローとは思えないくらい歳の近い女子には弱いから」
スッパリと言い切られた圭人は、大きく目を見開き、額に冷や汗をにじませながら慌てて手を振った。
「そ、そうかな……?」
「ええ、間違いないわ」
一切の容赦なく断言する灰原の姿に、コナンと博士は引きつった呆れ顔で行き来する二人のやり取りを見守るしかない。
灰原はすぐに表情を引き締め、腕を組んでコナンに歩み寄った。その口調には、明らかな警戒と苛立ちが混じっている。
「それで、なんなのよ? あの娘がこの家を覗いてる理由。貴方知ってるんでしょ?」
語尾を強めて問い詰めてくる灰原に、コナンは気まずそうに視線を泳がせ、人差し指で頬を掻いた。
「あ、い、いや……それは多分オメーと圭人だな」
灰原は不機嫌そうに眉根を寄せた。
「ハァ? 星野君のことは聞いてるけど、何で私も覗かれなきゃいけないわけ?」
「じ、実は……」
コナンは観念したように、これまでの経緯の詳細を話し始めた。世良が蘭や園子から「コナン君の周りに、大人びたを通り越したクールな女の子がいる」という灰原の噂を聞きつけ、その存在に強い不信感を抱いていること。そして、その少女の正体が自分と同じく、薬によって幼児化した人物ではないかと疑い、執拗に監視を続けているのだという事実を、コナンは包み隠さず伝えた。
すべてを聞き終えた灰原の顔から、一瞬にして血の気が引いていく。次の瞬間、彼女の怒りが爆発した。
「えぇ!? 貴方同様、私も薬で幼児化したんじゃないかと疑われてる? 何ばらしてるのよ!? 貴方、死にたいの!?」
「お、おい、声を落とせって……!」
灰原の凄まじい剣幕に、コナンは両手を上げて必死に宥めようとする。見かねた圭人も、慌てて灰原の肩に手を置いて間に入った。
「し、志保さん……ちょっと落ち着いて」
しかし、灰原の怒りの矛先は圭人にも向けられる。
「これが落ち着いてられるわけないでしょ!?」
鋭い一喝が飛び、圭人は「あ、うん。そ、そうだね、ご、ごめん」と完全に気圧され、シュンと肩を落として黙り込んでしまった。
コナンは冷や汗を流しながら、必死に弁明を続ける。
「ほ、ほら、世良の奴、勘が良いし……。蘭や園子からオメーの話を聞いて、ピンと来ちまったんだよ。だからこうして様子を伺ってんだろ」
灰原は信じられないといった様子で深くため息をつき、額を押さえた。その横で、ようやく気を取り直した圭人が、顎に手を当てながら冷静に分析する。
「彼女、志保さんに色々聞きたいんじゃないかな?」
その言葉に、灰原は鋭い眼光を二人に向けて、極めてシリアスな、低い声で告げた。
「とにかく……私に何聞きたいかは知らないけど、私と工藤君が
その言葉の重みに、リビングの空気がピキリと凍りつく。組織の恐怖を誰よりも知る彼女の警告は、決して誇張などではなかった。コナンは真剣な表情で頷いた。
「あ、あぁ……分かってる」
灰原はさらに視線を圭人へと移し、念を押すように言葉を重ねる。
「星野君……貴方もよ。いくら貴方が頼れる無敵のヒーローでも、
向けられた強い視線に、圭人は複雑な表情を浮かべながらも、静かに頷いた。
「う、うん……」
重苦しい沈黙が部屋を満たし、誰もが次の言葉を失いかけた、その時だった。
ピンポーン、と。
静寂を破るように、鋭いインターホンの電子音が家中に鳴り響いた。
その音に、全員の身体がびくりと強張る。
コナンはすぐに窓の外へと視線を走らせ、緊張に声を尖らせた。
「ま、まさかアイツ、痺れを切らして直接会いに来たのか?」
門の陰にいたはずの世良が動き出したのだと直感し、灰原の顔が恐怖に変わる。彼女はコナンの胸ぐらを引き剥がすようにして、素早く圭人の広い背中の後ろへと滑り込み、その服の裾をぎゅっと掴んだ。
「ち、ちょっと工藤君! なんとか追っ払いなさいよ」
圭人の陰から怯えた目を覗かせる灰原を庇うように、圭人もまた身構え、コナンは覚悟を決めたように玄関へと視線を向けた。
「……ったくしゃーねぇーな……」
コナンは諦めたようにガシガシと頭を掻きながら、重い足取りで玄関へと向かい、ドアを開けた。
誰もが世良の強行突入を覚悟したその瞬間、目の前に立っていたのは、予想だにしない人物だった。
「おや、コナン君。ちょうど良かった」
穏やかな微笑を浮かべて立っていたのは、工藤邸に居候している大学院生、沖矢昴だった。その手には、みずみずしいサクランボがこれでもかと詰まった大きな箱が抱えられている。
「知り合いからサクランボをたくさんいただきましてね。お裾分けにと持ってきてみたら、中々賑やかそうな気配がしたので、お邪魔してもよろしいですか?」
コナンは不意を突かれて目を丸くする。
「す、昴さん……? あのさ、ここに来る途中の門のところに、誰かいなかった?」
「居ましたよ。バイクのヘルメットを被った女の子がね。私が声をかけたら、一緒に入ってきてしまいました」
沖矢が視線を背後へと向けると、待ってましたとばかりに、その影から世良がひょっこりと顔を出した。世良は小慣れた手つきでヘルメットを小脇に抱え、癖のある短い髪を軽く手で払う。
「やあ、コナン君! こんなところで何してるんだい? 蘭君たちの家じゃなくて、こっちの博士の家にいるなんて珍しいじゃないか」
突然の鋭いツッコミに、コナンは一瞬だけ引きつった笑いを浮かべ、すぐにいつもの子供らしいトーンで誤魔化しにかかる。
「あ、ハハハ……! 僕はね、博士の新しい発明品を見せてもらいに、ちょっと遊びに来てたんだよ…」
「へぇ、そうだったんだぁ」
世良はフフッと意味深な笑みを浮かべ、コナンを試すようにじっと見つめる。さらに踏み込んで話を続けようとした世良だったが、それを遮るように、沖矢がトレイのサクランボをテーブルに置きながら博士に声をかけた。
「そういえば博士、先ほど玄関先で小耳に挟んだのですが、例の骨董品の鑑定の話というのは、一体どういった御用件で?」
話を綺麗に逸らされた博士は、我が意を得たりとばかりに深く頷いた。
「おお、そうじゃ! ちょうど今からそれを聞きに行くところじゃよ。知り合いの鑑定士が、ついでに面白い鑑定物を見せてあげると言っておったしのォ」
「面白い鑑定物、ですか?」
沖矢が眼鏡の奥の目を細めて興味を示す。
「うむ。中国の堆黒盆というのを知っておるか? 木胎に黒漆と朱漆を何層にも塗り重ね、表面を黒漆塗りし、これに文様を彫刻した、実に見事な漆芸品なんじゃよ!」
博士が熱弁を振るうと、横で聞いていた圭人がポンと手を叩いた。
「あ、それってこの前、テレビの鑑定番組で大々的に出てたお盆でしょ? 確か、本物には5億円の凄まじい値がついてたよね」
日常の何気ない知識として口にした圭人だったが、世良の視線がピクリと彼へと動いた。
「へぇ……。そういえば星野君も、ここで一緒に暮らしてるんだったねぇ。いつも楽しそうで羨ましいよ」
世良のどこか探るような物言いに、圭人は一瞬だけ頬を硬くしたが、すぐにいつもの柔和な作り笑顔を浮かべて大人の対応に徹する。
博士は二人の空気に気づく様子もなく、さらに声を弾ませて話を戻した。
「その番組を見てのォ、“うちにも似たようなお盆がある”と鑑定を依頼してきた人が、なんと同時に3人もいたらしくてのォ。しかも驚いたことに、その3枚の堆黒盆の柄が、3枚とも全く同じ鶴の柄だったそうじゃ!」
「なるほど。ということは……その3枚の内の2枚は、精巧に作られた贋物ということですか」
沖矢が顎に手を当てて呟く。
「うむ。本物なら数千万はくだらないと言っておった。鑑定士の友人が、本物と贋物の違いを依頼してきた本人たちとも交えて解説するから、勉強がてら見に来んか? と誘ってくれたんじゃよ」
「成る程。そういうことなら、私もその堆黒盆というものを是非拝見したいですね。博士、私も同行させていただいてもよろしいですか?」
沖矢が物腰柔らかに尋ねると、博士は少し圧倒されながらも「べ、別に構わんが……」と承諾した。
そこで沖矢は、意地悪なほど自然な手際で、横にいる世良へと視線を向けた。
「君はどうするんですか?」
話を振られた世良は、つまらなそうに肩をすくめて唇を尖らせる。
「ボクはパスしようかなぁ。骨董品なんて興味ないし。だから、ここでお留守番しといてあげるよ。星野君と、この子と一緒にね。……君たちも、骨董品なんてあんまり興味はないだろ?」
世良はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、圭人の顔を見た後、その背後に完全に隠れ潜んでいる灰原を、鋭いキャッツアイで見据えた。明らかに、圭人と灰原の二人をこの場に足止めし、執拗に問い詰めるための口実だった。
その露骨な狙いに、コナンは額に手を当てて心の中で深く溜め息をついた。
(そういうことか……。やっぱり、ハナから灰原と圭人を狙ってやがったな……)
車内の空気が一気に緊張感で張り詰める中、圭人が動いた。
圭人は、背後にいる灰原をまるで年の離れた妹さながらに優しく労わるように、その小さな頭へと左手をそっと置いた。そして、世良の視線を真っ向から受け止めながら、穏やかだが芯のある声でこう言った。
「この子はこう見えて、すごく好奇心旺盛でね。色んなことに興味があるんだ。だから、留守番はしないよ。――勿論、俺もね」
世良の揺さぶりを完璧にいなし、灰原を守る盾となった圭人の頼もしい態度に、コナンは心の中で(ハハハ、ナイスだ圭人)と小さく笑った。
当てが外れた世良は、一瞬だけ目を見張ったが、すぐに悪びれることなく両手を後ろに組んで声を弾ませた。
「へぇー、じゃあやっぱりボクも行こっかなぁ! だって数千万のお盆だろ? 急に興味が出ちゃったよ!」
あからさまな手のひら返しに、圭人は困ったような苦笑いを浮かべ、圭人の背後で守られた灰原は、世良に向けて完全なジト目を向けていた。
「では、6人揃って行くというのはどうでしょうか」
沖矢が何食わぬ顔で提案すると、博士も「そ、そうじゃな……。全員で行けば賑やかでええわい」と、タジタジになりながら頷く。
リビングを出ようとする一同の中、灰原は世良の挙動をじっと警戒の目で睨みつけていた。しかし、世良はそんな灰原の視線に気づくと、わざとらしく顔を近づけて悪戯っぽく笑いかけた。
「なんだよぉ、哀ちゃん。女の子同士、そんなにつれなくするなよぉ」
ぐいぐいと距離を詰めてくる世良の迫力に、灰原は小さく息を呑んで今度は博士の後ろにさらに身を隠す。
その様子を見ていたコナンは、これ以上ここで引き延ばすのは危険だと判断した。
「ねぇ、昴さん……。ちょっといい?」
コナンは圭人の目配せを拾うと、沖矢を促して、博士や世良の耳に届かないリビングの隅へと3人で静かにその場を離れた。
廊下の影に回り込むと、コナンは声を極限まで潜め、沖矢を見上げて鋭く問い詰めた。
「ねぇ、どうして世良まで誘ったの?」
圭人もまた、真剣な表情で沖矢にコソッと苦言を呈する。
「彼女を連れて行くの、流石に危険すぎませんか? 哀ちゃんだけじゃなく、俺もずっと疑いの目を向けられてますよ……」
二人の切実な追及に対し、沖矢はいつもの柔和な笑みを崩さないまま、ふっと眼鏡の位置を直した。そして、二人だけに聞こえる囁き声で、その意図を明かした。
「すまんな、二人共。流石にあのまま門の所で、彼女に不審な行動をさせ続けるのは忍びなかったんでね……」
そう言って、沖矢は申し訳なさそうに肩をすくめてみせた。だが、その直後、前を歩く世良の背中を見つめる彼の眼鏡の奥の瞳が、一瞬だけ身内を案じるような、鋭く深い光を帯びる。
(それに……妹には、少々聞きたいことがあったしな)
沖矢――赤井秀一は、自らの胸の内でそう静かに呟いていた。彼なりの思惑と妹への複雑な想いを秘めたまま、一行は曰く付きの堆黒盆が待つ鑑定の場へと、静かに足を進めるのだった。
阿笠博士の運転する黄色いビートルは、古美術鑑定士である西津法玄の自宅へと到着した。西津は、阿笠が持ち込んだ小皿の鑑定を引き受けるだけでなく、時価数千万円から1億円クラスとも噂される中国の漆芸品「堆黒盆」の真贋を見極めるという大役も同時に請け負っている人物だった。
玄関の前に並んだ一行の中から、阿笠がインターホンを押し、格子戸を開けて声をかける。
「西津さーん! 阿笠じゃが、入ってもええかのォ?」
しかし、広々とした和風の邸内からは、静まり返ったままで何の返答も戻ってこない。阿笠は困ったように眉を下げ、首を傾げた。
「おかしいのォ……。また補聴器の調子が悪いのかもしれん。ちょっとワシが中を見てくるから、皆はここで待っておれ」
博士はそう言い残すと、玄関を上がって廊下の奥へと入っていった。
その後ろ姿を見送りながら、コナンはふと思い出したように、隣に立つ圭人と灰原を振り返った。
「なぁ、補聴器って……前に博士が作った、あの『聞こエンジェル』か?」
声をかけられた圭人は、やれやれといった風に苦笑いを浮かべた。
「あぁ……。最初はすごく調子いいんだけど、すぐに不具合を起こして余計に聞こえづらくなる、あの『聞こエンジェル』だよ」
そのなんとも言えないネーミングと実用性の低さに、灰原が腕を組んで冷ややかにボヤく。
「本当、名は体を表してるわね……」
その呟きを、すぐ後ろにいた世良の耳が見逃さなかった。世良は目を細め、獲物を見つけたような鋭い視線を灰原へと落とす。
「へぇ……『名は体を表す』なんて、ずいぶんと難しい言葉を知ってるんだなぁ、哀ちゃんは」
じりじりと距離を詰めるような世良の言葉に、灰原の身体が緊張でわずかに強張る。だが、その不穏な空気を断ち切るように、圭人が二人の間に自然に割って入った。
「別に、今の時代ならそれくらい珍しくないんじゃない? ほら、テレビの番組でもよくやってるでしょ? スーパーキッズってさ。小学生どころか、今は園児でも何かにものすごく長けていて、大人顔負けの凄い知識を持ってる子なんてたくさんいるよ」
圭人のスマートな助け舟に、世良はフフッと不敵な笑みを浮かべ、今度は標手を圭人へと切り替えた。
「ふーん……。じゃあ星野君、君も何かに長けてるんじゃないかい? 例えば……ジークンドーみたいな格闘技とか。あるいは、ボクたちの常識を遥かに超えた『未知の怪物と格闘すること』とかね。この前もテレビのニュース映像で見たよ。凄かったじゃないか、あの市街地での戦い!」
世良がニヤニヤしながら持ち出してきたのは、先日のゴルザとの激戦の話題だった。圭人が何らかの形で関わっているのではないかと、直感で疑っているのだ。
しかし、圭人は全く動じることなく、肩をすくめていつもの柔らかい口調で返した。
「あはは、それはティガでしょ? 俺じゃないよ。あんな超人みたいなこと、普通の人間ができるわけないじゃない」
すると、圭人の背後から灰原が冷静極まりないジト目を世良に向け、冷徹に反撃の一手を放った。
「貴女、あのティガと星野君の区別もつかないの? 流石にそれは、観察眼を疑うわね。…探偵なんでしょ?」
「そ、そのくらい分かるさ! ちょっと冗談で言ってみただけだよ!」
灰原からの痛烈な皮肉に、世良は頬をわずかに赤くして大慌てで反論する。コナンはその様子を横で見ながら、(相らかじめ鋭い奴だな……)と呆れ顔で頭を掻いた。
その頃、博士は「西津さん~」と呼びかけながら、廊下の突き当たりにある薄暗い部屋へと足を踏み入れていた。堆黒盆を前に解説を受けるはずだったその部屋で、阿笠が目撃したのは、この世のものとは思えない惨状だった。
部屋の中央で、西津が頭部から激しく血を流して倒れていたのだ。傍らには、凶器として使われたと思しき槍のような鋭利な古美術品が転がっている。西津はまだわずかに息があり、虫の息の状態で床を這っていた。
「に、西津さん! しっかりしてくだされ!」
驚愕した博士が駆け寄ると、西津はかすむ意識の中で、血に染まった堆黒盆を震える指先で指し示し、途切れ途切れに声を絞り出した。
「これ……が……本物……」
「本物?……と、とにかく、すぐに救急車を! あ、あぁ、スマホを車の中に置いてきてしまったわい! 西津さん、少し待ってくだされ、今すぐに連絡してくるからのォ!」
パニックに陥った博士は、一刻を争う事態に警察や救急へ連絡するため、大慌てで部屋を飛び出していった。
だが、それが決定的な悲劇を生む。阿笠が部屋を去り、廊下を走っていく足音が遠ざかったその直後、部屋の押し入れの陰に潜んでいた人影が、音もなく這い出てきた。犯人は、まだ息のあった西津の胸元に向け、容赦なく鋭利な刃物を突き立てた。西津の身体が大きく痙攣し、やがて完全に動きを止める。
何も知らない博士は、血相を変えて玄関へと戻ってきた。
「た、大変じゃ! 例の堆黒盆を目の前にして、西津さんが血を流して倒れておった……!」
「な、何っ!?博士、救急車は!?」
コナンの鋭い問いかけに、博士は頭を抱えた。
「それが、スマホを車の中に忘れてきてしまって……! 」
「圭人兄ちゃん、救急車と警察を!」
コナンの指示に、圭人はすぐさま「あぁ、分かった!」と鋭く応じ、左腕のアストロウォッチの通信機能を起動した。素早い手つきで画面を操作し、警察と救急の双方へ同時に最優先での緊急通報を入れる。
「その鑑定士さんさんはどこに!?」
世良が緊迫した声で尋ねると、博士は右手で廊下の奥を指差した。
「こ、この廊下の角を曲がって、奥から2番目の部屋じゃぞ!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、コナン、世良、沖矢の3人は猛烈な勢いで廊下を駆け出した。
現場の部屋へと飛び込み、コナンは真っ先に床に倒れている西津へと駆け寄る。その首筋に指を当て、脈を確認するが、すでにそこには何の鼓動も残っていなかった。
「クソッ……息がない。手遅れだ……」
コナンの苦渋に満ちた言葉に、世良が部屋の周囲を鋭い目で見回しながら声を上げた。
「おい、コナン君……お盆なんて、どこにも無いぞ!?」
「何っ!?」
コナンが目を見開く。博士が言っていたはずの、西津が指し示していたという血塗られた堆黒盆の姿が、部屋のどこを探しても完全に消え失せていたのだ。犯人が博士の隙を突いて西津にトドメを刺したとコナンは確信した。